1 最後の一日
「あとは、筆で細かいところを仕上げれば完成だな」
エアブラシを置き、コンプレッサーと換気ファンのスイッチを切る。
とたんに、しんと静まり返り、今がもう夜中なのだと思い出さしてくれる。
「やっぱり、三ついっぺんにフィギュアを仕上げるのは無理があるなぁ」
時計の針は午前二時を指している。
少しだけ休憩しようと思ったが、じっとしていると、寝静まった世界の空気にのまれ、このまま突っ伏して眠ってしまいたい誘惑が襲ってきて、頭を左右に振って眠気を払いのける。
今日はフィギュアの展示会初日。朝には大学のサークルの時の先輩が取りに来てしまう。
飲みかけのペットボトルのお茶を一気に飲み干し、筆と絵具を用意して仕上げに取りかかる。
俺の名は高木正人。二年前、美大卒業してから、細々とイラスト依頼と、美大に行っていた時に入ったサークルで始めた自作のフィギュアを先輩の会社で売ってもらって、なんとか生活できている。
部屋は広めの1DKで、机の上は、塗装ブースに占拠され、壁面は大量の本と自作のフィギュアが並べられ、空いているスペースは窓際のイーゼルの周りだけで、そこ以外は油絵やらイラストやらが立てかけられていて、ベッドルームにまで作品が侵食してきそうな勢いである。
暗かった窓の外が少し明るくなってきていて、青みがかった世界へと染まっていき、まるでこの部屋が海の底に沈んでいるような気持ちにさせられる。
夢中で色を塗っていたせいか、日付が変わってからそれほど経っていないような気がするのに、今日は時間が駆け足で過ぎていくようだ。
「んー……まぁこんなもんかな」
筆を置き、後は乾くのを待つだけだ。
窓を少し開け、たまに徹夜したときにだけ味わえる、世の中が動き出す前の清々しい空気を思いっきり吸い込むと、疲れが幾分か癒されるような感じが体の中を通っていく。
新聞配達だろうか、静けさの中にバイクの走っていく音がした。
大きく伸びをしたあと、窓台を見ると、小鳥がチョコンと、こっちを見ている。
「うおっ?」
小鳥が入ってくるなんて初めてのことなので、思わず声をあげてしまった。そっと離れてパンを探し、少しちぎって戻ってみると、もういなくなっていた。思わずため息をつき、手に持ったパンを口に放り込んだ。
瞼が重くて今にも寝てしまいそうになるのをこらえつつ、いつ寝落ちしても先輩にフィギュアを持っていってもらえるように、とりあえず玄関の鍵を開けて部屋に戻り、フィギュアを運ぶための箱を用意していると、インターホンが鳴る。
先輩の姿が映っている、そのインターホンにむかって
「あぁ先輩、おはようございます。鍵空いているんで、どうぞ入ってきて下さい」
先輩とは高校の時からのつきあいで、名前は加賀祐輔。ホビー関連の会社に就職し、俺のフィギュアを展示会に出展して評判の良かったものを発売してくれている。
そのおかげで、なんとか生活できているから、俺にとっては感謝してもしきれない人だ。少々荒っぽくて、少し苦手な人でもあるが
「おぅ、出来たかぁ?本来なら前日には搬入しておきたかったのに急に数を増やすつうから、当日の朝まで延ばしやがって…まさか、まだ出来ていないとか言わねーだろうな?」
「失礼しまーす」
先輩の後ろで女性の声がした。
「いえ。やっと完成したところです。って、先輩、後ろの美人は誰です?」
「ああ、会社の後輩でな、展示会手伝ってくれるっていうから連れてきた。お前の部屋にも興味あるって言うし」
見た目、二十二、三といったところだろうか、背中まで伸びたストレートヘアに白のシャツと黒いひざ丈のスカートスーツ姿で、先輩の後ろで部屋の中をキョロキョロと見渡していた彼女は、あたふたと先輩の横に並び
「水谷涼子です。高木さんの作品のファンなんです。よろしくお願いします」
「こっ こちらこそ、よろしくお願いします」
オフィス街を颯爽と歩いてそうな綺麗な人で、徹夜明けのみすぼらしい格好をしている自分が少し恥ずかしくなってしまう。
「へぇー こういう所で作っているんですね。いかにも芸術家という感じで素敵ですね」
「いえ 散らかってるし、座るところもないくらい狭いんで申訳ありません」
うわぁー という感じで立てかけた絵やフィギュアをまじまじと見ていて、こっちが気恥ずかしくなってしまう。
「朝早く、すいません先輩」
「これかぁ 今回出品する作品は。いつもは一体か多くて二体だったのに今回は三体出品させてくれっていう話だったが」
「えぇ、今回はこの三体のイメージが、かわるがわる、目の前に出てくるんで、しかたなく…左から、『青龍』、『魔王』そして『女神見習い』です。」
「二つは神々しくて手にとるのも恐れ多い感じがするが、『魔王』は、見てるだけで寒気がしてくるなぁ。どっちにしろ、よくこんなものが作れるもんだと感心するぜ…」
眠くて勝手に閉じようとする瞼に勝てず、瞳を閉じたまま、先輩の言葉が、聴こえてはいるが、理解する事も反応することもできず、箱に詰める手も途中で止まっていた。
「って、寝てんじゃねーか!展示会の客が入ってくる前に準備を終わらせねーといけねーんだからよ」
「あっ、あー、すみません…一睡もしてないんで、もうろうとしちゃって…ふわぁーあ」
「あくびしながら俺の話を聞くとはいい度胸じゃねーか。」
「かみころそうとしても、出てしまうんすから勘弁して下さいよ」
「それは前日までに仕上げられなかったお前が悪いんだろう。俺だって、本来なら8時間は寝ないと調子がでないのに、お前のせいで、ここに来るために五時間しか寝てねーんだからな。」
「五時間!十分じゃないっすか。」
「まぁ、いつも八時間は寝ている俺には五時間でも十分寝不足だよ。まぁ、車に乗りゃ会場に到着するまで、ゆっくり寝かしてやるからよぅ」
「えっ!まさか俺も行くんですか?」
「あったりめぇじゃねーか、遅れた分、しっかり手伝ってもらうからな」
「えー」
「私が展示を手伝いますから、隆司さんには休んでもらったらどうですか」
「だめだめ!完成を遅らした責任はちゃそんととってもらうからな」
二人もてきぱきと箱詰めを手伝ってくれている。
「最後のフィギュアは、えらい別嬪さんじゃねーか。『女神見習い』なんて、えらい限定的な題材だなぁ。んー、なんか水谷に似てるような気がするんだが…ん?まさか、俺の知らない間にモデルとかやってたんじゃねーだろうな?」
「いや、会ったことないですし」
「そうですよー。実際に会うのは初めてですし、私がこんなに神々しい、『女神見習い』さんに似てるなんてとても光栄です。なんか嬉しいなー。これ『典子』っていう名前にしません?」
「おいおい、調子に乗りすぎだ。お前のフィギュアなんて誰が買うんだよ」
「ひどいー。高木さんのフィギュアなら、きっと売れますぅー」
それからよほど気に入ったのか離そうとしなくなった。
「前回はヒュドラとデーモン、その前がドラゴンとワイバーン。ファンタジーに出てくるモンスターばっかり作っていて女のフィギュアなんて嫌がっていたお前がどういう風の吹き回しだ?まぁ、このクオリティーで流行りのアニメのヒロインなんか作ってくれたら大ヒットすると思うんだがなぁ」
「今回は『青龍』だけ作るつもりだったんですけど、『魔王』と『女神見習い』のイメージが、いくら振り払っても交互に目の前に現れてくるんで仕方なくですよ。それからオリジナルの作品以外は作るつもりはありませんからね」
「まぁ、そう言うだろうとは思っていたがな」
「す、すいません」
「そろそろ出発しないと間に合いませんよ。わたしは自分のフィギュアを持って行きますね」
「おー。それじゃあ俺は『魔王』は避けたいから『青龍』持っていくわ」
二人とも両手で箱を抱え玄関の方に出て行き、『魔王』の入った箱が残されている。
「こいつ、どこまで悪のイメージを込めれるかに挑戦した力作なのに、人気ありませんね」
「だからだよ。怖くて誰も手にとりたくねーと思うぞ。お前しか運ぶ奴いねーんだから、お前も早くしろ」
展示会は先輩にまかせて、このまま眠りたいと思っていたのに少し嫌だなぁと思いながら靴を履いていると、ぶちっと音をたてて紐が切れた。
「えっ!?買って一ヶ月なのに」
「どうした?」
「いえ、靴紐が切れちゃいました」
「普通、切れるかそんなもん。やっぱりそいつは不吉なんだよ」
「たまたまですよ、いやだなぁ」
先輩の会社のマークがついた青い軽自動車が停まっていた。後ろの席に乗り込もうとすると
「寝て行くんなら前のシートのほうが倒せるぞ」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
先輩の運転で俺が助手席、水谷涼子さんは後ろの席に乗り込んだ。
流れる景色をなんとなく眺めていると、その景色に違和感を感じた。いつもなら赤や緑、青など色彩に溢れた街並みが灰色で薄っぺらで存在感のない、白黒の映画を見ているように感じられた。
メモ帳を取り出し、その白黒の世界をスケッチしだした。
「先輩、いつも色鮮やかに見えている外の景色に色が感じられないんですけど」
「ん?そうかぁ、曇っているわけでもないのになぁ。あぁ、あれだ!寝不足のせいじゃねーかぁ?」
「そうなんですかねぇ?」
「私には青い空と街路樹の緑が色鮮やかに見えますけど」
「やっぱり体調のせいかなぁ」
信号が赤に変わり、先輩がスケッチを覗きこんだ。
「それ、反対側は見えちゃいないだろぅ、どうしてスケッチできているんだ?」
確かに、見えている物の後ろ側まで書き込んでいた。
「なんか見えるような気がするんですよ」
「ほぉ、どんなふうに世界が見えているのか興味深いな」
「俺が今まで描いてきた絵とほぼ一緒ですよ」
「まぁ、変な絵描くなぁとは思っていたんだがよ。ピカソの真似かってな」
「変とは酷いなぁ、真似してるつもりはないんですけどねぇ」
「おっ、コンビニがある!」
車はコンビニの駐車場に入っていった。
「水谷ぃ、これでコーヒーとパン買って来てくれ」
「加賀さんはブラックですね。鳳さんは何がいいですか?」
「それじゃあ、カフェオレをホットでお願いします」
「はい、パンの方は適当に見繕って買ってきますね」
車をドアをそっと閉め、コンビニの方へ駆けていった。
「ところで、前回のデーモンなんだがな、偶然゛と思うんだが、購入者のところで、いくつか不吉な事件が起きていてな、今回の魔王もそういうことが起きるんじゃないかと、少し心配しているんだ」
「それで先輩、魔王に触ろうとしなかったんですか。なんかショックだなあ。それじゃあこいつ出展するのやめにしようかなぁ」
「まぁ、せっかく作ったんだし、展示だけして、様子を見てもいいんじゃないか」
「展示だけしてって、始めから売る気ないでしょ」
「まあな。噂は偶然だったということで、ひっそりともみ消したいからな」
「魔王やデーモンを無かった事にするつもりですね。まぁこいつで不幸が起きるっていうんなら仕方ないですけど」
「展示はしてやるって言ってるだろう。幻のフィギュアなんてカッコいいじゃねーか」
「カッコ悪いですよ。ようするにボツってことじゃないですか」
「いや、まあ、その、なんだ。お前が怖い魔王じゃなくてカッコいいヒーローみたいな魔王を作ってくれりゃあ問題ないんだがな」
「えー! 俺には無理です」
そこへ水谷涼子さんが戻ってきた。
「おまたせしましたー。サンドイッチいろいろ買ってきちゃった。鳳さんどれにします?」
「それじゃあ、そのハムカツサンドで」
「はい、カフェオレとハムカツサンド。それとゆでたまごも食べてね。まるでモーニングセットみたいでしょう。うーん、あとサラダも付けたかったなぁ」
「おいおい、車の中は喫茶店じゃねーんだぞ、車の中に卵の殻落としたら承知しねえからな」
先輩はアイスコーヒーとツナサンドとメンチカツバーガーを受け取り、車を発進させた。
休日の早朝で走っている車が少ないせいか静かにゆったりと走っていて、お腹が満たされたのも相まって心地よい揺れが眠気を誘ってくる。
眠っているのか起きているのか自分でもわからない状態で目を閉じていると、女神見習いのフィギュアを作っていた時に浮かんでいたイメージが、両手を前に差し出し、なにかを叫んでいる顔が浮かび上がった。
ハッとして目を開けてみると、前方のカーブから大型トラックが車線をはみ出し、ノーブレーキでこちらへ突っ込んでくるのがスローモーションで迫ってくるのが見え、その運転手は居眠りをしているようで、なんとその背後には以前作ったデーモンそっくりのなにかがニヤリと笑っていた。