英雄の孫 5話
第五話
その女性はまるで死んでいるかのようにピクリとも動かずにいる。
「それ…どうしたの…」
「拾った」
ぶっきらぼうに言うとマコトはその女性を肩から下ろす。 服を脱がして体を拭くように、と言い残してマコトは二階へとあがる。
かなり若い女性だ。14か15というところだろうか。肩口に届くぐらいの黒髪だ、この地方で黒髪というのはかなり珍しい。この辺りの人間ではないのかもしれない。
服装ははっきり言って奇妙と言うしかない。まず目につくのはやたらと強い青をした胸のリボンだ。どうやら首の後ろ、襟の部分からぐるりと巻いてあるらしい。そのリボンも服自体も麻でも綿でもい、不思議な材質している。このようなつるつるした生地は見たことがない。
下にはスカートを履いている。これもその服装の奇妙さを際立たせている。そもそもスカート何かを履くのは祭りなどのハレの日に限られる。ましてや外出するような輩が着ることはあり得ないと言っていい。
どうしてマコトはこんな異形の少女を連れてきたのだろう。そんな疑問がシズルの頭に浮かぶ。
取り敢えず言われた通り服を脱がせにかかる。気が引けるが濡れたままでは体を壊す。
上着を脱がせようと苦労していると少女が少し呻いたかと思うと目を瞬かせ始めた。急いでシズルを距離を開ける。勘違いをされては困る。釈明をするのも手間になる。
少女が半身を起こしこちらを一瞥すると同時にシズルは声をかける。
「大丈夫ですか?痛むところはありませんか?」
極めて常識的な声のかけ方をしたのだが、少女は答えず怯えと不思議さが同居したようような表情を浮かべる。
「聞こえなかったかな。怪我はないですか」
先程より大きな声で呼び掛ける。しかし少女の反応は変わらない。するとマコトが降りてきた。
「あ、じいちゃん」
「どうだ」
「耳が聞こえないみたい。反応が無いんだ」
「ああ、そうだろうな」
マコトが知っているかのような口ぶりで答える。
「儂が話しておこう。替えの服と暖かい飲み物を頼む。お前の昔の服がいい」
「でも耳が…」
「問題ない」
「…分かった。取ってくるよ」
二階にあがろうと解団に足をかける。その後ろで聞こえたのは聞いたことの無い言葉だった。
着替えをもって戻ってくると、マコトと少女が会話をしていた。相変わらずシズルには全く意味がとれない言葉でだ。
「持ってきたよ」
「ああ、すまんな」
マコトが何かを言うと少女がこちらを見る。他意はないのかもしれないが警戒しているのが一目で分かる顔をしている。無言で着替えを差し出すと少女は何か呟いてから、その服を受けとる。
少女が二階に上がってからマコトが口を開く。
「ありがとうございます、と彼女は今言ったんだ」
「彼女は……誰?あんな言葉は聞いたことがない」
この国。もといこの大陸には言語は一種類しかない。遥か昔には様々な言葉があったらしいがそれらは、現在使われているものを除いて全て淘汰された。現在はその痕跡を発見することすら難しい。
「それになんで…」
「何故儂が彼女と一緒に会話できるのか?そう聞きたいのだろう。話せば長い…今は話せん」
「どうして」
その時半鍾の甲高い音が響いた。村が何らかの危機に瀕したときに鳴る鐘だ。
「半鍾!?どうしてこんな…」
「…シズル。よく聞け。今すぐ旅の準備をしろ。今すぐにだ」
「旅!?何言ってんだよ!早く逃げないと!」
「もう一度だけ言う。早く用意をして来い…」
マコトは底冷えするような目でシズルをにらみつける。拳が飛んでこないのが不思議なくらいだ。
「…っ!」
二階への階段を駆け上がる。理由も何も分からないが今はその言葉に従うしかない。
「…すまんな」
後ろからマコトの声が聞こえたような気がした。
準備自体は短時間で終わった。マコトと二人で王都まで向かう機会が最近は多かったため、基本的なものは既に用意してある。
半鐘は相変わらず鳴り響いている。さらには雷まで激しくなってきた。
「準備できたか」
マコトが声をかける。
「じいちゃん…その格好は」
マコトは抜き身の剣を、それもかつてマコトが英雄と呼ばれたころに使っていた名刀を手にしていた。さらには装備も現役時代に使っていた特注の軽鎧を身に着けている。
「当分の路銀だ。それを使って彼女と逃げろ。やつらから逃れたらまっすぐ王都に行け。そして、王と会え。この手紙を渡せば会えるだろう」
マコトが一枚の紙を差し出す。
「じいちゃんは!?」
「わしは…戦わなければならない。それが使命だからな」
「なんで!?」
「彼女が現れたのも定め。そしてお前は彼女と一緒に歩まねばならない」
外から爆発音が聞こえる。腹の底から震えるようなとてつもなく大きな爆発だ。
「できればエリス嬢も連れて行け。村長とは話がついている。三人なら何とか逃げられるだろう」
「…訳分かんないよ!何がどうなっているのか説明してくれよ!」
「すまんな、すべてお前任せだ。何も伝えられずすまない」
また爆発が起こる。先ほどのよりも距離が近い。
「彼女が下で待っている。お前についていくように言ってある。さあ、行け」
マコトが窓を開ける。そこから下に降りるつもりらしい。
「やつらの注意をひきつける。その間に逃げてくれ。そう長くは持たん」
「じいちゃん!」
マコトの腕を掴む。ここで離してしまっては二度と会えない気がした。
マコトは一瞬悲しげな顔をしてから、シズルの頭に手を置く。
「お前には謝ることが山のようにあるが…お前との生活は楽しかった。わしを祖父と呼んでくれて、ありがとう」
マコトはシズルの頭を一つ二つ撫でると、腕を振り払い二階から燃え盛る村へと走り出す。
シズルにはその背をただ黙って見送ることしか出来なかった。