英雄の孫 1話
新連載です。
やる気が出次第続きを書いていこうかと思います。
1話
西の空が黒く染まっていた。
生ぬるい風が西から東へと吹き、湿度も高い。
大雨の前兆だ。
シズルは急いで馬に乗ると、放牧していた牛たちを牧場へ誘導し始めた。
犬のトヨが大声で吠え、その声に驚いたかのように牛たちが移動し始める。
はぐれる牛が出ないように牛たちを一個の塊として移動させる。幼いころからやっていた行為だ。すでに手慣れている。
今の時期は季節の変わり目ということで例年ひどい雨になる。今年は少し遅れていた分、ようやくという感じすらある。
半分ほどまで来たところには川があり、そこを渡らなくては家には着けない。
水かさはさほどなく流れも遅いが、大雨が降れば一気に暴れ川へと変貌する。そうなってしまっては牛たちがおびえて立ち往生してしまい、にっちもさっちもいかなくなる。
シズルはいつも渡っている浅瀬を進む。まずは牛たちを先に行かせ、トヨを行かせ、最後にシズルが渡る。
大半の牛が渡り終わり、シズルも四分の三を渡ったところで後方から別の牛の一団がやってきた。数は多く、シズルが連れている牛たちの倍の数はいる。
牛たちを先導しているのは金髪の少女だ。
少女はシズルの姿を認めると、大きく手を振って挨拶をする。シズルも手を振りかえす。
普段ならば合流をして村まで戻るのだが、今はゆっくりしている暇はない。遠く西の空では稲光が閃いている。このままいけば、三十分もたたずに雨が降り出すだろう。
シズルは牛たちの足を速める。急かしすぎると脇にそれる牛が増え余計に時間を食ってしまうため、必要最低限のスピードに抑えつつ進ませる。
馬を走らせながらシズルは川を振り返る。向こうには牛飼いが三、四人いるようで整然としながらもかなりの速さで川を渡らせている。
シズルの頬に雨滴が落ちる。
まずいと内心ひとりごつと同時に、鞭を入れ馬を急かす。
こうなっては悠長にしていられない。牛に多少の無理はさせてしまうが、背に腹は代えられない。
牛たちが走り出す。その後方で雷が大げさなほどに鳴じた。
家に着いた頃に雨は横殴りとなり強さを増していた。
何とか牛たちを屋根のある建物に押し込むと、錠を下ろし、シズルはトヨを連れて家へ駆けだした。
「遅かったな」
祖父のマコトがタオルを差し出す。扉の前ではトヨが体を震わせて水を飛ばしている。
頭を拭きながらシズルは外を眺める。
「続くかな」
「さてな。たいていは二三日だが、勢いが強すぎる」
「畑・・・」
つい先日、実のなるのが早いガイジャの種を植えたところだった。
強い作物ではあるが、この雨ではどうなるかわかったものではない。
「着替えてくる」
「うむ、別に話がある。終わったら、わしの部屋に来てくれんか」
「ん、わかった」
着替えてからシズルは祖父の部屋を訪れた。
祖父の部屋は広いが、その中に所狭しと本に骨董品が置かれている。
「そこに座りなさい」
シズルは祖父に正対する形で椅子に腰を下ろす。
祖父の顔をじっと見つめる。
毎度思うことだが、今年で七十五歳とは思えない若々しさだ。
髭と髪を整えて着る物を着れば、五十台と言っても通りそうだ。
祖父の顔はいつもと違って、何か悩みのようなものを抱えたような深い皺が刻まれている。
「教練はどこまで終わった」
「剣術、槍術、徒手は十五まで。弓術は十四の途中で戦場学は十三が終わったところ」
「そうか・・・そんなに進んでいたか」
遠い目で祖父は外を眺める。
その横顔には年相応の苦労が見て取れた。
祖父、マコトは英雄だった。
数十年前、世界は混沌の極みにあった。
戦争、飢饉、干ばつ、賊、蝗、魔物に魔獣。
悪意と名のつくものを残らず世界中に振り分けたような状況。
信じる相手は誰もいない。親兄弟ですら憎み合う世界。そこには平和のかけらも無かった。
そんな中、コルツという小国に英主が生まれた。
名を「ルーツ」と言った。
ルーツは齢十七で王座を継ぐと、様々な政策を実行した。
港湾の整地や下水道、公道の設置といったインフラの整備。治安維持。軍隊の整備。隣国との関係改善。税制度の改革。国法の再編。宗教問題。
山積みとなっていた問題を英主は一つずつ片づけていった。
それらの政策は何もルーツ一人の手によって行われたわけではなく、有能な配下がいたことによってなされていった。
その中でも特に功績の大きかった五人のことを人々は「救国の英雄」と呼んだ。
マコトはその一人だった。
ルーツとその五人を中心とした治国の評判は次第に高まり、多くの民が各国の政策に耐え切れず難民としてコルツに流れてきた。
そんな状況もあって国内から領土拡張を求める声が大きくなってきた。
現実問題として、領土拡張は必須であり、ルーツは大陸を制覇することを決意する。
その政策に、あるものは迎合し、あるものは抵抗し、あるものは静観していた。
数十の戦争。数百の交渉。数千の死者。数万の兵器。
その果てに、かつての小国コルツは「コルツ王国」として大陸を制覇した。
だが、制覇後ルーツは真に倒すべき敵を知った。
魔王。
名の通り、恐るべき者たちを統べる者。
その存在が明るみに出たのは征服を終えてすぐだった。
ルーツは大陸の平和のため、新たな戦争に臨んだ。
魔の生物との戦い。交渉の余地のない、ひたすらに争いのみが続く状況。
多大な犠牲を払いつつ、ルーツは英雄たちと魔王の前に立つ。
魔王を打ち倒したとき、一人の英雄は死に、三人の英雄は何かを失い、一人は心を無くした。
無事に立つのは英主のみだった。
戦場の気候が変わり、大地はひび割れ、死滅の土地と化した。
代償を払いつつも、英主は魔王を倒し、大陸を恒久の平和に導いた。
これが今も語られる「英主と英雄」物語である。
シズルの祖父、マコトは主に軍事面で活躍した英雄で、往年は「武皇」と呼ばれた大陸最強の戦士だった。
魔王との戦争が終わった後は、軍部における指導者を歴任しつつ、自身の武を後世の人々に伝えるために「武術則本」を作成。現在でも軍の一級資料に掲げられている。
その後六十を機に軍を抜け、辺境の地にある今の住居に住み始め、晴耕雨読の生活を送っている。
「それで用は」
「そろそろ…命日だ」
「…知ってる」
「墓参りに行きたいのだが…この天気ではな」
シズルの両親は、今から十五年前、ちょうどマコトが軍を抜けた時に死んだ。
殺人だった。
当時は非常にセンセーショナルな事件として取り上げられ、国中で噂が流れた。
マコトは残されたシズルを養育することを決め、保護者としてともに生活することにしたのだ。
「また日は天気を見て決めようか」
「いや…明日行こう」
「明日?」
「ああ…思うところがある」
「そう。まあいいけどさ」
それじゃ、と言ってシズルは祖父の部屋を出る。
「シズル」
マコトが呼ぶ。
「父母がいなくて淋しいか」
この質問には驚いた。今まで触れないで来た話題だった。
シズルは一呼吸分考えてから、首を横に振る。
「そうか」
「おやすみ、じいちゃん」
「ああ、おやすみ」
相変わらず強い雨が家全体を揺らしていた。