#5
眠れない夜が明けるとすぐにリズの家に向かった。
不安をひとりでは抱えきれないし、どうしたらいいのかもわからない。ぼくたちは共犯者なんだ。不安はみんなで分け合って、どうするかはみんなで相談するんだ。
玄関ドアを開けてくれたリズは「おはよう」とは言わなかった。
「そのひとは誰?」
ぼくを見ていると思ったリズの視線はぼくを素通りしている。振り返って息をのんだ。
どうしてここにいるんだ?!
昨日、家に来たあの女が立っていた。
「後をつけたりしてごめんね。どうしてもききたいことがあるの」
女はあの写真を取り出してリズに見せた。
「この男について知っていることを教えて」
心臓をわしづかみにされたみたいだった。ぼくたちがかくしごとをしていると、とっくにばれているんだ。
「何も知りませんけど。島のひとですか?」
リズのしらんぷりは完璧だった。
「その子にもきいてもらえる?」
そう言われた途端リズの顔が引きつった。
「向こうに行っていなさい!」
リビングからでて来ようとしていたティアンは追い返されてしまった。
女はティアンが入って行ったリビングのほうを見つめている。ティアンに魅了されないひとはいない。でも、それだけじゃなさそうだ。
「弟は病気で家からはでないんです。だから、その写真のひとを見かけることはありません」
リズは堂々とうそをついた。
女がぼくたちを怪しんでいるのは明らかだった。それでも、ああもはっきりしらを切られては、おとなしく帰るしかなかったらしい。
「ぼくがあの女をここに連れて来ちゃったんだ。本当にごめん。。」
後をつけられていたなんてぜんぜん気が付かなかった。全部ぼくが悪い。
「すんでしまったことはもういいよ」
怒ってる。当然だ。
ぼくはすっかり観念してしまった。
「何もかも正直に話してあやまろう。きみたちの事情を説明してお父さんに連絡しないように頼んでみよう。きっとわかってくれるよ」
「それはできない」
ぼくの考える最善策はあっさり却下された。
「どうして?」
「あの女が何者なのかわからないし、なぜあの男を探しているのかもわからないんだよ。うかつなことはできない」
リズの言うことはわかる。わかるけど、あの女が何者でも、どんな理由であの男を探していても、ぼくたちがしたことにかわりはないんだ。
「でも、、」
「絶対に誰にも話さないで。わたしたちだけの秘密にするの」
反論できないぼくはうなずくしかなかった。
それからの数日間は何事もなくすぎていった。あの女が家に来ることはなかったし、リズのところにも行っていないらしい。
この日はティアンに勉強をみてもらえなかった。カゼをひいたとかで自分の部屋からでて来ないんだ。「うつしちゃいけないから」とリズは言ってる。ぼくは気にしないのに。
ランチタイムが近づくと、リズはキッチンに行ってしまうから今はひとりだ。むずかしい長文を読み返していると、どこかで声がする。
ティアンの部屋の方だ。リズを呼んでみたけれど水の音がじゃまをして聞こえていないみたいだ。かわりに様子を見て来よう。
それはうめき声だった。驚いたぼくはノックなしでドアを開けティアンの名を呼んだ。
それから「だいじょうぶ?」ときこうとして言葉を飲み込んだ。
誰?!
ベッドで寝ているのはティアンじゃない。
銀色の長い髪に白い肌。きれいな顔はティアンに似てる。でも、大人だ!!
「ランチ持って来たよ」
振り返るとリズが立っていた。
「リズ、このひとは誰?! ティアンはどこに行ったの?!!」
「何を言っているの? ティアンならそこにいるじゃない」
もう一度ベッドを見るとティアンが起き上がろうとしているところだった。
わけがわからない! どうなってるの?!
「ほら、向こうへ行って。カゼがうつっちゃう」
リズに追い立てられてダイニングルームに戻って来たものの、頭の中は混乱したままだ。
「わたしたちもランチにしよう」
自分の分のサンドウィッチをテーブルに置いて席に着いたリズはいつもと変わらない。ぼくが見たものを見てはいないんだ。でなきゃ、弟大好きのリズが平然としているはずがない。
ただの見まちがいだ。勉強で疲れた僕の目が覚錯を起こしただけなんだ。きっとそうだ。
思い込もうとしたけれど、胸のゾワゾワはおさまらなかった。
母さんのサンドウィッチを食べきれずにランチボックスをかたずけていると、リズが「わかったよ」と言った。
「あの女は軍警察だった」
うそでしょ!!
にこやかで親しげな女の顔が思い浮かぶ。軍服なんか着てなかったし、少しもそんな風には見えなかった。
軍警察って、なんかこう、近づきたくない感じだと思っていたから、ちょっと信じられない。
「軍から逃げたひとを探しているんだよ」
「それじゃ、あの男は・・・・・・」
「そう。逃亡兵」
事情がわかって少しほっとした。何もわからないよりずっといい。
「探している男がいないとわかれば島からでて行くよ」
どうして言い切れるの?
まるで死体が上がることはないと知っているみたいだ。
「だから、気にしなくていいんだよ。ノイは何も心配しなくていいの。わかった?」
ぼくは黙ってうなずいた。もう何も考えたくない。
ぼくは元の生活に戻ろうと決めた。リズの言う通りならこれ以上何かが起きることはないはずだ。余計なことは考えない。余計なことはしない。
それでも、ニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえると、気になってしまうのはどうしようもない。もしも、死体が見つかるようなことがあれば状況は一変するのだから。
「・・・・・・座礁した豪華客船ドゥルシラ号は、10年前、海賊にジャックされた船であることを記憶にとどめていらっしゃる方も多いことでしょう。・・・・・・」
いつもよりはやく目がさめたぼくは、ニュース番組を横目にスップラを飲みながら朝食ができるのを待っているところだ。
父さんは自分がつけたテレビには目もくれず新聞を読んでいる。音だけ聞いているのかな。
ドゥルシラ号の事件を知らないひとはいないんじゃないかな。教科書にものってるし。凶悪な海賊から200人もの人質を救いだしたミュウディアンは英雄視されている。
「・・・・・・乗客にけが人などはなく、全員の下船が確認されています。ドゥルシラ号は満潮を待って海に戻れるか検討しているとのことです」
そのとき、ぼくの脳裏を男の死体が沖へと流されていくさまがよぎった。
あれ? 何かヘンだ。急に激しくなった鼓動がうるさい。
あのときリズは、波が死体を沖へと運んでくれると言った。ぼくはその通りだと思った。実際、死体はどんどん沖へと遠ざかって行ったから。
まるで頭の中に心臓があるみたいだ。ドクン、ドクンという音がこだまして頭が割れそうだ。
満ち潮だ。あのときは満ち潮だった!!
ぼくたちがいた場所にまで波が来るようになったから帰ろうとしていたんだ。本当は引き潮だったなんてことはない。それなのに沖へ流されたりする?
確かめなくっちゃ! 秘密の入り江に死体がないことを。
よろこべばいいのかな。とてもそんな気分じゃない。
ぼくはひとりで秘密の入り江に来ていた。男の死体は影も形もない。
あのとき満ち潮だったのなら、一度は沖に流されたように見えてもまた戻って来ているかもしれない。そう訴えたけれどリズは取り合ってくれなかった。
「ノイは心配しすぎなんだよ。そんなことは絶対にないから安心して」
どうして笑っていられるの?
リズは、あの後1度もここには来ていないと言っていた。それなのにどうしてあんなに自信満々なんだろう。
あれは自信じゃない。確信だ。
リズは知っているんだ。ぼくの知らない何かを。
海と空の境界線がにじんであいまいになっていくような気がした。