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白くてモチモチしてて

作者: 雉白書屋

「うわっ! ちょ、ちょっと! マナブ! あんたねぇ、外の虫かご! あれ、中身捨ててきなさいよ! 臭いし変な虫湧いてたわよ!

あーもう、ほんっっとヤダー! 思い出したら鳥肌が立ってきたわ! ほら早く! お母さん、お風呂入ってくるから、その間にとっとと捨ててきなさいよ!」


「ちっ、はーい……」


 床に寝転び頬杖ついて、テレビを眺めていた私はゴロリと一回転し、起き上がった。

 これは私が小学生の時の話だ。


 母が言う『外の虫かご』とは、私たち家族が住んでいた一階のボロアパートの部屋のドアの前に置いてある、プラスチックの飼育ケースだ。

 多分、その何年か前の夏に父親に買ってもらったカブトムシの飼育セットだろう。尤もカブトムシは、ひと夏で死に、メスが卵を産まなかったので、また別の虫など生き物を入れるようになったが、その時の私は何を入れたか全く覚えていなかった。適当に捕まえた虫やトカゲ、あるいはネズミの死骸、その全てかもしれない。

 ネズミの死骸と聞くと、えっ、と思うかもしれないが、小学生にとって、珍しいものはなんでも宝となり得る。

 当時見た漫画かアニメか映画の影響か、そのプラケースの土の中に埋まればまた蘇るとか、別の生き物が生まれるとか、花が咲くかもとか、独自の設定、世界観を持っていたのだ。空想妄想奇想天外奇跡を信じていた年頃。まあ、それもこれも世の小学生と同様、飽きっぽくもあったが。

 ゆえに、身に覚えがなかった私だが、怒れる母に逆らう気もない。抵抗は火に油を注ぐだけ。私は玄関に向かい、靴を履いた。

 と、ここで母もさすがに心配になったのだろう。小学生の時の話ゆえ、正確ではないが確か夜の八時か九時だったと思う。母は懐中電灯を私に持たせ、すぐに帰ってくるように言い、洗面所に引っ込んだ。

 母の服を脱ぐ音におえっと舌を出し、私はドアを開け外に出て、虫かごを脇に抱え歩きだした。

 夏の夜。まだ七月だったか、そう暑くはなかったように思える。


 家からそう離れていない場所に林がある。私はそこに向かおうか、それともさらにもう少し離れた場所にある公園に向かおうか、神社もいいな。あそこの木はカブトムシが捕れると噂だ。と歩きながら悩んだ。夜、出歩くことは中々ない。ちょっとした冒険気分に私は胸を躍らせていたのだ。

 これを捨てたら代わりに何か捕まえてまた飼おうか。そう考えていた。

 ……が、ふと思った。『これ』とは? 母をああも怒らせていた虫とはどんなものだろうか。確かにプラケースの青い蓋、その隙間から顔を背けたくなるような臭いはする。湧いたと言っていたがなんだろうか? 

 そう思った私は電柱その外灯の下に移動し蓋を開け、中に懐中電灯を向けた。


 私は息を、悲鳴を呑んだ。中にいたのは、くすんだ白色の芋虫たちであった。

 くすんだ白色というのは外灯の微光、プラケースを覗き込んだ私の影によって、そう見えたからで実際の色はわからない。やや、オレンジがかった懐中電灯の光に照らされたほうの芋虫はクリーム色のように見えた。

 その皮膚の下、ところどころに黒い丸のようなものがあり、とくに顔の部分。先端が大きく濃くてまるでチョコチップ入りのパンのようであるが、やはりこれらは蛆虫。そうに違いないはずなのだが驚くべきはその大きさにあった。

 大小さまざまで小さいものはそれ相応であるが、大きいものは、まさしくギョウザなみであった。形は丸みを帯びた長方形であり、それも個体差があるが一様に蛇腹。線が均一に横に入ったそう、まるでクリンクルカットの冷凍フライドポテトのようであった。

 あまりの光景に呆気に取られていた私だったが、とうとう悲鳴を上げた。手にモゾモゾと、何かが蠢く感触がしたのである。

 そう、その芋虫は蓋の裏にも、びっしりと大量にくっ付いていたのである。

 私は蓋から手を放し、叫びながら手をやたらめったらに振り、芋虫たちを地面に落とした。

 落とした蓋は裏面が空の方へ向き、その上にいる芋虫たちが、探り探りでアスファルトの上に着地をしようとしている。

 プラケースの中の芋虫たちも外気の変化を感じたか、脱出のチャンスだとばかりに続々と壁面を這いあがり、縁から顔を出す。私はいくら叫んでも叫び足りなかった。

 蠕動する芋虫たちのそのスピードは意外にも速く、私目掛けて突進して来たのである。正確にはプラケースを起点に四方八方へ散っているわけだが、小学生の私には化物芋虫が私に食らいつきに来たようにしか思えなかった。

 私は手足を振り上げ、向かってくる芋虫たちを踏み潰し始めた。サンダルの裏から伝わる感触が私の肌を粟立たせ、そして少しちびらせもした。

 潰れた芋虫は執念深くもサンダルの裏に張り付き、アスファルトに足を着ける度に、その異物感に私は吐き気を催した。

 潰れた瞬間、芋虫はココナッツミルクのような白い体液を迸らせ、どこか私にその甘さとクリーミーさを想起させた上で、アスファルトに溶けたバニラアイスのように沈んでいった。

 尻の部分が潰れ平たくなり、体液を滴らせている一匹が、私のサンダルの縁から小指へと這いあがると、私はそれを摘まみ上げた。

 芋虫は私の親指と人差し指、中指の間で泣き喚く赤子のように激しく体を動かし、丁寧にご飯を食べる時のようにその下にそっと広げ添えた、もう片方の私の手のひらの上に蜜のようにやや粘りのある体液を糸を引きながら落とした。


 私はゴクリと唾を飲み、それを舐めた。


 途端、舌の先から喉の奥に向かって広がる芳醇なその味わいに私は目を見開いた。

 まるで紅茶の底に溶けず残った砂糖の一塊のようなその甘さがまた欲しくなり、私は今度は唇をすぼめ、その芋虫の潰れた尻に優しく口づけをするように吸いついた。

 まるであの映画。タイタニック。船の先端の男女二人。私の口から芋虫が星空の海に向かって体を伸ばし、身じろぎしていた。

 私は手を下ろし、そして体の感覚を口に集中させ、その振動と味を深く、深く楽しんだ。

 ちゅぱちゅぱとおしゃぶりのように吸い、小学生であるが遠き幼き日に思いを馳せたと思えば、今度は暑き日の部活帰りの中学生が飲むタイプのアイスをそうするように、ちゅーっと一気に吸い上げたりもした。

 そのうち、口に咥えた芋虫の動きが鈍くなったと感じた私は、これはいけないと口を少し開け、舌で絡めとるように中へ。

 ブチュ、ムチュ、モニュ。

 そのグニョっとした肉の触感と皮のしょっぱさに舌鼓を打ち、そして最後、呑み込むと私は感嘆の息を漏らした。

 鼻を啜り、空気と溶けあった息のその中のあの味、その匂いを探そうとした私はハッと気づいた。

 すぐに集めなければ。

 そうして、芋虫たちを拾い集め、またその何匹かは食した私は、このまま家に戻っては母親に処分されると素晴らしい洞察力を発揮して、神社まで走り、そして神様お願いしますお守りくださいと心の中で唱えつつ、床下に潜り込み、プラケースを安置したのだった。

 


『……と、いった、せ、先生のお話でしたが、あ、あの』


「ええ、無論、重ね重ね言いますが小学生の時の話です。記憶は色褪せ、夢とかき混ぜられ、正確さを欠いているやもしれません。

しかし、そう夢……。それはいつしか、いやあの瞬間から私の夢となったのです。

その実現のために私は勉学に励み、その気のない研究に心血注ぐという苦痛を乗り越え、新発見、幾たびの受賞、特許、と今の地位に昇りつめ、そして今日、ようやく皆様に私の心からの研究の成果をお届けできたというわけです。

奇しくも昆虫食に光が当てられている現代。これぞまさに運命との出会いと皆様に思っていただきたい!

今日、お集まりいただいた皆様に振る舞った料理というのが……あれ、ああ、もったいない。せっかく抵抗ないように、私自ら気を使い、調理したのに。吐くなんてううん、実にもったいない。どれどれ……おほぉ! これはこれはなんとも味わい深い。おおぉ……ああ、いい……」

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