3話
次の日の事。ジュリアンナは、朝から必死に、自分の部屋で、ピアノの練習をしていました。
「ジュリアンナのピアノの音を聴くと、足が五本になっちゃうんだって!!」
昨日、近所の子たちに言われた、傷つく言葉が、ジュリアンナの頭の中をめぐっていました。そして、過去に言われた言葉まで、思い出してしまいました。
「あんなんでピアノが弾きたいだなんて、バカだなあ」
「足が五本もある上に、指もないなんて、バケモノみたいねえ」
「うちの子があんなんじゃなくて本当に良かったわ」
ジュリアンナは、とても悲しい気持ちになりました。目をつぶり、心の中で、必死に叫びます。
--うるさい。うるさいうるさい!--
--わたしだって、ふつうの女の子よ--
--ママはいつだって、わたしを愛してくれたよ--
--あのピアノは、ママが頑張ってわたしにプレゼントくれた、大切なピアノなんだ--
--わたしだって、ピアノを弾いてもいいんだ--
--だって、ピアノが、音楽が、大好きだから--
--指がなくたって。足が五本あったって……--
ジュリアンナの、大きな瞳から、涙がポタポタと、鍵盤の上に落ちました。
「あ……」
スカートのポッケからハンカチを出し、そっと、拭きました。
「……」
その時、玄関の鍵が開く音が聞こえました。
「……ママ?」
ジュリアンナの部屋まで近づいてくると、ドアを叩かれます。
「ジュリアンナ、ママよ!開けてちょうだい!」
--ママは、いつももう少し帰りが遅いのに……?何か、あったのかしら--
少し不安になりながら、ドアを開けると、何故でしょう
「ピアニストのパーティーに行きましょう、ジュリアンナ」
母の、珍しく、とても嬉しそうな姿がありました。
「有名なピアニストたちの……パーティー?ママが、呼ばれたの?」
不安げなジュリアンナの問いに、母は答えます
「ええ!ママと、ジュリアンナ、あなたもね」
「そんな。嘘だ」
ジュリアンナは、否定し、母を睨みました。
「嘘なんかじゃないよ。ママね、ピアノのお仕事を辞めてからも、ピアノに関係する事には、呼ばれていたでしょう?もう辞めたからね、ずっと断って来たけれど。今はあなたがピアノを……。だから、今は、とてもいい機会だと思っているの。一緒に行きましょう?来週だよ」
「お金がたくさんいるんでしょ?」
疑ってかかるジュリアンナの態度に、母は少しあきれながらも、微笑んで言いました。
「かからないわよ、招待されているんだから」
「じゃあきっと、噂を聞いて、私の体の事をバカにしたいんだ」
「ジュリアンナ……?」
「ママの事も、みんなの前でバカにするんだ……」
ジュリアンナは、自分の体の、悲しい事ばかり思い出して、人を信じられない状態になっていました。涙がこぼれると、立てなくなり、その場にしゃがみ込んでしまいました。
「ジュリアンナ……どうしちゃったの……」
母も、悲しくなり、自分自身の情けなさを感じました。涙をこらえ、強く抱きしめました。
「見世物にされるんだっ……みんなみんな、バカにしたいんだ……みんな、私を、バケモノだと思ってるんだ……近所の子たちだって、いつも、虐めて来るんだよ……」
母は、ジュリアンナと肩を離しました。血の気が引いたのです。
「あなた……近所の子たちとはよく遊んでるんじゃなかったの?」
ジュリアンナはうつむいたまま、今までずっと、母に隠していた事を、少しずつ話しました。本当は、近所の子たちや知っている人は、理解などしてくれませんでした。街で会うたびに、暴力などはないものの、聞こえるように悪口を言われたり、近くに行くと逃げられたりして、この街には、存在を許される場所などなかったのです。しかし、母が一緒だと、周りの人間もいい顔をしてきます。話もしてくれました。母はほとんど日中は仕事で近場にいないので、ジュリアンナは、ひとりで寂しくても、母の前では、まるで差別などない日常をおくっているかのようにふるまっていたのです。周りへの怒りが、心から悲しみがあふれました。涙が止まらなくなった母。ごめんね、ごめんねと、最愛の娘を抱きしめました。
「……ママ」
ジュリアンナは、ずっと黙っていた事を話し、少し落ち着きました。母は、ジュリアンナの金色の髪を、そっとなでています。
「みんなみんな。産まれて、生きて、幸せになるべき子なんだよ。産まれた時から生を許されない子なんて、この世にひとりもいないよ」
「…………うん」
やっと、目を合わせると、ジュリアンナの瞳に、強く、気高い母の顔が見えました。
「不安になるでしょうけれど、ママを信じてね。私の娘を馬鹿に出来る人間なんて、このパーティーにはひとりもいないわ」
それは、今まで見た事のなかった、母親の強い瞳。ジュリアンナは、ピアノパーティーに、母と一緒に参加する事を決めました。