我等スズカケ町内会〜町民運動会で曾孫たちに良いところを見せたい〜
「ただいまの〜、町内会対抗リレー予選において〜、1位でゴールしました〜スズカケ町は〜、第3走者の反則のため〜失格と致します〜。」
半ば音割れした大音量のこのアナウンスが、霹靂のように我々を撃った。
大人だけではなく、蜜蜂の群れのように騒々しかった小学生たちが、ポカンとした表情で無音になっている。
数秒の静寂から、運動場全体にドヨドヨと不穏なざわめきが湧き出したのと同時に、うわああああと私の傍らで少女の大きな泣き声が上がった。今のリレーで第3走者だった、小学6年生のマリンちゃんだ。
「会長さん!すぐに本部に抗議に行きましょう!!」
振り向くと、数人の御婦人方が憤懣遣る方無いといった面持ちで拳を握り締めている。
「あ、ああ。すぐに私と副会長の佐倉さんと…あと子ども会代表の柘植さんで行ってきます。」
私はレジャーシートから慌てて立ち上がり、数名の町内会役員とともに本部テントへと駆け足で向かった。
本部の審判員たちによると、反則というのはマリンちゃんが他の走者を内側から抜いたというものらしい。(そんなルールがあったことをそもそも私は知らなかったが。)大体、その時は数人の走者が団子になって競り合っていてとても外側から追い抜くなんて危なくて出来ない状態だったじゃないか、などと抗議してはみたが、判定は覆らなかった。
これまで町民運動会なんてゆるいレクリエーション活動のようなものだったから、まさかこんな判定負けなんてシビアなことが起きるなんて誰ひとりとして思ってもみなかった事だっただけに、衝撃的であった。
我々がガックリと肩を落として応援席に戻ると、マリンちゃんはまだ泣いていた。数人の女の子達が懸命に慰めている。マリンちゃんの曾祖父にあたる、敬老会の松田さんが小声で「どうだった?」と聞いてきたが、手で小さくバツの字を作って首を振る以上の返答は出来なかった。
マリンちゃんは、いつもはこんなグジグジと泣いたりはしない娘だ。我々が通学路の見守り活動をしている時には、下級生に率先して大きな声で元気な挨拶をしてくれる。運動が大得意で、サッカーだってドッヂボールだってマリンちゃんがチームにいれば勝ったも同然だと私の曾孫のアオイもいつも言っているくらいだ。
そんなマリンちゃんが号泣しているのだ。
私はだんだん腹が立ってきた。こんな幼児から老人まで町民の多くが集まるところで、小学生の女の子に恥をかかせて泣かせるような運動会があってたまるかと。
「あのー、百田さん?お弁当、届いてるんですけど、配っていいですかねー?」
会計の立花さんが、気まずそうな顔で私に声を掛けた。
「ああ、すみません。お願いします。」
いかんいかん。多分私は余程険しい表情をしていたのだろう。慌てて笑顔を作ってペットボトルのお茶を配るのを手伝いにいった。
町内一のしっかり者の立花さんが手配してくれた弁当は予算の割にボリュームがあっておかずの種類も豊富で味もなかなか、の筈なのだが、いまいち箸が進まない。
賑やかな他の町内会の応援席とは違って、うちの町内会のシートは重苦しい沈黙に包まれ、いつもは空気が読めない男子小学生たちすらも黙々と下を向いてチマチマと弁当をつついている。
「あれー、マリン、なぁに泣いてんのー?」
小生意気な、という表現がピッタリな少女の声がした。俯いて弁当を食べていた我々は一斉に顔を上げて、声の主を見た。青い鉢巻をまいた小学生の女の子だ。
「…ほ、ほっといてよ…」
マリンちゃんが小さな掠れた声を絞り出すように応えた。
「決勝でマリンと勝負すんの楽しみにしてたのに、反則とかダサ過ぎ!ちゃんとやりなよー。」
「うるさいな!もうあっち行ってよ!!」
また泣き出してしまいそうなマリンちゃんにヘラヘラと手を振って少女は元来た方へと戻って行った。
「マリン、アヤの言うことなんて気にしない気にしない。」
「アヤはいっつもマリンに勝てないから、こんな時に言いにくるんだよ!」
アオイと立花さんの曾孫のノンちゃんが、マリンちゃんの肩を抱いて励ましている。今の女の子はアヤというらしい。青い鉢巻をしていたということは、ハナノキ町の子なのだろう。
「いやー、百田さん。さっきのリレーは残念でしたなあ。」
アヤと入れ替わるように現れたのは、ハナノキ町の町内会長の杉本氏だった。
「今年こそは、うちの町内会が優勝を頂きますよ。…折角のチャンスですからね。」
ニヤニヤと嫌な笑顔で、よりにもよってマリンちゃんにむかって、最大限とも思える嫌味な声音で言った。
「そうですか。でも、うちも負けませんから。」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。杉本氏はちょっと驚いたような顔をしてそそくさと立ち去った。普段温厚というより争いが嫌いな私だって、腹を立てることくらいあるのだ。
「百田さん、ハナノキ町には絶対に勝ちましょう。」
普段は穏やかな紳士の立花さんが、いつになく闘志のこもった声で言った。佐倉さんも松田さんも、その他のみんなも、力強く頷いた。勿論、私も。
それから我々は、おそらく人生で一番真剣に運動会に取り組んだ。子どもの頃だって、こんなに本気で勝ちたいと思ったりはしていなかったと思う。
まず孫たちに命じて、スマホで玉入れや大玉転がしや綱引きの必勝法を検索させた。それを選手全員必死で頭に叩き込んで忠実に実行した。
基本的にそこまで勝ちに拘る町内会はほとんど(というか全然)いないので、本気で勝ちに行くことにした我々は勝ちまくった。
そして最終競技。町内会対抗リレーの決勝。
我々は予選で敗退してしまっているので、この結果を見守る事しかできない。1位は5点、2位は3点、3位は1点という配点だ。現在、我らがスズカケ町内会は、2位のハナノキ町内会と5点差の1位である。つまり、ハナノキ町内会がこのリレーで2位以下なら我々が優勝だ。
あまり好ましくないことだが、ハナノキ町に負けて欲しいとかなり真剣に祈ってしまう。
その祈りが天に届いてしまったのか、ハナノキ町の第3走者、件のアヤが、転倒した。
「おっしゃー」と声に出掛けた、その一瞬前に、マリンちゃんが叫んでいた。
「アヤ!!早く立って!!頑張れ!!!」
私は、息を飲み込んだ。羞恥心で顔が熱くなった。
前列で大きな声を上げてアヤを応援している女の子たちの背中が、我々にはひどく眩しかった。
運動会は我々スズカケ町内会とハナノキ町内会の同点優勝で幕を閉じた。
夕暮れ色がじわじわと濃くなっていく帰り道、蜂の巣を突いたように賑やかな子ども達の集団から数十メートル遅れて、私は佐倉さんと立花さんと並んでゆっくりと歩いていた。
「いやはや、あの子たちに良いところを見せたいと思ったんですけどね…」
私達はそれぞれに苦笑いする。誰の口から出たのかは、もう判然としない。みんな同じことを考えていたから。
「それにしても。子どもって、体も心もあっという間に大きくなっちゃうんですね。」
宵の明星が輝いている。
今夜は居酒屋で反省会をしよう、と提案したのが誰だったのかももう思い出せない。全員が同じ考えだったのは間違いないからだ。




