大山鳴動して鼠一匹 9
学校の駐輪場に止められていたオートバイの後部座席に乗せられ、僕は夜の学校を後にした。
今にして思えば夜の学校はやっぱり不気味だった。
そんな事を考えている余裕なんてなかったけれど。
意外なことに、僕はヘルメットを被された。
見るからに柄の悪い不良なのだから、バイクくらいノーヘルで乗りそうなものだけど、やっぱりそういうところは生真面目なようだった。
でも確か、うちの高校はバイクの免許をとってはいけなかったような。
「テメェ、覚悟は決まったのか?」
学校を出てからしばらく無言の時間が続き、気まずさを隠せなくなった僕が、何か喋った方がいいのかと頭を悩ませていた頃、後前田先輩は唐突にそう切り出した。
普通ならバイクを走らせながらの会話なんてままならないと思うけど、深夜の静かな夜道を法定速度を守りながらの走行であったためか、ある程度の声で聞き取ることができた。
「覚悟って言われても、何を覚悟していいかもまだわからないんです。」
「覚悟っつーか心構えだな。覚悟なんてもんは後からついてくるが、心構えはあった方がいい。」
「心構え、ですか。」
「ああ。十二支士になる心構え。字を宿す心構えだ。
どうせあのセンコーのことだ。ぺらぺらといろんな事を喋る癖に、肝心な事をまだ言ってねーんだろ。」
後前田先輩がこういう事を言ってくれることに、正直驚いた。
確かにこの人は見た目に反して変に生真面目なところがあるのは今までの少ないやり取りでわかっていたけれど。
僕に対して反感というか、攻撃的な態度だったこの先輩が、僕のことを案じているようなこと言ってくれているのは、意外だった。
「字を宿すってことは、その字に込められた意味や想い、性質、概念、印象、成り立ち、そう言ったものを宿すってぇことだ。
自分自身の中に、そう言ったものが紛れ込み、混ざる。自分という存在の中に入り込み、上書きされるんだ。
その分、今まで形成してきた自分は薄れ、字に侵食される。
極端に言えば、自分が自分で無くなるんだ。」
「そんな……! それじゃあ僕たちは……!」
「慌てるなボケ。別に自分が消えて無くなるわけじゃねぇ。
ただ、字に引っ張られるってことだ。
だから俺たちは引っ張られすぎねぇように、飲み込まれねぇように自分を強く保つ精神力が必要になる。
どんな字だろうと、どんな力だろうと、俺は俺だってドンと構える、そんな心構えが必要ってこった。」
なるほど、と素直に思った。
確かに言われてみれば、言霊とは言葉に籠る魂だ。
それを身体に、その身に直接埋め込まれるのだから、魂というか、精神というか、そういう内面的な影響を受けるというのは、なんらおかしな話ではないだろう。
「後前田先輩。一つ、質問していいですか?」
「んだよめんどくせぇ……。とっとと言え。」
ツンケンしてるのか優しいのかわからないこの先輩のめんどくさい性格に思わず口元を緩めながら、僕は質問を口にした。
「先輩は、なんのために戦うとか、そういう理由ってあるんですか?」
「…………ねぇよ。」
オートバイのエンジン音と風を切る音で、後前田先輩の声を聞き取るのは難しかった。
けれど常に怒鳴りつけるように喋るこの先輩にしては珍しいその声に、これ以上聞くなと言われているような気がした。
そのはずなのに、先輩は言葉を続けた。
「戦わなきゃいけねぇから俺は戦ってる。それだけだ。けどな、線引きは決めておいた方がいいぞ。」
「線引き?」
「どこまで頑張るか、だ。
もっと言えば、てめぇは誰のためまでなら死ねるのかってことだ。」
「…………!」
そうだ。先輩の言う通りだ。
戦う以上死ぬ可能性がある。
それも人ならざる怪人と相対すのだから、死ぬ方が当然だと言うほどに。
現に僕はさっき一度死んだようなものじゃないか。
力を与えられて生き返らせてもらって。
言葉の上での話を聞いて、自分のことなのにどこか他人事というか、空想の話を聞かされているような気分になっていた。
そうだ。
僕はこれから死地に赴くことになるんだ。
見知った先輩がいるから感覚が麻痺していたんだろうか。
そのことを僕は真剣に捉えていなかった。
「友達のためなら死ねるのか。仲間なら、家族なら、恋人なら。そういう線引きを、決めておけ。
そうしねーと、意味のねーとこで死ぬぞ。」
「わかり、ました。」
死ぬのは嫌だ。誰だって嫌だ。
けど、意味なく死ぬのは、きっともっと嫌だ。
この人はホント、どうして不良なのか。
あんなに口が悪くて態度も悪い癖に、こういう思いありのあるようなことを言う。
見かけで損をしていると言うか。
内面を隠すために外面を偽装でもしているだろうか。
いや、きっとそこまで繊細な人ではない。
ただこの人は、思ったことをすぐ口に出してしまう人なんだろう。
「じゃあ、もう一つ質問していいですか?」
「てめぇさっき一つっつってただろうが! …………ったく、なんだよ。」
「後前田先輩と辺見先輩ってどういう関係なんですか?」
途端、オートバイはけたたましい音を立てて急停車した。
その勢いで僕は思いっきりつんのめり、ヘルメットを被った頭部を後前田先輩の後頭部に激突させる羽目になった。
「て、てめぇこの野郎! 何てこと聞きやがる!」
思いっきり振り返った先輩は怒鳴り散らしながら僕の胸ぐらを掴んだ。
その形相はまさしく鬼のようで、これこそまさに不良だと言わんばかりの激昂だった。
「い、いや! 別に変な意味じゃなくて!
なんていうか、仲よさそうっていうか、独特の関係性だなっていうか!
親分と子分? みたいな。蛇に睨まれた蛙? いやこの場合蛇に睨まれた馬?」
「てめぇこの場で蹴り殺してもいいんだぞ。」
そう言いながらも僕の胸ぐらを放し、再びオートバイを走らせる。
「別に何も特別なことはねぇよ。特別仲がいいわけでもねぇし、コンビとかそういうのでもねぇ。今はただ、言守にてめぇのことを頼まれたのが俺たち二人だったってだけだ。
余計な詮索してんじゃねーよ。」
「す、すいません……」
「俺はあの女苦手なんだよ。
掴み所はねぇし、そのくせ凄む時だけ一丁前ときた。
人のことすぐおちょくってくるしよ、おっかねーったらありゃしねぇ。」
「でも別に嫌いって風には見えませんけど。」
「あぁ。別に嫌いではねーよ。仲間だしな。
けど好きでもねぇ。俺は一人でいる方が楽なんだ。」
それ以上、後前田先輩は何も喋らなかった。
だから僕も、もう余計なことは言わないようにした。
この柄が悪くて態度が悪くて口の悪くて思ったことをすぐ口に出してしまう先輩が、僕は少しだけ怖くなくなった。