英雄の孫 12話
12話
外に飛び出した三人が目の当たりにしたのは、先日と変わらぬ惨状だった。
所々から悲鳴が聞こえ、多くの家が火に包まれている。特に正門の辺りはひどい有り様だ。この調子だと厩舎もひどいことになっているかもしれない。今馬を奪われるのは、この先の旅程を考えても不味い事態だ。急がなくてはならない。
サクラの手を引くと同時に駆け出す。
「いたぞ!あいつらだ!」
後方から声が聞こえるが、振り向かない。今は一分一秒が惜しい。
「構わねぇ!射て射て!」
(まずい!)
とっさに横道に入る。矢が何本も地面に突き刺さる。完全にこちらを狙っている。
「行くぞ!止まるな!」
身を隠す余裕などない、一刻も早く町から出なくては。
「シズル!屋根の上!」
エリスの声が響く。前方の屋根には射手が三人矢をつがえて待ち構えている。近くに何か無いかと探すが役立ちそうなものは一切無い。
仕方なく剣に手をかける。一本くらいなら捌けるが複数となると難しい。サクラもいるため、自分だけ守れば良いとはいかない。
いざとなったら体ごと盾にしなくてはならない。
放たれる瞬間に向けて目と腕に《気》を集中させる。そうでもしなくてはなにもできない。約束を果たせない。
しかし、それは結局のところ杞憂に終わった。屋根の上の連中に向け、横から幾条もの矢が襲い掛かる。敵の射手達は全く予期していなかったためか、反撃することもなく倒れていく。
「今のうちに!」
そのまま民家のなかを通り抜け、門のすぐ近くまで辿り着く。後ろからは変わらず追っ手が来ている。すぐに厩舎に行かなくては。
門の前では警備隊と山賊らしき襲撃者達とが激しい戦いをしている。形勢は警備隊の方が優位のようだ。この機会を逃すわけにはいかない。できるだけ戦闘には巻き込まれぬように、なおかつ目立ちすぎない位置を見つけ、強引に走り抜ける。うまく行けば追っ手も撒ける。
その目論見はうまく行った。どうやらどさくさに紛れてこちらを見失ったらしい。
厩舎は火に包まれてはいなかった。馬も殺されておらず何頭か空きがあるだけだ。すでに数人は逃げたようだ。
厩舎には先客がいた。町にはいるときシズルたちを検査した年若い兵士だ。
兵士はこちらを認めると一瞬驚いた顔になった。そしてすぐにそれを消して無表情に近付いてきた。
「どうやってここに」
その声色からは驚きではなく怒りに近いものが感じ取れた。いるはずの無い人間がいた。そんな雰囲気だった。
「あの、民家のなかを突っ切って来ました」
エリスの言葉に顔を向けると苦い顔をして荷物を馬に乗せる。かなりの大荷物だ。
「ついてきてください。危ないですから」
言葉は親切だが、その内心は伺えない。疑われているのかもしれない。しかし、三人だけで行くよりは兵士についていく方が色々と役に立つ。
「どこまで行くんですか」
「王都です。王に知らせなくては…」
伝令かなにかだろう。年格好からしても妥当だ。
シズルたちはそれぞれの馬にまたがる。サクラはシズルの後ろにまわり、腰に手を回し強くしがみついてくる。
「私の後ろから離れないように。行きますよ」
兵士が開け放たれた扉から駆け出す。負けじと一斉に馬に拍車をかける。
外に出た瞬間矢が射かけられる。そうそう当たるものではないが驚異であることには違いない。体勢を低くし、少しでも面積を減らす。
表通りを突っ切って四人は王都側に出る門に辿り着く。この辺りは被害がまだ大きくなく、逃げてきた人が何人かいる。怪我人の姿もちらほらと見かける。
「…おかしい。静かすぎる」
先頭を走っていた兵士が馬の足を止める。
確かに北側と比べるとこちらが断然静かだ。
「ここまで来ていない筈がない」
「しかし、ここでいつまでも止まっているわけにも」
「そうだが…確認だ」
兵士の指先にちりちりと小さな火の粉が集まる。《魔法》だ。
火の粉は火へと変わり、そして炎となる。炎は球形になり、大きさがちょうど兵士の顔ほどの大きさになると、それを兵士は無造作に門の外へと投げ捨てる。炎球はふよふよと漂いながら暗闇のなかで停滞している。
兵士が右手を大きく開く。そのまま炎球の方へと手をさしのべる。こちらをちらりと見て、左手をあげる。
兵士は差し出していた右手にぐっと力を込め、なにかを握りつぶすように手を動かす。
炎球がその動作と同時に弾ける。それと同時に兵士の左手が降り下ろされる。それと同時にかけだす。エリスもほぼ同じタイミングで動き出す。
門を抜けてすぐのところには炎に身を包まれた男が何人ものたうち回っていた。
待ち伏せされていたらしい。兵士の慧眼のお陰で助かった。男達の手には一様に捕獲用の熊手や分銅付きの網が握られている。
「行きますよ!」
兵士が一目散に駆けていく。置いていかれるわけにはいかない。暗闇の中、目を凝らして馬を駆る。
十分ほどだろうか。兵士が馬の足を止める。周りにはなんの気配もない。そのようにシズルには感じられた。
「馬から降りてください。大丈夫です。なんの気配もありませんから」
シズルは素直に従うことにする。逆らってもなんの利益もなさそうだ。
「それでは、あなた方の知っていることを教えていただきましょうか。そこの少女のことも含めて」
兵士はサクラを見て言う。鼓動が跳ね上がる。
「この地域全体で黒髪の女性が生まれたのは少なくとも三十年の間にはないはずです。それに関所での振る舞いやその旅に慣れていない様子からして、この地域の人間とは考えにくい。その中であの騒ぎです。そもそもあの騒ぎの中から何の備えもない旅行者が、あれほど早く動ける筈がない。あなた方は同じような経験をしていたのではないですか?」
そこまで言って兵士は一息つく。
「何も焼いて食おうと言うわけではありません。こう見えて人を見る目には自信があります。あなた方は決して悪人などではない。そう思います。だからここまで連れてきました。情報を得ることが今の私の任務ですから」
そして、兵士はシズルの顔をじっと見る。見掛けとはまったく異なる眼。
シズルはエリスに目をやり、そしてサクラを見つめる。二人とも不安そうな顔をしている。
「あなたは、一体誰なんです」
「私は…コルツ王国第二師団副団長、ゲイリー・リン中佐と言います」