第14話 決着の時
「まさか…… 業火の魔女!?」
イーナの姿を見たメンティラは驚きの表情を浮かべる。メンティラだけではない。シモンも信じられないといった様子で、自らに向けられた攻撃を目の前で防いでくれた少女を呆然と眺めていた。そして、静かに呟くように、シモンは口を開く。
「業火の魔女……」
「ごめんね!遅くなっちゃって!ちょっと迷っちゃってさ。間に合って良かったよ!」
イーナは笑顔を浮かべながら、俺に向けてそう口にした。4度目のループのはじまり、イーナに協力を申し出た俺はイーナに夜になったら俺の家に来るように依頼していたのだ。
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「それで? 協力するといっても私は一体何をすれば良いの?」
「暗くなったころ、俺の家に来て欲しい。今夜俺の家に奴が来る。イーナを貶めようとしたクソ野郎が……」
「……本当に?」
「証拠はない。でも、奴は必ず来る。俺の命を狙って」
「……」
無言のままうつむくイーナ。一体イーナが何を考え、何を思っているのかそれはわからない。それでも、イーナならきっときてくれるはずだ。俺はそう信じていた。2人の間に少し沈黙が流れた後に、イーナは顔を上げた。力強いまなざしと共に、イーナは俺の言葉に答えてくれたのだ。
「……わかった。必ずいく」
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「本当にまた会えるとはね……」
イーナは笑みを浮かべながら目の前にたつメンティラを眺めていた。メンティラの薄気味悪い笑みはすでに何処かへと消え去っており、その表情を形容するとするならば、まさに『狐につままれたような表情』といった真顔であった。
「どうして、業火の魔女が…… ルカ貴様ァァ!! どういうことだ?」
遂に平静を保つことが出来なかっただのだろう。初めて怒りを露わにするメンティラ。もうすでにメンティラの余裕は消え去っていたのだ。
それも無理はないだろう。メンティラは知っているのだから。目の前に立ちはだかる『業火の魔女』と呼ばれたものの力を。
「おい、どういうことだ?ルカ?どうして業火の魔女が……?」
自らの元へと近寄ってきたルカに問いかけるシモン。シモンも状況を全くわかっていないと言った様子であったが、それでも目の前の少女、『業火の魔女』が敵ではないという事だけはわかっていたようだ。
「シモン、それは違う。あいつは業火の魔女なんかじゃない。ただの『イーナ』さ」
俺達の前で剣を抜いてメンティラと対峙しているイーナ。彼女は決して厄災なんかではない。業火の魔女なんかではない。イーナは、俺達の方を振り返り、いつもと変わらない笑顔を浮かべ、口を開いた。
「ありがとう、ルカ。後は任せて」
「隙だらけだぞ!!」
イーナがこちらを振り向いた隙に、イーナへと斬りかかるメンティラ。だが、イーナは慌てることなく、冷静にメンティラへと視線を戻した。
再び剣と剣が交わる音が部屋に響く。そのままメンティラは絶やすことなく攻撃を続けるが、イーナも的確にメンティラの攻撃を防いでいく。だが、メンティラの激しい攻撃を前に流石のイーナでも防戦気味である。
「ふはは!お前を仕留めてしまえば問題は無い!覚悟しろ!」
そう叫んだメンティラが繰り出してきた攻撃を防ごうと再び剣を合わせようとしたイーナ。だが、不思議なことにメンティラの鋭い突きはイーナの剣をかすめ、そして、イーナの顔をもかすめたのだ。
「!? 曲がった?」
イーナの顔に浮かび上がった小さな切り傷から血が溢れる。傷自体は大したことがなさそうだが、それでも、一撃を入れられかけたのには違いは無い。血を拭いながら、メンティラに向かってイーナが口を開く。
「妙な軌道をしているね…… まさかすり抜けてくるとは……」
その言葉を聞いたメンティラの顔には隠しきれない狂気の笑みが溢れていた。
「私の剣を防ごうとしても無駄ですよ。次は捉えます」
自信が戻ってきたのか、高らかに叫ぶメンティラ。そして再び振りかぶりながらイーナめがけて一直線に剣を突き出してきたのだ。今度こそ捉えるという言葉通り、先ほどよりも威力も速度も上がったメンティラの突き。これが、この突きが数多の兵士達を屠ってきたメンティラの真の実力なのであろう。
だが、メンティラの突きはイーナに届くことはなかった。鋭い金属音と共に、再び剣と剣が交錯する。そして、信じられないといった様子で、メンティラは真顔に戻り口を開いた。
「どうして…… まさか、見切ったというのですか!?」
「……メンティラ、あなたの攻撃はもう見切った。もう、私には届けない」
今までの優しい笑顔とは異なる真剣なイーナの表情。そして、イーナの目は、魔法使い達と戦った、あのときと同じように怪しく赤く輝いていた。
「ほざけ!私の剣が負けるはずが無い!」
そう叫び声を上げたメンティラはさらに速度を上げ、イーナに向けて突きを繰り出す。だが、それを簡単そうに見切っていくイーナ。もはやメンティラの突きは届かない。横からみていた俺も、そう確信するほどだった。
メンティラの表情はすっかり焦燥に支配されていた。何故届かない。普通の相手であればもうすでに仕留められているはず。そんな焦りに浸食されていたメンティラからもうすでに強者のオーラは出ていなかった。怯えるように突きを繰り出すメンティラはすっかり小物に成り下がってしまっていたのだ。
「残念だけど、あなたはここで終わりなの。今まで狩る側だと思っていたものが狩られる感覚はどう?」
冷たくそう言い放つイーナ。この姿を見れば、厄災といわれても、頷ける。この場を支配していたのは、もはや俺でもシモンでもメンティラでもない。他でもないイーナであったのだ。
「クソ!」
イーナには敵わないと悟ったのか、踵を返すように、出口に向けて駆け出そうとするメンティラ。すっかりイーナの戦いに魅入っていた俺は反応が遅れてしまった。
「まずい!このままだと逃げられる!」
いや逃げられるだけならまだいい。もしこのまま家の奥に行かれて、ネル達を人質に取られるようなことがあれば、せっかくここまでメンティラを追い詰めた意味も台無しになってしまう。一応ネルには、使用人達と共に隠れるように指示はしてあるが、メンティラをこの部屋から逃がすわけにはいかない。
「悔しいですが、ここは退散です!」
口角を上げながら扉へと一直線に近づくメンティラ。だが、直後イーナの静かな声が応接室内にこだまする。
「氷の術式:氷零」
イーナの声と同時に、応接室の中が一気に氷に包まれる。ピキピキという静かな音を上げながら、壁一面氷が覆った。メンティラが扉にたどり着くほんの寸前に、扉も氷に包まれ、逃げ場を失ったメンティラは、氷の壁にへばりつくように怯えていた。こちらを向いたメンティラは、もはや狂気の笑みを失い、絶望とも言えるような表情であったのだ。
「いったでしょ。あなたはここで終わりなの」
一歩一歩と氷の壁に追い詰められたメンティラにゆっくり近づいていくイーナ。氷に沿って崩れ落ちるメンティラの身体。絶望を目に浮かべながら、自らに近づいてくるイーナを見ながら、メンティラは小さな声を漏らす。
「ここで……ここで終わるわけがない…… スクナの意志は生き続ける…… このシーアンがある限り……」
「待て、イーナ!」
メンティラに近づくイーナに、俺はこらえきれずに叫んでしまった。このままイーナがメンティラにとどめを刺してしまうんじゃないか、先ほどまでのイーナの放つ圧倒的な力を目にしていた俺は、そう恐れていた。イーナがメンティラを殺してしまったら意味がない。メンティラは生かしたまま、しかるべき罪を受けなければならないのだ。イーナはメンティラの方を向いたまま、背中越しに俺へと言葉を返してきた。
「ルカ、後はあなたに任せるよ」
イーナは自らを貶めようとした相手を前にしても平静を保っていた。先ほどまで放っていたイーナの圧倒的なオーラが次第に消えていく。俺の目の前にいるイーナは、もはや『業火の魔女』ではなかった。ただの少女である、あの『イーナ』に戻っていた。
「……ルカ、そしてイーナ。すまなかった」
そしてもう1人、俺と共にイーナとメンティラの戦いを見ていた男、シモン・シュトラールが口を開く。
「お前には命を救われた。お前を厄災だと勘違いしてしまったこと、本当に申し訳ない」
イーナに近づき、頭を深々と下げるシモン。
「こいつの処分は俺達に任せてくれ。俺が責任を持ってこいつは罪を問わせるようにする」
シモンの言葉に、俺をちらりと伺うイーナ。果たして信用して良いのか、イーナも不安だったのだろう。無理もない。今のイーナは『厄災:業火の魔女』として、シーアン国から追われている身であるのだから。そんなイーナに俺は笑顔で言葉を返した。
「シモンなら信用できるから大丈夫だ。こいつは冷徹な堅物だが、筋は通す男だ。きっとシモンなら上手くやってくれるさ」
俺の言葉に笑顔を浮かべながら頷くイーナ。そして、シモンに向けてイーナが口を開く。
「わかった。後のことはお願いします」
『業火の魔女』は死んだ。
その噂はシーアン国内に瞬く間に広がった。
「業火の魔女が死んだって?それにしても一体誰が?厄災相手に戦えるようなやつが……」
「何でも倒したのはあのアレクサンドリア家出身のルカ様らしいよ」
「流石リオン様の息子といったところだな……」
そんな話でシーアンの首都リーハイは持ちきりであった。
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「うむ、ご苦労じゃった!わらわはそちならば出来ると信じておったぞ!」
リーハイにあるシーアン王宮。俺はディーナ姫の元に呼ばれていたのだ。笑みを浮かべるディーナ姫の隣では、ニコラウス大臣が気まずそうな表情を浮かべたまま、黙って立ちすくんでいた。
「ディーナ姫様。それで業火の魔女の真実なのですが……」
「語らずともよい、わらわは全ては聞いておる。業火の魔女などいなかった。全てはメンティラによる犯行であったとな。のう大臣」
ディーナ姫に話を振られた大臣は、ばつが悪いと言った様子で口を開いた。
「そうだ、まさか私の配下にそんな凶悪なものが隠れておったとは……」
「隠れておった?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら大臣に言葉を返す姫。
「姫様。本当です!このニコラウス。シーアンと姫様のためにこの身を捧げるという覚悟は変わっておりません!」
「まあよい、ルカよ。此度の働き大義であった。それでこそわらわの夫にふさわしい男じゃ!」
そういえばそんな話もあったっけ。何とかあの地獄から抜け出そうと必死だった俺は、姫から言われた言葉をこの時すっかり忘れてしまっていたのだ。
「ふむ、それでそんなわらわの頼れるルカに、もう一つ頼みたいことがあってな……」
「頼みたいことですか……?」
「そうじゃ、実はのう、そちを皆に紹介しようとおもっての。来月のシーアン建国の儀。その場でそちをわらわの婚約者として正式に発表しようと思うのじゃが……」
「姫様!?」
姫の言葉に驚いた様子を浮かべるニコラウス大臣。どうやら大臣には全く話がいっていなかったようだ。
「なんじゃ大臣?おぬしもいったじゃろ?ルカには実績がないと。実績を出して今、ルカを夫にすると言うことに何の不満があるというのじゃ?」
大臣は姫になにも言葉を返せず、唇をかみしめたままうつむいた。ある意味では気の毒にも思えたが、今は大臣のことなど俺にとってはどうでもいい。
シーアン建国の儀。シーアンの国が出来たとされる日であり、毎年、シーアンの名家や大臣達が集い食事会が開催される。シーアン国内の権力者達が一堂に会するその席は確かにシーアンの象徴たる姫の結婚発表の場としては最高の舞台であろう。
姫との結婚、それはこのシーアンに生まれたものとしてこれ以上ない栄誉である。それはおれもわかっていた。だけど、今の俺は、その道に踏み込んで良いものか、本当に姫と結婚しても良いものか、そんな迷いが生じ始めていたのだ。
「姫様…… 私からも一つお願いがあります」
「なんじゃ?申せ」
「お恥ずかしながら、今の私にはまだ覚悟が出来ておりません。心の整理をするお時間を頂けないでしょうか?」
「ふむ……」
玉座に座る姫に、俺は頭を下げながらそう伝えた。大変失礼である事は十分承知の上で、おれは姫に言葉をぶつけたのだ。
「よいじゃろう!3日後、もう一度おぬしに問うことにする。その間ゆっくりと整理してくるが良い」
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「本当に良かったのか? イーナ」
俺は目の前にいた少女へと言葉をかけた。少女は笑顔を浮かべたまま、俺の問いかけに頷いた。本来ならばメンティラを打ち破ったのは俺の力だけではなかった。目の前にいる少女イーナがいたからこそ、俺は打ち破ることが出来たのだ。
「いいんだよ! 私はシーアンの人間じゃないから! それに 私には返らなきゃならない場所があるし!」
「そうか…… そうだよな!」
もう俺の決心は決まっていた。イーナにはイーナのやらなければならない事がある。そしてそれは俺も同じだ。
「ありがとうなイーナ。本当に世話になった」
頭を下げた俺へと笑顔を浮かべた少女。その表情は災厄とは全くかけ離れた、天使のような笑顔であったのだ。




