大山鳴動して鼠一匹 7
「ごめん、これも誇張表現だよ。どうも私は物事を大袈裟に表現してしまうんだ。
でも別に間違いじゃない。
君には神の力とも呼べるものの片鱗を埋め込ませてもらった。
だからそれを埋め込まれた君は、人間という立ち位置からほんの少しだけ神様に寄ったのさ。まぁだからと言って、君が崇高な存在に昇華したというわけではないんだけどね。」
言守先生は飽くまで落ち着いたままで、僕の気持ちとは裏腹にゆっくりと話し続けた。
「君は一応人間だ。それは私が保障しよう。
わかりやすく言えば君は超能力者になったのさ。
普通の人間よりちょっぴり上位な存在になった。魔力を糧に特殊な力を使えるようになった。そういうことができるように、身体が作り変わった。その過程で、君の傷も癒えてしまった。
だから安心していいよ。君は怪物や化け物になったわけじゃない。君はただ超能力者になったんだ。
けどまぁ、普通の人間をやめてしまったことには、変わりがないんだけどね。」
「僕が、人間じゃなくなった……」
正直なところそんなにショックはなかった。
いや、怪物なのかもと思った時は取り乱しそうなほどにショックを受けたけれど。
それが真実かどうかは置いておいて、超能力者のようなものになった、ということならば、そこまで気に病むことではないのでは、と思ってしまった。
僕には人間をやめるという意味が具体的には伝わってこなかったというのも、その理由の一つなんだろう。
「それで僕は、具体的には何になったんですか。」
「鼠さ。」
鼠。
鼠は、哺乳類ネズミ目の夜行性の小動物である。世界中にどこでも生息する、人間には馴染みの深い動物だ。
「といっても、わかるだろうけれど君が鼠そのものになったわけじゃないよ。
君には字を与えた。」
「あざ?」
「そう、字。字とかいてあざと読む。」
言守先生は空に人差し指で書き示しながら言った。
「言霊の一種でね、文字を直接埋め込むことで、その文字の持つ意味や思い、概念の力を付与することができる方法だ。
私は子の字を君に与え、君は鼠の力を得た。
身体のどこかにその証拠があるはずだ。」
上着をめくって身体を見てみれば、左胸に文字のような痣のようなものがあった。
よく見てみればそれは『子』の形に見えた。
「子の字だよ。わかるだろう?
子は鼠を意味する。十二支くらいは君も知っているだろう?」
「それはまぁ、わかりますけど……」
「十二支が一柱、『子』だよ。
干支に名を連ねる動物たちは、十二の年を順に見守る神性を得た動物たち。
その力を得るということは即ち、神に寄る、ということなのさ。」
鼠とはどうもパッとしない。
正直そう思ってしまった。
力を与えるのに動物を準えるにしても、他にいくらでも選択肢があっただろうと。
どう考えても鼠は強そうではない。
確かに生命力はたかそうだけれど、でも鼠ではあまりにもインパクトがないじゃないか。
「さてと。それではネクロコレクトに話を戻そうか。
実はね寧々頭。ネクロコレクトのような怪人はやつだけじゃないのさ。
私が確認しているだけで、というか知っているだけで十二人。この街には少なくとも十二人の怪人が身を潜めている。」
「十二人────!?」
あんな規格外の化け物が、この平和で平凡な街に十二人も隠れているだなんて。
只事ではない。尋常ではない。あってはいけない。
このままではこの街は殺戮現場に成り下がる。
僕の家族が、友だちが、あらゆる人がその犠牲になる。
「まぁ落ち着きなよ寧々頭。
大丈夫。今すぐどうこうなる問題じゃない。まぁだからといって静観できる事態でもないけれどね。」
言守先生は飽くまで今までと同じように軽薄というか無頓着というか、どこか他人事のように語る。
そんな彼女を見ていると、焦る気持ちが少しだけ削げた。
「怪異十二会。
やつらはそう呼ばれている。」
「冠位十二階のもじりですか? 飛鳥時代の。
やつらもそんな言葉遊びをするんですね。」
「いや、私が勝手に考えて呼んでいるだけだよ。なんかほら、ハマりが良くてさ。呼びやすいだろう?」
「いや遊んでる場合じゃないでしょう。そんなことどうでもいいじゃないですか。」
「どうでもなくないさ。いやいや寧々頭。
そういうところをどうでもいいと思っちゃいけないんだよ。
呼び名というのは大切だし、それをそういうものだと認識するのが大切なんだ。
人間は不可解や未知には弱い。何が何だかわからないものには立ち向かえないのが人間だ。そして、それを理解できる範疇で理解しようとするのもまた人間ならではさ。
だから私はやつらを怪異十二会と呼ぶことにした。そう呼ぶことで、やつらをそうたらしめた。」
言守先生の言っていることに意味を僕は半分も理解できなかった。
しかし不真面目そうに見えてこの人は、内側では案外真面目なのではないかと思い始めてきた。
「とは言ってもね、怪異というのは的確な表現じゃない。
やつらはそういう概念的なものではなく、直接的で物理的な脅威だ。
それに十二人で集っていることは確かだけれど、やつらにチームワークというか、集団的な意識もないようだ。
まぁ大切なのは耳に心地よい言葉並びだよ。」
もしかしたら前言を撤回する必要があるのかもしれない。
「さて、それで私はというとだね。
魔法使いとして、神秘に関わるものとして怪人という直接的に人的被害を起こすであろう害悪を阻止せねばと奮闘しているというわけなのさ。
この街に怪異十二会という脅威が現れたのに際し、その抑止力足らんと立ち上がった。
なんて格好付けた言い方だけれど、まぁ結局のところは自分勝手というか自分本位な理由がある。
まぁそれをここでは割愛するけれど、つまりとにかく私はね、怪異十二会が人を襲うのを最大限阻止したいわけさ。
そこで、君たちさ。」
言守先生はにんまりと意地悪く笑った。
悪い予感というか、良い気がしない。
「実は私は魔法使いとして、言霊使いとしてそれなりの実力を備えていると自負しているんだけれど、しかし怪人相手となると些かばかり火力不足なのさ。
人智を超越し、常軌を逸し、人々の恐怖を体現したやつらに、私では真っ向勝負は叶わない。私は、そういう類の人間ではないんだよ。
だから私は君たちに字を与え、私の代わりに戦う力を与えた。十二の怪人に対抗し得る力を、君たちに与えたんだ。」
「僕に、ネクロコレクトと戦えと?」
「うん。ネクロコレクトに限らずだけれど、今の君にならそれができる。
人間ではなくなり、子の力を宿した君は、怪人と戦う力を持っているのさ。」
「けど、人にそんな力を与えられるなら、先生自身が戦えるんじゃないですか?」
「与えるのと自分で使うのとではわけが違うのさ。字を与えはという行為には適性が必要なのだから。
私は言霊を使って様々な事象を起こすことはできるけれど、字に込められた力を体現することはできない。それができるのは、君のように字との適性がある者だけなんだよ。
よって、怪人と対峙するのは君たちの方が適任というわけさ。私は飽くまで裏方さ。」
その言葉が真実なのか、はたまた嘘なのか。僕には見抜くことができなかった。
言守たまごというこの養護教諭を自称する女性は、常に軽薄そうな笑みを浮かべ、冗談のようなことを冗談みたいな顔で、真面目に話すからだ。
「この学校には既に、君のように私が字を与えた子たちが六人いる。つまり君で七人目というわけさ。私は君たちを十二支士と呼んでいるよ。
十二の神獣の字を宿す戦士たち。まぁ今はまだ君を入れて七支士なんだけれど。いずれ十二人揃う時が来るだろう。
敵が十二人いるのならば、やはりこちらも同じ数を揃えた方がいいだろうしね。そういう意味でも十二支という概念はちょうど良かったし、この学校で出会う適正者はみんな十二支に準える動物の適正を持っていた。
君ももう既に彼らとあっているだろう?」
「それって、まさか……」
僕が今日あった人といえば、限られている。
新たにクラスメイトになった新入生の仲間を抜けば、あまりにも限られている。
「そう。あの蛇のように凹凸のないすらっとした女の子であるところの、スレンダー美少女であるところの辺見 びび。」
「いや、悪口の後に言葉を言い換えても良い意味に聞こえませんからね。ただ悪口二回言っただけになりますからね、それ。」
「ぱっと見コテコテの今時馬鹿みたいに不良な後前田 誠がそうさ。」
「だからと言って悪口だけ言えとは言ってないんですけど。ていうか教師が何行ってるんですか。」
「悪口じゃないよ。辛口だと言って欲しいね。ピリッとスパイスが効いているだろう?」
「聞いていてヒヤヒヤするという点ではそうかもしれないですけどね。」
悪口とか辛口というよりは、ただこの人は遠慮がないだけなんじゃないだろうか。
「彼らは既に十二支士の一人なんだよ。
そして彼らは既に先月、一人目の怪人と対峙した。生憎倒し損ねて逃げられてしまったんだけどね。」
あの二人が、まさかそんな特殊な人たちだったとは。
確かに一癖も二癖もあるのは見た目からも会話からも滲み出てはいたけれど。
まさかこんな非現実的なことに身をやつしていたなんて。
「でも、なんでその人たちは先生の言うことを聞いて素直に怪人と戦っているんですか?
いくらその怪人を倒さなきゃいけないにしても、普通の高校生が戦えと言われて戦うなんて……
それに、魔法使いとして、というか大人として、無関係の未成年を巻き込んで良いんですか?」
「無関係? まさか。無関係だなんてそんなことないよ。だって現に君は無関係かい?」
「え……」
「ネクロコレクトと出会ったのは私が引き合わせたからかい? 違うだろ。君は一人で勝手にたまたま怪人と行き合った。
誰の責任でもない。強いて言うなら君自身の責任だ。
私が君に字を与える前から、君は既に怪人と無関係ではなくなっていたんだよ。
他の子たちも似たようなものさ。彼らはその時既に無関係ではなかった。だからそんな関係者であるところの彼らに助力を仰いだのさ。」
それは確かに、言われてみればそうだった。
言守先生は魔法使いでも、起きる全ての超常的なことへの責任を持つわけじゃない。
起きたことへの対処はしても、起きたことの責任は彼女の元へは行かない。
行き合ったのは僕自身の問題なんだ。
「まぁもしそれでも納得できないならこう言い換えよう。よくあるやつだよ。
助けてやったんだから、生き返らせてやったんだから、戦っておくれよ。
命を永らえさせる代わりに、その命を戦うことに燃やして欲しい。
まぁこの場合は世界を守るためとかではなくて、私の為なんだけどね。」
確かによくあるやつでありがちなやつだ。
でもそれ故に返す言葉がなかった。
確かに、命を救ってもらったというあまりにも大きな恩を振りかざされたら、何も逆らえない。無くすはずだった命なのだから、費やす先を提示されても仕方ない。
「飲み込みが早くて助かるよ、寧々頭くん。
君の先輩たちはまぁ、色々あった子もいたからね。それでも今は素直に戦ってくれているけれど。
まぁそういうわけだから、君はこれから十二支士として、この街に蔓延る悪と戦ってもらうことになる。
たまたま怪人に行き合って、たまたま殺されかけて、たまたま救われた寧々頭くん。
君は選ばれし人間ではないし、特別な人間でもない。たまたまの人間だ。しかし運も実力のうちと言う。
君のそのたまたまが、この街を救ってくれることを、私は心から願っているよ。」
相変わらず軽薄な笑みを浮かべたまま、言守先生は言った。