史の初リサイタル(3)
開演30分前になった。
すでにホールは満員状態。
演奏会チケット入手が困難とされたオーストリア大使館員も、大旦那夫妻と父晃、母美智子、姉由紀が舞台裏で聴くとのことになり、大使を含めて5人座っている。
また、マスターや洋子のカフェ・ルミエールのスタッフと、華蓮や道彦の文化講座スタッフも全て満員状態を考慮して、舞台裏にいる。
史は、黒のスーツに着替えて楽屋にいるけれど、マネージャーの鷹司京子が楽屋にいるだけ。
誰も話しかけようとしない。
鷹司京子から全員に指示があった。
「初リサイタルの直前になったら、そっとしておいてください」
ほとんど全員が頷くけれど、由紀だけは声を掛けたくて仕方がないようす。
母美智子に
「少しだけでもいいかなあ、」
と声をかけるけれど、即座に叱られる。
「一番集中が必要な時間に、混乱させないで」
「史を苦しめないで、邪魔してどうするの?」
由紀は、下を向くしかない。
開演15分前になった。
楽屋の扉が開いて、史が鷹司京子と出てきた。
いつもより顔を下に向けている。
やはり、少々の緊張感があるようす。
それでも、大旦那と奥様には、いつもどおり、キチンと頭を下げる。
大旦那は、トントンと史の背中を軽くたたく。
史は小さな声。
「ありがとうございます」
奥様は史の背中に回り、その肩を少し揉む。
「背筋を真っ直ぐにね」
「しっかり呼吸を整えなさい」
史は、うれしそうな顔。
「ありがとうございます」
と、また小声。
華蓮と里奈が、歩いて来た。
華蓮
「5分前には、アナウンスするから」
史が頷くと、里奈
「史君、これ、作ったの、食べて」
その里奈の手のひらには、色とりどりの小さな「金平糖」。
史は、にっこり。
「里奈ちゃん、ありがとう」
その顔が、途端に明るくなる。
少しして、華蓮がアナウンス。
「まもなく、開演となります」
「ご来場の皆さま、どうぞ、御着席願います」
そのアナウンスが2回繰り返された時点で、史は舞台袖口に立った。
そして、客席を少し見て、驚く。
「すごい、たくさん」
後にいる全員に深く頭を下げた。
「こんなに集めてくれて、ありがとうございます」
すっかり、冷静な顔、いつもの史の顔に戻っている。




