めろめろぐちゃぐちゃ
ああああああマイ、甘い、あまいあまい甘すぎる。
洗い終えたばかりの肌を彼の手が滑る。鋭く甘く優しい刺激に背中が震える。他人に与えてもらう快楽って、思ったよりいいものみたい。
えっちな声も出さないし、気持ちよさそうな表情もしないし、目だって死んだ魚のようなのに、それでも彼は満足そうに微笑んだ。
吐き気がするのは汚濁行為をしているせいじゃない、嬌声を喉奥に閉じ込めすぎたせいだ。このままこいつの股間に吐瀉物ぶちまけたらどんな顔するかなとか馬鹿なことを考えてみる。そんなことしないけど。
洗脳洗脳自己洗脳。静まれ理性。働け煩悩。理性ちゃんよ、ちゃんだかくんだか知らないけど、お前は今働いていい存在じゃないんだよ。
相変わらずあたたかい彼の手に、血が褪めて青くなった顔が温度を取り戻す。同時に吐き気もおさまってきた。
優しい優しい、手。あたたかくて、あまくて、痛くて、かなしい手。でも大好きな手。
トモダチに捨てられた時、祖父が死んだ時、父に殴られた時、母が病気になった時教科書を破った時クラスメートに泣かされた時怒った時悲しい時苦しい時空が赤い時街灯が消える時人が転ぶ時死のうとした時いつだって私を救った手。どんな時もそばにある手。
猫の手なんて借りなくても、私は彼の手があれば何でもできる。今でもそう思ってる。
その手が私の身ぐるみを剥いで、その手の持ち主が私の春を奪うなんて、その瞬間に立ち会っても正直実感がわかない。でもいつかこうなる運命だったから、なんて先見の明を持った超能力者か道端に転がってるエセ占い師みたいなこと思ってみる。先見の明(笑)はほんとに持ってるようなものだけど。
ふと、近づいてきた唇を手で受け止めた。その純潔だけはお前にはやらないという意思表示だ。
生まれて持ったふたつの純潔。ひとつは破られてしまったけど、もうひとつは守っておきたい、なんて少し思ってしまった。
殴られるかな押し倒されて言うこと聞かされるのかな。でもそれも悪くないな。特に怯えもせず大人しくその時を待ってみる。
「そうだよね」
降ってきた言葉は思っていたものと違った。
身体の距離が遠くなる。どこまでも近かった心の距離までも遠くなってしまいそうで、私は無意識に彼を抱きしめようとした。
躱されてしまった。細くなった両の腕が行き場を失い、宙を掴む。
ゆるくとおく、なかが冷めていく。期待していたようなグロテスクで甘い夢は、実現しないと悟ってしまった。
「どうして」
落とした言葉は重く短い。
「君を傷つけるのはもうやめにしようと思って」
ごみのように燃えない不要な言葉が、私の心に爪を立てた。
私は、自ら望んで傷ついたのに、自ら望んで汚されたのに。
今すぐに朽ちてもいいと、もう死んでもいいと思ったから。価値のない身体だから、最期くらいずっと私を欲していた男に捧げてやろうとしていたのに。
彼はずっと私のことが好きだった。ずっとずっとずっと。でも私は報ってあげられなかった。
ありふれたラブコメディのように、幼馴染の恋心を無視する主人公だった。
でも、彼は私に彼氏ができた時素直に祝ってくれた。惚気話も笑って聞いてくれた。喧嘩した時は慰めてくれた。
時々してくるセクハラも、私に恋人がいる時は一切してこなかった。
誰も見てないところでなら、いくらでも私を好きなようにできたはずなのに。略奪さえ狙わなかった。
その彼氏と私が別れた時は、心底悲しそうで嬉しそうだった。
そんなぐちゃぐちゃで優しい彼のこと、正直恋愛対象としてみるのは微妙なところだけど、私が人生を捨てた今なら全部ゆるしてあげてもいいと思っていたのに。
十年前から欲しがっていたそれを、今になって拒むのはどうして?
「あんた、私のこと大好きなんじゃないの」
「好きだよ。だからこそもうこんなことはしたくないんだよ」
「意味わかんない。私がいいって言ってるのに」
怒ったような口調で返すと、彼はなぜか、とても悲しそうな表情を浮かべる。
「―――君はもう、自分の顔が濡れているかどうかすら分からなくなってるのか」
言われて、触って、気づいた。
嫌じゃなかったはずなのに、むしろ気持ちよかったはずなのに、まだ本番までしていないのに、
私はなぜか、泣いていた。
男物のシンプルなハンカチが、湿った肌に触れる。
やわらかい綿の繊細なぬくもりは、持ち主のものとよく似ていた。
訳も分からず流れ続ける涙を、あたたかいものが拭い続ける。
脱がされたはずの衣服は、いつの間にか冷えた裸体を優しく包み込んでくれている。
「今でも死にたい?」
問いかける声に首を振る。
「死にたくない、ずっと生きてたい」
こんなに丁寧に涙を拭いてくれる手を、身体をあたためてくれる手を、失いたくない。
この手なしであの世で生活するのなんて絶対に嫌だ。心中するなら話は別だけど、彼はきっと、私が命を絶つことを望まない。
「なら一緒に生きよう、こんな風に自分を犠牲にしたりしないでさ」
全身を包み込む腕は、細く硬く、されども頼もしい。
もう死は望まないけれど、私はいま本当に、正真正銘、彼になら私の全部捧げてもいいかもしれないと思った。
私は思ったよりこいつのことが好きだったみたい。
そういえば、私はなんで生きたいと思ったんだっけ。
彼を失いたくないと思ったのは本当だけど、それは私が生きたいと思った本当の理由じゃない。
……どうせ本能だろ。人間の生存本能。
やっぱり感情は本能には抗えないのね。感情と本能の違いなんてよく分かってないけど。
何の目的も理由もなく生きていくのは虚しい。ただ本能のままに生かされるのは、きっと苦しい。
そんなのまるで呪縛だから。
彼のこと、本気で愛してみようか。今まで見ないふりしてきた自分の本音と、彼の気持ちと向き合ってみたい。
「今でも好きなの?」
さっきの彼の言葉をまねして訊いてみる。
「もちろん。僕はずっと君が好きだよ」
じわり、ぶわり、と。
熱くて痛くて苦しくて、心地よい何かが、私のなかみを埋め尽くしていく。
このぬくもりを手放したくないと、そう思って抱きしめ返すと、彼の腕の力が一層強くなる。
この瞬間、私たちは何かを共有して、通じ合ったような気がした。
―――ああ、もう、なんでもいい。
神様でも埋められない私の虚無は、全部こいつがうめてくれる。
それでいい。それだけでいい。
だから、もう。
めろめろに、なっちゃえ。
読んでいただきありがとうございました。




