#3
父さんも母さんも笑顔だ。
今日のパンは上手に焼けたとか、おとなりさんに家族が増えたとか。なんてことない話をしながら、楽しそうに母さんの手料理を口に運んでる。
ぼくも、なんだかうれしい。もちろん後ろめたい気持ちはあるけれど、うれしいのほうが多い。
この間、朝食を運んで来た母さんにきいてみたんだ。「ぼくもそっちで食べていい?」って。
ダイニングルームに入ると、新聞を広げていた父さんは目を上げて「おはよう」とだけ言った。
久しぶりの、本当に久しぶりの両親との食事だった。でも、2年前と同じじゃない。
ハーラがいない
ひとり足りない食卓は今でも泣きたくなるほどさびしい。
父さんも母さんも同じことを考えているはずだ。それでも笑顔で食べている。ぼくは、そんなふたりの気持ちに背中を向けて、もっとさびしい思いをさせていたんだ。
それからは、夕食も両親と食べるようにした。昼食は母さんがサンドウィッチを持たせてくれる。
リズは「わたしのよりママのサンドウィッチのほうがいいんだ」と口をとがらせていたっけ。
毎日ごちそうになるわけにもいかないから、週に一度だけということにしてもらった。
ティアンは何をだしても、おいしいとも、まずいとも言わないから、味見してほしいんだって。
気が付けば、ぼくは部屋からでるのがそれほど怖くはなくなっていた。それでも、学校には絶対に戻れない。
リズの家で勉強していると知っているからか、父さんも母さんも学校へ行きなさいとは言わなかった。それどころか、学校の話はいっさいしないでいてくれる。
近所ではぼくのことがうわさになっているらしい。
2年もの間、まったく姿を見せなかった『ルフトさん家の息子さん』を急に見かけるようになったんだ。そりゃあ、気になるだろうさ。
まわりのひとにどう思われているのだろうと考えると夜も眠れない。
「どうしてそんなに他人の目が気になるの?」
リズの声はそんなのはバカらしいと言っている。
「それは。。 ぼくがうそつきで、、おくびょうで、、ひきょう者だから・・・・・・」
「そんなこと」
「あるんだ!!」
リズの言葉をさえぎっていた。気まずい空気にしてしまったぼくはうつむいたまま立ちつくした。
「話なら聞くよ」
いつもと変わらないリズの声にさそわれて顔を上げると、薄紫の瞳がぼくを見ていた。澄んだ瞳を見ていると激しい思いが突き上げて来る。
はきだしたい!! 何もかも全部!
秘密のまゆに小さな穴が開いたのを感じた。
2年もの間押しこめてきたもので破裂寸前だったのだろう。たまりにたまったものが穴から勢いよくふきだすのを止めるなんてできっこない。
「・・・・・・ぼくは・・・ひとりっ子じゃない。・・・・・・双子の兄さんがいたんだ。兄さんが死んだのは、全部、ぼくのせいなんだ!」
あふれる涙は言葉より多くて何も見えなくなる。
リズはぼくの体をささえるようにしてソファに座らせてくれた。気持ちが落ち着くのをしんぼう強く待ってくれている。
「・・・・・・兄さんは、、ハーラノアは、まじめで、やさしくて、勇気のあるひとだったんだ。みんなハーラが好きだった。それなのに・・・・・・ぼくのせいで・・・・・・」
あんなにもひとに知られるのが怖かったことを、ぽつぽつと話はじていた。
ぼくたちは同じ日に生まれた一卵性双生児で、他人には見分けがつかないくらいそっくりだった。それでも、ほんの15分はやく生まれたハーラはお兄ちゃんぶっていた。
あの日は天気がよくて風もなくて気持ちのいい青空が広がっていた。ぼくとハーラは学校の中庭でランチを食べることにした。
そこに担任のネフスキー先生が通りかかって足を止めた。
「次の授業で使う資料を運んでもらえないかしら。ハーラノア、お願いできる? ランチが終わってからでいいから」
「はい、わかりました。後で行きます」
先生が行ってしまってからぼくたちは顔を見合わせて大笑いした。
ネフスキー先生はぼくとハーラを取り違えていた。見分けがつかないんだ。そのくせ当てずっぽうで話しかけて来る先生をからかうのがぼくたちの楽しみだった。
ハーラとまちがわれたぼくは資料室へ向かった。人体やエンジンやらの模型とか、石や骨やらの標本とかでびっしりのタナがいくつも並ぶ資料室は薄暗い。
タナのすき間に先生を見つけたとき、男の声が聞こえた。
「次の潜入先が決まった。口裏を合わせておいてくれ」
「兄さんは奥さんに土下座して家に帰ったとでも言っておくわ」
先生と話しているようだ。
「さびしいけれど、ここに逃げ込まなくてすむように任務の成功を祈ってる」
「おまえもだぞ。協力者だとバレないように気をつけろ」
クフタン? クフタンって、先生が?
アビュースタ人でありながらリトギルカ軍に協力するひとのことだとすぐにわかった。そんな裏切者がいるとは聞いていたけれど、まさか、ネフスキー先生が!
先生は明るくてやさしくて、ぼくたち生徒のことをいちばんに考えてくれる。そんな先生が、どうしてっ?!
「・・・・・・うそだ」
先生がぼくを見た。しまった! かち合った視線に緊張が走る。
「ハーラノア。はやかったのね。ちょっと待って。持って行ってもらう資料をだして来るから」
何もなかったようにふるまう先生を押しのけて、前にでて来た男がぼくの目をのぞきこむ。
「聞いたか? 今の話を」
声がでなかった。
「聞いたんだな」
逃げなきゃ! と思うのにからだが動かない!! 男が手を上げる。
「乱暴はしないで。わたしの生徒なのよ」
「じゃあ、どうするんだよ」
「わたしにまかせて」
ぼくの前に立った先生は見たことのない、冷たい顔をしていた。
「ハーラノア・ルフト。わたしはあなたを傷付けたくない。だからわたしの言うことをよく聞いて」
声をだすことも、うなずくこともできなかったけれど、ぼくの目は助けてと叫んでいたはずだ。
「ここで見聞きしたことは絶対に誰にも話さないと約束して。もし、約束を破ったら、わたしに彼は止められない。彼はザックウィックなの」
その言葉に悪寒が走った。ザックウィックというのはリトギルカ軍の特殊能力者だ。魔法使いみたいに何でもできるらしい。動けないのは男に何かされたからだ。
「あなたを許さないし、トーニノイにもひどいことをするかもしれない。弟を巻き込みたくはないでしょう」
知らないひとみたいな先生の口からでた自分の名前に凍りついた。
それからは秘密を守ろうと必死だった。何もなかったようにしていようとがんばったけれど、どうしてもネフスキー先生の顔をまともに見ることはできなかった。
ぼくの様子がおかしいことに気が付いたハーラはすごく心配してくれた。「何があったの?」と何度も聞かれた。それでもぼくは秘密を守り通した。
それから何日かして先生に呼びだされた。あの資料室だ。ザックウィックがいるかもしれない。足がすくんだ。
どうしてハーラを行かせてしまったのだろう!
ぼくの代わりに資料室に行ったハーラを止めなかったことを、後悔し続けている。
ハーラは、戻って来なかった――――
次の日の朝、学校の屋上から落ちて死んでいるのが見つかった。ノートには乱れた字の遺書があった。
ハーラが自殺なんかするもんか! あいつに殺されたんだ!!
ぼくだけが本当のことを知っていた。それなのに、口を閉ざして秘密ごと自分の部屋に閉じこもってしまった。
「・・・ハーラは・・・・・・何も知らなかった。殺されなきゃならない理由なんかひとつもなかった。
・・・ぼくは・・・・・・ハーラを身代わりにしてのうのうと生きているひきょう者で、本当のことを話す勇気もない。
・・・・・・父さんや母さんにさえ、何も知らないってうそをついているんだ・・・・・・」
あふれる涙はぬぐってもぬぐっても止められない。リズの胸で声をあげて泣いた。
それからしばらくしてネフスキー先生が死んだ。こんな偶然ってあるんだろうか。学校の屋上から飛び降りた先生が倒れていたのは、ハーラが死んでいたその場所だったんだ。
遺書には、自分はクフタンだと書かれていたとかで大騒ぎになった。
今だ、と思った。今このときを逃せば、ぼくは一生秘密をかかえて生きることになる。そんなこと、耐えられない!
どんなに冷たい目で見られても、どんなにするどい言葉でののしられても、それは全部、ハーラを身代わりにした罰なんだと覚悟した。
「父さん、母さん。話したいことがあるんだけれど」
夕食後に声をかけると、ふたりはぼくの真剣さを察してくれたようだった。
リビングに場所を移して、向かい合った両親にぼくの罪を打ち明けた。身動きもせずに聞いていたふたりは話し終えても口を開かない。
しばらくして立ち上がった父さんがぼくの前に仁王立ちになった。その顔は怒りで赤くなっている。
とんで来た大きな手のひらにほっぺを打たれてソファに倒れ込んだ。
「どうして今まで黙っていたんだ!!」
ほっぺはヒリヒリ痛かったけど、心はもっと痛い。
父さんも母さんも、自殺したハーラの苦しみに気づいてやれなかった自分を責めて苦しんでいた。自殺なんかじゃなかったのに!
全部ぼくが悪い。ハーラを身代わりにした。本当のことを知りながらだまっていた。全部、全部、ぼくが悪い。
だから、泣いちゃだめだ。
ぼくには、その資格がない。
「もっと早く打ち明けていてくれれば!!」
そう言ってぼくを抱きしめた父さんは泣いている。
どうして?
「何も知らくてごめんね」
母さんも泣いている。
どうしてあやまるの? 悪いのは全部ぼくなのに。
「もう、ひとりで苦しまなくていいんだ」
「よくがんばったね。偉いわ」
どうしてそんなにやさしいの? しかってほしいのに。
泣かないと決めていたけどムダだった。両親に抱きしめられたぼくの耳元で声がした。
「生きていてくれて、ありがとう」
その声はハーラに似てる気がした・・・・・・