冒険を終えて
酒場。
そこは幻想世界を生きる冒険者たちの憩いの場だ。
古き良き冒険は常にここから始まるといっても過言ではないだろうし、地下迷宮から帰還した冒険者たちを暖かく迎え入れ、冒険の疲れを癒す場所でもある。
『ゴブリンの勘定亭』。
金貨の詰まったズタ袋を背負った緑の小鬼。『駆け出し冒険者潰し』とも呼ばれる小鬼がこぼれ落ちる金貨に笑いをこぼす、その様が描かれた看板の下をくぐれば見慣れた酒場の風景が目に飛び込むことだろう。
料理に使われる香辛料とパイプでふかされる浮煙草(※1)の匂いが混じり合い、酔客の喧騒が背景音楽となって、独特の空気を醸し出す空間。
その酒場の一角にて、クエストを終えたとおぼしきパーティが円形テーブルを囲み酒杯をぶつけあっていた。
「くぁーッ! 一仕事終えたあとの一杯はたまらんわ!」
杯を打ちつけ、麦泡酒を一気にあおり飲み干したのは丸メガネが特徴的な女性だった。女性はそのまま空になった杯を掲げて、近くの給仕娘に声をかける。
「ねーちゃん! うちにもう一杯もらえへんか!」
「はーい、ただいま!」
「ニャーにはマタタビ酒をお願いするにゃりん!」
「はーい!」
女性に続いて注文したのは、ピコピコと揺れるフードがまるで猫の耳を思わせる小柄な人物だ。
「なんや盗賊。またそんなけったいな酒飲むんかい」
「商人こそ同じお酒ばっかにゃりん」
「アホウ、コスパ考えればこれが最高なんよ」
「お酒飲むときまで金勘定かにゃー……」
「フム、それも一種の職業病というものかもしれませんな」
盗賊と呼ばれた猫耳フードが思わずぼやくと、テーブルの対面に座る片眼鏡とシルクハットの男性が一人納得するように頷く。
「我輩にも覚えがありますよ。なんということのない事象にふと真理の欠片を感じ、ついつい思索にふけってしまうことがままありますな。例えば、戦闘の最中に新たな実験を思いついてしまったりなど珍しくもないことですな」
「おい、ちょっと待て錬金術師。こないだ回復薬(※2)の補給が遅れたのは、まさかそれが原因か?」
「はっはっは。過ぎたことですな」
「冗談じゃない、前衛にとっちゃ死活問題だっつの! おい、侍もなんか言ってやれ!」
「むぐむぐ……うむ、この料理はなかなか……、ん、戦士、何か言っただろうか?」
「……なんでもねえわ」
片頬についた傷痕が特徴的な戦士と涼しい顔で片眼鏡の位置を直す錬金術師のやり取りをよそに、料理をかっくらっていたのは東の国の民族衣装を纏う剣客、侍である。戦闘においては一刀のもとに魔物を切り裂く女傑だが、それ以外においてはいかんせん残念なこの仲間に、戦士は諦めたように首を振って手にした杯の酒をあおった。
その諦めの良さから、パーティ内の彼の苦労がうかがえる。
「まあまあ、戦士。嫌にゃことはキューッと飲んで忘れるにゃりん」
「……だな。悩むのも馬鹿らしいか」
「そうですな。失敗など飲んで忘れてしまいましょう」
「お前は忘れるんじゃない」
「むぐ……ごくん。給仕娘よ、すまないがこの料理をもう一皿いただけるだろうか」
「うちにも頼むわ! あとヤなこと忘れるのにいっちゃんええ酒を戦士に!」
「はーい少々お待ちを!」
注文を受けて一旦厨房に引っ込む給仕娘。
その後ろ姿を見送った冒険者たちは、また思い思いに料理と酒と会話を楽しむ。
そんなやりとりが何度か繰り返され、冒険者たちの顔が酒で赤く染まってきた頃に、一人がなんとなしにといった様子で呟いた。
「しっかしあれやね、こう酒が進むとなんや変わった肴が欲しゅうなるわな」
「魚!? ニャーも欲しいにゃりん!」
「いや、この場合は酒のともという意味でしょうな。フム、追加でツマミを頼みましょうかな?」
「んー、そうゆうんやないんよ。なんやこう……」
「気持ちよく酒が飲める馬鹿話とか失敗談とかか?」
「そやそや、うちが欲しいんはそうゆうの! 分かっとるやない戦士!」
我が意を得たり、とばかりに商人はバンバンと戦士の肩を強めに叩く。筋力ステータスは戦士の方が遥かに高いためダメージを受けることはないが、戦士の顔にはやや迷惑そうな表情が浮かぶ。
「んで、なんかあらへん? おもろい話」
「んなもんがそう簡単に――」
「おもろかったら、酒代全部うちが持ったげてもええよ」
「よし、ちょっと待ってろ。とっておきの話がある」
あっさりと前言を撤回し、張り切る戦士。
そんな彼に隠れて、盗賊がこっそりと商人にささやく。
「(商人、ひょっとしてズルいこと考えてるにゃりん?)」
「(ん? 何ゆうとんの)」
「(どんな話されてもつまんにゃいって言おうとしてるとか)」
「(………………………………な訳あらへんよ)」
「(今の間、何?)」
「(ま、話をどう感じるかなんて主観的なもんやし?)」
「(やっぱりズルする気にゃ! 悪い顔してるにゃりん!)」
黒い笑みを浮かべる商人に盗賊が戦慄する。
このまま戦士は商人の食い物にされてしまうのかと思われたが、彼もさるもの、そうは問屋が卸さなかった。
「さて、じゃあ商人がお望みの面白い話だが――とある謎解き話だ」
「謎解きか、悪くあらへんな」
「謎が解ければお前の勝ち、解けなければ俺の勝ちだ。これならシンプルだしな、つまらないって嘘をつかれる心配もない」
「なんやと!? おいこら戦士お前!」
「長い付き合いだからな。お前のことだ、勝敗がはっきりしてなきゃゴネてうやむやにするつもりだろう」
「ん、んなことせえへんわ!」
「その代わり、俺が負けたら酒代は俺が払おう。これで条件はフェアだ」
「……ま、まあええわ。どうせ、うちが勝つに決まっとる。人の金で飲むタダ酒ほどうまいもんはあらへんからな!」
「あ、そういうことにゃらニャーも参加していいかにゃ?」
「フム、我輩も楽しませてもらいましょうかな」
「もぐもぐ……あぐあぐ……」
「よし……話の始まりは、一人の冒険者が知り合いからとある話を持ちかけられたことだった――」
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(※1)『浮煙草』
冒険者が好んで吸う煙草。パイプに詰めて吸うのが主流。口の形や息の強さで、煙の造形を任意に操作できる特徴がある。
熟練者は吟遊詩人の歌の内容にあわせて、空中に舞台劇を展開し、酒代を稼ぐことも。
(※2)『回復薬』
魔法薬とも呼ばれ、基本的に経口摂取することで効果を発揮する。体力を回復するだけの安価品から実際に怪我を治療できる高級品まで、種類は幅広い。
もちろん、効果が高いものほど値段もお高い。怪我を治療できても、反比例してお財布にダメージを与えるのは皮肉である。
出題編に続きます。