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ストックの花言葉

ストックの花言葉 sideティオン

作者: うーさー

 正式に結婚が決まり、親たちは日程の調整で席を外した。あとは若い二人でと二人きりになり、何を話したらいいか迷っていたら、目を伏せ小声で、お手洗いへと告げられて誰が止めるというのか。なかなか戻ってこないのを探しに行くべきか、そもそも彼女の自宅で探すのはどうなんだと考えていた。部屋を何周したか、覚えていないくらいには考えていた。

 ようやく扉が開いたと思って顔を向ければ、眉を寄せた父だった。俺の期待を返してほしい。

 「いつかは、逃げられるんじゃないかと思っていた」

 ため息混じりに呟くと、彼女が座っていたソファに崩れるように腰かけた。手招きをされ、仕方なく隣に座ると、目頭を解しながら、爆弾を投下された。

 「嬢はもう屋敷にいない」

 「…………………は?」

 意味が理解できず、我ながら間抜けな声だったと思う。ミシェーラの家に彼女がいない?先程までここに座っていたのに?

 「お前の選択肢は二つ。ミシェーラか、他か」

 「他?ミシェーラ以外好きになりませんし、愛せませんが」

 「そういうところだぞ、ティオン」

 「と、いうと」

 「だから、そういうところだ」

 頭を振って深く息を吐かれ、父をまじまじと見る。ミシェーラが居なくなったからといって、相手を変える必要がどこにあるのか。何のために婚約をしていたというのだ。

 「どうして、嬢の前では固まって動かないんだ…」

 「そんなつもりはありませんが…」

 「そうだろうな…自覚があればそれはそれで問題だ」

 結局、父の言うことはさっぱり分からず、家に帰ることになった。日程調整は無事に終わったのだと思っていただけに、馬車に揺られながら聞いた現実に、俺は簡単に打ちのめされた。

 ミシェーラは家出したのだ。

 こうして人生最高の日は、人生で一番不幸な日になってしまった。因みに、今のところ最高の日は、ミシェーラが俺の髪色に似た刺繍糸を探していると知ったときだ。幸運な日はミシェーラに出会えた日。気持ちが悪いと言ったのは、二番目の兄だったか。

 

 

 

 ミシェーラの行方は、一ヶ月経っても不明だった。父曰く、今の俺に言ったところで意味がないと、理由は聞かされなかった。

 彼女はそれなりに裕福なお嬢様であるし、女性の足だからと甘く見て、すぐに会えると思っていた自分を激しく殴ってやりたい。

 暇さえあれば彼女の実家を訪れたが、報告は変わらず。遂には彼女の弟と鉢合わせ、胸ぐらを捕まれ凄まれた。職場の上司達に比べたら可愛いものだったが、未来の義弟に噛み付かれたことと、内容が理解できなかったのが辛かった。

 「姉さんの気持ちになってみろよ。歩み寄ったのはいつも姉さんだ!簡単なことだろう!姉さんばかり傷付いて!」

 何度思いを馳せても、彼女の気持ちは分からなかった。それはそうだ。彼女はここにはいないし、彼女はどこか遠くだ。そして、彼女の心はその中にある。

 考えても考えても、分かることはミシェーラが居ない現実と胸の苦しさだけだ。

 「ミシェーラ…」

 「大丈夫か?」

 「そう見えますか、兄上」

 珍しく声をかけてきた二番目の兄は、肩をすくめて困ったように笑った。

 「いや、全く。お前の上司から最近様子がおかしいって聞かれてな。まあ、誤魔化したけど」

 「ありがとうございます…」

 端から見れば、婚約者に逃げられたと見られてもおかしくない状況だ。貴族や商家としての面子のため、厳重な箝口令が敷かれた。友人にだって話していないし、なんなら末端の使用人には知らされていない。表向き、急病で床に伏せており、都会から離れたとされている。さまざまな噂が飛んだが、俺の落ち込みようとミシェーラの実家に通いつめたお陰か、すぐにおさまった。

 「一つ、提案なんだが―」

 その提案に、一も二もなく俺は飛び付いた。

 

 あれから七年の月日が経ってしまった。二番目の兄の提案で、異動願いを出し、全地域指定魔物捕獲討伐隊――俗称を頭のおかしいソロプレイの集りに無事異動できた。頭がおかしいはともかく、ソロプレイと言われてもなんら語弊のない部隊だ。活動資金や武器の配給があるだけで、他の隊員と共に行動することはない。元々の職場、つまりは国の軍隊だが、そこから様々な理由でこの部隊に異動してくる。しかし、誰でもいいわけではなく、ある程度の実力者であり、自分で一通り対処できる人材にのみ許されている。実力がありすぎても、周りとうまくやっていけないからここに来たいでは、異動は叶わない。捕獲討伐と銘打っているからには、勿論それは行うが、国内に留まる必要はないし、どこで活動しても問題ない。定期的な報告書さえ上げさえすれば、自由行動が許されているのだ。

 つまりだ。

 俺は、ミシェーラを探しに行ける。

 まあ、結局見つかっていないが。

 

 旅の途中一度だけ、彼女の実家から連絡が入った。フララという町でそれらしき目撃情報があったと。無論、一目散にフララに向かった。

 「いらっしゃ―」

 「長い亜麻色髪の小柄な女性を見かけては居ないか」

 宿屋の主人に食いぎみに尋ねれば、両手を軽くあげて首を勢いよく横に振られた。その反応に、素直に肩を落としてしまう。

 「生憎部屋もいっぱいでして…」

 「そうか…邪魔をしてすまなかった」

 運はどれだけ味方しないのかと、本気で思った。日頃の行いが悪いのかもしれない。

 「ねえ、おじさん、俺は今日出ることになったから、お兄さんに泊まってもらいなよ」

 男にしては高い声に振り向けば、目深に帽子を被った一見すれば少年のような男が、階段の手すりに寄りかかりながら、主人と話していた。

 「おお、そうか!前払いの分精算するよ!」

 「いや、いいよ。なんだか、あの人疲れてるみたいだし、餞別ってことで」

 「それはダメだ!見たところ旅人だろう。資金を稼ぐのにも大変だろうに」

 男の思ってもない言葉に、慌てて階段下まで歩み寄れば荷物を抱え直して彼は笑った。

 「イイヨ。たまには人助けしないとな。じゃ、おじさんよろしく」

 「おお!またこいよ!ささ、旦那、部屋の片付けが終わるまでこっちで休んで!」

 「いや、だが………すまん、荷物を頼む!」

 結局、その男の名前を聞くことも顔を見ることができず、主人に椅子に案内されてしまったが、ふとミシェーラの香りがして、飛び出してしまった。

 「ミシェーラ!」

 通りを歩く人々にぎょっとされてしまったが、構うものか。辺りを探し回ったが、ミシェーラの姿はなく、なんなら先程の男も見当たらなかった。

 「疲れているな…」

 今は感じられない、ミシェーラの柔らかく落ち着く香り。久しい香りに嗅覚が反応した筈なのに、彼が通り過ぎてからだから、彼の香りが似ていたのかもしれない。背格好も似ていたし、重ねてしまったのかもしれない。俺はミシェーラ一筋の筈なんだが、よっぽど疲れてるのだろう。彼の善意に甘んじて、今日はゆっくり休もう。

 

 ――ということがあった。あとにも先にも、ミシェーラの気配を感じたのはあの時だけだった。やはり、あの時の彼に話を聞けなかったことが悔やまれる。もしかしたら、彼はミシェーラに会ったのかもしれない。

 「魔物捕獲討伐隊!?エリート中のエリートじゃん!」

 「いや、俺はそんな…」

 「謙遜するなよ。俺もさ、いつかは旅に出たいよ。あんたらのお陰で、大型魔物は山から降りてこないし、小型の魔物なら倒せるし、商会の長男としては、世間をみたいというか」

 「ジェリド!ちゃんと買取しろ!」

 「やってるっての!まったく…でも、世間を見たいのは本当さ」

 俺は今、ネリーに来ている。そこの商会で、道中採取した物を買い取ってもらっているのだ。

 「あんたは結婚とかしてる?」

 先程とは違い、じっくりと品物を見ながら彼は呟いた。背筋が少しだけ伸びたのは、許してほしい。

 「急だな」

 「ははっ、だよな。俺はしてないんだけど、もういい年だから、そろそろって突っつかれるわけ。跡取りだから、余計な」

 「…俺は五男だから、その気持ちは分からないが、好きな相手と結婚する為に頑張っている」

 「五男……すごい経済力だな…」

 「実家は一応貴族だからな」

 「お貴族様かあ…納得。で?結婚する為に頑張っているって?」

 「詮索は良くないんじゃないか?」

 「性分なんでね。あんたの噂は聞いたことあるよ。頭のおかしいソロプレイ集団で、ここ数年で大型魔物捕獲しまくって、魔物解析に貢献してる大剣使いの狂戦士ってね」

 「どんな噂だ…というか、面と向かって頭がおかしい扱いされたのは初めてだ」

 「新鮮だろ?まあ、とにかく俺は結婚したい相手がいるんだ」

 「飛躍したな」

 「聞いてくれって。この街じゃ、年の近いやつは親身に話聞いてくれないんだよ…商会敵に回したくないって」

 「はあ…」

 「で、その相手は、町外れの塔の魔王夫婦に雇われてる子でな」

 「塔の魔王夫婦?」

 「そ。ずぅっと昔に魔術師が研究施設に使ってた塔があるんだけど、天辺には、壊れた魔王復活の魔方陣があって、誰にも直させないように守ってるって話。で、そこに居候してるのが、街の何でも屋と化してきたミシェーラ」

 「ジェリド!ちょっと来てくれないか!」

 「ああ!いまい―」

 「待て」

 ふいに出てきた名前に、声が低くなってしまったのは仕方がない。掴んだ腕に力を込めてしまったのも悪かったと思う。

 「その話、詳しく聞かせてもらいたい。金は払う。何だったら、買取金額そのままお前にやる。ミシェーラについて、教えてくれ」

 「お、おう…はっ、親父!ちょっと待っててくれ!こっち終わりにするから!」

 「頼んだぞー」


 

 ジェリドの話を聞いてから、とりあえず一呼吸置かないとまずいと宿に戻った。

 外れにある塔のすぐ脇に、例の魔王夫婦は住んでいるらしい。そしてその塔にミシェーラと言う名前の亜麻色髪の女性が住んでいて、街の人手不足に貢献しているという。気立てがよく、ハキハキとした明るい女性。若干、俺が知っているミシェーラとは違うが、第六感が告げている。間違いなく、彼女だと。そう思うと、もうこの勢いが止めれそうになく、武器を持って外に向かう。宿屋の主人に明日には戻ると伝えて、森に一直線だ。その先の山まで行ってこようか。とにかく、全身に沸き起こる激しい衝動を発散してからじゃないと、見付けた瞬間に押し倒すか、押し倒すか、押し倒すだろう。日も沈みかけていることだし、やはり今夜は魔物狩りだ。ミシェーラが近くに暮らしているのなら、尚更だ。森から始めて山に向かおう。危険な奴らは片っ端に討伐だ。ああ、腕が鳴る!

 

 さすがに全部とは言えないが、ある程度討伐し終え、ずだ袋に色々と珍しい素材だけ詰め込んだ。気持ちは少し落ち着いた様な気がする。また沸き上がってきそうだが。

 「なんだ、血生臭い」

 「失礼、人が居るとは…」

 不機嫌そうなしゃがれた声に振り向けば、籠を背負った体格の良い老人が訝しげにこちらを見ていた。

 「年を取ると寝ていられなくてな。柄から手を離したらどうだ」

 「申し訳ない、職業病でして…」

 「気持ちは分からなくもないがな。街の奴らに魔物討伐でも頼まれたか?」

 「いや、なんと言いますか…仕事の大義名分を使って、私情で魔物を狩りまくったといいますか…」

 「は?」

 不思議そうに目を瞬いている老人に、一人で気まずくなって頬をかいた。確かに血生臭いかもしれない。

 「若輩者の話と思って聞いていただけますか…」

 そうしてミシェーラが行方不明になった話から、魔物捕獲討伐隊に異動した話やこれまでの話を話した。どうして話してしまったのか、自分でもよく分からない。魔物を狩りすぎて、思考能力がおかしかったのかもしれない。

 「ミシェーラなら、家の隣に居候してるな」

 「もしや、この辺りは街外れの塔に近い…!?」

 「近いも何も…ああ、ミシェーラが拒んでるからか」

 「こば!?」

 「待ってな、今見せてやるよ」

 衝撃的な言葉が胸に刺さる。ミシェーラが俺を拒む?何故?拒むということは、嫌いということなのだろうか。あ、やばい、死にそう。

 「ボーッとしてねえで、あっち見てみろよ」

 「はっ!すいません…思っていたより言葉が鋭くて………あれが、塔?」

 「おう。行く前に家で風呂貸してやるから、着いてこい」

 「あ、ありがとうございます…」

 ご老人が何をしたのかはさっぱり見ないでしまったが、気づけば目と鼻の先に石造りの塔が建っていた。何故気付かなかったのかと思うほどだ。この高さなら、街からも見えているだろうに、見えた事はなかった。気付かなかったにしては、大きすぎる。

 「あの塔は居住者の防衛本能を具現化するから、錯覚の魔術が働く。昔は魔術師がしこたま住んでたから、殆んどの奴らは見えなかったが、今はミシェーラが指定した人間だけ見えない」

 「ミシェーラは、俺を、避けている?」

 「さてな、そこらはお前らの話だ。馬に蹴られるのはごめんなんでな」

 「……そういえば、お名前を聞いていませんでした。自分はティオン。ティオン・ライセントと申します。ライセント家の五男です」

 「ああ、お前がティオン・ライセントか」

 「…自分をご存知で?」

 「ユーライザ・ワーゲンホルムだ」

 「………ワーゲンホルム…どこかで……………あ……た、隊長殿で?」

 「そういうこった」

 さっきから衝撃が凄すぎて、目眩が起きそうだ。頭がおかしいソロプレイ集団の隊長、つまりは自分の直属の上司と対面することがあるなんて、思ってもみない。誰も会ったことはなく、生きているかも怪しいと言われている、魔物捕獲討伐隊隊長ユーライザ・ワーゲンホルム。まさか、自分が会うことになるなんて。

 「置いていくぞ」

 「も、申し訳ありません!」

 ミシェーラに拒まれているという現実に向き合って、事実を確かめに行かないといけないというのに事態に追い付くのが精一杯な自分が情けない。

 

 申し訳ないことに朝一番に湯を準備してもらい、魔物の血を洗い流した。ずだ袋は隊長殿に進呈した。何故か奥方様が目を輝かせて受け取ってくれた。聞くところによると薬師らしい。

 塔の入り口まで案内してもらうと、塔には一日誰も入れさせないと隊長殿からお言葉を頂いた。それは助かると頭を下げた。

 「さぁて!登るか!」

 螺旋状に連なる階段たちを見上げ、頬を叩いた。中頃の部屋の扉前に植木鉢があるそうだ。そこがミシェーラの部屋。ミシェーラから聞いた経緯と俺の話した経緯は、大体同じで、八割本人だろうと言われた。違うときには引き返して来いとも。

 「しかし、なっがいなぁ!」

 登っても登っても階段しかなく、途中にあった部屋は物置小屋になっていた。そしてなにより、階段の高さが絶妙だった。一段が低く、二段では登りづらい。そんな、絶妙に登りにくい階段だ。ミシェーラにこんな体力があったのにも驚くが、毎日登り降りをしていると思うと頭が下がる。そうこうしていると、息も切れてきたが、目的地がようやく見えた。綺麗に手入れがされた、黄色の花が咲いていた。

 「そこに!いるのは!知ってるぞ!」

 魔物狩りの後でもなければ、息なんて切らせないというのに。嫌われているかもしれないのに、格好もつけられない自分が嫌になる。

 扉に向かって叫んだが、反応は無い。確認をしてからと言われたが、その必要もない。ミシェーラの気配をこの俺が間違える筈がない。

 バン!

 「は!?」

 突然勢いよく開かれた扉に、思わず構えてしまった。その隙にミシェーラは階段を登っていく。

 「あ、待て!逃がしてたまるか!」

 久しぶりに見たその姿は昔と変わっていて、目の前に居る嬉しさと寂しさが入り交じり初動が遅れてしまった。慌てて追いかけるも、地の利の問題なのかなかなか追い付けない。逃がしてたまるものかと、短くなった髪を追いかければ深い緑の瞳と目が合う。彼女は慌てて逸らしたが、もう遅い。余計な力が抜け、急に体が軽くなったように感じる。魔物を捕まえる時と同じだ。ただ、力加減だけ気を付ければいい。ミシェーラを傷付けたりはしない。

 「もう、少し!」

 射程内に捉えた瞬間。腕を掴めたその距離で、掴んだものは何もなかった。気付けば彼女は反対側に飛び移っていた。痛いだろうに、階段に脇を刺されながらゆっくり立ち上がり壁伝いに降りていく。ああ、そこまでして俺から逃げたいのか。そんなに、そんなになってまで、痛い思いをしてまで、俺から逃げたいのか。

 「そんなに、俺が嫌いか!身体を張って逃げるほど!」

 我ながら情けない叫びだった。愛しているのに。ミシェーラだけをずっと、愛しているのに。この声は届かないのか。この想いは、邪魔にしかならないのか。

 「確かめてやる。白黒付けよう、ミシェーラ」

 先程よりも逃げるスピードが落ちたミシェーラを捉えている。あれなら追い付ける。気持ちを落ち着けて、向き合えティオン・ライセント。

 「あなたが、好きだから逃げたのに…!」

 涙が滲む声が届く距離。久しぶりに聞いた、愛しい声。呆気なく掴めた腕は、すぐに振り払おうと力を込めた。それに怯むような鍛え方はしていない。

 「逃げるな!」

 「離して!」

 「離さない。七年前のように、逃げてみろ、俺は今度こそ死ぬぞ!」

 「なんでよ!離して!意味が分からない!」

 ぶんぶんと腕を振り回そうとするので、それに合わせて動かすが離す気はない。もう、この腕を離すわけにはいかない。その時は、決別の時だ。

 「お前が好きだ、ミシェーラ」

 「そんな、そんな嘘ついたって!」

 「嘘じゃない!」

 「嘘よ!」

 「俺を見ろ!ミシェーラ!」

 首を横に振って話を聞こうとしない彼女に、思わず大きな声を出してしまった。反射的だろうか、上がった視線は真っ直ぐ俺を映している。なんて、情けない顔だ。覚悟を決めろ。やっと、やっと、会えたんだぞ。

 「好きだ」

 「き、気のせいじゃ」

 ミシェーラが戸惑っているのがよく分かる。こんなにハッキリと想いを告げたのは、初めてかもしれない。

 「苦手なダンスを一人で復習してるとこも、考えてる姿も、笑いを堪えきれずに口角が上がるところも好きだ。あと…」

 「も、もういいです…!」

 制止されても、伝えたりない。今まで伝えられなかった想いを言葉にしなければ。

 「俺の髪色に似た刺繍糸を探すところもいじらしいし…」

 そう本当に知った時はどうなるかと思った。全身に雷が落ちたし、見悶えても落ち着かず、剣の稽古中に二番目の兄を勢い余ってぼこぼこにし過ぎたくらいだ。

 「あ、あの!」

 「なんだよ、まだ嘘だって」

 「ほんとにすいません…あの…逃げませんから、本当に逃げませんから、着替えてきても…?」

 うつ向いたまま、ミシェーラは小さな声で呟いた。今、ミシェーラはなんと言った?

 「きがえ」

 「きょ、今日は休みの予定だったので、お恥ずかしながら、寝巻きでして…」

 「ねまき」

 「はい、あ、夜着といった方が…?」

 「よぎ」

 「あの…?」

 困ったように、見上げた瞳に体はすぐに動いた。夜着のインパクトが大きすぎて、余計なことは考えられない。子供じゃあるまいし、本当に情けない。

 「悪かった。部屋の前で待ってる。頼むから逃げないでくれ。準備ができたら話をしよう」

 彼女が戸惑っているうちに部屋に入ると、静かに床に降ろした。そのままそっと扉を閉じると、すぐ横で頭を抱えて座り込んだ。ああ、本当に情けない。夜着だと告げられ、視線は間違いなく胸元へ向いた。確かに、薄い生地というか、緩い設計だった。半ば一人暮らしだというのに、あの格好はどうなんだ。体のフォルムが丸見えじゃないか。そうだ、隊長殿から途中で飲めと水を貰っていたんだ。一息つこう。

 「いや、純潔だけど、そうじゃないでしょ…」

 「ぶっ!げほっ、げほっ!」

 不意に聞こえた台詞に、むせ混んでしまった。ミシェーラから、聞くとは思っていなかった。許してほしい。

 

 暫くして開いた扉に、反射的に飛び上がった。びくついたように見えなかっただろうか。

 「お待たせしました…」

 「いや、大丈夫だ」

 仕事用の服なのだろうか。動きやすそうなシャツとズボン、走りやすそうな靴だった。馬に乗るのにも良さそうだ。

 「では、失礼します」

 「ああ、またな」

 何の違和感も感じない――筈はない。

 「逃げない約束だよな?」

 「は、はいっ!」

 堂々と目の前を通り過ぎようとするミシェーラに、首を傾げて問いかけた。思ったより低く牽制するような声になってしまったが、結果的にミシェーラは止まってくれたので良しとしよう。

 「女性の部屋に入るのは悪いが、ミシェーラを外に出すと逃げられそうだ。失礼する」

 「ど、どうぞ…」

 渋々俺を招き入れた彼女に、半分嬉しいような怒りたいような。そんな矛盾を隠して、扉を背にして問いかけた。

 「俺が好きならどうして逃げたんだ」

 そう、先程彼女はそう言って泣いていた。好きだから逃げた、と。どうして、逃げなくてはならなかったのか。俺は出会った時から、ミシェーラしか見えていないというのに。

 「貴方と幸せになりたかったからです」

 「あのままではなれなかった…?」

 「私は、そう思っていました。だから、逃げました。貴方から逃げれば、婚約は破棄され、別な方と結婚なされると」

 「…その、どうしてそう思ったか聞いても?」

 一人で考えているときも、ミシェーラの事が分からなかった。父にも兄弟にも、今話しても理解できないと取り付く島さえ作ってもらえなかった。

 「会いに来るのは、行事と打ち合わせの時でしたし、お食事にお誘いしても殆んどお断りされてしまいましたし、稀にお食事できても、会話はありませんでした。政略結婚でしたし、耐えられなかった私が悪いのです。」

 「た、たまに会いに行ったよな…?」

 「そうですね。天気の話をよくしました」

 「そう、だな。俺もその記憶が強い…」

 ミシェーラの言葉に、埋まらなかったピースが埋まっていく。自覚はなかったのだ。個人的にはミシェーラをいつも見ていたし、話も聞いて、贈り物もしていた。

 片手で顔を覆って思い返してみても、ろくな話はしていないし、食事も格好よく見せたい気持ちでいっぱいだった。何を話したらいいか分からず、天気の話ばかりしていたし、好みが分からないから、流行りのものを贈っていた。ああ、なんて愚かなんだ。情けない男め、ため息なんてつき終らないぞ。

 「…やっとジュリオの怒りが腑に落ちた」

 「お、弟のですか?」

 将来の義弟は、姉が大好きだ。そんな姉が堪え忍んだというのに、限界を越えてまで気づかない男なんて、彼からしたら穀潰しもいいところだろう。後でしっかりと謝らなければ。だが、その前に一番はミシェーラだ。

 「俺はミシェーラが好きだ。間違いはないし、他と婚約も結婚もしていない。許してくれとは言わない、怒っても殴ってもいい。俺が悪かった」

 「は、離して!」

 そういえば、抱き締めたことすらなかったと腕の中におさめて思う。胸を押す力は弱く拒絶はなさそうだと、胸を撫で下ろす。大きく息を吸って、ミシェーラと視線を合わせた。

 「昔はミシェーラと一緒に居たらどうにかしそうで、避けていたのは認めるし、正直今も頭の中ぐちゃぐちゃしてて、どうしたらいいのか分かんねえし、好きなんだ、ミシェーラ。頼むから、どこにも行かないでくれ」

 「わ、私は貴方から逃げた身、です。隣にいる資格はないです」

 「だから、さっき逃げようとしたわけか…」

 成る程、と自然と腕に力を込めてしまった。すると鼻に彼女の香りがよく届いて、誘われるように肩に顔を埋めてしまう。びくついたのが分かったが、首から響く早い鼓動と熱いくらいの体に口角が上がってしまう。どうして、こんなに悪い男に目を付けられてしまったのか。

 「ミシェーラは、俺に捕まったんだ。だから、俺の傍に居るしかない。もう絶対に逃がさない」

 「あの、 ティオン」

 顔を上げた。深い緑の瞳が驚いて見上げていた。

 「もう一回」

 「…ティオン、離してください」

 俺が何を要求したのかは分かっていないようだったが、嬉しさが込み上げてくる。ミシェーラが、俺の名前を口にしている。

 「好きだ、ミシェーラ」

 「ティ、オン、あの…その、離して…」

 「耳まで赤い」

 潤んだ瞳が掻き立てるのは、加虐心なのか。せっかく、魔物をたくさん狩ってどうにかこうにか発散してきたというのに。

 「ミシェーラ」

 ほら、やっぱり押し倒すしか出来ないじゃないか。シーツに縫い付けられてしまったミシェーラの耳元に唇を寄せる。

 「俺のことはまだ好きか?」

 「あの、そと、まだ朝だし、というか、会ってまもなくというか、あの、その!」

 「会って間もなくない、七年耐えた。それとも、俺のこと嫌いか?七年も探し回るのも気持ち悪いよな」

 分かりやすく目尻を下げて、自嘲気味に笑ってみる。別に本心だ。だが、慌てて首を横に振るミシェーラに、今度は満足そうに笑ってしまう。夜でないことが良くないらしい。

 「ミシェーラ、俺のこと好きか?」

 「ずるくないですか…」

 「いやいや、そうやって涙目で煽るミシェーラの方がずるいだろ。で?」

 「でって、なんです…」

 「好きか?」

 「………………すきです」

 「やっと聞けた」

 何年も何年も待ち望んだ言葉。体に染み渡らせていると、頬を撫でられた。自分でも口角が上がるのがよくわかった。きっと悪い顔をしているに違いないと思いながら、顔を首筋に落とす。甘い香りがした。

 「俺も好きだ、ミシェーラ。悪いけど、夜まで耐えられない」

 ミシェーラは夜がよかったもんな、と付け加えれば、どんな顔になるか楽しみだ。

どうしてこんなに長くなってしまったのか…。

前作がすごくたくさん読んで頂いたので、期待に添えているか心配です…。待っていてくださった方がいらっしゃったら、ありがとうございます。

こんな時期なので、少しでも暇潰しにでもなれば幸いです。


2020.5.10 誤字脱字訂正しました。

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