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第5話 はじまりの終わり


「着いたぞ。これが俺の家だ」


 結局あれから、市場を巡り、ローナンの街を歩き回った結果、我が家でもあるアレクサンドリア邸についたのは、もう辺りもすっかり暗くなってからのことであった。


 アレクサンドリア邸。ローナン地方中心都市であるローナンの街の郊外にある俺の実家は、かつてのアレクサンドリア家の隆盛を示すが如く、豪華な家であった。


 俺もこの家で生まれ、幼少期をここで過ごした。とは言っても、幼い頃シーアンの首都であるリーハイに移り住んで、それからはしばらくリーハイでの暮らしをしてきたから、あまり思い入れといったものもない。俺がここに戻ってきたのも幼少期以来であるのだ。


「すごい豪邸だね!それにしっかり手入れもされているし……」


「まあな……落ちぶれたとは言え、使用人の1人や2人は抱えられるさ。それに先祖から受け継いだ家を、放置しておくというわけにも行かないだろう?」


 俺の両親は、もうすでに他界していない。父親であるリオンは先の大戦にて死亡し。そして病弱だった母親はそのショックから、体調を崩しがちになり、そのまま衰弱していった。残された俺の面倒を見てくれたのは、ウィリアム卿という大臣の1人であった。かつて、ウィリアム卿は父と親しくしていたことから、シーアン国内でも高い地位と名声を誇っていた。


 俺の生活が狂ったきっかけは、大きく言うと二つある。一つは魔法発現の儀式。そしてもう一つは父が死んだ戦争だ。


 父リオンは、シーアン国軍弐番隊隊長を任されるほどの出世を遂げた男であり、先代の王からの信頼も厚かった。先の戦争の際にも軍隊を率いていたが、父の率いていた軍隊は壊滅。それをきっかけにシーアン国の敗戦は濃厚となったのだ。


 それが、シーアン国で知らないものがいないとまで言われるラナスティア大平原の戦いと呼ばれる戦いであった。今の悲惨なシーアン国内の有様も全ては、この戦いが影響している。


 幸運なことに、シーアン国は、敗戦後も国としての形は何とか保っていた。しかし、ラナスティア敗戦の結果、国内の勢力も大きく変化していき、父や先王と親しくしていたウィリアム卿の立場も危ぶまれていった。そんな中でも、ウィリアム卿は俺を我が子のように大切に扱ってくれていた。


だが、ウィリアム卿はシーアンの動乱の波にもまれ、大臣の座を失った。今、彼はシーアンの首都であるリーハイにある牢獄の中で過ごしているらしい。


 話を元に戻すが、親父が俺に唯一残してくれたのもの。それがこの家である。おんぼろの家ではあるが、それでも父との思い出があまりない俺にとって、この家は大切なつながりと言ってもいいのだ。だからこそ、住む予定もなかった家ではあったが、ここまで大切に手入れしてきたのである。


 家の窓からはわずかに光が漏れ出していた。ちょうど、玄関から入ってすぐ隣の応接室のあたりである。家に帰れば、きっとネルが夕飯の支度をして待っていてくれているのだろう。ネルの作ってくれるご飯は非常に美味しい。今日もきっと腕によりをかけたご飯を作っていてくれるに違いない。イーナも喜んでくれるだろう。


「さあ、イーナ。入ってくれ!」


 玄関の扉に手をかけ、ゆっくりと扉を開く。だがその瞬間に、俺は違和感に気が付いた。そして、イーナも同じくその違和感に気が付いたようだった。不安そうな表情を浮かべながら、静かにイーナが呟く。


「ねえ、ルカ……」


 食事を作って待っているとネルが言っていたのにも関わらず、全く食事のにおいがしなかった。それどころか、鼻の奥に刺さるかのような不快な匂いが家の中に漂っていた。玄関は特段荒らされているような様子はないが、何か異常が起こっているのは明らかであった。


「俺が先に行く。離れるなよイーナ」


「うん……気をつけてルカ」


 おそるおそる俺は家の中へと足を踏み入れた。誰かがいるような気配はないが、それはつまりネルや使用人達の気配もないと言う事であるのだ。足音を立てないように、慎重に一歩、また一歩と歩みを進めていく。そして、明かりのついているほうに進んだ俺達の目に信じられないような光景が飛び込んできたのだ。


「ルカ!血……」


 家に入ってすぐの応接室。床にはちいさな血痕が大量に残っていた。その血痕は家の奥ダイニングルームの方へと続いていた。応接室から先は灯りがついておらず、真っ暗な廊下が続いていた。不用意に灯りをつけるというわけにも行かず、俺はちょうど応接室の片隅に置いてあったちいさなランプを持ちながら、もう一方の手を持っていた剣にかけ、その血の跡を慎重に追っていった。


 そして、血はダイニングルームの奥にある厨房のドアの先へと続いていた。ドアは完全に閉じられており、厨房の中の様子は全く見えない。ふと、イーナの方に視線を送ると、イーナも今までの優しい笑顔とは異なる、少し強張ったような表情を浮かべていた。


「イーナ開けるぞ。準備は良いか?」


「大丈夫……」


 俺は勢いよく厨房の扉を開けた。そして、真っ暗な厨房の中を慎重にランプの灯りを頼りにのぞき込んだ。俺達の目に飛び込んできたのは、厨坊に飛び散った血の跡と、幾重にも重なった人間の身体。それはうちの使用人達と、そして他ならぬネルであった。


「ネル!」


「待って!ルカ!」


 思わず、俺は我を忘れて厨房の中へと駆け込んだ。こんなの……こんなの現実であるはずがない。きっと何かの間違いに違いない。イーナの静止を振り払って、一目散に俺は寝るの元へと駆け寄った。


「ルカ!危ない!」


 その声とほとんど同時に、冷たいしぶきが俺の身体へとかかってきた。取り乱していた俺は、突然のイーナの声と、そのしぶきに我に返り、声の方を振り返った。わずかな灯りに照らされていたのは、俺をかばうように立っていたイーナ。そして、その小さな身体からは、大きな刃物が飛び出ていた。


「なんで……」


 イーナは持っていた剣で防ごうとしたのだろう。両手には2本の剣が握られていた。だが、無残にもその剣は何者かの攻撃を防ぐことは出来なかったようで、すぐにイーナの両手から、力なく剣がこぼれ落ちた音が部屋にこだました。不気味なほど静かな部屋の中に、荒い息づかいの音が響き渡る。そして直後、苦しそうな小さな声が俺の耳へと届いてきた。


「……ルカ……逃げて……」


 とっさの出来事に、俺の頭の中は混乱したままで、身体も動かなかった。そして、ヌチャッという鈍い音が厨房に響くと、そのままイーナの身体が床へと崩れ落ちた。その奥に立っていたのは、フードを深く被って顔の見えない人間。その手には血で染まった大きな三日月のような形の刃物があった。


「よくも……!」


 俺が、持っていた剣に手をかけようとしたその瞬間、俺の胸に鋭い衝撃が走った。次第に冷たい間隔が胸を中心に広がる。鋭い痛みと、だんだんと身体から力が抜けていく感覚。そして、男が勢いよく剣を俺のからだから引き抜くと、鋭い痛みと共に、力を失った俺の身体はそのまま地面へと倒れこんだ。


 薄れていく意識の中で、俺はこちらを見下ろしていた男の顔へとなんとか視線を移そうとした。だが、だんだんと視界が狭くなっていき、ついに男の顔を見ることは敵わなかった。そして視界を失った俺の耳には、ただ不気味な声で笑う男の声だけがこだましていた。


 ああ、俺はこのまま死ぬのか…… ネル、みんな…… そしてイーナ、巻き込んでしまって申し訳ない…… 俺に力が無かったせいで、皆を守れなかった…… 


――せめて、もう一度、もう一度やり直せれば……


 そんな後悔ににも似た事を思いながら、俺の意識はそのままフェードアウトしていった。


「……大……丈夫……?」


 聞き覚えのある少女の声が俺の耳に届いてきた。朦朧とする意識の中、俺は何とか声のする方へと顔を上げようと、重い身体をなんとか動かそうと試みた。どうやらすっかり眠ってしまっていたらしい。


―――そうだ、あのとき…… 俺は刺されて……


「ねえ、大丈夫?」


 身体になんだか温かい感触を感じる。その感触の方へ視線を向けた俺の目に映ったのは、こちらを心配そうに眺めているイーナの姿であった。


「イーナ!? 無事だったのか!?」


 イーナの姿を見た俺は思わず叫んでしまった。あのとき、完全に俺もイーナも謎の男に殺されてしまった。そう思い込んでいたからである。突然の俺の声に、イーナは戸惑ったような表情を浮かべながら、俺の方を眺めていた。あまりにも俺が勢いよくせまったものだから、ついイーナを驚かせてしまったのかも知れない。俺はイーナに謝罪の言葉を口にした。


「ごめん、突然大きい声を上げちゃって…… それより、イーナどうして……?」


 あのとき、俺達は2人とも謎の男に刺されたはずであった。だが、目の前にいるイーナに、何処か怪我をしている様子はなかった。果たしてあの夜に一体何があったのか。それを知るべく、俺は真相を知っているはずであるイーナに問いかけたのである。すると、イーナは相変わらず困惑の表情を浮かべながら、俺に向かって逆に尋ねてきたのだ。


「どうして…… あなたは、どうして私の名前を知ってるの?」


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