表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

【第4話】良い寝顔だった

「ルードゥス君。作家に必要なものとは、何かわかるか?」


 女性が背後にいる少年に問いかけた。

 ルードゥスと呼ばれた少年は、動揺しながら彼女の問いに答える。


「えっ? “選択すること”ですよね?」

「素晴らしい。よく学んでいる」


 女性は返答しつつも、まだ背を向けていた。いや、そうせざるを得なかった。

 彼女はいま、一糸纏わぬ姿で座っている。

 いや、正確には前面をタオルで隠している。

 しかし、そこのみである。

 長い黒髪は頭の後ろで小さく纏められており、背中はすっかり全体を晒していた。

 少年は一度ツバを飲み込み、師匠に問い返す。


「アピリア先生……! どうしていま、こんな状況でッ! わざわざそんな事を聞くんですか!?」


 二人はいま、アピリア宅の風呂場にいた。

 湯気が立ち込め、周囲を真っ白に包み込んでいる。

 あるはずの壁や窓も、ぼんやりとシルエットを残すのみ。

 まるで世界に二人きりになったような、不思議な空間と化している。

 そんな中で、ルードゥスの目の前に師匠の背中がある。

 シミ一つない、きらびやかな素肌。

 蒸気が水滴となり、彼女の肉体をなだらかに滑り落ちるのが見える。


「キミのその疑問、一理ある。だがよく考えて欲しい。師匠が、弟子と混浴。これが作家になるための修行の他に、何の理由がある?」


 いつも通りの穏やかな声色だったが、ルードゥスは敏感に師匠の“心”を感じとっていた。


(アピリア先生……もしかして、怒ってる!?)


 少年はすぐさま姿勢を正す。

 そして、どこか浮かれていた己を恥じた。


(先生がわざわざ無防備な姿を見せていると言うのにッ! 僕はなんてダメダメな弟子なんだッ! こんなの怒られて当然ッ!)


 弟子が心を引き締める気配を察知し、アピリアは話を続けた。


「良い心掛けだ。では、ルードゥス君。その手に持ったあわあわのタオルで、私の背中を丹念に洗いなさい」

「えッッッ!?」


 いつの間にやら、少年の右手には泡のついたタオルが握られていた。


「どうした? 弟子が師匠の背中を洗う。作家は皆、これをやっている」

「いや……でもッ」

「ルードゥス君。背中には、人の生き様が現れる。いわば自伝だ。洗いながら、師を読み解いて学んでいく。大切な修行だ」

「……ッ」

「それとも私の背中は、洗う価値もないほどつまらないか?」

「そんなことッ! 先生の背中は……ッ」


 ルードゥスは刮目し、改めてアピリアの背を見つめた。

 自分より高い背丈。美しい骨格。

 武術によって作られた、しなやかな背筋。

 高らかにそびえ立つそれは、もはやただの人間の背中ではない。


(まるで……岸壁ッッッ!)


 少年は、おそるおそる手を伸ばす。

 飛び出した岩に手を掛けると、急に足元が浮く感覚に襲われた。

 視線を落とす。足は宙をさまよっており、岩を掴む右手のみで己の身体を支えていた。


「どうした、ルードゥス君。早く上がって来なさい」


 遥か上空から、アピリアの穏和な声が聞こえた。

 岸壁は雲を突きぬけ、その先まで続いている。


(さすがあの、グッドマンの作者ッ! 座高だけで、天を貫くデカさだッッッ!)


 雲の先にある師匠の頭部を目指し、ルードゥスは断崖絶壁を登っていく。

 ところが──。


「わッ……わァッ!?」


 掴んでいた岩が、壁から剥がれ落ちた。

 反射的に伸ばした手は空を切り、ルードゥスはそのまま谷底へと落下した。

 眼前に広がる、晴天の空。

 強烈な風に全身を包まれた瞬間、柔らかな衝撃があった。


「わァ!? わわッ!?」


 情けない悲鳴と共に、ルードゥスはベッドの上で目を覚ました。


「え……夢??」


 ホッと胸を撫で下ろしていると、再び頭上からアピリアの声がした。


「どうした? 悪夢でも見ていたのか?」


 だいぶ近くからだった。位置的に、頭のすぐ上である。

 そこで少年は気がつく。横向きに寝ている自分の前に、真っ白な布の膨らみが二つ並んでる。

 アピリアの呼吸音に合わせて、その白く巨大な出っぱりも静かに揺れる。

 明らかに彼女の胸部であった。


「あの……アピリア先生? どうして同じベッドに先生が……?」

「弟子は、師匠の安眠を助ける抱き枕になる。作家は皆、やっていることだ」

「何を言ってるんです??」


 一体これが、何の修行になるというのか? さすがに変である。

 ひょっとしてこの先ずっと、“修行”と称して変な要求をされるのでは??

 そんな不安を感じつつも、少年の視線は彼女の胸に釘付けだった。


「しかしルードゥス君。キミが変な声を出すので、私はすっかり目が冴えてしまった」


 モゾモゾと、アピリアが身体を動かす。

 目の前にある膨らみが近づき、少年は思わず頭を引いた。


「何処へ行く? 離れてしまっては、抱き枕の意味がない」

「いやッッッ、でもッッッ!」

「そうだ、ルードゥス君。キミに何か、面白い話をしてもらおう」

「えっ??」

「十秒以内だ。出来なければ、全身抱擁ぎゅっぎゅの刑だ」

「え……? えッッッ!?」


 無茶振りである。

 慌てふためく少年を尻目に、アピリアはゆっくりとカウントダウンを始める。


「十……九……八……七……」

「そんなッ、先生ッ! 面白い話なんて持ってないですよ……!」

「六……五……四……三……」


 穏和な声で、無慈悲に告げられる減数。

 しかし、こんな土壇場で愉快な話が思い付くはずもない。


「二……一……〇……〇……〇……」


 なぜ“〇”を三回繰り返したのか?

 理由はわからないが、その瞬間ルードゥスの視界は真っ暗闇に包まれた。

 直後、顔に触れる柔らかな感触。

 一度や二度ではない。

 ぽふんっぽふんっ、リズムを刻むように何度も顔に触れている。


(んッ……あれ??)


 違和感である。

 あまりに、顔に触れる面積が小さい。

 そこでようやく、少年は目を覚ました。


「起きたか、ルードゥス君」


 目を開けると、アピリアがこちらを覗き込んでいた。


「あ……先生。おはようございます……」


 まだ頭はぼんやりしている。

 これもまた、夢の中だろうか?

 しかし、アピリアは紅色のワンピースを着ている。見たことのない服装である。

 今度こそ現実かもしれない。

 そんな事を考えながら体を起こすと、師匠の手に何かフワフワしたものが握られているのに気がついた。

 おそらく先ほど、顔にポンポン押し付けられていたものの正体である。


「それは一体……何ですか?」

「メイク道具だ。ちょっと見て欲しい」


 そう言うと、アピリアは少年に手鏡を向けた。

 鏡面に映るのは、ルードゥスではなく、見知らぬ美少女の顔。


「なかなかのものだろう?」

「え? 誰です、これ??」

「当然、キミだ。鏡が嘘つきでなければな」


 やはりまだ夢の中だろうか?

 ルードゥスは思わず、自分の頬をつまんだ。

 しっかり痛い。残念ながら現実だった。


「あの……これは何の修行なんです?」

「修行ではない。ただの、私の趣味だ」

「ただの趣味」

「良い寝顔だった。ふと、インスピレーションが沸いた」

「いんす……何です?」

「“感じた”という事だ。思考ではない。私も冷静なら、男子に女子メイクを施そうなどと考えない」


 意味は分からないが、とりあえずルードゥスは、彼女の思いつきで女装メイクをされたらしい。

 理不尽ではある。しかし『修行と関係ない』とハッキリ言われたことに、少年はどこかホッとしていた。


(良かった……現実のアピリア先生は、何でもかんでも『作家として当然の修行だ』とか言ってくる変人じゃないんだ……!)


 すべては変な夢のせいである。

 そんな弟子の胸中など知る由もなく、師匠は長髪のカツラとドレスを持って来た。


「折角だ、ルードゥス君。完璧を目指さないか?」


 やはり変な人かもしれない。

 そう思いながら、女装の提案を丁重にお断りしたのだった。



 テーブルに着くと、朝食に温かいミルクと黄色いパンを出された。


(なんだろう……初めて見るパンだ)


 ルードゥスがおそるおそる匂いを嗅ぐと、ふんわりと甘い香りがした。


「それは、アルメ・リッター。よく溶いた卵黄に砂糖を加え、パンを浸して焼いたものだ」


 一口食べてみる。しっとりとした食感の後、甘さが口いっぱいに広がっていった。


「しあわせ……ッッ!」

「好評で良かった。フルーツもあるぞ」


 イチゴも数個いただき、少年はいまだかつてない幸福な気分だった。


「ルードゥス君。ソンリッサ君は、知り合いの診療所に泊めさせてもらった。しばらくはそこで療養することになる。その為の資金は、私が先に払っておいた」


 少年は姿勢をただし、行儀のいいお辞儀をした。


「何から何まで、本当に感謝しています。お金は必ず、あとでお返しします」

「その日の一早い到来を、心待ちにしている」


 脚を組みなおし、アピリアも姿勢を正した。


「それと、ソンリッサ君のことでもう一つ。私が許可するまで、会いに行かないと約束して欲しい」

「何故ですかッ……?」

「彼女はキミと会ったら、安静にしていられないだろう」


 昨晩の様子を見れば、納得の理由である。

 少年は目をつむり、静かに「はい」と返事した。


「近況は必ずキミに伝える。いまは修行に専念して欲しい」


 ルードゥスを長期間預かる件も、後で工房に手紙を出しておくという。

 もはや何も気にすることはない。作家になるため、修行に励むのみである。

 ミルクも飲み終わり、そろそろ食器を片付けようとした……そんな時だった。

 コンコンと、外からドアがノックされるのが聞こえた。


「しまったな。今日だったか」

「えっ?」

「隠れなさい、ルードゥス君。見つかれば……最悪キミは、死ぬことになる」

「ど、どんな来客です!?」


 少年の質問に答える間もなく、入りの鍵が開かれた。


「合鍵を持たせている。もうじきここに来る」


 よく分からないが、危険な状況なのは察した。

 自分の食器を持ちながら、テーブルの隣りにある横長ソファーの裏に隠れた。

 その直後、部屋のドアが勢いよく開かれた。間一髪である。


「お〜〜〜ほっほっほ! マティ様! 原稿を受け取りに来ましたわ〜〜〜!」


 クソデカ高音ボイスが、部屋中に響き渡った。朝早くから、なんという元気の良さだろうか。

 少年はソファーの隅から覗き、声の主を確認した。


(なんだッ!? この人!?)


 ルードゥスは思わず目を見張る。

 ハデな登場だったが、服装もハデハデだった。 

 バラ状のフリルが付いた、膝上丈の真紅のドレス。足もバラが付いた真紅のヒールを履いている。

 しかし注目なのは、頭部である。

 腰元まで伸びた、薄紫色のロングヘアー。前髪以外のほとんとが、クルクルと縦巻きのロールが掛かっている。

 年齢は、アピリアより少し若いくらいだろうか?

 長いまつ毛に、小ぶりな唇。美しい顔立ちだが、どこか他人を寄せ付けない、ツンとしたプライドの高さを感じさせる。

 何はともあれ、貴族という概念を絵に現したような容姿であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ