第四話:怪物の初恋
(……あの時も、そうだった)
記憶の扉が開く。それは、今から10年前。王宮で開かれた園遊会での出来事だ。
当時6歳だったジークリンデは、些細なことで感情を昂らせ、魔力を暴走させてしまった。 「転んで痛かった」とか「蝶々を捕まえたかった」とか、そんな子供らしい理由だったはずだ。
けれど、アイゼンベルクの血が引き起こした結果は、子供らしくはなかった。
――パリンッ!!
庭園のガラス窓が全て割れ、美しい噴水が一瞬にして凍りつき、氷の華となって砕け散ったのだ。
「ひっ……! 怪物だ!」
「誰か! 騎士を呼べ! 殿下をお守りしろ!」
「なんてことだ、アイゼンベルクの娘は呪われている……!」
大人たちは悲鳴を上げ、自分の子供を抱きかかえて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。 誰もジークリンデを助けようとはしない。 遠巻きに、ただ「恐怖」という名の視線の矢を放ってくるだけ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
氷の破片が散らばる中心で、幼いジークリンデは震えていた。 自分の手が触れるもの全てが壊れてしまう気がして、動くことさえできない。
(わたくしは、ここにいてはいけない。わたくしは、みんなを傷つける悪い子……)
その時だった。
ジャリ、と氷を踏みしめる音が近づいてきたのは。
「だめっ! 来ないで!」
ジークリンデは顔を伏せたまま叫んだ。
「わたくしに近づいたら、あなたも壊れちゃう! わたくしは怪物なの!」
けれど、足音は止まらない。 やがて、温かい感触が、恐る恐る伸ばされた小さな手が、ジークリンデの冷え切った指先を包み込んだ。
「……すごいや」
頭上から降ってきたのは、罵倒でも悲鳴でもなかった。
恐る恐る顔を上げると、そこにはキラキラした金髪の男の子――7歳のエドワードが、目を丸くして周囲を見渡していた。
「見てごらん、リンデ。君がやったの? 噴水が宝石箱みたいになってる」
「え……?」
「太陽の光が反射して、すごく綺麗だ。……君の魔法は、世界で一番すごいね」
彼は屈託のない笑顔で、ジークリンデが作り出した「破壊の跡」を「宝石箱」だと笑ったのだ。
「でも……わたくし、みんなを怖がらせて……」
「僕たちがびっくりしただけだよ。君はびっくりして泣いちゃったの?」
エドワードはハンカチを取り出すと、ジークリンデの濡れた頬を乱暴に、けれど優しく拭った。
「泣かないで。君の手は、こんなに温かいじゃないか」
「……あたた、かい?」
「うん。氷みたいに冷たくないよ。僕と同じ、温かい女の子の手だ」
その言葉が、凍りついていたジークリンデの心を溶かした。 怪物でも、兵器でもない。 ただの「温かい女の子」だと、この男の子だけが認めてくれた。
(……あの日。エドワード様がわたくしの手を引いてくれたから、わたくしは今日まで生きてこられた)
回想から戻ったジークリンデは、ごしっと袖で涙を拭った。
ジークリンデは拳を握りしめ、再び戦場へと舞い戻る決意を固めるのだった。
(たとえその決意が、エドワード様の胃にさらなるダメージを与えることになろうとも――)
回想から戻ったジークリンデは、ごしっと袖で涙を拭った。
「……そうよ。エドワード様は、わたくしに『生』を与えてくださった光」
あの日の温もりが、今も忘れられない。 だからこそ、彼を失うわけにはいけないのだ。
「待っていてください、エドワード様。わたくしが必ず、貴方にふさわしい『最強の怪物』になってみせますわ!」
ジークリンデは拳を握りしめ、再び戦場へと舞い戻る決意を固めた。
勢いよく温室の錆びついた扉を開ける。 午後の日差しが眩しくて目を細めた彼女の視界に、見慣れた人影が入ってきた。
「……遅いですよ、姉上。もう昼休みが終わります」
温室の入り口にある古木に背中を預け、腕を組んで待っていたのはハインだった。
「ハイン? ……どうしてここに?」
「どうしてって……。姉上が全力疾走でここに向かうのが見えたので。放っておいて、もし中で魔力を暴走させて温室を吹き飛ばされたら、事後処理をする僕の身にもなってください」
ハインは呆れたように嘆息し、懐から冷えたハンカチを取り出すと、ジークリンデに向かって無造作に放り投げた。
「ほら。顔、洗ってきてください。そんなウサギみたいな赤い目で戻ったら、殿下が心配して胃に穴が開きますよ」
受け取ったハンカチは、ひんやりとしていて心地よかった。 ジークリンデは気づく。 彼は文句を言いながらも、誰もこの温室に近づかないよう、ずっと外で「見張り」をしてくれていたのだと。
「……ありがとう、ハイン。でも、誰も来なかったの?」
「ええ。ここから半径50メートル以内には、誰も近づけないようにしておきましたから」
「まあ。なんて言って追い払ったの?」
ハインは少しだけ視線を逸らし、事もなげに言った。
「『中で姉上が新種の食人植物と格闘中です。命が惜しければ近づかないでください』と」
「……は?」
「効果覿面でしたよ。皆、青ざめて逃げていきました」
「ちょ、ちょっとハイン!? わたくしの風評被害がさらに広がるじゃないのーっ!!」
「事実じゃないですか。……さあ、行きますよ。『最強の怪物』になるんでしょう?」
「もう! ……ふふっ、ええ、そうね。行きましょう!」
ジークリンデは涙の跡を拭き取り、弟の背中を追いかけた。 その背中が、いつの間にか昔よりも頼もしくなっていることに、少しだけ安堵しながら。
こうして、新たな「食人植物伝説」と共に、ジークリンデは復活した。 しかし彼女はまだ知らない。 この先に待っているのが、さらなるすれ違いと絶望だということを――。




