【第6話】教えて差し上げますわ
ルードゥスがまだ、義夫婦の家の納屋で暮らしいてた頃。
夜中にソンリッサがやって来て、「ずっといっしょにいる」と言って離れないことがあった。
義夫婦は必死に彼女を探すことだろう。そうなる前に返したかったが、妹の表情はいつになく暗い。
何かがあったらしい。
ソンリッサはしばらく兄にピッタリくっついていると、呟くように聞いて来た。
「おにぃちゃんは……お母さんに生きてて欲しかった?」
そういうことか、とルードゥスは思った。
叔父か叔母か、または両方か。母が亡くなった理由について、ソンリッサに話したのだろう。
「母さんは身体が弱かったから……仕方なかったんだよ」
「でもッ……!」
彼女の手に、ギュッと力がこもる。
「私のせいなんでしょ……? 叔母さんから聞いたの。私を産んだせいで、お母さんは死んだって……!」
ルードゥスは即座に返す。
「会わせてあげられなくて、ごめん……」
「え……?」
「リッサにも、母さんと一緒の生活をさせたかった……助けてあげられなくて、ごめん……」
今度はルードゥスから、妹を抱きしめる。
「代わりに僕が、いい兄になるから。グッドマンみたいな、誇らしい人になるから」
そう言って頭を撫でられ、ソンリッサは静かに頷いた。
その後は何の言葉も交わさなかったが、二人はできるだけ引っ付いて朝まで過ごした。
七月の上旬。夏の日差しが降りそそぐ午前一〇時。
ルードゥスたちが公園に着くと、バカデカい日傘をさしたシャローナが待ち構えていた。
フリルのついたブラウスに、下は黒のショートパンツ。夏らしい装いだが、ところどころにはバラのアクセサリー。相変わらず派手な見た目であった。
「新作を、受け取りに来ましたわ」
原稿を取り出そうと、アピリアが鞄に手を入れる。
しかしそれを制し、ルードゥスがシャローナに向かって包拳礼をした。
「マティマティカ・アピリアの弟子、ルードゥス・イグニシオ。推手による、あなたとの勝負を希望します」
シャローナは傘をアピリアに投げ渡し、少年に包拳礼を返した。
「スコルピオ家の一人娘、シャローナ。その勝負、お受けして差しあげますわ」
すぐさまお互いに片脚を前に出し、推手を始める体制を取った。
しかし右手を構える少年に対し、彼女は両手を下げたままだった。
「せっかく勝負するなら、自由推手がいいですわ」
「シャロ。彼はまだ、単推手しか学んでいない」
「原理は一緒でしょう? それにこっちは、勝負方法を呑みましたわ。こちらの希望も呑んで頂いかないと、フェアとは言えませんわよ」
「しかし──」
「やりますッ」
ルードゥスが即答する。
「どんな勝負でも、勝って妹を助ける……このプロットは、変えさせません」
真っ直ぐな瞳を向ける少年に、シャローナはほくそ笑んだ。
「おほほほほ! 気持ちで勝てんなら、苦労しねーですわよ!!!」
そう言うと、両掌を前に向けた。
「両手の平を合わせて、自由に押し合う。それが自由推手!!!」
ルードゥスも両掌を出し、指を揃えた状態でピッタリと相手にくっつけた。
「あとで不平不満を漏らさぬよう、少しだけ練習させて差し上げあげますわ」
両手に圧を掛けられ、少年は対応しようとするが、すぐさま後方に飛ばされた。
(言うだけあるッ! 確かな実力だッ)
ルードゥスは、今度は自分から圧を掛けにいった。
すると両手を引かれ、少年は前方につんのめる。
危うく乙女の胸部に顔を埋めるスケベ・インシデントになりかけるも、寸前で横方向に飛ばされた。
(なるほど……両手になり、さらに動きも自由だとかなり複雑だッ)
原理そのものは、いままでやって来た単推手と一緒。
しかし“円を描く”という動きの決まりがない為、どのタイミングで圧を掛けられるか分からない。
埋めがたい練度の差を、この二手でまざまざと分からされたのだった。
「ルードゥス様。勝利とは何か、教えて差し上げますわ」
勝ちを確信したシャローナが、余裕の笑みを浮かべていた。
「お金、マネー、財力ですのよ。マティ様が何不自由なく暮らせているのも、わたくしというパトロンが居るからですわ。マネー・イズ・ゴッド。どんなに足掻こうが、初めからあなたに勝ち目などねーんですのよ! お〜ほっほっほ!!!」
アピリアが、シャローナの日傘を差しているのが見える。格子状になった日陰の中から、静かにルードゥスを見つめている。
少年はゆっくりと立ち上がり服の汚れをはたき落とすと、再び自由推手の体勢になった。
「……そろそろ本番にしましょう」
「よろしくてよ」
「私が合図しよう」
向かい合った二人が、ピッタリと手を合わせて止まった。
静寂のなか、ザワザワと葉が擦れる音が聞こえる。
勝負は数秒で終わる。その数秒で、掴んだ希望が潰えるか残るかが決まってしまう。三ヶ月間の修行も、すべて無駄になるかもしれない。
それでもルードゥスの表情に焦りはなく、正面を向いたまま何処を見るでもなく集中していた。
「始め」
アピリアによる、穏やかで力強い号令が発せられた。
直後、シャローナが少年の両手にプロットをぶつける。
それは、飽くなき推しへの執着。
「“推す手”と書いて『推手』!! わたくしの推し力にッッ! ポッと出の坊やが敵うわけねーんですわよ!!!」
まさに一瞬の勝負であった。
シャローナの放つ強烈なプロットはルードゥスを屈ませ、さらに己の体を浮かした。
「なぁっ……!!?」
彼女が驚きの声を上げた時には、少年の遥か後方へと吹っ飛んでいた。
「勝負あり。見事だ、ルードゥス君」
ルードゥスは静かに立ち上がり、師匠に包拳礼をした。
「どういう……ことですの?」
木の枝に引っかかったシャローナが、唖然とした顔で問いかける。
「シャロ。キミは自分のプロットを見せ過ぎた」
「でもでもでも〜! 分かってても、対応できないくらい力量に差がありましたわ!」
彼女の言うとおり、ルードゥスとの間にはかなりの実力差があった。
しかし“あるプロット”に対して、少年は経験済みだった。
「シャローナさんから、先生に対する強い“執着”を感じました。僕も身近に、似たプロットを持つ存在がいます。だから、“走らせる”ことができました」
ルードゥスをねじ伏せようと流されたプロットは、“執着”を受け流すプロットによって、彼女の意図しない結末を迎えた。
シャローナは木から優雅に舞い降りると、自身についた埃を払った。
「執着だと分かっていて、その相手と“距離を置く”なんて……そんな悲しいプロット、わたくしは認めませんわ」
とぼとぼと歩きだし、そのままアピリアたちの前を通り過ぎていく。
「……でも、約束は守りますわ。ルードゥス様、マティ様の元で仲良く作家を目指すことね」
「シャロ」
アピリアは彼女を追いかけ、サッと日傘を差し出した。
「寂しいことを言うな。またいつでも、食事に来ればいい」
「うぅ……マティ様ぁ〜〜〜!」
同じ日陰に収まり、二人はしばらく話をしていた。
そんな彼女たちの間に、ルードゥスは強い絆を感じるのだった。