木村親方と史(1)
史の熱中症による体調悪化は、木村和菓子店の親方にも伝わっていたようだ。
お昼過ぎに、親方が、史の家にお見舞いにやってきた。
母美智子が、申し訳なさそうに、頭を下げる。
「すみません、親方にまで心配をおかけしまして」
親方は、首を横に振る。
「いえいえ、あの監督の史君に対する暴言を私の孫も聞いていましてね」
「そのあと、奈津美から史君がダウンしたって聞いたものだから」
「もうね、いてもたってもいられなくてね」
美智子は、階段越しに、二階の史の部屋を見上げた。
「はい、昨日は一日寝ておりまして」
「今朝は、梅味のお粥を食べさせたんですが、その後はまた寝ています」
「そろそろ、起きてもいいんだけど」
親方は、本当に心配そうな顔。
「とにかく、無理はさせてはいけません」
「これから暑い日は、まだ続きますし」
「秋になれば、コンサートやら何やらで、忙しくなるでしょうから」
そして、親方は、真面目な顔になった。
「実はね、お母様にも一度お話しておこうと思いましてね」
その言葉で美智子も真面目な顔。
親方の次の言葉を待つ。
親方
「実は、史君にお願いしたいことがあったのです」
「それもあって、もし、回復していれば、そのお話もできるかなあと」
美智子は、はじめて聞く話なので
「あ、はい、史にお願いとは・・・」
と聞き返すしかない。
親方は、真面目な顔のまま。
「今度、神社の秋のお祭りがあるので、新作和菓子を作るんですが」
「史君の味覚を参考にしたくて」
「史君にも、この前、店に寄ってもらって、アイディアをいくつか、いただいておりましてね」
美智子は、それで安心した。
「そうですか、それはそれは・・・時間も限られていますね・・・」
「史も、家では無口で・・・」
「でも、朝は完食したので、回復は早いと思うんです」
親方の顔も、ほぐれてきた。
「はい、何しろ、史君の味覚とお菓子のセンスは別格なんです」
「ただ新奇なものを追うのではなくて、しっかりと和菓子の伝統に基づきながら新鮮な感覚、私みたいな職人気質の者にも、ハッとするようなことを言ってもらえるんです」
「忘れていた修行時代に師匠から言われたこととか、聞くだけで楽しくなることも言ってもらえます」
「それは私だけではなくて、奈津美も、また別の弟子も、史君の来店を心待ちにしているんです」
美智子は、親方のそんな話が意外。
何しろ、当の史からは全く聞いていない話だった。
「あの子、どこで何をしているのかな」
「まあ、木村親方のお店なら心配ないけれど・・・」
「それにしても、評価高すぎ・・・史は素人なのに・・・」
美智子が、少々焦っていると、史は、ようやく起きたらしい。
2階の史の部屋のドアがガタンと開いた。
美智子は、立ち上がった。
「あ、出て来るかな」
親方も、うれしそうな顔。
しかし、その次に聞こえてきたのは、「ゴツン」。
史は、ドアに頭をぶつけたらしい。




