第7話 異なる未来
私をはめた?と言わんばかりのイーナの視線が俺へと突き刺さる。初対面とはいえ、こんなネルの嬉しそうな様子を見たら、イーナだって断るにも断れないだろう。イーナになんと謝ったら良いか……
「申し訳ない……俺の勘違いだったみたいで……」
「……まあ、いいけどさ…… それで、厄災の討伐って何? せめて話くらいはちゃんと聞かせてよ。そもそも私あなたの名前も知らなかったんだけど」
ちょっとむくれた様子でイーナは俺にむかって言ってきた。少々不本意である感は伝わっては来たが、それでもイーナは断るどころか、なんだかんだで、こちらの話を聞いてくれそうな雰囲気であった。今更イーナ相手にごまかしたところで仕方はあるまい。
「自己紹介をしていなかったな…… 俺の名前はルカ。ルカ・アレクサンドリアだ。」
「ルカ…… ルカ・アレクサンドリア…… まさか……」
イーナは、俺の名前を知っていたかのような、そんな驚きの表情を浮かべながら、小さな声を漏らした。一瞬、複雑な表情をしたイーナの様子に、俺も少し気にはなったが、まあ、別に俺の名前くらい知っていても、特に驚くことではない。きっと何処かで耳にしていたのだろう。すぐにイーナも元の様子に戻って、再び俺に話を促してきた。
「ごめん、その名前をちょっと聞いたことがあったから…… そう……あなたがルカかあ……」
「俺のことを知っていたのか?」
「名前くらいはね!」
名前を知っている?厄災も知らなかったはずのイーナが、どうしてシーアンの弱小の家の生まれである俺の名前を知っているのだろうか?聞きたいことは沢山あったが、聞くべきタイミングは今ではない。あのときのイーナとは異なり、目の前にいるイーナとはまだ信頼関係など到底作れていないのだから。
「なあ、イーナ。せっかくだし場所を変えないか?こんな所で立ち話というのもなんだ。ちょうどそこの扉を入ったところが応接室になってるんだ。良かったらそこで話さないか?」
俺の提案にイーナも首を縦に振る。そのまま、俺達は応接室へと足を運んだ。アレクサンドリア邸は、かつて名家だったと言う事もあり、中身だけはなかなかに豪華である。俺達が入った応接室には、歴代のアレクサンドリアの当主達の顔写真が並んでいる。その中には、俺の父のものもあった。歴代の絵は年期が入っていると言う事もあり、保存状態もあまり良くないが、父の絵だけは、わりと新しい時期に描かれたものであると言う事で、比較的状態も良いものであった。
「イーナどうしたんだ?」
応接室に入るやいなや、イーナは、俺の父の肖像画を真剣に見つめていた。一体、何がそんなに気になるんだろう。俺はそう不思議に思って、イーナに問いかけたが、イーナははにかんだ笑顔を浮かべて答えた。
「これが君のお父様でしょ? よく似ているね!」
「そうだが…… そんなに興味深く見るものか?別に父と面識があるわけでもないだろう?」
「まあ、そうだけどさ!まだ、綺麗な状態だし、君によく似ているから、きっと君のお父様じゃないかなと思っただけ!」
父親か……
そういえば、以前イーナとこの家に来たときも、最後は親父の話になった気がする。そう、確か、俺の家が立派な家だという話から、そんな話になったのだ。
親父の顔は、ぼんやりとしか思い出せない。親父が亡くなったのはおよそ15年前で、俺がまだ4歳か5歳の頃だった。
思い返してみると、親父はなかなかに俺に対しては、スパルタであったように思う。初めて剣を持たされたのは、俺が3歳かそれくらいの頃だった。泣いても、暴れても修行をやめてくれると言ったことはなかったし、勉強についてもつきっきりで教えてくれていた。今思えば、あそこまで子供の教育に情熱を注いでくれる父親というのは、なかなかに良い親であるとは思うが、当時の俺に取ってはまさに地獄そのものであった。
「どうしたの……?ルカ?思い詰めたような顔をして」
「いや、父親の事を少し思い出していただけだ。もうあんまり覚えていないけどな。父は、戦争で死んだんだ。15年前のあの戦争でな。流石に戦争のことは、イーナも知ってるだろ?」
シーアン国の歴史は戦争とは切っても切り離せない。シーアンの歴史は、血にまみれた歴史と言っても過言ではない。戦争の末、新たな王が擁立されていく。そんな歴史を繰り返してきたのだ。
もちろん前王についても同じことが言える。先代の王であるワン王の時代は、繰り返される内乱の果てに、国内で多くの不満を持つ反乱分子が力をつけていた。その中心が、今シーアンを実質牛耳っている大臣達をはじめとする革命軍である。そして、革命軍の手によって、魔法を後天的に取得できる、神の技術とも言える魔法発現の儀が生み出されたのである。
力を持った革命軍は、先代の王であるワン王を始末し、シーアンの実権を握った。だが、彼らの欲望はシーアン国内だけには収まらなかったのだ。力を持った革命軍は、周辺諸国、そして世界を支配しようと、世界に対して戦争を仕掛けたのだ。
ラナスティア大平原の戦い。シーアン国の隣にあるラナスティア国に広がるラナスティア大平原。そこが決戦の舞台であった。だが、力に溺れたシーアン軍は、そこで大敗を喫し、世界を手中に収めるという野望は潰えた。革命軍の中心であった幹部達はその責任を追及され、シーアンの国際的な信頼は完全に地に落ちたのだ。
「ラナスティア大平原の戦い…… あの戦いに、ルカのお父様も行っていたんだね…… ごめんね辛いことを思い出させてしまって」
「気にするな。仕方の無かったことだ」
そう誰を責めても仕方が無い。父はシーアンのために命をかけて戦ったし、その父を討ち取った相手だって、好きで父と戦ったわけではないだろう。そもそも最初に攻撃を仕掛けたのはシーアン国側であったのだし、相手にだって守るべきものがあるというのは、俺もよくわかっていた。
「ねえ、ルカのお父様ってどんな人だったの?」
「とにかく、俺に厳しかった。甘えた思い出なんて全然無い。忙しくて、ほとんど家にいなかったし、たまに帰ってきたかと思えば、修行だ、勉強だってな…… だけど、今思うと、あれも優しさだったんだろうな……」
もし、あの戦争がなかったなら…… 正直、そう思ったことは何度もある。あの戦いがなければ、父も母も生きていたかも知れないし、そもそも俺がこうして王の候補者に選ばれると言ったようなこともなかっただろう。そんな未来も待っていたかも知れないのだ。
「……結局、あの戦争さえなければ…… 違っていたのかも知れないな…… ……イーナごめんな、変な空気にしちゃって!それでも、シーアン国は何とか復興しようと、ここまで頑張ってきたんだ」
すっかり重くなってしまった空気を変えようと、俺は出来るだけ明るく振る舞いながら口を開いた。それから、俺はイーナにここまでのいきさつを話した。姫の結婚相手として、なぜか俺が選ばれたと言う事。そして、魔法が使えないと言うことで、無能の烙印を押されたと言う事、実績作りの任務という名目で、1人厄災の討伐という無茶な任務を押しつけられたこと。イーナは、俺の話を真剣な表情のまま、黙って聞いていてくれた。
「……そういうわけで、俺は厄災の討伐をするために、ローナン地方にいるというわけだ。だけど、相手は厄災。そんな化け物みたいな奴を相手に、一緒に戦ってくれるというものはもちろんいない。そういうわけだ」
「厄災…… 一体どんな奴なの?」
「俺も直接会ったわけではないから、あくまで聞いた話にはなるが、最近、ローナン大森林の近くにある兵士のキャンプが襲われたらしい。妙なことに、被害者達の身体には、剣で一突きされた傷口しか残っていなかった。にわかには信じがたいが、兵士達を一突きで仕留めていくとは、犯人は相当な手練れだろう。そして、付近には強大な炎の魔法が使われた形跡があったことと、目撃証言ではその犯人が女の姿であったということから、『業火の魔女』と名付けられた。俺が厄災について知っているのは、そのくらいだ」
「業火の魔女……」
俺の説明に、すっかり怖じ気づいてしまったのか、イーナは不安そうな表情を浮かべながら、小さく呟いた。あのときのイーナは俺に協力をしてくれると言っていたが、この話を聞いて果たして協力してくれると言ってくれるのだろうか?まあ、もし断られたとしても、別に俺はイーナを恨むことなど無い。夢か現実かわからないが、あの日のイーナとの出会い、そして2人でローナンの街を歩き回った思い出は、俺にとってかけがえのないものになっていたのだ。
「俺の勘違いで、巻き込むような形になってしまって申し訳ない。命の危険が伴う話になるし、もちろん断ってくれてかまわない。ネルには、きちんと説明しておく」
「いや、大丈夫!ちょうど、私もローナン大森林の方でやらなきゃいけないことがあったし…… ただ……」
イーナがそう言いかけた途端、急に家のドアをどんどんと叩く音が響いた。その瞬間、俺の脳裏によぎったのはあの夜の惨劇である。血塗れになり、動かなくなったネル。そして、俺に冷たく降りかかったイーナの血。鋭い痛みと次第に薄れていく意識。そんな感覚がフラッシュバックしてきて、俺は身体を支配されてしまったような感覚に陥っていた。
「はーい!」
家の奥にいた使用人の1人が、俺の動揺など露知らず、玄関へと向かって声を発した。
――あいつかも知れない。いやあいつに決まってる。開けちゃ駄目だ。
玄関の隣、応接室の中にいた俺はすぐさま廊下へと飛び出し、扉を開けようとしていた使用人に対して無意識のうちに語気を荒げ叫んでいた。
「待て!開けるな!」
俺の声に、ビクッと身体の動きを止める使用人。俺の緊張が伝わったかのように、玄関の時間だけが一瞬止まってしまった。
「どうしたの、ルカ。汗だくだよ?」
「奴かも知れない…… イーナ、戦闘の準備をして隠れていてくれ。俺が扉を開ける。何かあったときには、みんなのこと頼んだぞ」
「戦闘!? そんな物騒な……」
「頼む!! 嘘じゃないんだ!! 信じてくれ……頼む」
俺の脳裏から離れることないあのときの情景。確かに刺された感覚はあった。そして、身体の力が抜けていく、死んでいく感覚があった。あれは決して夢や幻想なんかじゃない。確かにあれは現実だった。
「……わかった。警戒はしておく。気をつけて」
事情を全くわかっていなかったイーナは、相変わらず戸惑ったような様子ではあったが、俺に向かって力強く頷いてくれた。
俺は、すっかり緊張して動けなくなってしまった使用人をイーナに任せ、ゆっくりと扉に向かって足を踏み出した。
どくん、どくんと心音が響く。開けたらあいつがいるかもしれない。いきなり斬りかかってくるかも知れない。一歩、また一歩と扉に向かって歩みを進めていく。全身はもう緊張の汗でぐしゃぐしゃだった。時が止まってしまったかと錯覚してしまうほどに、扉に向かう時間は長く感じた。そして、俺はようやくドアに手をかけたのだ。
扉を開けた先、そこに立っていたのは、シモンを先頭とした魔法使い達であった。ひとまずは、俺達を殺した男ではないということに、俺は胸をなで下ろした。
「どうしたんだ?シモン?俺の家を訪れてくるなんて、珍しいな」
だが、なにやら魔法使い達の様子がおかしい。高圧的な態度はいつものことであるが、今日の彼らの俺を見下すような視線は、いつもの比ではなかったのだ。そして彼らを束ねていた男、シモンは表情を一つも変えないまま、俺に向けて口を開いた。
「ルカ・アレクサンドリア。聞きたいことがあって我々は来た」