プロローグ
お久しぶりです.
一番最近書いた長編です.
章ごとに分割して投稿しますが,長いです.
40×34で150枚分です.
「小説家になろう」の書式に合わせてフリガナとかふる作業をしてから投稿しようと思っていましたが,たぶん年単位でやらないだろう,というか既に数年経っている,ということで,そのまま投稿します.
読みづらいところがあると思います(段落とかも一時下がってないところがあると思います),時間の余裕があるときに,必ず修正します.
続けて終章まであげますのです.
プロローグ
人は、〝変化〟を望む。
そしてその〝変化〟とは、自分勝手に都合よく、状況が現状よりもよくなるようなそれであり、しかも性質の悪いことに、それは自ら起こすものではなく、外からやって来るものである。
――正しく言い換えよう。
人は、外からやってくる、自分勝手に都合のよい、現状よりもよくなるような〝変化〟を、望む。
そして――しかしながら人は、現状が〝変化〟することに対して怯え、恐怖する。
……この場合の〝変化〟とは、現状よりも状況が悪くなるようなそれである。
――正しく、言い換えよう。
〝変化〟――人は望む。現状より状況が良くなる〝変化〟を。
〝変化〟――人は望む。現状より状況が悪くなる〝変化〟が、起こらぬことを。
人は、〝変化〟を望む――自分勝手に都合よく。
……こうして「人は……である」と格好よく断言すると、それっぽく聞こえるから、日本語は不思議である。
――さて。
彼女も、〝変化〟を望み、〝変化〟を拒むその一人――
明日、十二月二十三日は、彼女の誕生日だった。補足しておくが、ここで云う「彼女」とは、ガールフレンドという意味ではなく――ましてやこの文字列が「僕」とか「俺」とか「私」とかいった一人称的視点によるモノローグであり彼女とはこの「僕」とか「俺」とか「私」とかいった一人称単数のガールフレンドという意味では全くなく――単なる三人称女性単数形の指示代名詞である。一言で表すのなら〝she〟である。
十八歳になる彼女は、他の十八歳の日本の学生の殆どがそうであるように、所謂一人の受験生だった。彼女が通う高等学校は私立の進学校であり、彼女が通う予備校は一月の一日から合宿をすることで有名なところだった。勿論その日、三学期制で云うところの二学期の最終日――しかも彼女の進学校は土曜日も学校があるのだ――十二月二十二日(土)も、当然彼女の通う予備校の講義はあり、それはみっちり二十二時まで続いた。
現在時刻、二十二時三十分。
ずらりと並ぶ摩天楼。高層ビル街、塔が輝く、都会の夜。ビルには及ばないものの背の高い街路樹には、クリスマス直前だからか、夥しい数の電飾が巻かれていて、様々な色の電球が点灯と消灯を繰り返している。
ビルが囲った星も見えない狭い夜空を、ぽっかりと――満月がくり抜いている。しん、と、冷たい空気が音を吸い込む。ぴしぴしと、唯一外気に触れている瞼の肌を北風が撫でる。
ママチャリに跨がって、彼女は、自宅へと続くコンクリートロードを駆ける。
はあ、と彼女は天を見上げて一つ、白く可視化された溜息を吐いた。
制服であるセーラー服の上に、分厚いコートを羽織ってマフラーを巻いて、もこもこの耳当てをして、口から頬を大きく覆うマスクをして、スカート丈は膝下、その下に保温に優れたパンティストッキングを穿いて、指が殆ど動かないようなスキー用の手袋を嵌めて、それでも吸気とともに寒さが体内に染み渡って、
「寒い」
と、彼女は不意に――無意識に、口に出してしまう。また一つ、溜息を吐いた。
十八歳になっても、何も変わらない。
高校生は受験に追われ、勉強に追われ、わからない未来に怯え、それでもまだ今日も変わらぬ日々を過ごす。何か明確な夢があるわけでもなく「安定した職に就くため」「将来、生きる身銭を安定して稼ぐため」に、今を犠牲にして生きている。
「何かを変える」と云うことは、現状を捨てるということなのだ。云うまでもなく。
それは端的に云うと恐怖なのだ。
この年頃の――否、いつの年頃になっても、社会的動物である人間は誰しも、他者による客観的評価を気にするものなのだ。
何かを――この場合、変える対象となるものは「自己」である。
外見を、性格を、性質を、髪型を、キャラクターを――「心」を。
それがプラスの評価であればよいのだけれど。
マイナスの評価だった場合、そこには確実に「後悔」が生じる。
『前のままでよかった』と。
〝変化(change)〟とは〝挑戦(challenge)〟なのだ――
――現在時刻、二十三時。
警察と云う機関は相変わらずでも、或る時期よりはいくらか治安はマシになった。……と云うものの、もうこんな時間である。
ゆらりゆらめく彼女の二本の三つ編みが市街地を抜けて、シンプルな銀色の眼鏡が、家々が近所に向けて自己主張している眩しいクリスマス飾りを反射して――
ビル街から、次第に建物の背が低くなっていく。びゅうとビル風が背中を押して、淡い光が町を照らす郊外の、片側一車線もない道路の歩道の左端を走る。
家が密集した、ドーナツ化現象の中心地。中心地、と云ってもドーナツの穴の部分のことではなく、ドーナツ本体の中心ということである。
そこは彼女の町だった。
田畑が少しずつ減りゆく住宅街。ここまで来ると街灯がぽつんぽつんとあるだけで、あとは今日で満月である地球の衛星の明かりだけが、この町と、ひとり自転車で駆ける彼女を照らす。
そうして十字路の一つに彼女が差しかかったとき。
不意に、
「っ!」
真っ黒な人影が彼女の自転車の目の前に飛び出してきて、
どん
衝突――とまではいかないまでも、「小突」と云うくらいには、彼女は自転車でその人影にぶつかってしまった。脇腹に前輪をぶつけられた相手は「うっ」と呻いて、地面にごろごろと転がって受け身のようなものを取ったが。
――人身事故だ――なんて、彼女の内心は落ち着いてなどいない。
「大丈夫ですかっ?!」
彼女自身は転倒はしなかったが、慌てて自転車から降りてその人影に駆け寄ったために自転車はがしゃんと音を立てて倒れてしまった。けれどそんなことは気にも留めずに、彼女はその人影の脇にかがみ込んで肩を両手で掴んで揺する――落ち着いていない証拠だ。
――「止まれ」から飛び出したほうが悪い、いやいや「かもしれない運転」を徹底しなかった私が悪い、否々、早く救急車を呼ばないと、嫌々、私のこれからの生活どうなるのか――慰謝料? 民事? 示談?――そんなことを考えていると、
すっとその男が――暗くて見にくかったが、肩を掴んだ感覚から男性だと彼女は思った――上半身を起こして、掌を上向きにぐっと握り締めた拳を、腰を四十五度捻りそれを戻す勢いを生かして彼女の鳩尾に叩き込む。
「ぐぅっ」
彼女は呻き、倒れ――
そうになるのを、殴った彼が抱き抱えて――と云うか肩に抱えて立ち上がる。彼女の口からはだらりと涎が垂れる。げほげほと咳を吐き、肉体的な「痛み」に慣れていない彼女は意識が朦朧とする。
気付くと、暗い部屋にいた。
「あーあ、もう気付いたのかよ。まだ何もしてねーよ」
目の前には、僅かな明かりを背に立つ、三人の男。
明かりは――四角く、白い壁らしい部屋の四隅に立てられた蝋燭だけ。
……ここは。
彼女にとって全く見覚えのない場所だった。けれど彼女は思い返す。今、男を轢いた交差点の、角の家。いつだったか――先週だったか、塾に向かう日曜の朝に引越し業者が来ていた。
雨戸が閉められ月明かりも射し込まない。外からは何も見えないだろうし、外へと音も漏れないだろう。
「まだ服しか脱がしてねーよ」
言われて彼女が自身の体を見ると、彼女は上半身裸にパンティストッキング姿だった。
正確に云うと、黒と白のボーダーが斜めに入ったブラジャーが乳房の下にずらされていて、胸が丸見えな上に、その元々大きいバストを飛躍的に強調している――胸がブラジャーから逸脱していた。黒と白のボーダーなお揃いのパンツは、防寒のために分厚めな生地である彼女のパンティストッキングからでも透けている。
身長百七十センチメートル、スリーサイズは上から九十、六十、八十八。
とてもマニアックな格好だった――
「んんっ」
手は、両手首が頭の上で、彼女の制服のネクタイで一纏めにされていて、それがカーテンレールに通されている。痛くはない、けれど動かせない。
口は、粘着テープで封じられていて声が出せない。そして場違いというか、時違いというか、今云うことではないかもしれないが、痒い。脚は自由だったけれど、踵がぎりぎりで届くくらいにちょうどよく(彼女にとってはちょうどよくなど全くないが)手が固定されているので、脚で何かできるわけでもなかった。脂汗が、だらりだらりと全身の汗腺から溢れ出てくる。気を張っていないと失禁してしまいそうだった。
「俺、黒髪が好みなんだよなア。三つ編みって絶滅危惧種だから余計に燃えるな」
言いながら彼は左手で優しく彼女の左手側の三つ編みを握って、袖から取り出したナイフを持った右手で切り落とす。
女の命を、切り落とす。
それを自身の鼻にあてて恍惚な表情。
「んんんんああ、いい香りだなア」
続いて別の男が言う。
「なあヤッちまおうぜ――」
「んんー」
もう何も見たくなくてぎゅっと目を瞑っていやいやと、ぶんぶんと首を振る――眼鏡がずれて、視界は涙でかすむ――
「そのほうが、そそるんだよな――」
そう言って彼女の豊かに満ち満ちたバストにリーダーが手を駆けて触れて、その柔らかい、水袋を触るような感触をその両掌で堪能しはじめたところで、
ばたん、と鍵が掛かっていた筈の扉が開く音がして。
「陽妃――ッ!」
どこから現れたのか、どうやって彼女が絡まれているのを知ったのか、閉じられていた部屋の扉から飛び出して声を上げる男性――まだ男子と云うべきか、彼女と同じぐらいの年齢に見える彼は、べこべこに凹んだ消火器を脇に投げ捨てる。
そして彼は左腰だめに包丁を構えて、真っ直ぐに男性三人のリーダーを目指して走り出す。
二人の距離は五メートル程。
それに対してナイフを終い、右利きのボクシング選手のような体勢で、リーダーは迎え撃つ。どうやら彼はナイフを扱うよりそちらのほうが得意のようである。
「なんだてめえ――この女の彼氏か」
彼女はその質問の途中から首をぶんぶんと振る――先程以上に。もう目を開いて、その男子の方を見ている。
「誰だ?」
また彼女はぶんぶんと首を振る――「知らない」という意味だろうか。
二人の距離は、二メートル。
その様子をゆっくりと時間が流れているように錯覚しながら、「陽妃」と呼ばれた彼女はその男子をじっと見る。けれど、眼鏡がずれて涙でかすんだ視界では、たとえ彼を知っていたとしても誰だかわからないだろう。
二人の距離は、一メートル。
この空間にいる誰しもが、彼ら二人の様子を息を呑んで見守っている。
少年はその距離で、左足でぐっと踏ん張り、跳ぶ。
意表を突く――〝突き〟。
ナイフを腰だめの位置からぐんと左手を伸ばして「突き」の姿勢を取る。フェンシングで云うところの「フレッシュ」という技を想起させる。
一閃――しかし。
しかしリーダーは意表を突かれたものの、即座に対応する。リーダーは左手側に半歩動いて男子のナイフを自身の右手側に躱し、男子のナイフを持った左手首を自身の右手でぱしりと弾く。男子の勢いを殺さず、予め腰だめで構えていた左手――まるで空手のように、それを捩じり込むようにして、リーダーは男子の鳩尾にその拳を打ち込む。
「ッ――」
男子は胃から酸っぱいものを吐き出しながら、その痛みに悶絶した。
リーダーが拳をその鳩尾から引き抜くと、男子はその場にうつ伏せに倒れて、その後ぴくりともしない。
絶望的。
「というわけで気を取り直してヤッちまおうか――」
今度こそダメかとまたぎゅっと目を瞑り――
瞬間。
静寂が、彼女を包んだ。
ふわりと、乾いた冷たい空気が鼻を通る。
恐る恐る、目を開けて、ずれた眼鏡を右手の人差し指で正しい位置に戻す――
――あれ? 手が動く。押さえられていない。体も。脚も地についていた。口に張られていた粘着テープも剥がされている。
目の前を見るとそこには、また別の男性が立っていた。先程の三人は跡形もなく消えていた――まるで、それが悪い夢だったかのように。
けれど手首に感じた痛みと粘着テープによる仄かな痒みは残っているし、脂汗はまだだらだらと垂れているし――第一まだあのマニアックな服装のままだ。体はまだ恐怖で震えていた。やはりあれは現実――
「……月が綺麗ですね、お嬢さん」
彼は、何か気の利いたことを言おうと思ったのか、右手で天を指差してそう言った。
天を指差して――?
彼女がその指の先――爪の先という意味ではなく指の差す先――を見ると。
天井が、消滅していた。そしてそこには――巨大な満月。
まるで、空を蹂躙するように。空を支配するように。
夜を、支配するように。
「……反応がないと僕がスベってるみたいなんだけど」
……確実に彼は誰が見てもスベっているけれど。
けれど彼女にはなんだか、その滑稽さがありがたかった。心が少しだけ落ち着いて、体の震えが、多少消えた。彼女は窓(にかかったカーテン)にもたれたまま力が抜けたようにぺたりと座り――
「おっと」
――そうになって、彼に手を取られて踏みとどまる。
どくん、と彼女の心臓が跳ねる。
「風邪引くから」
そう言って彼は、彼が着ていたダサいロングコートをふわっと彼女に頭から被せる。苦笑いをその地味な顔に浮かべて、彼女から目を逸らして、先程まで天を差していた人差し指で頬をぽりぽりと掻きながら――八重歯な犬歯が印象的だった。
どくんどくん、と彼女の胸は高鳴る。
「あの……あなたが、助けてくれたんですか?」
彼女のその声は、まだ上擦って掠れてしまっていたけれど、
「まあ、そんなところかな」
確かに、目の前の彼に届いたようだった。
目の前の彼は、薄い青色の蔓で縁のない眼鏡を掛けて、少しぼさぼさの髪型をして、彼女よりも少しだけ高い身長の中肉中背で、ワイシャツにスキニージーンズを履いた、いたって普通の男性に見えた。
彼は、彼女が安定して立てるようになったと見えたからか、あっさりと手を離した。
彼女は、
「助けてくれてありがとうございました」
姿勢を正して、腰を綺麗に折って美しい礼をした。
「いやいやとんでもない。君が無事でよかったよ」
彼は頬をぽりぽりと掻きながら照れて笑う。
そして彼は、まるでいつも会う親友にするように、軽く手を挙げて、
「なるべくこんな夜に出歩かないように。こんな時間になるならタクシーでも呼ぶんだね」
そう言いながら、彼は彼女とすれ違いざまにぽん、と左手で肩を叩いて、
「じゃあね」
別れの挨拶を告げた――彼女は振り返る。
しかしそこには、彼女が先程まで背中を押しつけられていた、分厚いカーテンしかなかった。
あの人は一体――?
彼女はぼんやりと、さっき彼が指差した月を見上げる。
*
「……」
まるで蟹を食べるときのように、彼は無口だった。
「……」
「無口だった」と表現すると、まるで口から食事を摂取していないかのように思える。
「……はあ」
と、彼は――受験生でありあと数時間で戸籍上十八歳になる彼女を救ったところの彼は、恍惚な表情で溜息を吐いた。久しぶりの食事だからだ。具体的に云えば、三ヶ月ぶりだろうか。
「うまい」
「うまいですね」
全く食レポをする気のないお笑い芸人のような感想を言いながら、彼らは微かに笑う。
ぼさのばの髪に、
「ブラジル音楽!」
もとい、ぼさぼさの髪に、ジーンズにワイシャツ姿のフツメンの彼は、
「……美味しいね」
と、その、蟹のような外殻に覆われてもいないし、皮も剥く必要のない――小骨なんかも存在しない、大きな骨だけがあるそれの肉を口一杯に頬張りながら。
「……そうですね。相変わらず、この絵はグロイですけど」
どうやら彼の相方らしい、中学生ぐらいに見える少女が相槌を打つ。
その少女は、根本だけが茶色でその先が金色というなんだか友達が少なそうな髪色をして、それでいて美しく枝毛なく腰まで伸びたストレートは、太陽光を反射した月光によってきらりきらりと輝いている。肌は月よりも白く張りがあり、瞳は灰色。身長百五十センチメートル、スリーサイズは上から八十、五十五、七十五。テニスの選手のようなポロシャツ(本物)に、スコートという格好で、ブラウンの高足サンダルを履いている。髪型は高めの位置で留めたポニーテイル。
……が、二人とも、二人が食しているものの滓で、服が真っ赤に染まっていた――
返り血で。
「……あんな奴ら、この世から滅びればいいんだ」
「さすが元、いじめられっこですね」
うるさいよ、と彼はいじけたようにぼやいて、ぷっ、と噛み切れなかった筋を吐き出す。
「思い出すんだ……中学のあの頃を……毎日毎日……毎日毎日々々々々――思い出したくもないのに、思い出すんだ。不意に封印した嫌な思い出も――文字通り――思い出すんだ。思い入れも、何もないのに」
「……よしよし、宵」
彼女は彼の頭を柔らかい掌で優しく撫でて。
東京スカイツリーの、展望台の屋上に隣り合って座って、二人はそんな会話をしながら。
びゅうびゅうと吹き抜ける、本州を新潟から縦断――横断かもしれない――してきた北風に拭かれて、少しだけ身震いをしながら、暗い空をぼんやりと見上げて。
彼は気を取り直したように、話を変える。
「雪、降らないね」
「西高東低の気圧配置ですからね」
「それ天気関係ないよね」
……。東京に関しては。
「――やっぱり女の血肉のほうがうまいな」
「今世界中の女子を敵に回しましたよ」
「……そんなの、どうでもいいんだよ」
と彼は、彼女の手に手を重ねる。
「一緒がいてくれればそれでいいんだ」
「……私は敵に回らないとでも?」
「……君なら、僕を許してくれるかな、と」
「……、……はいはい、よしよし」
彼女は空いた手で、彼の頭をわしわしと撫でる。真っ赤な手で。
「汚いけど……まあ、いっか」
彼はそう言って、苦笑いをする。
「ふふふっ、平和ですね」
彼女もつられて、目を細くして微笑む。
喧嘩は殆どしない。しても少ししたら――一日もしたら、仲直りをしている。というか喧嘩していた原因か心境が自然消滅している。喧嘩しても仲直りせざるをえない、というのも多少はあるけれど。
なぜなら彼らは世界にたったふたりぼっちの――
吸血鬼――〝吸血鬼〟――なのだから。
*
長針と短針が重なる午前零時。
十二月二十三日(日)。
「陽妃」と呼ばれた、彼女の誕生日。
三つ編み眼鏡っ子な彼女の誕生日。
哀れな少女、憐れな少年。
少女が、不良少年に襲われて、救われるという、そんな。
そんな、ベタでありがちな、物語の始まりの後に。
〝世界〟が変わった。
「彼女が見て聞いて――感じているもの」という意味での〝世界〟もそうであるし――また。
実際に、現実的に、現世的に、地球的に――〝世界〟は変化した。
平凡な〝世界〟は変貌した。
変質し変容し様変わりした〝世界〟――それは、彼女の待ち望んだ〝変化〟なのだろうか。