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第一話 井戸のあるトンネル 二、一樹

 白井、頼む、たすけてくれ。えらいことになった。お前、霊能力あるよな。みんな冗談と思ってっけど、俺は信じる。いや、信じさせてくれ、頼む。

 明石いるだろ、俺の後ろの席の。あいつ今日、休みだったろ。風邪じゃないんだ、本当は。

 本当は、あいつもう――

 人間じゃないんだ。




「芦沢、帰りにトンネル、寄らないか」

 昨日、帰り際に明石がニヤついて言ってきた。白井は知らんかもしれんけど、あいつ、右目が左より少しでかくてぎょろっとしてて、頬が込みあがってヤンキー面だろ。頭も髪が短くてゴリラっぽいし、見た目がちと怖いんで、ほかの奴は話しかけづらいみたいでね。本人は気にしてないようだから、いいけど。


「トンネル? どこの」

「学校の裏の、国道んとこだよ。なにトンネルだか名前はわからんけど」

「あんなとこかよ。遠回りじゃん」

 そのトンネルのことは初耳で、その国道じたい、よほど向こうに用事がないと通らないと思うし、じっさい、通ったことはなかった。だいたい学校の裏側の、周りに山しかないようなところだ。わざわざ行く理由がない。

 だが、明石の一言で、興味がわいちまった。

「そのトンネルな……出るんだってよ」



 黒崎トンネル、っていう名前が、入り口の上にかすれて読めた。着いたのは五時ごろで、辺りは夕闇が垂れ込めて、街灯の光が白くぼうっとトンネルを照らしてる。

 周りは四方が山で、ここはいちおう国道らしいが、道路は広くない。向こうの街道を走る車の音が時おり聞こえる。あそこから脇道に入ってここまで来るのだが、入ったって街道をまっすぐ行くより遠回りになるだけだし、わざわざ使う意味がないから、車は全然こない。人も通らない。

 俺たちはトンネルの脇にチャリを置くと、そのぽっかりあいた不気味な口を覗いた。両の壁に、横長の電灯が並んで白く照らしているので、中はよく見える。意外と長い。向こうの青黒い出口が、夜空の月みたいにまん丸く、虚ろに見えている。



 さっそく足を踏み入れる。どれだけ年月が経っているか分からないが、壁は黒々として、天井から滴る水がその肌をぬらし、下の排水口まで流れ落ちている。風もなく、秋口でも寒くはない。

 明石の話では、この壁のどこかに、幽霊の姿が浮き出ている、とのことだった。だが心霊スポットだというのに、気持ち悪い雰囲気とか、まがまがしさとかは、まるで感じない。むしろ外よりあったかくて、心地いいくらいだ。電灯のせいで暗い感じがないのも原因の一つだろう。

 本当にここか、よそと間違えてないか、と聞くと、明石はぎょろ目をさらにぎょろつかせて、「んなこたぁねえ、ネットで見たんだよ」と否定した。声が反響してわんわん鳴ったが、なにも怖くもない。だんだん飽きて帰りたくなった。



 だが、半分ほど行ったときだった。

「……おい」

 後ろで急に押し殺すように言うので見ると、明石が膨らんだ頬を電灯にテカらせて、壁の一点を見つめている。

 俺も見た。

 ぎょっとして固まった。


 それは、おそらく上から垂れてきた粘液の塊だろうが、色は黄色がかった緑色で、べったりとした気味の悪い感じだった。が、問題はその形だ。縦に細長くて、逆「くの字」みたいにゆるく曲がっているのだが、上の方にくびれのようなへこみがあり、胴体に落花生の殻状の頭が乗っているように見える。しかも、その「頭」のところが左側にややかしいでいて、そこだけ妙に人間ぽくてかなり気味悪い。さらに不気味なのは、「胴体」の左側から、細い二本の粘液がにゅっと突き出て、まるで動物が短い手足をそろえて垂らしているように見えることだ。全体は、一見してイタチかなにかのげっ歯類を思わせる。長さは三十センチはありそうだ。


 だが形だけなら、まだなんてことはなかったろう。俺たちを本当にぞっとさせたのは、そのかしいだ頭のところに粘液のない部分が三つあり、それがちょうど、人間の二つの目と口みたいに見えることだ。目の部分は丸い穴が二つ並び、その下に口のような横長の切り込みがあって、どれも向こう側の黒い壁面が見えて、まるで見開いた黒目と、おもむろにひらいた口そのものだった。目の形は周りがひしゃげて、瞳もないのに、こっちをにらみつけるような、まがまがしい視線すら感じる。口も、その端がぐにとひん曲がり、まるで悪意を持って嘲笑っているようだ。


 そんな短い手足を垂らしたイタチのような形が、凶悪な視線を持ってかしいでいる姿が、水に濡れた壁の上に出来上がっていたんだ。それが今、俺たちの目線のちょい上にある。これが落書きなら、誰かのいたずらだろう、で済むが、これはどう見ても自然の産物だから、よけい気持ち悪かった。もちろんこんなのは、トンネルの上に溜まった泥や木が腐って入り込んで、上から垂れて溜まったってだけで、偶然できたものに過ぎないと頭では分かっちゃいるが、それでもすごく嫌だった。

 こんなもんほっといて、さっさと帰りたい。そう思う前に、明石が背を向けて戻りだしたんで、慌てて追った。てっきり写真でも撮るんじゃないか、それは勘弁してくれ、と思ったが、それはなかった。そうか、こいつも一刻も早く離れたいんだ、と安心した。


 ところが、そうじゃなかった。

 こんなもん、まるで比べ物にならないくらい、もっともっと、死ぬほど恐ろしい悪夢が、俺を待ち受けていた……。






 入り口に戻って、あきれた。野郎、怖がるどころか、でかい右目をきらきら輝かせて、興奮してやがる。

「すげえぞ芦沢、あれ、本物だぜ!」

「な、なに言ってんだお前。あんなの、自然現象だろ」

「ちがうちがう、これ見ろよ」

 奴が差し出すスマホには、「井戸のあるトンネル」の情報が出ていた。

「……壁に霊の姿が浮かび上がるという。また、山を抜いて作ったこのトンネルの上には、小さな公園があり、その真ん中に枯れ井戸がある。トンネルが掘られるまで、使われていたものらしい」

「……だから?」

 聞き返すと、明石は鈍いなコノヤロの顔で舌打ちした。

「いいか、このトンネルの上に公園があり、その中に井戸があるんだ」

「それで?」

「それでな、もしあの粘液の真上に井戸がある場合、あれは、その井戸の底から出てきたことになる。つまり、その井戸を調べれば、あの化けもんの正体が分かるかもしれねえ、ってことだ!」


 俺はすごく嫌だった。だが、どこかで面白がってもいたのは事実で、結局、押し切られちまった。今じゃ、本当に後悔してる。なんであのとき、明石をぶん殴ってでも引きずって帰らなかったのか。でも、今さら取り返しはつかない……。




 トンネルの脇の階段を上がると、確かに小ぢんまりした公園があった。こんなとこ、誰も来るとは思えないのに、草ぼうぼうじゃなくて、ひらけていた。誰か管理してるんだろうか。

 井戸は真ん中にぽつんとあった。街灯なんかないが、月明かりが、井戸の四角い形を蒼白く照らしていて、薄気味悪かった。近寄ると、井戸の上には蓋がしてあって、上にでかい石が乗っている。俺は不安が倍増した。

「おいこれ、ヤバいからふさいであるんじゃないのか? あけたらガスでも出るとかさ」

「なに言ってんだ、ガスじゃ石ぐらいじゃ済まねえよ。もっと密閉するだろ。

 ……おい、まあ、待てよ。ここまできてよ、見ないで帰る手はねえだろ。こんな機会、めったにねえんだ、もったいないだろ。二人なら持てるぜ。

 ほら、そっちつかんでくれ。大丈夫だって、ちょっと見たら、すぐ帰るから……」


 俺はしぶしぶ手伝った。二人だと石はたいして重くなく、とん、と鈍い音を立てて地についた。鉄の蓋は井戸より外に何センチかはみ出して被せてあり、こっちは楽に動かすことができた。ずらすと黒い隙間があき、穴の半分ほどのところで止め、三日月の不恰好な口があいた。覗くと飲まれそうに真っ黒な空間だった。そのとたん、たちまち鳥肌が立つような不快に襲われ、奴の脇に逃げて言った。

「は、早くすましちまえよ」

「分かってるって」

 奴は用意よく持ってきた懐中電灯で、穴の中を照らした。不快さはますますつのってきた。奴を井戸から引きはがそうと、何度も手が伸びたくらいだ。でも、結局、出来なかった。


 明石は穴を覗きながら、ふと何かを見つけた顔をした。

「ん? どうした?」

 横から声をかけても、奴は固まったまま動かない。と思いきや、いきなりこっちに飛び出して手首をがっと握り、狂ったように走りだしたんで、あせった。

「な、なんだよ、どうしたってんだ?!」

「逃げろ! いいから、逃げろ!」




 公園の外に出て、息を切らしてしゃがむんで、俺もしゃがんで顔を見ると、恐怖でまるで別人のように引きつっちまってる。こうこうと照る月明かりを受けて、白塗りみたいに見えたんで、本当にまっさおだったんだろう。

 あまりのことに、俺も声が震えた。

「ど、どうした明石、なにがあった。なにを見た……?」

「や、やべえよ、絶対、やべえよ……」


 いったん言葉を切り、地面をぎょろ目で見つめながら、続けた。

「最初は、やっぱ、なんもねえな、と思ったんだ。井戸の壁についてる、ごつごつした黒い泥の塊ばっか見えたからな。ところが底に、なんか色のちがうもんがある。なにかと思って見てると、そいつがいきなり顔を、ひょいっ、てあげたんだ。そいつはまん丸い顔で、丸い目が並んで二つ、その下に横長の口があって、笑ってるように口元があがってるんだ。

 すぐに分かった。さっき、俺たちが下で見た、壁に張り付いてた、あいつなんだよ! あれは、この井戸とトンネルのあいだを、行ったり来たりしてるんだ。そんなことするなんて、どう考えても、この世のもんじゃないだろ?」

 あまりのことに、俺は口がきけなかった。

 明石は、また続けた。

「……あ、あいつ、下で見たときと違うとこがあった。目だ。下じゃ、ただ穴があいてただけだが……。今ここで見たあれは、どう見ても、人間の目だった。白目に黒い瞳があって、それが二つ並んで、井戸の底から俺をじっと見上げてた。ただ口と違って、目はまるで笑ってねえ。感情なんかないんだ。ただ、口だけがにやにや笑ってるんだ。やばいぜ、ありゃ、どう考えてもやばい。とっととこっから逃げねえと――」


 そこで奴の言葉は切れた。ぎょろ目が飛び出そうにむいて、俺を見た。それが、生きてる明石の顔を見た、最後だった。


 奴はいきなり地面に顔を叩きつけて後ろにざざーっ! と下がり、「たすけてくれえええ!」と叫びながら、そのまま公園の中に引きずられていった。

 あとを追うと、奴の片足からなにか長いものが出て、それが井戸に繋がっていた。あいつが、さっき明石が言った化け物が、井戸から長い手を伸ばして奴を引っ張ってるんだ。俺は捕まえようと走ったが、速すぎて追いつかない。


 いや、もう、白井に嘘は言わない。ヘタレと思ってくれ、軽蔑してくれ。全力で走ったりしなかった。俺の足は、公園に入るだけで精一杯だった。敵が速かったんじゃない、俺がわざとスピードを落としたんだ! そりゃそうだ、だって俺まで殺されるかもしれないんだぜ。

 明石は見る見る井戸に近づき、足から中にずるっと吸い込まれた。「芦沢、たすけてくれえ!」って何度も叫びながら……真っ暗な井戸の穴に消えていった。




 俺は落ちそうになりながら階段を下りた。早くチャリで逃げなきゃいけないのに、どうしても俺の足はトンネルのほうを向いた。気になってしょうがなかった。あれだけ恐怖におののいたのに、いや今だって凍り付いてるのに、異常に冷静だった。どうしても、どうしても、見ないではいられなかった。

 俺はトンネルに入った。あの粘液を見た、真ん中ぐらいの場所まで行くと、さっきと同じように壁を見上げた。壁面には相変わらず水がたらたら流れて、足元まで落ちている。なにもない。黒ずんだコンクリの壁ばかりが、空みたいに目の前を広がっている。閉ざされた空みたいだった。ただ恐怖だけが押し込められて、どこへも行き場のない、暗く閉ざされた空だ。


 俺はしばらく見ていた。そのうち、それが天井あたりから現れた。黄色がかった緑色をした気味の悪い粘液。あのかしいだイタチのような形で、両手足をだらんと下げながら、濡れた壁面をずるずる下がってくる。ただ、その目は前に見たのと同じただの穴で、人の目じゃなかった。

 そこで逃げ出すべきだった。そもそも、トンネルに戻るべきじゃなかった。だが俺は憑かれたように逃げもせず、ただじっと壁を見つめていた。なぜなら、天井辺りから、もう一つの何かが、イタチと同じように顔を出して、ずるずると降りてきたんだ。俺の目は釘付けになった。

(ああ、やっぱりだ……)

(恐れていたとおりになった……)

(早く、逃げろ……!)


 それでも、俺は動けない。恐怖に凍りつく俺の前に、二つ目の粘液が下りてきた。それは、どす黒い玉のような塊の真ん中に、赤みがかった黄色いものが乗っていた。右目が左より少しでかく、頬が込みあがった、いかつい顔だ。鼻も口も平べったくなって、黒い玉に張り付いてはいるが、それは明らかに、変わり果てた明石の顔だった。粘液と化し、壁をずるずる降りてきた奴の目が、ぎょろりとこっちを向き、口が動かないのに声を発した。地の底からわきあがるような声だった。

「ア、シ、ザ、ワ……ニ、ゲ、タ、ナ……オ、マ、エ……! ニ、ゲ、タ、ナ……! ニ、ゲ、タ、ナ……!」

 くぐもってはいたが、間違いなく明石の声だ。聞こえるや、俺は絶叫して入り口に向かって駆け出していた。チャリもほっといて、狂ったように走って逃げた。どこまでも滅茶苦茶に逃げた。気づけば繁華街にいて、休業中の店舗のシャッター前にうずくまって、人気がなくなるまで膝を抱えていた。




 まだ、おまけがある。これが一番大事かもしれない。


 重い体を引きずって家に帰った。布団に入ったが、眠れるわけもない。そのうち、嫌な気配が窓の外にして、見たら、息を呑んだ。窓ガラスの隅に、黒いものがちらっと見えている。そして、泡を吹くような、あの声が聞こえた。

「ア、シ、ザ、ワ……イ、ル、ノ、カ……ア、シ、ザ、ワ……!」

 そのまま朝まで一睡もせず、かっと目を見開いていた。奴がどうして入ってこなかったのかは、分からない。でも白井、奴が、明石が、俺を探してるのは確かなんだ。たぶん、俺を自分と同じようにしたいんだろう。




 これが話の全部だ。

 なあ白井、頼む。たすけてくれ。もう頼れるのはお前だけなんだ。面白がって、あんなとこに行った俺たちも悪い。もう二度と行かない。反省してる。だから、お願いだ。たすけてくれ、白井。

 放課後、下駄箱の裏で待ってる。

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