第三話:強敵、現る
「……変ですわ」
生徒会室の扉の前で、ジークリンデは足を止める。先程まで上機嫌で鼻歌を歌っていた彼女の表情が、一瞬で「公爵家の怪物」のものに戻る。
一緒にいたエドワードとハインをジェスチャーで自分の後ろに下がらせた。
「どうしたんだい、リンデ?」
「わたくしが張った結界に、反応がありません。……いえ、正確には『誰かが通過した形跡』があるのに、結界が『何も通っていない』と判断しているのです」
ありえない事態だ。 彼女の結界は、風に乗る花粉すら識別する最高精度のもの。それを誤魔化せる存在など、この国には父ジークヴァルトか、母エレオノーラくらいしかいないはず。
警戒心を最大にして、ハインがそっと扉を開ける。
そこにいたのは――侵入者と呼ぶにはあまりに静謐な、銀色の髪の少女だった。
「……遅かったのね、エドワード会長。待ちくたびれたわ」
彼女は鼻にかかった銀縁の眼鏡を中指でクイッと押し上げ、まるでそこが自分の執務室であるかのように冷ややかに言い放った。
絹糸のようにサラサラな青銀髪に知的な銀縁なメガネを掛けた美しい少女にジークリンデは混乱した。
(一体、誰ですの!? わたくしのテリトリーに土足で……!)
「ああ、ソフィアか。到着は昼になると聞いていたが、早かったんだな」
(よかった、彼女なら魔力暴走も爆発もしない。胃に優しい時間が過ごせる……!)
「……ソフィア、紹介するよ。彼女は僕の幼馴染で婚約者候……」
「ジークリンデ・フォン・アイゼンベルク公爵令嬢でしょう? 資料で見たわ」
ソフィアはエドワードの紹介を遮り、冷ややかな視線をリンデに向けた。 まるで、実験動物か珍しい鉱石を観察するような、感情のない瞳だ。
「……初めまして、ソフィア殿下。……一つ、伺ってもよろしいですか? なぜ、わたくしの結界が反応しなかったのですか?」
リンデはドレスの裾を握りしめ、震える声で問うた。 彼女にとって、自分の魔法が破られることは、エドワードを守る資格を失うことと同義だ。
ソフィアは呆れたように嘆息し、手元の書類をトントンと揃えた。
「簡単な理屈よ。貴女の結界は『高濃度の魔力』や『敵意』を感知して作動するタイプでしょう? 原始的ね」
「げ、原始的……!?」
「私は魔力を一切持たない『魔力不感症』よ。そして、ここに来たのは事務的な報告のためで、敵意など微塵もない。――つまり、貴女の自慢の結界にとって、私はただの『空気』と同じだったというわけ」
「く、空気……!」
ソフィアは薄い唇の端を少しだけ吊り上げ、嘲るように付け加えた。
「魔力に頼りすぎると、物理的な脅威に盲目になるわよ? ……これだから、脳筋は困るわね」
「まあまあ、ソフィア。リンデの魔法は国一番だから、そう言うなよ」
剣呑な空気にエドワードはまるで喧嘩する妹と友人を宥めるような態度を取った。しかし、それはリンデには逆効果だった。
(エドワード様……わたくしが馬鹿にされているのに、どうしてそんなにリラックスしていらっしゃるの……?)
「……わたくし、用事を思い出しましたので、失礼いたしますわ」
胸が痛くて泣きそうになったジークリンデはそれだけ早口で言うと、生徒会室を後にした。
バタンッ! と、普段の優雅な彼女からは考えられないほど乱暴に扉が閉まる音が響いた。
「……? どうしたんだ、急に。お腹でも痛くなったのかな?」
エドワードは本気で不思議そうに首を傾げている。 その横で、ハインは深く、深く溜息をついた。
(……殿下。貴方は今、政治的には正解かもしれませんが、乙女心検定ではマイナス100点を叩き出しましたよ)
姉が傷ついた理由を瞬時に理解したハインは、胃薬の瓶をテーブルに置いた。
「……殿下。僕は姉上の様子を見てきます。――それと、この後の会議、その『原始的な脳筋』がいないと困る議題もあると思いますので、せいぜい後悔してください」
「え? ハイン君、ちょっと待っ……」
弟もまた、部屋を飛び出した。 残されたのは、キョトンとする王子と、冷ややかに紅茶をすする銀髪の王女だけ。
こうして、アイゼンベルク公爵令嬢にとって最悪の「ライバル出現」の幕が上がったのだった。




