#1
来た! あの子だ。
街角に現れた少女は日暮れ時の物悲しさなんか相手にしていない。近づく夜をはね返す黄金の髪をなびかせながら、踊るように歩いてる。
ぼくは、、生命力にあふれた少女を見ているだけで、落ち着かない気分になるんだ。
はじめて少女を見かけたのは2か月前。その瞬間、テレビの映像と変わらなかった窓の外の光景が呼吸をはじめた。
毎日外ばかりながめていてわかったことがある。少女は週に1度、決まって夕方に現れる。
目的は、はす向かいにある店で買い物をすること。
店にはママン・マニと書かれた看板がかかっている。
1年前のオープン日には行列ができていた。甘いにおいが漂って来るけど、何を売っているのかわからない。
知りたい、と思った。少女が買っているものが何なのか。
「母さん」
ぼくの分の夕飯を置いて立ち去ろうとしていた背中に声をかけた。振り返った母さんは、細く開けたドアのすき間からのぞくぼくを確かめようと目をこらしてる。
ぼくが話しかけたことが信じられないんだ。同じ家に住んでいながら2年もまともに口をきいていないから。
「あの店。ママン・マニがなんの店か知ってる?」
「・・・ママン・マニ・・・・・・」
母さんはほうけたみたいにつぶやいてから、我に返って満面の笑顔になる。
「ママン・マニね、ママン・マニ。チョコレート菓子の専門店よ。色んな島に出店してるチェーン店だって言ってたわ」
母さんの目に光るものを見て胸がつまった。もっと話せたらよかったんだろうけど、「ありがとう」とだけ言ってドアを閉めた。ぼくにはそれが精一杯だった。
次の週の夕方、いつものようにやって来た少女は、いつものようにショップバッグを両手に下げて店からでて来た。
今日のぼくはショップバッグの中身がチョコレート菓子だってことを知っている。それだけで少女に一歩近づいたような気がしてうれしかった。
来た道を帰ろうとした少女の脇を1台のモータービークルが走り抜けた。ずいぶんスピードがでていたようで驚いてよろめいた少女はご立腹だ。
「危ないでしょ!! もっとゆっくり走りなさいよ!」
遠ざかるモータービークルに向かって叫んでる。ちょっと鼻にかかったようなかわいらしい声。はじめて声を聞いたぼくは、もう有頂天さ。
「くたばりやがれ!!」
悪態をついたのにはちょっとびっくり。案外気が強いらしい。
あれ?
歩きはじめた少女を見送っていて、アクシデントが起きていることに気が付いた。何か落ちてる。
少女がモータービークルと接触しそうになった場所だ。よろけたときにショップバッグの中身がこぼれたんだ!
ブツブツ言いながら速足で歩いている少女はそのことに気づいていない。
ぼくは反射的に部屋を飛びだしていた。
「待って!」
声をかけられて振り返った少女にひるんでしまった。不機嫌を絵にかいたような顔をしている。怒りが収まってないらしい。
「これ。」
久しぶりに、本当に久しぶりに走ったぼくは、呼吸を整えながら拾って来た小箱を差しだした。小箱を見た少女は両手のショップバッグに視線を走らせて息を吐く。
「そっか。さっき転びそうになったときに落としたんだね。
見てた? あのモータービークル。ほんと頭にきちゃう!」
ぼくは見ていた。
受け取った小箱をショップバッグに戻し、「ありがとう」とほほえんで行ってしまう少女を。
ただ、、見ていた。
少女はぼくという存在を知った。でも、それだけだ。名前すら知らないぼくのことなんてすぐに忘れてしまうだろう。
声をかけるきっかけをくださいと、どれだけ願ったって奇跡に2度目はない。
知ってほしい。ぼくの名前を。
知りたい。少女の名前を。
その想いは胸を焦がすほど熱かった。
「友だちになってほしいって、素直な気持ちを伝えたらいいんじゃないの」
相談相手をまちがえた。曇りのない笑顔でのたまう母さんを前にそう思った。
どうしても少女の名前を知りたかった。でも、どうしたらいいのかわからなくて。他に話を聞いてもらえる相手はいないし選択の余地なんてなかったんだ。
母さんはおっとりしているくせに大胆なひとだ。ぼくは母さんに似ていない。
「いきなり友だちになってって頼んだら面食らうと思うんだけど」
「それもそうね。それなら」
母さんは深く考えない。
「プレゼントよ。お花がいいわ。きれいなお花をもらってうれしくない人はいないもの」
受け取ってもらえるだろうか。ほんの少し話しただけの、ぼくなんかのプレゼントを。
不安しかないプランだけど他に何も思いつかない。
偶然のふりをしてもう1度話をするきっかけを作ることはできる、と思う。でも、小細工はしたくない。少女にうそはつきたくなかった。
1週間後。
買い物帰りの少女は、こっちをちらっと見て視線を戻しぼくの前を通りすぎた。
やっぱり覚えてないんだ。当然だよと自分に言い聞かせる。
さあ、声をかけるんだ! 今がそのときだ!! そういう計画だったろ?
声が、、でない
のどに何かのかたまりがつっかえたみたいになっていた。あせればあせるほどかたまりは大きくなっていく。この間はちゃんと話せたのに、どうして?!
遠ざかって行く少女の背中と胸に広がる絶望―――
終わりだ。。
ぼくが行動を起こすことは、もう、ない。なけなしの勇気を使い果たしてしまった。
名前も知らない少女が現れるのを待って窓の外をながめるだけの毎日に戻るんだ。さびしさが全身を包み込んでいく。
本当にそれでいいの?
ぼくは変わらなくても少女は変わっていく。突然、ぼくの世界に現れたように、ある日ぱったり、ぼくの世界からいなくなってしまうだろう。
それでもぼくは、窓の外をながめるたびに少女を思いだすんだ。
少女はとっくにぼくのことなんて忘れてしまったというのに!
今声をかけなければ後悔する。きっとする。絶対する。まちがいなくする。
もう、後悔なんかしたくない!!
一歩前に踏みだすと、後は感情に流されるまま走った。
声をかける前に振り返った少女と目が合った。
「やっぱりそうだ。この間、落とし物を届けてくれたひとだよね?」
えっ?
「そうじゃないかなって思ったんだ。でも、知らんぷりしてるから」
覚えていてくれた!
「この間はごめんなさい。わたし、感じ悪かったよね。気が立っていたから」
「いや、そんなことは・・・・・・」
ない、とは言えないか。でも
「あんなことがあった後じゃ、しかたないと思う」
「そっか。しかたないか」
少女の表情がふっとやわらかくなった。
「ところで、今日はどうしたの? ブーケを落とした覚えはないよ」
いたずらっぽく笑う少女は夕日をあびて輝いている。
「えっと、これは、その、、あげる!」
「いいの?」
満面の笑顔はすぐに曇ってしまった。
「うれしいけれど、持って帰れないね」
少女の両手はショップバッグでふさがっている。
そうだよ。いつもこうなのは知っていたのに。ショップバッグのすき間にはいるような、もっと別の小さなものにしておくべきだったんだ。これじゃ、がっかりさせただけだ。
「ごめんなさい・・・・・・」
消えてしまいたい。。
「どうしてあなたがあやまるの?」
ぼくはもう、何も言えなくなっていた。
「ついて来て」
顔を上げると、少女は歩きだしている。
どういうこと?
「わたしの家まで持って来てよ。近くだから」
イエス、イエス、イエス!
どこへだって付いて行くよ。
ぼくは花束をかかえて少女の後を歩いた。
母さんが用意してくれると言うのを断って自分で店まで行って買った花だ。少女の笑顔を思い浮かべながら選んだ花だ。ちゃんと渡したいに決まってる。
通りから1本入ってすぐの古い家の前で、ショップバッグをおろした少女にあらためて花束をわたした。
「ありがとう。すっごくうれしい。
わたしはリスベット・エステル。リズって呼んで。あなたは?」
知りたくてたまらなかった名前を聞いて舞い上がったぼくはしどろもどろだ。
「えっと、その、ぼくはトー二ノイ・ルフト。みんなにはトー二って呼ばれてる。みんなって言うのは、あの・・・」
リズは形のいいあごの先に指を立てて首をかしげた。
ぼく、何かおかしなことを言ったかな?
「ノイがいい」
「え?」
「ノイにする。その方が似合ってるもの」
「そ、そうかな?」
「そうよ。わたしが言うんだからまちがいない」
リズはちょっぴり強引な女の子だった。