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千日紅の根はかくも美しい

作者: 小鍛冶いろは

 ヒロト様


 拝啓 年の瀬を迎え、夜の寒さも本格的に厳しいものとなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 まず、突然のお手紙であることを謝罪しなければなりません。名前も知らない私からこのような手紙を貰っても、あなたは驚くだけでしょう。イタズラと思って捨ててしまうかもしれません。ですが、どうか優しいヒロト様。この手紙は、私がこの手紙に乗せた想いは偽りない本当の気持ちでございます。最後まで、せめて最後まで目を通していただけると幸いです。

 私は一年と八ヶ月前――ヒロト様が大学に入学したその日から、あなたの事を見続けてきました。あなたは覚えていないかもしれませんが――いえ、きっと覚えていると信じておりますが、あなたの二つ左の、四つ後ろのその席に、私は座っていたのです。

 学科の違っているあなたとは、同じキャンパス内でもなかなか出会う機会がありません。運命の出会いが訪れないのは、私がずっとあなたの背中を追い続けていたせいもあるのでしょう。まともに顔を見るのも恥ずかしくて、直接の会話だなんて想像するだけでも頭の中がパニックになります。ですから、今回のこの手紙は、あなたの下へ置いていくだけでもとても勇気が必要でした。

 単刀直入に言いますと、あなたの事を慕っております。好きです。大好きです。愛しています。

 付き合ってほしい、などと礼儀のない事は言いません。今より少しだけでもお近付きになれたなら……。それだけが、私の願いです。

 お返事、待っています。いつまでも、待っています。 敬具


  平成二十七年度十二月六日    ミユ








「こんな物書いたって、やっぱり渡せないなぁ……」


 深いため息を吐き、机にだらんと体を伏せる。

だって、本当に恥ずかしいんだもん。ヒロト君と話すところを何回も、何百回も、何万回も想像しようとしたけど、それでもやっぱりできないんだもんっ!! 目が合っただけで心臓バクバクだよ。ヒロト君が私に声をかけてくれるだなんて、そんなの気絶しないわけがないんだもんっ!!

 宛先に送られることのなくなった恋文を、机の引き出しの中にしまう。


「これで10792通目かー……」


 引き出しの中は同じような手紙で溢れている。同じような、というか、ほぼ同じ内容だ。もちろん、ここに全ての手紙が収まっているわけがない。約一万通の白い洋形封筒が、タンスの大部分を占領している。

 私はこんなに想っているのに、ヒロト君は私の事をどう想ってくれているのかなぁ……。

 ネガティブになりかけた思考を、ペチンと頬を叩いて吹き飛ばす。

 ダメダメっ!! 私がこんなんじゃ、ヒロト君も嬉しくないよね。ヒロト君のためにも、私はもっと元気でいなきゃ。


 カーテンをわずかに開き、その隙間から向こうを覗く。真向かいの家にはヒロト君が一人で住んでいる。私もヒロト君も大学進学とともに単身引っ越してきた身だ、これは神様が与えてくれた運命に違いない。

 向かいの窓の向こうには――ヒロト君の姿は見えなかった。

 ヒロト君の家は玄関から廊下が伸びていて、奥のリビングルームに繋がっている。今日は学校から帰宅してからまだ外出はしていないのだから、リビングにいないということはつまり、廊下の途中――お風呂場かキッチン、もしくはトイレにいるという事になる。


 少し待っても出てこないので、トイレではないのだと確信した。パソコンに繋いだヘッドフォンを被ると、微かに水音がする。チャンネルを巡ると、あるところでそれはより一層はっきりと聞こえた。ザーッという連続的な雨音の中に、バシャバシャという不規則な墜落音。……間違いない、シャワーだ。もう夜も遅い時間だし、妥当かな。

 モニターに映る映像が、その推測を確かなものへと変えてくれる。映しているのはお風呂場だ。さすがにお風呂とトイレの中まで見るのは私も恥ずかしいし、それは人としてどうかと思う。


「早く上がってこないかなぁ~♪」


 湯気の立ち上ったヒロト君を思い返しドキドキしながら、モニターを見つめ続けた。




   *   *   *




 本日最後の授業が終わり、教室を出る。

 夕空のオレンジに寂しくなって、ヒロト君に電話をかけた。

 数回のコールの後、麗しのあの声が聞こえてくる。


「――はい」

「…………」

「もしもし――もしもし――――ええと、どなたですか?」

「…………」


 電話を切る。

 やっぱり今日も格好良いよ、ヒロト君!! 授業中会えなかった分の寂しさが、一瞬の内に喜びへと昇華した。

 さっきの電話で聞こえた音からして、西門の辺りかな?



 予想通り、ヒロト君は西門近くのベンチで他の学生達とお話をしていた。ヒロト君の大学でいつも一緒にいる友達――本当は付きまとわれて迷惑なんだよね、口に出さなくても私は分かってるよ――ヤスと、知らない女二人とだ。


 ヤスはいつか殺すからいいとして、あの女ども――。ヒロト君に色目使ってんじゃねぇよ、クソビッチが。あんな甘えた声で鳴きやがって、猫かっつーの。ヒロト君が無理して笑顔で付き合ってくれてんのが分かんねぇのかよ。いや分かっていないはずがない。分かった上で、それでも付き合ってくれるヒロト君の優しさにつけ込んでるに違いないんだ。

 ごめんねヒロト君、今の私には助けに行けないの。あなたの前に出て、あなたの眼差しに射抜かれたなら、きっと立っていられなくなる。だからここから見てることしかできないの。ごめんね、ヒロト君。代わりにその女たち、後でシメておくから。



 しばらくするとヒロト君は立ち上がり、携帯電話を耳に当てた。ここからじゃ話の内容までは聞き取れないけど、近寄る間もなく電話は切られた。時間にして十秒程度だ。誰からの電話か気になるけれど、ヒロト君はいつも携帯を持ち歩いているんだもの、一向に確認をさせてくれないんだから。


 それが良いきっかけになったのか、その場でのお喋りは解散となった。ヒロト君はヤスとともに歩き去り、ベンチには二人のクソ女だけが残された。


「顔――覚えたからな」


 近い内に、夜に紛れて地獄を見せてやる。

 それだけを決意して、ヒロト君の背中を追った。




   *   *   *




 今日は休日。もちろん学校はお休み!! 一日中ヒロト君の背中を見てるのもいいんだけれど、今日は特別、私はバイトをしているよ!!

 つい先日オープンしたばかりのテーマパーク。ヒロト君がヤスと一緒に今日ここに来ることはとっくに調査済み!! だから私は、先回りして日雇いの着ぐるみバイトをしているの。仕事は簡単、やって来た子供とかの相手を適当にしてればいいだけ。元から声を出すことは許されていないから、喋ってご機嫌を取る必要もない。わいわいやってるガキを尻目に、腕なり足なりをちょこちょこ動かせば十分だ。



 昼過ぎになっても、未だヒロト君は現れない。遊園地で遊ぶんだから、そろそろ来るとは思うんだけど……。

 私がいるのは入口ゲートすぐの大広場だ。どこへ行くにもここは通らなくてはならない。そして私がヒロト君を見逃すはずがない。遅めのランチの家族や、長いアトラクション待機列に並ぶカップル――広場にいるお客の数は、かなり少なくなっていた。


 うーん、今日はヒロト君来ないのかな。体調でも崩しちゃったりしたのかな。でも昨晩はそんな様子まるでなかったし、特に予定変更の話は聞いてないし――でもでも、メールでやり取りされてたら見えないし……。

 こんな事なら、変な計画なんて考えずに、素直に家でヒロト君を見ていればよかったかな……。朝が早かったから、今日はまだ寝顔しか見られてないもん……。


 ふと、ゲートでチケットを切ってもらう男の子の姿が目に入った。


「ようやく来たぜっ!! もう回る時間も大分少なくなっちまったけどな!!」

「……お前が寝坊したせいだろう」


 ヒロト君だヒロト君だ、本当に来たよヒロト君だっ!! 来ることは分かっていたけど、本当に来たっっ!! あとヤス、お前のせいでヒロト君の楽しむ時間が減ったじゃねぇかよ殺す、絶対に殺すぞ。でもそんなヤスを許してあげるヒロト君素敵!! すっごく優しい!!


 目的のアトラクションがこちら方面にあるのか、ヒロト君ともう一人は、ずんずんとこちらへ向かって歩いてくる。私に向かって歩いてくる。ああ、緊張して言葉が出ない――って、喋ったらいけないんだけどね。

 通り過ぎざまに、ヒロト君は私の事を見つめてくれていた。分かってはいるの、見ていたのは私じゃなくて、私の着ている着ぐるみのマスコットの方だって――隠してはいるけれど実は可愛いものが好きで、こっそりゆるキャラグッズとか集めてるんだって事も。


 ヒロト君が行ってしまうのが怖くて、私は踊った。ずんどうな体だから大したダンスじゃないけど、小さな手足を振り回して、全身を使ってヒロト君を呼び止めた。そしてヒロト君は、目論見通り私に釘付けになってくれた。

 恥ずかしい。恥ずかしい――けど、着ぐるみ越しだからなんとか耐えられる……!!


「…………」


 無言で視線を注ぎ続けるヒロト君。行くべきか我慢するべきか悩んでいるんだ。大学生の男が遊園地のマスコットに駆け寄るなんて、普通に考えたらプライドも何もない行為だもんね。そんなところも大好きだよ、可愛いよ、ヒロト君っ!!


「なんだ、ヒロト。どうかしたのか?」

「――いや、なんでもない」

「そっか。じゃあ早く行こうぜー」


 ただでさえ時間少ないんだからなー、とヒロト君を連れて行こうとするヤス。

邪魔すんなよヤス、ヒロト君はまだ悩んでたじゃねぇかよ。大体時間が短ぇのもてめぇが原因だろうが。――なんて考えてる場合じゃない!! ヒロト君が行っちゃう!!


 私はヒロト君の下へと早足で近付き、トントンと肩を叩いた。

 人がいないタイミングを見計らってキャラクターの看板の写真を撮ったりしてるの、私はいつも見てたんだよ。だから撮ろう、私も。いや、私と――!!


「一生の思い出になるよ。一緒に写真撮ろう!! ほら、君が撮影役だよ!!」


 胸が張り裂けそうだった。

 私が――私なんかがヒロト君に話しかけてる。しかもこんなにも馴れ馴れしく。もちろんヒロト君は私を見てる。ヒロト君が私を見てる。ヒロト君が私を見てる。ヒロト君が私を見てるヒロト君が私を見てるヒロト君が私を見てるヒロト君が私を見てる――。


「えっ、喋っ――」

「……ほらほら、急いで!!」


 それを言うので精一杯だった。ヒロト君に話しかけるだけでなく。ヒロト君に正面から見られるだけでなく。ヒロト君に顔を見ながら話しかけられた。なんとか気を失わずにいられたのは、ヒロト君の目線が私の目の若干上――着ぐるみの目に向かっていたからだろう。


「だっはははは!! ヒロト、着ぐるみに絡まれてやんの」

「い、いや、これは……!!」

「いいから、いいから。撮ってやるよ。一生の思い出になるぜ、きっと」


 笑いながら言ってるのは気に食わないが、グッジョブだヤス!! 殺すのはもう少し先にしてやる。


「わ、分かったよ……。えと、お願いします」


 こちらを向いて、軽く頭を下げてくれる。こちらから半ば無理矢理に誘ったのに、こんなにも丁寧に対応してくれる。さすがはヒロト君!!


「撮るぞー。ハイ、チーズ」


 パシャッと、ヤスの手の中でヒロト君の携帯が光る。なんで明るいのにフラッシュ焚いてんだ、こいつ。ヒロト君の目が眩むじゃねぇかよ。


「じゃあ……ありがとうございました……」


 それだけ言って、ヒロト君は行ってしまった。もう少しここにいてほしかったけれど、そしたらきっと私が倒れてしまう。ヒロト君は私を気遣って、早めに退散してくれたんだ。そう分かると、心が温かなもので満たされた。


「やった――」


 ついにヒロト君とのツーショット写真が撮れた!! それもヒロト君の携帯で!! 計画は大成功っっっ!!

 歓喜に我を忘れ、今現在バイト中であることも忘れ、諸手を上げて喜んだ。他のスタッフに怒られた。




   *   *   *




 ヒロト君の家にヤスがいる。帰れ……と言いたい気持ちもなくはないけど、普段は無口なヒロト君だもの、せっかく録音してるのに、そこにあの精悍な声が入らないのはやっぱり寂しい。話す相手がヤスというのは癪だけど――でも、ヒロト君の純情を弄ぼうとする悪い虫どもと比べたらよっぽどましかな。


 というのも期待外れで、一人じゃないからって別にヒロト君は饒舌になるわけでもない。ヤスが話しかければ、答える。それだけだ。しかも肝腎のヤスはお菓子を食べながら漫画を読みふけっている。そうなると、ヒロト君はいつも通り机で本を読んでいるだけだ。


 何を読んでいるのかな?


 表紙を見た限り、前に掃除しに行ったときには置いていなかったものだ。気になって上手い角度から覗こうと四苦八苦してみたが、タイトルの文字まではどうしても見えなかった。

 題名が分かったら私も読むのにーっ。そしたらヒロト君との会話のバリエーションが更に増えて、いざ対面したときに話題が尽きないで済む!! 飽きられないで済む!!

 でもとりあえず今は諦めよう。本の名前を調べる機会なんて、これからいくらでもあるんだから。



 ぼんやりと、モニターの向こうで頬杖をつくヒロト君の横顔を見つめ続ける。聞こえてくるのは静かにページをめくる音と、時折響くヤスの笑い声――もとい、巻き戻し中のカセットテープが絡まったかのような趣味の悪いノイズだ。


 私は棚に並ぶヒロト君人形を一つ手に取り、抱き締める。

 どこで手に入れたのかって、もちろん自分で作ったに決まっている。無いものを創り出すのは、乙女には絶対に欠かせない女子力なんだから。ヒロト君のお嫁さんとして恥ずかしくないよう、日々精進しているのです!!


 それにしても手触り良いわぁ~。まるでヒロト君の温かさに直接触れているようで、体の芯から和むわぁ~。


「あっヒロト、今何時だ?」


 突然、ヤスの口からまともな声が上がった。

 ていうか壁に時計が掛かってるだろうが。ヒロト君がアウトレットで見つけたオシャレな壁掛け時計だぞ、お前の顔面より幾万倍オシャレだろうが。なんでもかんでも他人に聞こうとしてんじゃねぇよ。


「えーっと……」


 ヒロト君は手元に置いてあった携帯を手に取り、時間を確認しようとする。部屋に時計があるのに、いつもの調子で携帯で時間を見ちゃうの可愛いよ。そういうちょっと抜けてるところも可愛いよ、ヒロト君。

 ヒロト君の後ろから首を出し、携帯を覗き込むヤス。


「その写真、待受にしてんだな」


 その写真!? その写真って何、どの写真!? 私と一緒に遊園地で撮ったツーショット写真だよね、そうだよね?!

 あと、おいこらヤス、お菓子ポロポロこぼしてんじゃねぇぞ。ヒロト君の家を汚すんじゃねぇ。せっかく私が綺麗にしたのが無駄になるだろうが。


 そこでふと思い出した。

 掃除といえば、この前の掃除の時に置いていったプレゼント、ヒロト君は喜んでくれたかな? くれたよね? くれたよね!! 着けてくれてるのを一度も見たことがないけれど、外で着けてるのを私に見られるのが恥ずかしいからしてないだけだよね!! まったく、ヒロト君も照れ屋さんなんだからっ。

 なんて幸せに浸って人形をあやしていると、ヤスは帰宅の準備を始めた。きっと用事でもあったのだろう。帰れ、帰れ。そしたら私の視界にはヒロト君だけが残る。


「――――ん、何だこれ?」


 漫画を戻そうとしていたヤスが、本棚の奥から何かを取り出した。

 黒くて小さな箱型の機械…………って――!?

 私は急いで映像のチャンネルを回す。次に念のため、音声のチャンネルも一周させた。――良かった、どれも無事だ。


 あれは盗撮用のカメラだ。私が使っているのと同じ系統だからすぐに分かった。でも、私はあそこにはセットしていない――――誰のカメラだ――?


「これ、隠しカメラってやつじゃねぇか?」

「そんな――いや、そうだな……」


 ヒロト君は深刻そうな表情を浮かべる。当たり前だ、自分の部屋を盗撮されていたと知って嬉しい人などいるわけがない。私だって、ヒロト君にそんな事をした奴を許せない。


「カメラまであるとは思っていなかったけど、前々から感じてはいたんだ。後ろからの視線だったり、無言電話だったり、変な手紙だったり……。特に、最近は増えていた気がする」


 手紙を見せろというヤスに、気持ち悪いから捨ててしまったと返すヒロト君。


「たまに家の物の配置が変わってる気がしたのは思い過ごしだと考えていたけど、カメラまであるとなるとな……」

「確実に、入られてるな」


 ……それは、私の事かもしれない。かもしれないじゃなくて、確実にそうだよね。気付いていないのかと思っていたけど、気付いてないふりをしてただけだったんだね。まったくー。

 ヒロト君は今、私の事を考えているんだ。不謹慎かもしれないけど、それが堪らなく嬉しかった。


「ヒロトよ、なんか心当たりとかねぇのか? 昔振った女だとか、恨みを買ったような相手がさ」

「家の鍵なら確かに去年どこかに一つ落としたけど。誰かっていうのは、うーん……」


 頭を捻るヒロト君だが、その答えは一向に出てくる気配がない。

 心当たりが浮かぶのは難しいと判断したのか、ヤスは立ち上がり手を叩いた。


「とりあえず鍵は早い内に新しいのに替えるとして、家の中を探してみようぜ。カメラとか、他にもあるかもしれねぇ」


 これにはヒロト君も同意し、二人で部屋中くまなく調べ回ることになった。さっき帰る予定なはずだったヤスも積極的に探している。そうだ、ヒロト君が困っているのにお前が放って帰るなんて許されないんだからな。




「ふぅ……。こんなもんかね」


 額に手を当て汗を拭うヤス。ヒロト君は――見えない。

 結局、盗撮器と盗聴器は合わせて十一個ほど発見された。その内の九個が、私の仕掛けたものだった。生き残ったカメラはテレビの中に隠したものだけで、スピーカーの穴越しの視界はかなり悪い。盗聴器に関しては、テレビや時計、電源タップの内部に埋め込んでいたから、私の物は一つも見つかっていない。ひとまず、残ったのが自動充電式のものでよかった。


 にしてもストーカーが許せない。お前のせいで、私のカメラまで持ってかれたじゃねぇかよ。せっかくヒロト君が誰にも気付かれないようにこっそりと渡してくれた合鍵まで無駄になったじゃねぇかよ。

 許せない。許せない許せない許せない許せない許せない。




*  *   *




 ストーカー女の顔は分かった。簡単なことで、私が今までに録画してきたヒロト君の部屋の映像を見ていけばいい。

 見知らぬ女だった。私が知らないのだから、ヒロト君も知らないはずだ。少なくともこの近辺でのヒロト君の交友関係で、私が知らない部分はない。絶対にない。大方、ヒロト君に話しかける勇気がなくて、それでも気を引きたくて、こんな風にヒロト君を困らせているのだろう。まったくもって救いようのない、自分勝手なキ印野郎だ。念入りにシメておく必要がある。



 だから今日は見張りの意味も込めて、いつもより少し距離を取ってヒロト君の後ろを歩いているよ。一緒に下校するのにも、もう慣れたもんだね!!


 不自然でない程度にキョロキョロと見回すが、怪しい人影は見つからない。そしてそのまま、視線は憧れの背中へと舞い戻る。

 生地の厚めな赤白チェックの上着に、シンプルなベージュのチノパン。誰もが着るような無難な服装も、ヒロト君が着れば貴族のお召し物同様だ。

 歩いていても肩がほとんど上下しない、まっすぐな姿勢。一歩踏み出した足が――ああ、しっかりと着地してから次の足が出る。

 うん、今日も格好良いよ、可愛いよヒロト君。いつもよりちょっぴり足の運びが遅いね、やっぱりお昼の角煮丼が少し重かったのかな? 限定メニューだしせっかくだからって気持ちは私も分かるけどね。朝が遅くてセットできなかった髪も、自然と解れて良い感じになってるよ。決まってるよ!!


 ――っと、いけない、いけない。今日はあのストーカー女を見つけるんだった。早く見つけて追っ払って、もっと近くからヒロト君を見ていたいもんね。

 でもでも、あの乾パンみたいな顔の女はまるで現れないよ? ヒロト君は後ろから気配を感じてるとも言ってたはずだけど、今日はいないのかな? 毎日じゃないだなんて、なんて中途半端なのか。その程度の想いでヒロト君に迷惑をかけてただなんて、本当に信じられない。


 ストーカーの事を考えていると、沸々と怒りが込み上げてきた。


 そんな暗い話考えてても仕方ないよね。今日はいないみたいだし、それならもっと存分にヒロト君の後ろ姿を堪能しようじゃないのっ!! あっ、横顔見せてくれた!!




 ヒロト君が寝静まったのを聞き届けてから、私は外に出ていた。目的地はもちろん、町のゴミ捨て場だ。この辺りのゴミは全てそこに集められ、そこから収集車に乗せられ運ばれていく。そして収集日は、明日だ。

 本来なら当日の朝に捨てるべきなのは知っている。でも、私やヒロト君の家からはちょっぴり遠い位置にあるのだ、それも学校とは反対の方向に。だから前日の夕方くらいからは、先に出しておくことも黙認されている。


 私の目当ては自分のゴミ――それと、ヒロト君のゴミだ。

 安心してね、ヒロト君。別にこんな事したくてするわけじゃないからね。いつもはしてないんだからね。ストーカーから届いた脅迫状、それを捨てちゃったというなら、もしかしたらここから見つかるかもしれないじゃない。だって大切な証拠品なんだから、確保しとかなくちゃいけないでしょ? ――ただちょっと、そのついでに色々目に入っちゃっても、持ち帰っちゃっても構わないよね。捨てたものなんだもんね。

 そういえば、カメラはさすがに捨てなかったみたい。そうだよね、被害に遭っていたっていう明確な物証だもんね。それでも警察に行かなかったのは、ヒロト君は穏便に事を片付けたいかららしいの。さすがヒロト君、自分を困らせる相手にまで優しくするなんて、普通の人にはできないよっ!! そんでもってそんなヒロト君の優しさに甘えてるストーカー野郎めが、一刻も早く首を差し出しやがれ。落としてやる。


「――――ん?」


 ゴミ捨て場に人影が見えた。カラス避けのネットをめくって座り込むその姿からして、どう考えてもゴミを捨てに来た近隣住民ではない。

 もしやと思ったときには、すでに遅かった。あちらからも見えていたのだろう、その人影は一目散に走って逃げていった。追いかけようともしたのだが、街灯の付近でもなければ何も見えない冬の夜だ、影法師は霧のように形を溶かしてしまった。


「ちっ……。ただじゃおかねぇぞ」


 現行犯逮捕は諦め、大人しくゴミ捨て場に戻る。

 さっきの私みたいに誰かに見られると厄介だ、ここで漁るのは得策ではない。私は自分のゴミ袋を置くと同時にヒロト君家のゴミ袋を手に取り、流れるような所作で家まで持ち帰った。そう、思い遣りと同じくらいに、思い切りが大切なのだ。


 自宅の中で、袋の口を開く。家の中で改めてゴミ袋を開くなんて不思議な感じだ。でもこれはヒロト君の家から出たゴミ袋だ。つまり中に入っているのはゴミじゃない。

 大きい物を一つずつ、ゆっくりと丁寧に出していく。隣に敷いたブルーシートの上に、段々と小さなオブジェが出来上がっていった。


「あっ、歯ブラシ……」


 時々見つかる黄金に、オブジェとは別で宝の山も出来ていく。

 少し楽しくなってきて、ワクワクしながら掻き分ける。ゴミを漁るのは本当に初めてだが、これはこれで癖になるかもしれない。バレるリスクが高いだけに、ちょっぴり困った。


 黒い小さな布切れが取り出される。


「靴下だ、穴が空いたから捨てたんだね」


 戦利品がくるぶしに届きそうなほど積み上がったところで、袋の中にキラリときらめく何かが見えた。

 光を受けてまばゆく輝くシルバーメタルのブレスレット――私がヒロト君にあげた、誕生日プレゼントだ。


「ヒロト君が――私の贈り物を――捨てた――?」


 頭の中が真っ白になった。


 ヒロト君は喜んでくれていたはずなのに、喜んでくれているはずなのに、それがどうしてここにある?

 ヒロト君は私の事を大切に思ってくれているはずで、私が傷付くような事は絶対にしないはずで――でも、実際に私の気持ちはこうしてゴミ捨て場から連れ戻されたわけで。

 もしかして私を試してるの? 私の想いが本物かどうかを、この程度の理不尽に耐えられるほど強く想っているかどうかを試しているの?

 ううん違う、私のヒロト君はそんな回りくどい事はしないもん。たとえ理由があっても、私が悲しむような真似はしないもん。優しい――ヒロト君なんだもん。


 だからこれは、ヒロト君のせいじゃない。


 きっと何かの間違いなんだ。そうに決まっている。


 ヒロト君がうっかりゴミ箱の中に落とした?


 ヤスの野郎がゴミだと勘違いした?


 ゴミに出す袋を間違えた?


 ――違う。


 分かった、あいつだ。


 ストーカーだ。


 あのクソ女の仕業に違いない。


 私とヒロト君の関係が気に入らなくて、嫌がらせをしてきたんだ。


 許さない。


 許せない。


 許せるわけがない。


 絶対に――殺してやる。



 しかし張り切ってはみたものの、結局、脅迫状とやらは見つからなかった。多分、ヒロト君は家以外の場所で捨てたのかな。

 だけど問題は何もない。だってそんなもの無くたって、私はストーカーの顔を知っているのだから。ヒロト君の近くで待っていれば、必ず現れる。ヒロト君を囮のように使うことは良心がひどく痛むけれども、これも二人の未来のためだもの、分かってくれるよね♪




   *   *   *




 学校を休んだ。朝から晩まで一日中、窓から見える景色を眺めていた。

 窓の正面にはヒロト君の住む家がある。嬉しい事に、玄関もこちら向きだ。私は家の窓から外を眺めているだけで、ヒロト君の家の監視ができる。大変恵まれた環境だ。きっとこれは、神様が与えてくれた運命に違いない。そしてその運命は、ヒロト君を助ける今この瞬間のために用意されたに違いなかった。


 昨日も同じように監視をしていた。しかしストーカーは現れなかった。

 そのせいで昨夜は一睡もしていない。目覚めてからかれこれ三十五時間はここに張り込んでいる。張り込みは忍耐だとよく聞くし、私は案外、刑事とか探偵とか向いてるんじゃなかろうか。

 時刻は夕方四時半、十二月にもなると、そろそろ日が暮れ始める頃合いだ。

 このまま、今日もあのストーカーは来ないのだろうか。来ないなら来ないで、一生来なければそれもいい。




 やがて太陽が沈み始め、街並みはオレンジ色に包まれた。四限目の講義も終わりの時間。今日はヒロト君は五限まであるはずだから、帰ってくるのは今から二時間後くらいかな。


 三十分もない夕暮れの光の中、怪しくうごめく一つの影を見つけた。動き自体は何も怪しいわけじゃない。怪しい顔をした――まさしく私が映像で見たストーカーの顔をした人影がそこにあったのだ。

 私は一目散に駆けだし、自分の家を飛び出した。長時間起きていたことによる疲労も、同じ体勢を取り続けていたことによる倦怠感も、全てが興奮に隠された。


 玄関を出ると、目の前にはヒロト君の家のドアがある。ストーカーは郵便受けに何やら不審物を投函しようとしているところだった。

 飛び出した勢いを緩めることなく、私はストーカーの背中へと突進する。気付いたストーカーが後ろを振り向くのと、私が力一杯ぶつかるのとは、ほとんど同時だった。


 悲鳴とともにストーカーは倒れ込み、そこに私が馬乗りになる形となっていた。衝突の勢いで私たちの体は門を抜け、ヒロト君の家の敷地内にある。


「ごめんねヒロト君、あなたのお家をこんな風に汚してしまって。でも大丈夫、すぐに片付けて、二度とこうはならないようにするからね」


 ポケットをまさぐり、見つけた滑らかな木柄を握り込む。安全用のカバーを外すと、そこには念入りに研がれた白銀の刃があった。


「あんた、なに――――ッッッ!?」


 振り返りつつ吐き出されたストーカーの文句は、私の持つ包丁を目にした瞬間に途切れてしまった。それでいい。お前には、文句を言える筋合いなどない。

 まっすぐに――首をめがけてまっすぐに、振り下ろす。


「私とヒロト君の仲を邪魔した罪を、贖え」


 ただ下に落ちていくだけだったはずの包丁の刃は、残念ながらストーカーの首には届かなかった。皮にすら辿り着く前に、激痛が私の背中を襲ったのだ。おそらく、こいつが蹴りつけたのだろう。痛い。痛い。

 私が痛みに悶えたのはほんの二秒程度であったが、ストーカーが私の下から抜け出すのには、それだけあれば十分だった。おまけに、つい手放してしまった包丁まで奪われてしまっている。


 刃を向けたまま、まじまじと私を見ていたストーカーは、やがて口を開いた。


「どこかで見た覚えのある顔だと思ったら、お前はヒロト様のストーカーだな? 私とヒロト様の間にちょこちょこと見えていて、ずっと目障りだった」


 座り込んだままの私に対して、ストーカーは立ち上がり包丁を構えている。逃げようにも、もう手遅れだ。


 ヒロト君、ごめんね。私、失敗しちゃったみたい。

 そう考えるとともに、昨日からの疲れが一気にやってきた。体を動かすのもつらい。とても眠い。すぐさま横になって、死んだように眠ってしまいたかった。


「ヒロト様は私のものなんだ。ヒロト様は何があっても私を愛してくれている。だから今まで無視してやってきた。それでも私とヒロト様の二人だけの関係を壊そうとするのなら、もう放っておくわけにはいかない」


 勝手な事を――そう言いたいけれど、力が出ない。

 ヒロト君は私を愛してくれてるんだ。だってお前の電話に、お前の手紙に、お前のカメラに、ヒロト君は怯えていたじゃないか。私のにじゃない、お前のにだ――クソ女……。

 ヒロト君は優しいんだ。とってもとっても優しいんだ。カメラも脅迫状も警察に持っていけばいいものを、お前みたいなストーカーをすら困らせないようにと気遣ってくれていたんだぞ。


「私とヒロト様は選ばれた関係なんだ。初めて出会ったその時から――いや、本当はもっと前から相思相愛は始まっていた。私はいつだってヒロト様を見て生きてきたし、ヒロト様だっていつも私の事を考えてくれていた。そんな完全無欠の愛し合いなのに、どうしてお前たちは邪魔をする。どうして認めようとしない。どうしてヒロト様を自分のものにしようとする。それがヒロト様の望まない事だと分からないのか? それとも分かった上で、自分自身の欲のためにヒロト様を困らせているのか? お前みたいな女がいなくなれば、ヒロト様だって喜んで――」


 その言葉全て、私の台詞だ――そう考えたとき、ヒロト君の声が聞こえた気がした。

 気のせいかとも思ったが、どうやらストーカーにも聞こえたらしい。長々と続けていた言葉を止め、私の後ろに視線を注いでいる。


「ヒ、ヒロト様?!」

「――何やってるんだッ!!」


 間違いない、ヒロト君の声だ。そっか、今日の五限は休講だったんだね。それとも早く終わったのかな。ヒロト君はサボったりはしないもんね。


「君、大丈夫?」


 私に尋ねてくる。ストーカーの刃物が私に向いてるのを警戒しているのか、不用意に近付いてはこない。

 私はヒロト君に背中を見せたまま、小さく頷く。

 他でもない私に直接話しかけてくれて、それも私を心配してくれている。普段なら卒倒するレベルのシチュエーションだ。でも今の私は、緊張もなにもないくらいに疲れていた。


「ヒ、ヒロト様、こいつが――こいつはヒロト様のストーカーで、私とヒロト様を引き裂こうと――」

「――残念ながら、僕は君の事を知らないよ。ストーカーは君の方だろう?」

「そんな――ッッ!?」


 ストーカーは慄き、手を脚を顔を、全身を震わせていた。


「想ってくれるのは嬉しいんだけどね。こういうやり方は良くないよ。まっすぐ顔を合わせて伝えてくれたなら、少なくとも友達にはなれた……」

「それなら、今からでも――っ」

「もう遅いよ」


 悲しそうな声音で、静かに呟く。


「君はもう、他人を傷付けてしまった。こうして、関係のない人を巻き込んでしまった」


 くすぐったい感じがした。ヒロト君が私を見ている、分からないはずがない。

 ゆっくりと首を回し、後ろを見る。ヒロト君と目が合った。こんなに凛々しい姿は初めてだ。やっぱり格好良いな。


 ヒロト君はすぐに、ストーカーに向き直った。その目を真正面から見据え、はっきりと言葉を放つ。


「それは絶対に――許されない事だ。君とは、一緒にいられない」


 ヒロト君の答えは単純明快なものだった。倫理とか、道徳とか、そんな面倒なものは一切関係がない。ヒロト君がストーカーを拒絶した――それだけだ。その間に存在する理由なんてどんな形でも、それどころかなくたって関係ない。

 拒絶された――その事実だけがストーカーの肩にのしかかる。世界中の不幸という不幸を掻き集め、凝縮し、それを一身に背負わされた――そんな暗く重い絶望がストーカーを押し潰す。


「あぁぁ、あ……ああぁぁぁああああッッッッ!!」


 ――いい気味だ。可哀相とも思わない。当然の報いだからだ。私とヒロト君の仲に入ってこようとするから、自分の一方的な気持ちを無理矢理押し付けようとするからこうなるんだ。

 今、ヒロト君は情熱的に私を見てくれている。さっきまでとは少し違う、なにか焦ったような、真剣な瞳で――。


 ――――熱い。


 突然お腹が熱くなった。こんな真冬に、ストーブに触れでもしたかのような熱さだ。

 手を回してみると、なるほど刺されている。そう分かった時にはもう、意識もほとんどなくなっていた。

 駆け寄って支えてくれるヒロト君と、逃げ出すストーカー――それだけが、薄れゆく視界の中で確認できた。


 ヒロト君の腕の中、とっても温かいな……。こうしてヒロト君の温もりに包まれながら、死んでしまっても構わないや……。――でも、ヒロト君が悲しんじゃうかな、それは嫌……だな…………。




   *   *   *




 目が覚めると、私は病院にいた。

 横にいた看護師さんが気付き、いくつか質問をしてくる。体の調子はどうかとか、そんなありきたりな内容だ。しばらくして医師の人と交代して、また同じような質問をされた。そうして、ここに至るまでの経緯を説明してくれた。


 幸い、私は気を失う直前までの事ははっきりと覚えている。ストーカー女との会話も、刺された熱さも、ヒロト君の腕の温かさも。どうやら私の傷は大したことなかったらしい。一晩眠ったままだったのも、なんてことはない、原因は単なる過労と寝不足だ。今日一日様子を見て、問題がなければ退院とのこと。

 しばらくは身体に負担のかかる油物みたいな食事は避けてね。そう言い残し、医師の人は去っていった。



 私は一人で、ただ天井を眺めていた。何かがあるわけではない。強いて言うなら、何もない。何も、やる事がない。暇だった。

 個室なのが逆に恨めしい。別に誰かと話したいわけでもなんでもないが、何もなさすぎるとさすがに飽きてくる。どうせ寝ているだけならば、さっさと家に帰してほしかった。そうすれば、ヒロト君の姿も見られるし、声も聞ける。そのどれもが、ここではもちろん叶わない。




 ――そう思っていられたのは、午前中だけだった。

 考えてみれば当たり前の事でもあったのだが、なんとヒロト君がお見舞いに来てくれたのだ。まだ午後には講義があるはずなのに、昼休みにわざわざここまで来てくれたのだ。そんな優しさに涙すらこぼれる。


 でもヒロト君は――。


「ごめん……。本当に、ごめん……」


 さっきからずっと、この調子だ。前科のあったストーカーは包丁の指紋から簡単に捕まったという話をしてくれた後には、私への謝罪だけを繰り返している。


 ヒロト君と密室で二人きりの状況に舞い上がりたい気持ちも、さすがに理性で抑え付ける。とはいえ何を言えばいいのか分からない。恥ずかしさから逃げ出さないことに精一杯で、何も言葉にできない。顔を合わせることもできない。ただ何も言わず、俯いて忍んでいる。その態度がヒロト君を追い込んでいるとは分かっているけれど、だからといってどうすればいいのか。


 相変わらず、ヒロト君は謝り続けている。

 ヒロト君を困らせたくはない。ヒロト君には思い悩んでなんかほしくない。ヒロト君にはいつでも笑っていてほしい。たまに泣き顔とか怒り顔とかも見たいけど。


「あ……あの……っ」


 だから私は、勇気を出して喋ってみた。


「も、もし――もし、本当に悪いと思うなら…………笑って、ください……」


 目線はベッドのままだけど、それでも、この気持だけは伝わってほしいから。

 驚いたような顔で、私を見つめている――ような気がする。


「ヒロト君、には――――笑顔が……一番、似合うから……」


 しばらくの沈黙の後、ヒロト君は笑ってくれた。


「君は、優しいんだね」


 今、何て言った? ヒロト君は今、私に優しいって言ったの? ヒロト君に褒められちゃった、ヒロト君に褒められちゃった、ヒロト君に褒められちゃった!! どうしようどうしようどうしようどうしようっっ!!


「ありがとう。今回の罪滅ぼし――いや、恩返しは、これから少しずつでも、必ずしていくよ。もし君が、嫌じゃなければだけど……」

「いっ、嫌なんかじゃないっ!! ――です」


 笑っていてくれればいい。そう言ったのに、結局ヒロト君は納得してくれていない。別にいいと言っても、優しいヒロト君はそれだと自分が許せないんだ。


 そんな優しいヒロト君だからこそ、私は愛しているの。


 そんな優しいヒロト君だからこそ、こんなにも愛おしいの。



「そこまで言うなら――」


 ちょっとずるい気もするけど、こう言った方がヒロト君は救われるのかな?



「責任――取ってくださいね♪」




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