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第四話 顔のずれた女

 これは、かつて私の隣のクラスにいた石田くんに起きた、不思議で恐ろしい話です。


 回葉(めぐりば)高校の二年生だった石田くんは、隣室の私から見てそんなに目立つような人ではなく、女子の噂話に上ることもなく、私も彼と話すことはおろか、その姿をろくに見たこともありませんでした。ただ、この事件のあとで集合写真を見てみると、その卵の尖ったほうを下にしたようなつるりとした顔に、短く切りそろえた髪をひょいと被せたような、やや小柄で目立たない感じの少年で、そういえば体育の移動のときなど、通りがけに教室の窓から、この顔を見かけたかもしれない、と思う程度でした。


 そんな石田くんに降りかかったあることは、一時、学校中を騒然とさせました。それはいっけん誰の身にでも起きうることではない、日ごろ気にする必要など全くなさそうな、きわめて特殊なもののようでいて、もしかしたら、いつ私たちの目の前にそれが現れるか分からない――という、異様な不気味さをあわせ持つ、不可解な事件でした。




 石田くんはその日の夕方、友達二人と話しながら下校していました。さびた鉄線の絡む木の塀の向こう側を、赤い夕日を背に広い河がゆっくりと流れていく細い脇道を、いつものようにバカ話をして笑いながら行くと、いつもの鋭角になっている交差点に来ました。すると彼は不意に右を指して、「今日はこっちから行こう」と言いました。

 いつもは、このまままっすぐ行って街道に出た先で別れるので、この家の塀が急に右に滑り込んで鋭角の入り口を作っている細い横道は、自然に通り過ぎているのですが、石田くんはそこを指差して、今日はそっちへ行くと言うのです。三人の誰もそっちへ行ったことはなかったのですが、少し遠回りでも街道に出れないことはなさそうなので、ほかの二人は特に何も考えずに同意しました。


 こんなささいなことでも、普段とちょっと道を変えただけで、気分が上がるものです。三人はけっこう楽しくなって、子供に返ったように、飛び跳ねるように互いにギャグなどをかましながら、うきうきと進んでいったそうです。右に広大な畑が続き、その向かいには住宅が並んで、道は左にカーブになって、このまま街道まで続いていそうなのが分かると、皆なにか勝ったような気持ちになりました。

 ところが曲がり角のところで、三人は左を見るや、棒立ちになりました。



 二人の友達の話によると、角にある白塗りの綺麗な家の窓に、一人のとんでもなく可愛い女の子がいて、彼らに笑いかけていたそうです。窓の中から胸から上が覗いていて、肩の白い服が学校の制服っぽかったので、自分らと同じ高校生かと思いましたが、知らない子だったそうです。

 しかし二人は、その愛らしい笑顔に釘付けになりました。流れるような長い黒髪の間に浮かぶ、綺麗に整った丸顔の中で、豊富なまつげを持つ目が山なりに曲がり、口元が実に自然に緩んで、優しくにっこりと笑っています。それはまさに、天使の微笑みでした。

 思わず見とれた二人でしたが、同時に照れてしまい、片手で挨拶すると、さっさとその場を離れました。


 あとからついてきた石田くんに、「可愛かったなー、あの子」と呼びかけた二人は、彼の顔を見て驚きました。まるで気持ち悪いものでも見たように目をむき、眉間に皺が寄って、顔が真っ蒼なのです。彼は言われて、飛び出そうな目を向け、ゆっくりと押し殺すように言いました。

「……どこがだよ。あんなの、身の毛もよだつような化け物じゃねえか」


 石田くんの話を聞いて、二人はさらに驚きました。彼が窓の中に見たのは、二人が見た愛らしい天使とは、全く似ても似つかない、凄まじいものだったと言うのです。

 それが長い髪をした女子高生らしい子だったところは同じでしたが、その顔はまるで違いました。顔が悪かったとか、そんなレベルではありません。あるいは元は二人の見たような愛らしい顔だったかもしれませんが、その構造が問題でした。


 まず、二人とは初めから印象が違いました。二人が見た少女は最初からこっちに微笑んでいましたが、石田くんが見たとき、その子は向こうを向いて、流れる髪をたらす後頭部だけが見えていたのです。ただ、雰囲気が妙なので、なんだろうと見ていると、不意に彼女がくるっとこっちを振り向きました。

 その顔を見て、石田くんはあまりのことに全身が凍りつきました。


 顔の中央、額から顎の下まで、どす黒い亀裂が縦一直線に走り、それを隔てた顔の右側と左側が、上下に数センチほどずれているのです。右目に対して左目、鼻と口の右半分に対してその左半分が、それぞれ一、二センチほど下にずれてしまっており、一番下の顎も、やはり左側が下に突き出して、半円の端のような逆レの字を描いています。どう見ても、顔が縦に割れて、左右がずれかかった状態なのです。能面などのお面を中央から縦に二つ割りし、それらをまたくっつけて、少しずらしたら、こんな感じになるでしょうか。

 そんな凄まじく壊れた顔で、左右にずれた目の中の黒い瞳が、冷たく無表情に石田くんをじっと見つめていたのです。口元は固く結び、笑みなどは微塵も浮かんでいません。


 それは、なにかの事故にあった死体のように見えましたが、振り向いたりしたので、相手は生きているわけです。なのに、とてもそうは思えない。生きた人間の雰囲気が微塵もない、そうだ、あれは絶対にこの世のもんじゃない……と、彼は最後まで言い張っていたそうです。



 二人には美少女に見えたのが、彼には化け物にしか見えなかったというのは、かなり異常なことなので、二人は帰ったあとで電話で話し合いました。結論は、誰かのいたずらではないか、というものでした。ただ、顔のずれた女の件は、そういう被り物でもすれば騙せるでしょうが、それ以外に、大きな問題がありました。


 いったいどうすれば、同じ場所にいる人間たちそれぞれに、違ったものを見せることが出来るのか。何かの複雑なトリックでも使えば出来るかもしれませんが、特にミステリー好きでもなかった彼らは、それをどうしても思いつきませんでした。結局、俺たちが見た可愛い子が本当で、石田くんが見たのは、単に幻覚みたいなものだったのだ、という煮え切らないもので終わりました。


 でも電話を切る間際、相手が急に「いや待て、そのとき夕暮れだったから、逆光なんかで彼にだけそう見えたんじゃないか」という、新仮説を立てました。なるほど、そういうこともあるかもしれんな、と同意しましたが、これだと、結局全ては石田くんの気のせいだった、という元の説の駄目押しにしかなりません。

 いささか心苦しいですが、それでも二人はなんとか納得できたので、その日は寝ました。





 ところが翌朝、二人は朝のホームルームで仰天することになりました。昨日の夕方、石田くんが死んだというのです。先生の話では、思わぬ事故で亡くなったということでしたが、驚きで静かにざわつくクラスの中で、昨日彼と下校した二人だけが、蒼ざめた顔をそっと見合わせました。


 詳しい話を女子のサロンで私が耳にしたのは、それから数日たってからでした。クラスからクラスへ渡ってきた、ただの噂話の域を出ませんが、あまりに悲惨な事故で新聞にも載っていたので、私が聞いた中身は、だいたい真実に近いと思います。

 その話とは、こうです。


 あの日、街道に出て二人の友達と別れてから、石田くんは夕闇の迫る街路をビルに沿って歩いていました。彼が通り過ぎたあとの路上に水をまいていた、ある店主の証言が、実際に週刊誌に載っています。その人によると、石田くんは彼を過ぎて、数メートルほど行くと急に立ち止まり、くるりと後ろを向いて、そのまま何をするでもなく、彼のいる方角をただじっと見つめていたそうです。なんだろうと後ろを振りかえっても何もなく、彼が前で顔を見ているのに気づくようでもなく、石田くんはただ、何かを思い出しているような顔で、しばらくそこにじっと立っていました。

 そのとき、あの恐ろしいことが起きたのです。そこは建設現場の脇でした。石田くんの上に、一瞬何か黒い影が降り、ドン! という周りの空気も割れんばかりの凄まじい破壊音を立てて、路上へ落ちました。


 事故でした。

 太さ二センチほどの太いワイヤーが、とんでもない高さからビルと平行に落下し、同じく平行に立っていた石田くんの頭上に落ちたのです。鋼鉄の線は彼を頭からすぱっと一刀両断し、彼の股下に落下してアスファルトの路面に叩き付けられ、数センチも潜りました。

 あまりの事態に、店主はわけが分からず、しばらく立ちすくみました。

 そして、彼は見ました。目の前で、石田くんの顔の真ん中にぴっと黒い縦線が入り、そのままゆっくりと顔の左右がずれてゆき、やがて真っ二つになった体が、バナナの皮をひらいたようにそれぞれ左右に倒れて、そのまま血の海に沈んで止まるのを。


 店主が気づくと、辺りは悲鳴の渦でした。あまりの光景に彼はその場に膝をつき、気を失いかけたそうです。石田くんのずれていく血まみれの顔の中で、前から差し込む淡い夕日で虚ろに光っていた黒い目がずっと忘れられない、と彼は言っています。

 あとで警察が調べると、ワイヤーを掴む機械のアームが古くなって緩んでいて、それを最上階の二十メートルから放してしまった、というのが事故の原因で、当然、建設会社は責任を問われました。




 こうして石田くんは、あまりに唐突で異常な死を遂げました。それだけなら、たんに悲惨で不幸な事故というだけですが、彼の最後の日に一緒に帰った二人の友達には、一つの不可解さが残りました。


 彼らは事故のあと、すぐまたあの家に行ってみましたが、そこでまた、異様なものを目にしました。数日前は白塗りの綺麗な家だったのに、今見ると、そこは長いこと誰も住んでいなさそうな真っ黒な廃屋になっているのです。窓ガラスも割れてほとんど残っておらず、その奥に見える部屋は朽ち果てているようで、ボロボロになった壁が渦を巻くように破壊されています。

 驚いた二人は、なりふり構わず隣の呼び鈴を押してまでして、事情を聞いてみました。すると、やはりその隣家の人が去年越してきたときから、その家はずっと廃屋で、ここ数ヶ月間、誰も住んだことはない、とのことでした。


 では、あの綺麗な家と可愛い少女はなんだったのでしょう? そして、石田くんだけがおぞましいずれた顔の少女を見て、そのすぐあとに、まるで同じ顔になって、この世から消えたのは、いったい何を意味しているのか? あの少女は幽霊か、それとも死神だったのでしょうか? それが自分の割れた顔を見せて、彼の死を警告していたのでしょうか?



 今となってはまるで分かりませんが、二人はこのことは警察にも石田くんの遺族にも言わずにおこうと決めました。校内では、私がこうも詳細に語れるほどに噂が広まってしまって、内緒にしても意味がありませんが。


 その後、彼らはその道を二度と通らなかったそうです。

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