英雄の孫 9話
9話
街道に出たのは、翌日の昼になってからだった。
そこからは馬に乗っての移動なので、比較的楽な行程だ。今もサクラはシズルの背にしがみつきながら、馬の背で揺られている。
あの晩以来、サクラはシズルと行動したがることが多い。エリスは少し不思議がっていたが、何があったかは言わないでいた。
「あれが、シ=ザウラの門だよ」
サクラに語りかえる。
ここからは街道に沿って歩くことになり、野宿をすることも少なくなることだろう。
しかし門前に近づくにつれ、何か物々しい雰囲気を感じる。商人たちが多くたむろしている。門の前には検問が作られ衛兵が何人も立っている。
「何かあったんですか?」
近くにいた若い商人男に声をかける。
「さあなあ。詳しいことは分からないが町でなにか事件があったのかもな」
「事件…」
「最近はどこの町でもきな臭い話が聞こえてくる。噂だが、反乱を企てている輩もいるらしい」
小声で男は言う。
「反乱なんて何考えてんだろうな」
「ええ」
「次の者!」
「おおっと、やべえ!」
男は馬車を進める。兵士たちはその荷台まで調べている。武器でも探しているのだろうか。
「何だったの?」
「詳しくは分からないが、念のため用心しておこう」
次、と兵士の怒鳴り声が響く。シズル逹の順番になる。
担当は一際若い兵士だった。
「目的地は?」
やはり変声前の少し甲高い声だ。
「王都まで」
「王都には何故?」
「…祖父の知人に会うためです」
一瞬村のことを話そうかと思ったが、現段階で襲撃した可能性が一番高いのは国軍だ。あの装備や練度から言ってもそう考えるのが自然だ。
「なるほど。では荷物を調べますので机の上に置いてください」
三人がそれぞれの荷物を机に乗せる。とはいえエリスとサクラには大したものは持たせていないが。
「町でなにかあったんですか?」
答えが帰ってくるとは思っていなかったが一応聞いてみる。
「最近は山賊の動きが活発でして。町に襲撃を仕掛けてくるとの噂もあります」
以外とすんなりと答えてくる。少し拍子抜けだった。
「そんなに数が多いのですか」
「このあたりでは最も数が多いでしょう。大陸規模で見てもかなりのものです。正規軍ほどの力はありませんが、イナゴみたいなものです」
「イナゴ…」
「…害虫駆除もわれわれの仕事ですから。どうかご安心ください」
兵士が荷物を返してくる。剣を腰間に戻す。特に問題はなかったようだ。
「町ではくれぐれも騒ぎを起こさないように。監視の目が厳しくなってますから」
「ええ、ありがとう」
一礼をして、エリスとサクラを促す。
何事かと心配ではあったが、気にしすぎだったようだ。
「ああ、あとそこの黒髪のお嬢さん」
鼓動が跳ね上がる。
サクラは自分が呼ばれたと気づかずそのまま通りすぎようとする。エリスが肩を叩いてからようやく気がつく。
「これはあなたのものでは」
「??」
兵士が差し出したのはサクラに渡しておいたタオルだった。木綿で作った質素なものだ。
サクラは兵士の動作を見てようやく気付いたようで、受け取ってから礼をする。
「お気をつけて」
兵士が爽やかに言う。肝を冷やしたがなんとかなったようだ。
町へ入って、表通りをしばらく行くとすこし小さめの宿屋があった、値段もそこそこだったのでそこに決める。表に面している方が何かあったときには対応しやすい。
「女将さん。ここから王都への馬車は出ていますか」
「去年まではあったんだけどねえ。最近はどこも物騒でね。襲われるのが相次いだもんで廃止してしまったんだよ。ここから何日か歩いたところにあるララ=ズールなら多分出てるんじゃないかい」
「ララ=ズールですか…」
「それか商人逹の馬車に乗せてもらうかだね。護衛としてならあいつらも嫌がらないだろうさ。ああでも女の子が二人もいるんじゃね」
「考えてみます。ありがとう」
恰幅の良い女将に礼をして案内された部屋に向かう。
部屋は四人用の部屋でそれなりの広さだ。
「うーん、疲れたぁ」
エリスが手近なベッドに身を投げる。サクラもおずおずとしながらもベッドに腰かける。
シズルもドアに一番近いベッドに座る。人心地がついたせいか疲れがどっと出てくる。出発は二三日遅らせた方がよいだろう。
その間に馬車を見つけるか歩くかを決めなくてはならない。
「エリス。サクラを見ててくれ。少し酒場に行って情報を集めてくる」
「情報?」
「村のこととかだ」
エリスが辛そうに顔を伏せる。村をを出てから何の情報もないまま来た。村のことが気にならないはずはない。
「酒場なら何か見たやつがいるかもしれない」
「…うん、そうだね」
その時、控えめなノックの音が聞こえた。どうぞ、とエリスが言う。
扉の先にはこの宿のお手伝いらしい年若な少女がいた。
「すみません。お、女将さんが話があるらしいので、下に来てくれますか」
「一人で良いかい」
「あ、はい、えっと、多分大丈夫です」
「じゃあ行ってくるよ。二人は部屋で休んでいてくれ」
階段を降りた先に女将さんが立っていた。
「すまないね。お客さんに聞きたいことがあってね」
「なんですか」
「さっき一人客が来て泊まれないかと聞いてきたんだよ。でも一人部屋はいっぱいでね。空いてるベッドがあんたらの四人部屋のとこしかないのさ」
「それで、相部屋にしても構わないか、ということですか」
「まあ、そうなんだけどね。ちょっと変わったお客さんみたいなんだよ」
「変わった?」
「あそこに座ってるのだよ」
カウンター前のソファに座っていたのは確かに変わった人物だった。
ぱっと目につくのは背負っている大身の槍だ。業物らしく柄の部分にも装飾が施されている。
服装はわざわざ銀色のプレートメイルを全身に装備している。一応ボロボロのマントをつけているが、旅をする格好にはとても見えない。普段から重鎧を身につけて歩くなど疲れがたまるだけで、賢い旅装とは言えない。
とはいえ、それらは常識はずれであるが、まだ理解できなくもない。
一番奇特なのはその顔につけている仮面だ。髪の長さと体格から恐らく女性だろうと予想はつくが、肝心の相貌は全くもってわからない。顔を隠すのは顔を隠さなくてはならない理由があるからだ。その仮面が何の装飾もされていない無表情のものなので、その怪しさが倍増している。
確かに女将が意見を伺いに来るのも納得だ。こんな客が来れば誰でも身構えるだろう。
「どうする?嫌なら断ってくるけど…」
「…少し話をして見て良いですか」
「ああ、構わないけど…あ、あんた!」
シズルは一直線にその女性のところへ進んでいく。
「どうも」
女はただ頷く。顔をこちらに向けるが仮面で表情は全くわからない。
「ああ…その職業は何を?」
女は答えない。ただその顔をシズルの方に向けているだけだ。
「僕はシズルと言います。他に二人を連れて旅をしています。あなたは一人で旅しているんですか」
女は頷く。
「それで、一人ぶんベッドが空いてるのですが、その…」
「私が怪しいからか」
「え…?」
「君は私が怪しいから不安に思って声をかけてきたのだろう。私はただ一晩眠りたいだけだ。君らの邪魔をする気はない」
想像以上にその声は澄んだ響きをしていた。発音も明瞭で話し方だけなら全く怪しくないどころか、騎士並みの器量と言えるだろう。
「信用できないのはわかるが、私は正直に言っている。神に誓っても良いだろう。ただこの仮面だけは外せないがな」
女が仮面を力を込めて指でなぞる。
「……分かりました。女将さん。構いません。彼女を相部屋にしてください」
「けど、いいのかい?責任はとれないよ」
女将さんは小声で言う。
「きっと大丈夫でしょう。二人に話してきます」
シズルは部屋に戻り、二人に事情を話す。
最初はエリスも難色を示したが、シズルが説明すると何とか納得してくれた。
判断材料はほとんどなくただの勘でしか無かったが、シズルにしてみれば納得できる何かがあった。
さすがに二人とも実際見たときは面食らったようだったが。
「そういえば名前は?」
シズルが尋ねる。
「名乗る必要があるか」
女は冷たい声で答える。
「一晩だけの仲かもしれませんけど名前ぐらいは」
女が表情のない顔でじっと見てくる。
「……クシィだ。クシィ・バルセィ」
「クシィさん」
「…それじゃ」
クシィは着替えもせず足早に部屋から出ていく。
「無愛想な人だね」
「そういう人なんだろ。さて、俺も行くよ。ついでに晩飯の場所も探しておくよ」
シズルも後を追うように部屋を出る。
日もまだ高いにも関わらず酒場は賑わっていた。あちらこちらから叫び声が聞こえる。
「注文は?」
カウンター席に腰掛けたところで、強面のマスターが注文を取ってくる。
「ウィンターズのロックをひとつ」
ウィンターズはこの地方での代表的な酒だ。冬の間に大量蒸留する安酒で、味が悪いわけでもなく、また度数もそこまで高くないので頼みやすく飲みやすい酒だ。
「おじさん。最近この辺りで黒い鎧を着た集団を見なかった?」
マスターの前に金を置きながら尋ねる。
「さてな。キャラバンは何隊か見たが黒い鎧の集団なんて見なかったな」
「じゃあ、そんな集団を見たとか言う話をしてる人はいた?」
更にもう二枚金貨をテーブルに乗せる。
「…一週間ほど前にここから東に進んだ森のなかで、怪しい集団を見たと言う話があったな」
「怪しい?」
「ああ。どう見ても堅気の集団ではなかったそうだ。足並みや挙動からして軍隊に近かったそうだ」
「軍隊…ねぇ」
もう一枚金貨を置く。
「ありがとう、参考になったよ」
「おい、あんた」
マスターが金貨を集めながら言う。
「何故こんな話をしたのかは知らんが、あまり首を突っ込まない方がいいぞ。最近は村が襲われることが多い。そいつらが村を襲っていると言う噂もたっている。俺の言いたいことが分かるか」
「ああ、よく知ってるさ。当事者だからな」
それだけを言ってシズルは酒場から出る。
その時、後ろから怒声が聞こえた。