第9話 3回目のはじまり
「大丈夫?なんだか体調が悪そうだけど?」
こちらを心配するようにのぞき込むイーナの姿が俺の目に映る。イーナの姿を見た途端に、先ほどの惨状の光景が俺の脳裏にフラッシュバックする。次々と断末魔の叫びを上げながら炎に包まれていく魔法使い達。別に奴らの肩を持つ気などさらさら無かったが、あの光景は、俺にとっては、あまりに衝撃的すぎる光景であった。
認めよう。目の前にいる少女は、イーナは厄災であると。イーナには感謝もしているし、悪い奴ではないことは十分に理解している。だが、厄災という言葉の意味を、俺はまさしく今理解した。存在しているだけで、周りに災いをもたらすような存在であるのだと。
だからこそ、俺達は関わり合ってはいけないのだ。俺にとっても、イーナにとっても、お互い関わらないというのが一番良いに違いない。関わり合ってしまった以上、どうあがいてもバッドエンドは避けられないのだから。だからこそ、俺はイーナに言葉を返した。なるべく平静を装いながら。
「心配してくれて、ありがとう!大丈夫!ちょっと寝てしまってたみたいだ。急ぎの用事を思い出したから、俺は失礼するよ!」
ふらふらの身体にむち打って、俺はイーナの元をすぐに離れようとした。足元がふらつく中、俺は必死に出口に向かって歩みを進めようと、重い足を一歩また一歩と動かす。だが、俺を引き留めるイーナの声が、俺の耳へと届いてきた。
「相当体調悪そうだよ?本当に大丈夫?」
だめだ。ここでイーナの優しさに甘えてはいけない。彼女と関わってはいけない。俺はそのままイーナに身体を預けてしまいたいという感情を抑え、彼女に向けて笑顔を作った。
「大丈夫!大丈夫!じゃあまたどこかで!」
口ではそう言いつつも、全くもって大丈夫ではない。だけど、俺はすぐにでもこの場を離れたかった。いや、離れなければならなかったと言った方が正しいのかも知れない。重たい身体を引き摺るように、俺はイーナと出会った酒場を出て、ローナンの街の中心の方へと向かった。
街の中心は、寂れたローナン地方とは言えど、活気が触れていた。行き交う人々の声が次々と耳に届いてくる。俺はどこへ行けば良いのか、何をすれば良いのかもわからず、ただただ、呆然と、街を歩いていた。行く当てもないまま、俺は街の広場の石のベンチへと腰をかけた。
「なあ、また被害者が出たんだってな……」
そんな声がふと、耳に届く。もう、厄災だの、被害者だのどうだっていい。被害者が出ようが俺の知ったことではない。
「またか?本当に最近どうなっているんだ?こないだも厄災が出たらしいじゃないか?そいつか?」
「ああ、『業火の魔女』だろ? だが、どうにも違うみたいだ。ここ数日の間に立て続けに起こっている事件、なんでも被害者は胸を一突きされ、それ以外の傷もなく、綺麗な状態で見つかっているらしい。まるで眠っているようにな』
「本当に、『業火の魔女』だの、その犯人だの、ろくでもない奴らしかいないな。政府は一体何をやっているんだ?」
「あんなお子様政権に何かを期待したところで無駄だろう?俺達にできる事は、そいつらに出くわさないように慎ましく生きることくらいさ」
「違いねえ」
聞き耳を立てるつもりは全くなかったが、つい『業火の魔女』という言葉に、反応してしまった俺は、結局男達が立ち去るまでその話に耳を傾けていた。あいつらはまだ知らない。この街に厄災がすでにいると言うことを。だがそれはそれで幸せなのかも知れない。世の中には知ってしまうことで逆に不幸になると言うこともある。まさに今の俺のように。
男達が立ち去った後も、俺はその場にただ座り続けていた。未だに俺の頭の中は全く整理がついていなかった。ただ、呆然と流れている雲を見つめたまま、時だけがただ流れていく。
いやそろそろ、整理しなくてはならない。このまま混乱のまま時を無駄に浪費するだけではなにも解決しないのだ。
結局、イーナが『業火の魔女』だったとして、俺はイーナを殺さなければ、その先に待っているのは死だけである。そもそも、あんな化け物みたいな力を持ったイーナ相手に、俺がどうこうできるような話ではない。まあ、それは後々考えれば良い。それよりも、まずはネルだ。
このまま行けば、夜に家に帰ればおそらく待っているのはあの惨状であろう。そして、イーナがいない以上、俺は1人で謎の男に立ち向かわなければならない。果たしてそんなことなど可能であるのだろうか?
――いや、もしかしたら……
今まで体験してきた2度の死。俺の死に方は同じではなかった。あのとき、イーナと一緒に酒場を出たことで、確実に未来は変わっていたのである。それでも、結局は死が待っていたわけではあるが……
試す価値はある。このまま、イーナと一緒に行動をしなければ…… もしかしたらあの惨状が起こる未来はないのかも知れないのだ。
重い腰を上げ、俺は自らの家に向かって歩みを進めた。淡い希望を抱きながら、その希望にすがりつくように、一歩、一歩と歩いていく。もはや周りの風景など俺の目には入ってこなかった。ただ呆然と、俺の目の前にぶら下がる希望を追いかけるように歩き続けた。ようやく家にたどり着いた頃には、辺りも暗くなりかけていた。
「ルカ様!お帰りなさい!あれから何か進展はございましたか?」
アレクサンドリア邸の扉を開いた俺を迎えてくれたのは、料理の途中といった様子であったネルであった。無事であるネルの様子に、俺は胸をなで下ろしつつも、心からは喜べなかった。
そんな俺の様子を心配するように、ネルが再び声をかけてくる。
「ルカ様……?顔色が優れないようですが……?大丈夫ですか?」
ネルに無駄な心配をかけるわけにはいかない。仮に俺が今まで体験してきたことを打ち明けたところで、到底信じてもらえるような話ではない。『これから君は死ぬ』と言われて、どこの誰が真剣にその話を聞いてくれるだろうか。
イーナがいない以上、これは俺が1人で何とかしなければならない問題であるのだ。おれは何とか笑顔を作り、心配そうに俺の方を見つめるネルに言葉を返した。
「ん……ああ、大丈夫だよ!ちょっと考え事をしていただけだ!」
「あんまり、思い詰めないでくださいね!きっと、誰か一緒に『業火の魔女』を討伐してくれる人が見つかりますよ!ルカ様が元気が出るように、ネルが腕によりをかけてご飯を作っていましたから!もうちょっとで出来上がるのでゆっくり休んでいてください!」
ネルに促されるまま、俺はダイニングルームへと向かい、椅子へと腰を下ろした。今のところ、奴が来た形跡はない。だが、おそらくはここに来るに違いない。俺がイーナと共に刺されたあのとき、家の中の灯りは消えていて、応接室には血が……
――いや、待てよ。どうして応接室に血の跡があったんだ?ネルや使用人が料理を作っている最中であったのなら、応接室に血の跡があったというのは、不自然である。つまり、あの惨状が起こったときに、少なくともネルか使用人が応接室にいたと言う事である。
ネルか使用人が応接室にいたと言うこと、それはつまり来客があったと言う事である。それも、わざわざネルが応接室に上げると言うことは、少なくとも俺達の関係者と言うことだ。
「ネル!」
俺は、帰り支度を終え、厨房の方に戻ろうとしていたネルを思わず呼び止めた。ネルは、急な俺の声に、少し驚いた様子を見せながら、俺の方へと振り返った。
「どうしたんですか?ルカ様?」
「ネル!変なことを聞くかも知れないんだが?今日来客はあったか?」
「いいえ、ですが、先ほど魔法使いの1人がうちを訪れてきまして、『業火の魔女』について、貴重な情報を手に入れたから、私達にも共有したいと。リーダーからはルカ様との接触は禁止されているから、内緒で頼むとのことでした!ルカ様はいないと伝えたところ、また後で来るとのことですよ!やっぱり協力してくれる良い方もいるんですね!」
正直、俺もネルも、魔法使い達の事はあまり知らなかった。彼らは大臣直属の魔法使いの連中であり、その中で俺が面識があるのは、リーダーであるシモンと、他数人くらいであった。だがもし魔法使いの連中が俺の家を訪れてきたとなれば、ネルが信用して家に上げたとしても、警戒を解いていたとしても、何ら不思議ではないのだ。
「ネル!そいつはどんな奴だった?」
「ネルも初めて見た方でしたが…… 魔法使いにしては大柄で、結構身体も鍛えていそうな方でしたね!すごく頼りになりそうな…… 何とか協力を得られれば良いのですが……」
「大柄な男……」
ネルの話からすれば、あの夜に俺とイーナ、そしてネル達を刺した男は間違いなくそいつであろう。もう一つの問題は、その行為が、大臣の命令であるか、そいつ単独の判断であるかどうかと言うところである。
いずれにしても、そいつが来ればわかる。そう思っていた直後、まさに噂をすれば何とやらという言葉通り、家の扉を叩く音が鳴り響いた。どんどんと扉を叩く音は、きっと俺とネルでは全く異なる音に聞こえているのだろう。ネルにとっては、自分たちに味方してくれる魔法使い、それは希望そのものであり、俺にとっては地獄のはじまりとも言えるような音なのだ。
そんな俺の事情など全く知らないネルは、俺に向かって笑みを浮かべ、明るい口調で口を開いた。
「ちょうど魔法使いの方が来られたのかも知れませんね!ネルが出迎えて参ります!」