表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

第五話 首絞めジャンパー

 よく霊に好かれる。

 いや、正確には嫌われる、か。


 奴らは生きた人間を憎んでいて、接触できるや、寒気を起こして気持ち悪がらせたり、恐怖に慄かせたりと嫌がらせをしてくる。奴らは悲しい、孤独だ、と白井ののによく言われる。だから向こうに引き込んで仲間にしようと、まずは相手を自分たちの味わっている境遇と同じにして、落ち込ませる。心身を弱らせて絶望まで持っていけば、あとは命を取るだけだ。ほとんど通り魔である。


 奴らがああなったのは俺のせいじゃないが、そんなの関係ないのだ。ただ必死なのだ、呪われたその身をなんとかしようとして。

 だが、何人生きた人間を犠牲にしようが、奴らが救われることはない。救えるのは、霊を成仏させる神通力を持つ霊能者だけだそうだ。


 俺は芦沢(あしざわ)一樹(かずき)。八王子の回葉(めぐりば)高校に通う二年生だ。俺にも白井や星野小百合さんみたいな霊感が少しはあるらしいが、だからってそれを活かして生きようとは思わない。俺はただ普通に平穏に生きたいだけだ。白井はプロになる気満々らしいが、俺はごめんだ。

 星野さんや、そのお師匠の橘さんはかっこいいとは思うが、人を恨んで呪ってくるような陰気な悪霊どもと年中付き合うようなパワーは、俺にはない。親友だった明石が妖怪にやられて、白井と星野さんが奴を救ったのを見たときは少し憧れたけど、冷静に考えたら無理だ。

 でも、あの三人なら、霊能を仕事にするのも分かる。だって、彼らはみんな普通じゃない。


 白井ののは、クラスでは笑い話に混じって普通を装ってはいるが、本当は長年、心霊現象と親しんできたつわものだ。本人が言ってたんだから間違いない。今までに死んだ地球上の全ての生物の霊が見えた、って話をされたときは、さすがに正気を疑った。

 だが学校では彼女とあまり話さないようにしている。自慢だけど、理由はよく分からないが(って、まあ顔なんだろうが)、俺はなぜか女子にえらく人気がある。あまり親しくすると、白井が殺されかねない。



 以前、星野さんの寺の花見に呼ばれたとき、橘さんと話す機会を得た。彼はずんぐりした体型で顔の堀が深いので、年齢がかなり高く見えるが、まだ五十くらいらしい。そういえば白髪は全然ないのに禿げてもいない。こういう仕事をしていると若返る、とかあるのだろうか。


「ん、どうしたね、芦沢くん?」

 言われて、はっとなった。見とれてるとでも思ったのか、目を細めた。

「あ、ええと、しょうもない質問なんですが」

「いいよ、こんな席で遠慮なんか。なんでも言ってみなさい」

「あの、その髪は染めてらっしゃるんですか?」

「うん? そう見える?」

「い、いえ、そういうわけでは」

「はははは、面白いね、君は」

 笑って自分の黒髪を指す。

「これは地毛だよ。まあ私は下手すると七十くらいに見えるからねえ」

「ええっ、そんなことは」


「君は誠実なところがいい」と酒のコップに口をつける。「なにか悩みがありそうだね」

 どうして分かるんだろうと驚いたが、ベテランの霊能者だ。そのくらいは感じ取るのかもしれない。

 俺は正座し、改まって言った。

「実は、ほかに質問があるんです」

「ん? なにかね」

「どうしたら怖がらないようになれるでしょう。恐怖をコントロールする、というか」


 橘さんはしばらく黙ってくれたので、俺は言葉を続けた。

「前に親友が妖怪に襲われたことがあって。俺、あまりに恐ろしくて、その場を逃げることしか出来なかったんです。それが今でも悔しくて」

「プロでもないんだから、なにも出来なくて当たり前だよ。自分を卑下することはない。たとえば、私だって犯罪者に会ったら警察を呼ぶよ。彼らと戦うのは警官の役目だからね。それと同じだよ」

「でも、俺に霊感があるから、そういうのが寄ってきたんですよね? これからもそういうことがあって、また誰か大事な人を失うかもしれない。それが嫌なんです」


「うーん、そのために、とりあえず恐怖をなんとかしたい、というわけだね?」と腕組みする橘さん。

「はい。なにも出来ないかもしれないけど、怖がって動けなくなるよりは、マシじゃないですか」

「確かに、恐れで身動きできないと、解決の道が閉ざされてしまうからなぁ。

 ただ、私だって霊は怖いんだよ」

「橘さんもですか?」

「そう。それでも、やるときはやらなくてはならない」

 そう言うと橘さんは座りなおし、真剣な目で見つめた。


「恐怖をなくすってのは出来ないが……。少なくとも、自分が動けるくらいに抑える方法は、ある」

「ど、どうすればいいんですか」

「知る」

「しる?」

「そう、自分のことを正確に知っておく。自分は、こういうときに恐怖を感じるんだと、あらかじめ分かっておくことだ。逆に『怖がっちゃいけない』とか、『俺はこんなの怖くない』とか否定すると、恐怖が倍増する。嘘をついてるのと同じだからさ。自分に正直でいれば、たいていのことは大丈夫だよ。酷いことになるのは、物事を正確に分かっていない場合がほとんどだ。


 凶悪犯罪なんかも、たんに自分のしていることを正当化して、自分の本当の気持ちを無視して知ろうとしないから出来る、ってだけだ。たとえば何かでムカついて、『弱いものいじめしてやろう』と思っても、『自分が今、酷いことをしてる』って分かっちまったら、やる気なくすだろ?」

「た、たしかに」

「我々には、それくらいのことしか出来ない。だが同時にそれは、決定的なことでもある。知ると知らないとじゃ、えらい違いだよ。

 まあ霊に会って怖いと思ったら、否定せず、素直にそれを受け入れることだね」


「でも、怖がるのはみっともない、って思われるじゃないですか」

「それで怖がらないように頑張ると、もっと怖くなって、もっとみっともない、と言われる」

 そう言ってニヤリと笑う橘さん。いたずら小僧みたいだ。こんな顔もするんだ、この人。

「世間の言うことの八割は、話半分に聞いとけばいいよ。言うとおりにして失敗しても、誰も責任なんか取らないから。世間さまったって、そんなに偉いもんじゃない。いい加減なもんだよ」

「八割もですか」

 すごいことを言う人だと思ったが、聞いてると気が楽になった。星野さんが尊敬してるのも分かる。彼の声も、雰囲気も、なんかふわっと安心できるものがある。どっしり安定、ってんじゃなく、もっと軽い。白井の話だと、それで時には星野さんに適当な人と思われてしまうようだけど。

 ただ、恐怖のコントロールについては分からなかった。霊が目の前に現れたとき、今それを自分が恐れているんだと分かったからって、本当に恐れを抑えられるのか。自信がない。実際にそういうことが起きてみないと。

 ところが、その機会はすぐにやって来た。




 その日は日曜で暇だった。することもなく近所をぶらついていると、よく行く古着屋で深緑のジャンパーを見つけた。札を見ると、どこかアフリカ辺りの国からの輸入物らしいが(一度で覚えられないような国名だった)、触ると綿はふっくらしてるし、サイズもぴったりのM、色落ちもしてないうえに値段も安く、かなりの拾いものに見えた。即座にレジに持っていくと、アフロで白い制服に緑のエプロンをした陽気そうなお兄さんが会計した。


 木枯らしの中、家に帰ると、自分の部屋で袖を通した。暖房がきくまで数分かかるから、着心地を確かめるのにちょうどいい。めんどいから試着しないで買っちまったんで、ためすと、思ったとおり、袖の長さも深さもぴったり、ふかふかであったかい。思わずにやりとするくらいの良さだ。こういうのは動き回ると暑いんだろうが、寒いよりはマシだ。

 いや、買ってよかった。着ていたいので暖房を切っちまったほど気に入った。

 部屋でずっとこんな分厚いものを着てても何も言われない。今日、家族は夕方まで誰も帰ってこない。のんびりしようと、マンガを引っ張り出し、ベッドに座って読んだ。


 ところがそのうち、背中に変な感触があるのに気づいた。石でも入ってんのか、と上から手でその辺を探ったが、何もなさそうだ。なのに、妙な異物感がある。背中の真ん中よりちょい右ぐらいの位置だ。なんだろう。やっぱり小石か。虫だったら、やだなぁ。でもまあ、異物といってもそんなに実感がなく、豆粒みたいに小さいようだから、そんなに気にならないし……いいか。


 また下を向いてマンガに集中した。すると、また。

 もぞっ。

 はっと顔をあげる。なんだ。やっぱ、なんかあるぞ。今、確かに動いた。さっきの背中の位置で、豆みたいに小さいものが、かすかに震えたのを感じた。

(やだな)(やっぱ、虫でも入ってんのかな……)


 チャックを下ろしてジャンパーを脱ぎ、ベッドに広げて裏から表から満遍なく手で伸ばして調べた。だが、指にはなにも感じない。でも確かにさっき、背中に感じたのだ。強く押しても分からないほど分厚い綿じゃない。なにか入ってたら触れるはずだ。

(おかしい)(やっぱ、気のせいか……?)


 エアコン切っちまってて寒いので、俺はまたジャンパーを着た。どう考えても変だが、調べても何も見つからないんじゃ、しょうがない。あんがい気のせいかもしれない。

 ベッドに座り、またマンガをひらく。夢中になってきたとき、いきなり背中の一点に。

 つんっ。

 えっと振り返る。むろん誰もいない。白い壁があるだけだ。だが今たしかに、何かに背中をつつかれた。気のせいじゃない。

 なんだよ、まったく。


 再度ジャンパーをぬいで広げて調べる。やっぱり何もない。おかしい。

 だんだん気味悪くなってきた。



 ここで着るのをやめて、捨てるなりすりゃ良かったのだ。だが寒いせいで、またはおってチャックをあげちまった。あとで思うとこれもおかしかったが、寒さが異常だった。風邪とかの寒気じゃない。もっと嫌な、何かに脅かされるような。まるで何かが、これを着させようと仕向けてるみたいに……。


 とにかくジャンパーを着込むと、またベッドに座った。もうマンガどころじゃない。絶対に変だ。何かか起きている。だがなんだ。分からず、しばらく丸くなって震えていた。

 すると――。

 ずるっ。

「うわああっ!」

 あまりに生々しい感触に、思わず叫んで目が見開いた。また振り返ったが、やっぱり誰もいない。白い壁だけだ。だが今、確かに背中に何か細いものが押し付けられ、下にぐっと押されたのだ。この感覚は、虫とかじゃない。額に冷や汗が垂れた。


 これは――指だ。

 人の指先だ。


 それが分かったとたん、敵はいきなり数を増した。いくつもの指が平行に並び、背中の上から下へ、えぐるようにずずっ、と降りる。背筋が一気にぞくっとして、飛び上がった。だが相手は何度も何度も執拗にその動きを繰り返す。

 ずずっ、ずずっ、ずずずっ……。


 やっと分かった。背骨の右側と左側にそれぞれ五本の指があり、それが背にぐっと押し付けられたまま、下にずるりと下がる。つまり俺の後ろに誰かいて、そいつが両手の指を背中に押し付けて、上から下へ何度も掻いているのだ。そして、そいつの姿はどんなに後ろを見ようが見えない。手で背を探っても何も掴めない。姿がないのだ。なのにこうして背中を指で引っかいている。

 ということは……。


 こいつは、この世のもんじゃない。

 霊だ。

 あるいは、たちの悪い妖怪か。


 どう考えてもジャンパーに原因があるので、慌てて脱ごうとしたが、胸のチャックがどこかに引っかかったのか、下がらない。脱げない。

 なんてこった。


 焦る俺の背を、ますます、ずずっ、ずずっ、と掻きまくる二つの手。そのうち、腰のあたりにも始まった。どうやら、敵は二人いるらしい。俺の後ろに二人の人間がいて、それぞれ背中の上から下から、爪を立てて指で掻いている。しかも、それらはだんだん上にあがってきた。

「た、助けてくれえええ――!」

 思わず叫んでもがいても、奴らは離れようとしない。あまりの恐怖に汗だくになり、心臓がばくばくいっている。もうダメだ。引き裂いてでも脱いでやろうと、襟を両手で掴んで引っ張ったが、びくともしない。指はついにうなじに達した。

 そして、次の瞬間――。


 「うがっ――!」

 俺は息が詰まった。

 指がいきなり俺の首を、後ろから、がっ! と力強く絞めてきたのだ。節くれだった数本の指が俺の喉に食い込み、頭にぐわっと血が昇った。声が出ない。意識が朦朧とし、目の前がぼやける。

(殺される……!)(助けて……!)

 だが指は少しも力を緩めず、ぐいぐい俺の喉元を絞めつけてくる。


 凄まじい恐怖に凍り付きながらも、俺はふと、あのことを思い出していた。

(……自分のことを正確に知っておく)

(自分は、こういうときに恐怖を感じるんだと、分かっておくことだ……)

 橘さんの言葉が、俺の焦りを一気に静めた。俺は胸のチャックをいったん上にあげ、また、ゆっくりと下ろした。ジーッ、と鈍い音を立て、前があくやいなや、俺は右手で襟を掴み、体から一気にジャンパーを引き剥いだ。床に、バン! と叩き落とすと、首にあった指の感触は電源が切れたように、ふっと消えた。

 俺はベッドに崩れ落ち、しばらく息を荒らげた。

(た、助かった……!)

 洗面所に駆け込んで鏡を見ると、俺の喉元に、数本の蒼白い指の跡が、くっきりと付いていた……。



 こいつをどうしてくれようかと思ったが、そのまま捨てるなんて気持ち悪くて出来ない。店に突き返したとしても、向こうもおそらくこのことを知らずに売ったと思うから、どうすりゃいいか分からないだろう。それにこう言うと悪いけど、あの陽気なアフロのあんちゃんが、これに適切に対応するとは思えない。またこのまま売られたりしたら、えらいことだ。

 これはやはり、どこかでお祓いしてもらって……そうだ、星野さんに頼んで――。

 そこで固まった。


 また頼るのかよ。

 考えたら、こういうときに頼ってばっかじゃねえか、俺。


 そりゃ橘さんの言うとおり、確かに俺はいちおう一般市民で、警察じゃない。犯罪者を自分でどうこうする義務はないのと同じで、霊のことは専門家に頼って当然だ。でも今の俺は、霊の世界にもう半分以上足を突っ込んじまってる。

 このことで、はっきりと分かった。俺には霊感がある、確実に。でも霊が見えても、今みたいに襲われるだけで、自分でどうこうできない。今だって、橘さんの言葉を思い出さなきゃ、死んでいたはずだ。


 恐怖が薄れると、だんだんむかついてきた。畜生、自分の手でなんとかしてやる。また恐ろしい目にあう可能性はあるが、そのときは、知ったこっちゃなかった。

 俺はハサミでジャンパーをジョキジョキと切り裂いた。なにかが飛び出してきそうで恐ろしかったが、今までのことからして、こいつは着さえしなければ大丈夫だと思った。

 布をむいてベッドの上で広げると、人型をした綿の塊になった。綿を指でつまむと、中に違う感触がある。ちぎってみると、白い布のようなものが出た。俺は綿を丹念に取って全部むいてみた。


 出てきたものを見て驚いた。人の上半身の形をした黒ずんだ白い布だ。これを綿でくるみ、その上に緑の生地をかぶせていたのだ。この広い人型の布が、ジャンパーの中いっぱいのサイズで入っていた。

 顔の部分に、目みたいなゆがんだ丸い穴と、口のような切込みがある。口の部分は端がぐにゃりと反って、なにかあざ笑っているように見える。さっき着たとき、こいつが俺に後ろから覆いかぶさって張りついていたわけだ。

 ぞっとした。

 なんだこれ。


 おそらく呪いとかまじないとか、なにかの儀式に使う人形みたいなものだろう。さっき俺は、こいつに殺されかけたのだ。アフリカのどこかの国から輸入されてきた奴だ。そういうヤバいのが間違って混じってくることも、考えられないことじゃない。


 そう思っていると、不意に家のドアをバンバン叩かれ、びくっとした。誰だよ、普通はチャイムだろ。

 慌てて出ると、なんとそこには、今しがた思い出していた人物の顔があった。

「み、店のお兄さん……!」

 ドアの向こうにいたのは、あの陽気なアフロのあんちゃんだった。店にいたのと同じ白い制服なので、あそこから直行してきたのだろうか。しかし、なんでわざわざ。

 彼は以前と打って変わって深刻そうな、それでいて、どこかほっとしたような顔で俺を見つめた。

 いったい何かと思っていたら、彼が口をひらく前に、その後ろから声がした。これも聞きなれた、あの人の声だった。

「いや、間に合って良かった。ちゃんと生きてるようだね」

「た、橘さん!」

 あんちゃんの背後からひょっこり出た顔に思わず叫ぶと、彼はいつもの優しげな目を細めた。



 彼の話を要約すると、こうである。

 俺があの店でジャンパーを買ったあと、ものの数分もしないうちに彼が通りかがった。そこは彼の学生時代からの古い友人のやっている店で、今日はその息子さんが店番をしていた。もちろん、あのアフロのあんちゃんである。が、橘さんは彼を亮介(きょうすけ)くんと呼んでいるので、今後はそう呼ぶことにする。


 亮介さんは、いつも気さくな橘さんが異常なほどに深刻な顔で入ってきたので、驚いた。

「ど、どうかなさったんですか?」

「いや実はね、ちょっと聞きたいことがあるんだ。私が来る前に、誰かここへ来なかったかね?」

「ええ、ほんの五分くらい前に、お客さんが一人。ジャンパーを買っていきましたが」

「そのお客は、高校生くらいの歳の、小柄でえらく美形な少年じゃなかったかね」

「そうそう、ジャニ系の、そりゃあもう女の子にモテてそうな可愛い顔の子でした」

「やっぱりそうか……」


 橘さんは合点がいったように自分の顎を掻くと、険しい目を変えずに続けた。

「実は、今日の仕事の現場がこの近くだったんで、終わってからここへ寄ってみたんだが……。店に近づいただけで、身の毛もよだつようなおぞましい感じがしてね。かなりの悪霊がいると思って入ると、気配が薄れた。ここには霊がいた痕跡だけが残っているようなんだ。それで、どうもこれは、その悪霊が憑いた服を誰かが買っていったんじゃないか、と思ったんだ」

「そうだったんですか。すいません、私には霊感てのがまるでないみたいで、ぜんぜん気づきませんでした」

「いや、君はちゃんと仕事をしたまでで、落ち度はないよ」


「でも、買った相手のことまで、なんで分かったんですか?」

「彼の気配もここに残ってた。知り合いでね。けっこう霊感が強い子で、よく霊とかあやかしの類に『好かれて』困るらしい。その恐ろしいジャンパーを買っていったとすると……着る前にやめさせないと、大変なことになるかもしれん」

「その子の住所とか、分かりますか?」

「知り合いの知り合いに聞けば分かるが、時間がない。だが、この霊気をたどっていけば、彼の家に着けるかもしれん」

「私も行きます。なんか責任感じるし、何かお役に立つかもしれないし。……ごめん、ちょっと店、頼む。すぐ戻るから」

 バイトの子に頼むと、亮介さんも一緒に店を出た。橘さんはお札を指でつまんで風になびかせ、それの向く方向に歩いていった。悪霊の残した気を、お札の先から感じ取るのだという。これほど強く気が残るからには、相当強い悪霊だ、と気配を追いながら橘さんが言った。時々途切れたりして時間はかかったが、それでどうにか俺の家にたどり着いた、というわけだ。



 話し終えると、橘さんは急に気まずい顔になった。

「そうだ、考えたら、ののちゃんに君の電話番号を聞けば、君にそのジャンパーを着ないように言えたんだ。いや、すまん。我ながら、なんというボケだ」と頭を掻く。

「いえ、白井に電話は教えてませんので……」

 俺の言葉に、彼は意外そうな顔をした。

「なんだ君ら、付き合ってるんじゃないのか?」

「全然そんなことありません。友達ですらないかも……」


 考えたら、白井とは学校でも最低限の会話しかしない。前に言ったように、あまり喋ると周りがめんどくさいってのもあるが、学校以外でも、何か事件でもない限り会うことはまずないので、ただの知り合いでしかない。

 だが、俺らは霊の世界と縁があるせいで、こういう非常事態がお互いにいつ起きるか分からない「間柄」でもあるんだから、電話番号くらいは教えあっといたほうがよさそうだ。そうだ、これを機会に、あいつに俺の電話を……。

 だが今は、その前にしなきゃいけない重大なことがある。

 俺は二人を部屋に案内した。



 ベッドに広げて解体してある問題のジャンパーは、そのままそこにあった。見るや顔をしかめる橘さん。亮介さんすら、その黒ずんだ不気味な人型には眉を寄せた。

「こんなものが、中に……」

「そうなんです。入ってました」と彼に説明した。「これやっぱり、呪いかなんかの紙なんですかね?」


 俺はさっきの恐ろしい体験をかいつまんで話した。亮介さんはさらに蒼ざめ、橘さんの顔はますます険しくなった。「ちょっと失礼するよ」と人型をつかみ、裏表を満遍なく見回した。

 見ながら、不意にぽつりと言った。

「これは――紙じゃないね」

「えっ、じゃあ、なんなんです?」

 俺の言葉に、彼は鋭い目を向けて言った。

「皮膚だよ、人間の」



 亮介さんがあとで調べたところ、あのジャンパーはアフリカの某国から他の上着類と一緒にまとめて仕入れたものだった。向こうの問屋に問い合わせて調べてもらったが、結局、どこの誰から買ったものか、特定はできなかったそうだ。

 そこで橘さんが人型を霊視したところ、強烈な怨念を発しており、それはどうも現地で、なんらかの理由で殺された人――彼が言うには、おそらく二十代前半くらいの男性――の上半身の皮を剥ぎ、乾かしたものを、犯人がジャンパーの綿の中に隠し、日本向けの輸出商に売り飛ばしたものらしい。そうして海を渡って日本へ来た「人間の皮入りジャンパー」を、奇しくも俺が買ってしまったというわけだ。

 紙を切り抜いて作ったと思った目や口と思しき穴は、実は本当に生身の人間のそれだったわけで、俺はそれを聞いて、改めて背筋が凍る思いをした。


 この「人型」には殺された被害者の霊が憑いており、俺がジャンパーに袖を通していたとき、彼が背中から覆いかぶさっていたのだ。そして自分と同じ境遇にせんと、背中を引っかきながら、ついには背後から首を絞めたのである。もしあのとき俺が脱がなければ、そのまま殺されて、彼と一緒にこのジャンパーに憑いていたはずだ。


 そういえば、首を絞められていたとき、腰の辺りをもう一対の指がつつき始めていた。ぞっとすることに、俺の前に、すでに殺されていた人がいて、彼もあのジャンパーに憑いていたのだ。もし俺が殺されていたら、俺は三人目になっていただろう……。



 これはれっきとした殺人事件であり、現地の警察にこれを証拠として送り返さなくてはならないが、このまま返したのではまずいという。今のところは着なければ何の現象も起きていないが、放置すればするほど霊の力が増すので、そのうち置いてあるだけで霊障を起こすようになるらしい。


 そこで今はとりあえず札を貼って霊を封印し、霊能協会から団員を現地に派遣して浄霊を行うことにした。輸入先の某国には霊能者の団体がないので、こちらから人を送り、地元の警察らと協力して事件を解決するしかない。橘さんが手配することにし、事件はこれでいったん収束した。





 別れ際、俺はこれ以上ないくらい真剣な顔で橘さんに言った。

「お願いがあります。橘さん、俺を弟子にしてください」

 そして頭を深々と下げた。彼が何か言うまで、そのまま動かなかった。

「芦沢くん、顔をあげてくれ」

 言われて見れば、橘さんは腕組みし、への字口で眉を寄せ、目を細めていた。やはり困っている感じだが、分かっていても言わざるを得なかった。このままじゃ嫌だ。絶対に嫌だ。

 と、彼が目をあけた。


「まず、理由を聞きたい。どうしてかね?」

「俺、霊能者になりたいんです。今日のことで、本気でそうなりたいと考えました。

 俺は白井と同じで、霊から逃げられない。一般人のつもりでいても、向こうから追ってくるんです。次も必ずあるでしょう。そのときに、同じように、ただジタバタして終わるのは嫌なんです。自分でなんとかしたいんです。

 それに前にも言いましたが、俺が霊を引き寄せたせいで誰かが犠牲になるかもしれない。そんなのには、もう耐えられないんです。どうか、お願いします」と、またお辞儀。

「まあ芦沢くん、頭をあげて。


 ……ええとね、私の知っているクライアントで、もう何十回も霊に憑かれたり、妖怪に付きまとわれて、もうすっかりうちの常連になっている人がいるんだが……。そういう立場で済ますわけにも、いかないんだね?」

「はい。俺は霊が見えるし、白井にも言われたし、霊感はあると思うんです。それだけで霊能者にはなれないんですか?」

「確かに、君には完全に霊感がある。ただ、それで霊を浄化したり、抑える力があるのかは、修行してみなければ分からんのだ。

 そうだな……」


 橘さんは、ちょっと考えると、いつもの穏やかな顔に戻って、言った。

「弟子とまではいかんが……少しうちで勉強してみたらどうだろう。

 霊能協会には、プロの霊能者の養成セミナーがあるんだ。あまりに特殊な仕事だからね、一般の募集はしてないんで、私のような団員のつてがないと入れないんだが……。ちょっと頼んでみよう。そこで能力が開花すれば、プロの霊能者になれるチャンスがある」

「あ、ありがとうございます!」

 泣きそうになるのをこらえて、また頭を下げる俺の肩に手を置き、橘さんは優しく言った。

「そこまで考えるとは、君は本当に立派だよ。頑張りたまえ」




 これで希望が持てた。白井に続いて、俺も霊の世界の仲間入りが出来るかもしれない。もちろん怖い。だが、何もしないでただ恐れ続けるのに比べたら、こうやってあがくほうが何十倍もいい。


 これで俺は戦える。

 もちろん悪霊とじゃなく、彼らを悪霊にした邪悪なものたちと、だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ