【第2話】これを文脈闘技(プロットバレット)と呼ぶ
道は開かれた。
ルードゥスは、部屋の奥にあるベッドを見つめる。
五メートルは離れていたが、少年にはハッキリと分かった。
あの頃から背丈も髪の長さもだいぶ成長した妹が、静かに寝息を立てているのだ。
実に数年ぶりの再会。ルードゥスは一四歳、妹ソンリッサは十一歳になっていた。
「リッサ……!」
小さく、名前を呼ぶ。
目をつむる妹の顔を見つめながら、少年はふと、これからの事を考える。
妹を医者に連れて行き、作家になって治療費を払う。
しばらくは働きながら、勉強をする日々になるだろう。想像するだに、多忙である。
それでもルードゥスの気持ちは揺るがない。胸の奥が、火が灯ったように熱い。
妹を助けたいという強い想い。そして、道を作ってくれた師匠アピリアへの感謝の気持ち。それが心を燃やしていた。
何も迷いはない。
ただ一つ気掛かりなのは、師匠の言葉である。
作家になる者は、武術を学ばなければならないらしい。
まったくワケが分からない。
小説を書くことと武術に、一体何の関係があると言うのか?
理解はできないが、それでも進むしかない。
熱い気持ちと共に、ルードゥスは妹ソンリッサの元へ一歩を踏み出した。
その時である。
「リッサァァ!」
「リッサちゃん!!」
入り口のドアが開き、叔父と叔母が駆け込んで来た。
ひどく息を切らせ、慌てた様子である。
しかしルードゥスの存在に気がつくと、夫妻はそろって怪訝な表情を浮かべた。
「なんでお前がここにいる?」
「……叔父さんたちこそ、どこ行ってたんですか?」
「そんなのお前に関係ないだろ! 退け!!」
叔父が少年を押し除けようと手を伸ばす。
その瞬間、アピリアが彼の腕をスッと掴んだ。
「失礼。私の弟子に手をあげることは、ご遠慮願いたい」
「なんだお前ぇ? ルードゥスが“弟子”だと?」
アピリアは手を離すと、素早く包拳礼をした。
「私はマティマティカ・アピリア。流派は『活劇』。ルードゥス君を作家にするべく、師弟となった」
「マティマティカ・アピリアだとぉ?」
ジロリと、彼女を睨みつける。
「史上もっとも若く宮廷作家になった伝説の人物が、こんな所にいるわけないだろ! バレバレなウソをつくな!」
「ッッ! この人は──」
反論しようとしたルードゥスの口を、アピリアがそっと手で塞ぐ。
「どちらにせよ、手荒なマネは“彼ら”だけにして頂きたい」
そう言い、アピリアが部屋のすみを指差す。
そこでようやく夫妻は、借金取りたちが床に転がっていることに気がついた。
「な……ななななっ!?」
「どういうこと……!?」
何がどうしてこうなったのか、夫妻には想像もつかないらしい。
気絶した借金取りとアピリアを交互に見ながら、目を丸くし震えている。
「それより叔父さん、答えてください。病気のリッサを放って、どこに行ってたんですか?」
「放ってなんかいないよ! ちょっと出掛けてただけじゃないか!」
答えたのは叔母である。彼女はリッサのことを特に気に入っていた。
「借金取りは、中に居ました。でも窓も入り口も、壊された形跡がない。叔父さんたちが、家に上げたと考えるのが自然ですッ」
ルードゥスは静かに怒りを溜めながら、叔母を見上げる。
「教えて下さい……あんなに可愛がっていたリッサを、どうして借金取りたちの中に、置き去りにできるんですか?」
夫妻は言葉を詰まらせた。罪悪感からだろうか。
しかし、そこへ更なる来客が現れた。
「オイオイオ〜〜〜イ! ガキひとり連れてくるのに、時間かけ過ぎっしょー」
そう言いながら入って来たのは、ルードゥスにスリを強要した男だった。
「お? さっきのお兄ちゃ〜〜〜ん! ちゃんとお金持って来たかー?」
少年に邪悪な微笑みを向けたのち、隣にいるアピリアに視線を移した。
男は一瞬色めき立つが、周囲に倒れた仲間の姿を見つけ、表情を険しくした。
「なんだオメェ……?」
アピリアは、彼の問いには答えなかった。
ベッドに移動し、眠るソンリッサをそっと抱きかかえた。
「さてルードゥス君。先ほどのキミの質問だが」
何事もない様子で話し始めるアピリアに、周囲の全員が唖然とした。
驚くほどのフル・シカトである。
「いや先生……何の話です?」
「なんなんだこの失礼な人は!?」
「オイオーイ! オレの事は無視ですか〜〜〜?」
皆が同時にリアクションを返す。しかし彼女の瞳は、ただ一人、ルードゥスだけに向けられている。
「小説を書くことと、武術を学ぶことの関連性を、キミは疑問に感じているのだろう?」
「あっ、はい……」
あまりにマイペース過ぎる師匠に、少年は動揺を隠せない。
変人かもしれない……そう思いつつも、ひとまず彼女に成り行きを任せる事にした。
師匠が柔和な口調で続ける。
「娯楽小説において、物語は人物の行動によって描かれる。これは逆説的に、『動き』によって物語を表すことが可能という事だ」
「その『動き』が、武術……?」
「素晴らしい。その通りだ」
う〜ん……と、腑に落ちない様子で少年はうなる。
義夫婦と借金取りも、何を言ってるんだという顔で二人を交互に見ている。
「ルードゥス君。武術も物語も、どちらにも『型』という共通点がある」
「物語に……『型』?」
「ああ、そうだ。あらゆるものに『型』は存在し、『型』を理解すれば、ある程度の未来は予測できる。つまり──」
その次の瞬間。
アピリアはソンリッサを左手で抱えたまま、空いた右手で何かを後方に向かって投げた。
「作家に、不意打ちは通用しない」
ルードゥスたちの後ろ、ベッドの近く。
密かに襲い掛かろうとしていた借金取りの一人が、肩を押さえてうずくまった。
男の肩には、棒状の刃物が突き刺さっていた。ルードゥスを脅すときに使用した暗器、“鏢”である。
激痛のあまり、男はナイフを床に落とした。
「オイオイオイ……なんでバレてんだよ」
義夫婦と来た男は、密かに仲間に合図を送っていたらしい。
自分を無視して長々と話しているのだ、当然の企みだろう。
「ルードゥス君。いま私が背後の男に気づいたのも、『型』を理解しているからだ」
「えっ……? どういう事ですか?」
「私は『活劇』の作家。活劇において重要なものは、悪役の行動にある。何故なら読者の感情を大きく動かすのは、彼らの悪行にあるからだ」
ルードゥスはハッとした。悪役の悪行と聞いて、思い当たるシーンがあった。
それは『グッドマンと秘密の組織』における一幕。
サーラという貧困な少女が、病気の弟の治療費を借金取りに奪われたのち、スリを強要されるシーンだった。
ルードゥスはその場面を読みながら、借金取りの行いに対して激しく怒りに震えた記憶があった。
(あれ……? でもコレ……今の自分の状況にそっくりな気が……)
「『活劇』の作家は悪役のことを考える。どうすれば読者に絶望感を与えられるか、常に考えている」
今度は目の前にいる借金取りが、ナイフを手に取った。
ルードゥス、そして義夫婦の表情が凍る。
「はいは〜い、それじゃぁお姉さーん。これからオレが何をするか分かる〜〜〜?」
怪しげな笑みを浮かべ、手の中でナイフを弄ぶ。
彼のそんな様子を見て、アピリアは穏やかな声色で返す。
「つまらないプロットだ」
「はいぃ〜〜〜? 何つった??」
彼女は、抱きかかえているソンリッサに視線を移した。
「この子を、売りに出すつもりだろう?」
「なんだって……!?」
ルードゥスが思わず声を上げる。
ギクリっと、顔を強張らせる義夫婦。どうやら図星だったらしい。
「ッッ! もう……我慢できませんッ! リッサのことだけは信じてたのにッ……!」
「この子は私たちが育てたんだから、どうしたって勝手でしょう!」
返答した叔母を、ルードゥスはギロッと睨んだ。
「病気になったら不用ですか? ふざけないで下さい……リッサは物じゃないッ!!」
「リッサちゃんは、私たちに恩があるんだから! 納得してくれるに決まってる!」
「サイっっっテー……」
ぽつりと呟いたのは、ソンリッサだった。
アピリアの腕の中で、義夫婦に侮蔑の眼差しを向けていた。
「そんな……リッサ?」
「リッサちゃん?」
義夫婦はショックを受けているようだった。
しかし二人に対して、ソンリッサはもう何も言わなかった。
苦しそうに、再び目をつむった。
「行こう、ルードゥス君。腕利きの医者を知っている」
「はいッ、先生!」
立ち去ろうとする二人に、男がナイフを見せながら叫ぶ。
「背を向けると刺しちゃうよ〜〜〜!」
「どうだろう。キミは、自分より弱いと判断した者にしか攻撃しない」
振り向くことなく、ドアへ向かいながらアピリアはそう言った。
図星なのか、男はその場を動くことはなかった。
師匠は妹を抱えてる。少年は先にドアへ行き、開けようとした。
「ルードゥス君、大丈夫だ。ドアは自分で開ける」
アピリアは再び片手でソンリッサを抱え、右手でドアノブを回した。
十数センチ開けた、その刹那──。
ドアの向こうに、ナイフを構えた男の姿があった。
“最後の一人”が、外で待ち伏せしていたのだ。
「先生ッ!?」
すぐ後ろにいたルードゥスが、思わず声を上げる。
少年が最初に借金取りに会った時、彼らは五人いた。
アピリアと再び訪れた時、家の中にいたのは三人。そして後から来たのは一人。もう一人……つまり五人目が今、扉の先にいたのだ。
彼は手に持ったナイフで、ドアの隙間からアピリアの右手を突いた。
「なッッッ!? マジかよッッッ!?」
驚愕したのは、男の方だった。
アピリアは円を描くように手を返し、奇襲をかわしていた。
そして素早く腕を掴み、目一杯に引き寄せた。
男は半開きのドアに、勢いよく顔面を強打。鈍い音とともに、地面に崩れ落ちていった。
「凄い……」
一瞬の攻防である。
ルードゥスは思わず、感嘆の溜め息をもらす。
そして思う。もし自分がドアを開けていたら……と。
「これも、『型』による予測……?」
「そういうことだ。そして、このように『物語の型』と『武術の型』を組み合わせたものを、我々はこう呼んでいる。『文脈闘技』と」
「プロット……バレット?」
困惑する少年。そして、背後にいる男。
彼が何もしなかったのは、この出口の奇襲があったからだろう。
それすらも打ち破られ、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
「レッスンの続きは、また後にしよう」
何が起こっても穏和な表情のアピリアと共に、ルードゥスたちは義夫婦の家を後にした。