クソ教師
自分からみんなに話しかけるのが良い先生。
気に入った奴とだけ楽しそうにするのは2流以下。
「仲間作り」
小学5、6年の時の担任の先生が仲間作りにすごいこだわった人だった。何かと「仲間作り仲間作り」と叫んだ。ただ、そういうのは強制的にさせるのじゃなく自然に任せるのが良い。上手く行ってない子を見離せと言ってるんじゃない。教師としてある程度の援護射撃は必要だ。班会議の時とか喋ってない子おったら話しかけたりするのは全然良い行為だし、むしろそれが教師の仕事だと思う。ただ、この担任は強制しすぎた。
「オイッ!あの子が意見全然言ってないのにそれでいいんか!」
「今日1日。一言も喋ってない子がおる。お前らは気にならんのか。松野さん喋ってへんのにすら気づかんのか」
これ、逆に松野さん傷付くしプレッシャーやろ。ただ、多少強引な先生の援護もあり松野さんは無言から喋るようになった。松野さんは元々真面目で優しい子だった。ただ、極度に人見知りなだけなのだ。だからこの件は良かった。問題は次のケースだ。
ちょっかいばっかりかけて人がドンドン離れていった島原君。小2の時の
「100円あげるから遊んで~」
は男子の中で名言扱いされていた。あれは援助交際になるのだろうか。家に1兆円あるから100円くらいどうって事ないらしい。1兆円ある割に家は小さかった。友人の安上曰く「1兆も入りきらんやろ」との事。その通りやと思う。また島原の名言その2は小4の時の
「お父さんに言うたるからな~」
と言うのがあり、これと100円~はモノマネとしてみんな使用していた。
僕は両方言われた事がある。
「100円あげるから~」は消しゴムやえんぴつを取って来たり鼻糞を付けてきたり嘘泣きするような奴と遊びたくないので100円援助交際を拒否した。
また、「お父さんに言うたるからなぁ」は僕が友人と公園で遊んでると島原も年下の3年生2人と遊んでいて、途中揉めたのかそいつらに向かって発言していた。3年生2人の片割れが「あのデブがチャリでお父さん呼びに行ってる間に逃げたらええんや」と言い2人で逃げてった。僕は友人と公園でキャッチボールをしていたが結局島原も父も来なかった。来たらお父さん無職なんかなと思ってまう所だった。
話は戻り仲間作りに全力を尽くつ担任は今度は島原に照準を定めた。
「何で、お前らは島原と遊ばんのや」
どうやら、島原が年下とばかり遊ぶのを心配して言ったらしいが、僕らからしたらそんな面倒臭い奴と遊びたくないのである。嫌がられてると気付かず、ちょっかいをかけ続けた結果年下しか遊び相手がいなくなっただけだ。けど、仲間作りを提言する担任は僕らを怒った。
「お前らそれでも仲間か」と。
消しゴム盗む奴に優しくしなあかんのかと思いながらも先生が恐いから友情ごっこに付き合わなければいけなかった。
サッカー出来てハンサムな脇坂君が一番相性が良いと勝手に決め付けられ、席替えでは絶対に島原の横になった。脇坂ら5人で下校する道の途中で
「何で俺が島原の横にずっとおらなあかんねん。席替えクジの楽しみがない」
などの愚痴を4人で聞いていると脇坂は涙を流した。それを見て僕はこの仲間作りは偽りだと確信した。
あの人は金八みたいになりたいんやなと。勝手に事を大きくして解決してでっかい仕事やった様にしたいんだな。松野さんは良い仕事やと思ったけど、日頃の行いで人を失った奴の援護するのはどうかと思う。実際あんたに援護されてる時も島原のちょっかいは止まってなかったし。正義のヒーローのつもりやったんやろうけど、島原助けて脇坂泣かすのはヒーローなのか。脇坂良い奴やのに・・・
結局その先生は不登校児を2年間出さなかったのも認められて余所の小学校で校長になられた。何年かしてコーナンで偶然会った時挨拶したら名前間違えられた。仲間作りはどこ行ったんや。
「塾」
「カルピス北野」
出欠を取る時に国語の北田辺は仲の良い先生はあだ名や下の名前で呼ぶ。僕はそのやり方が大嫌いだった。自分が「藤ノ森」と苗字で呼ばれてたので、あ~僕は仲良いと思われてないんだなと痛感した。実際仲はよくなかった。北田辺が好きなタイプは元気な奴だ。ラッパーみたいなノリの奴も窪塚洋介に似てると言う理由で「窪塚」と呼ばれていた。本名は池山やのに・・・
また、彼はクラスの真ん中にいるような連中が好きだった。真ん中で一緒に埋もれていた。分かりやすすぎてプロ根性の欠片も感じなかった。言うても北田辺は21歳の大学生なのでプロではなくバイトに兄ちゃんだが。
僕は1度塾を辞めている。1年半ほどしてもう一回戻った時に彼から言われた言葉が『今でも忘れられない。
「どうせ、またすぐ辞めるんやろ」
友達から「おう、戻って来たんや。受験勉強めっちゃさせてくるけど頑張ろな」
と言われた後の出欠で「藤ノ森か。どうせ~」と言われたので辞める前も真ん中しか見れないアホやから大嫌いやったけど、余計嫌いになった。辞めた理由はアホらしくあまりに成績が伸びないからおかんが勝手に家庭教師も雇って両立が難しくなった。塾はテスト前4~5時間勉強する。家庭教師は勝手に頑張りって感じなので自分でする時間を決めれる。
楽な方を選んだまでだ。友達が一杯いる塾よりも楽を選んでしまう自分が情けなかったが、結局もう一回戻った。家庭教師で成績が落ちたからだ。塾は成績を維持出来てた。それにより出戻りが決定した。試験前夜中の12時まで勉強させられた。伸びはしなかったが平均点ちょい上を維持出来た。友達は多かったので楽しかった。ただ、北田辺は嫌いだったし勉強その物も嫌いだった。北田辺の授業中時折する仲良い生徒とのコントがうっとうしかった。真ん中コントと勝手に名付けてた。ノリノリな奴の予想通りのノリに嫌気がさした。
「窪塚~。その答え面白く言ってや~」
「ウェイウェイ、ア、イェイ、バヤルルララー。俺ラッパー」
「おい、バヤルララーやろ。ラッパーさんよう。ヒヒヒッ」
「ありがとうと言わない重さ」って文章の答えのやり取りである。また、仲の良いイケイケポッチャリ女子が答えに間違うと
「おい~、結衣どういう事だ!えっ、今のポーズ誰のマネか分かった?そうそう、トルシエ!トルシエがゴール外した時のジェスチャー」
腹が立ってしかたなかった。俺が間違えても
「違う」だの「それちゃう」だの「ちゃんと考えて」と冷たくされるのである。俺の前でトルシエジェスチャーはしてくれないのである。
仲の良い先生もいた。社会の我孫子とは仲良くさせてもらった。彼自身イケイケではなく物静かな感じで明らかな依怙贔屓はして来ないが補習授業でのフリートークで結構盛り上がったのである本来前の授業で分かって無い奴が翌日呼び出しを喰らう授業だが、僕は「入れてください」と頼んでいた。だから中三の時は「国数理社英」の中で社会が一番勉強時間が長かった。
塾で学んだのは勉強ではなく先生も人間なんだなって事だった。相性ってあるからね。あれから10年経つけど北田辺は今でもあんな感じなのだろうか。まぁいいや。
先生も人間だけど、あからさまな贔屓はしないでほしかった。
24歳の時に書きました。