30
ブワリと男から殺気が溢れかえる。
耐性のないこの体だと失神してしまいそうなほど濃くて重い。
息が苦しいのは今も離れない手のせいではない。
物理的な負荷はむしろ今の方がマシ。
「どうしてその名を知っている?」
“テネ”とは前世での私の名。
仕事によって幾つか偽名を使い分けていた中の1つ。
最も古く、幅広く使っていた名前。
おそらくは“テネ”の両親か、それに近いものが付けてくれた名前だ。
ギルドに買われる前の、暗殺者になる前の“私”に繋がる可能性のある唯一のもの。
好き勝手に自分の好みの名を名乗る者もいたし、以前の自分が忘れられないと、いつか自分のルーツを探るのだと残す者もいたけれど。
私が“テネ”の名を使い続けていた理由は単に新しい名前をつけるのが面倒だったから。感傷なんて微塵もなく、使い続けていた名前。
長く使っていたから、一番馴染んでいる名前。
その名を忘れる事は…転生後もなかった。
記憶が戻って暫くは今の両親に付けられた名前にこそ違和感を抱いた。
でも今は。
他人の名の様にも感じる。
…それくらいの距離が、おそらく今は必要だ。
言葉を選び間違えば衝動的に殺される。
そう判断できるくらいには男は冷静さを欠いている。
今はまだ耐えられても、いつ決壊するかわからない。
「テネは…」
頭の中で物語を組み立てる。
こいつは過去の自分を知っている。
この世界での私の歴史を知っている。
「わたしの…祖母だから……ぐっ…」
思った通りに首を絞める手の力が強くなる。…でも、まだ殺されない。余裕はある。
「嘘をいうなといったはずだ」
「う…そ…じゃ、な……」
なんとか言葉を紡ぐ余裕はある。
勇者を暗殺しにいって失敗し、命を助けてもらう代わりに同行して…最後に死んだ。
そんな一行で纏めてしまえる私の事をこの男はちゃんと知ってる。
「ゆ…しゃ…の、せか…に…い……」
苦しい息の元、どうにか紡いだ言葉に手の力が緩む。またゲホゲホと咳き込んで。
落ち着いてから男を見ると無言で先を促された。一応興味は引けたらしい。
「“テネ”は勇者が魔王を退治した後に勇者と一緒に、勇者が住んでいる世界に行った。そこで生きて、息子を生んで…その娘が私」
この世界では勇者は余所の世界からやってくるという常識がある。
役目を終えた勇者は元の世界に帰るか残るかマチマチだそうだが、少なくとも先代はこの世界には残っていない。
無事に帰れたのならアオが私と同じ時代に生まれる可能性は低いから、きっと亡くなってしまったのだろうけど。
それを確かめる術はきっとない。
でっち上げてしまえばいい。
「まて、ならお前はなんだ?」
「私は…今回の勇者とは幼馴染みで、一緒にこの世界に連れてこられたんだよ」
これは嘘ではない。
男は迷うように目を忙しなく動かすと、恐る恐るという様に言葉を出す。
「テネは…死んだと聞いた」
事実だ。
でも、テネの記憶を継いだ私はここにいる。
「生きてたよ、数年前まで」
もしも“テネ”があの世界に来ていたのなら、きっと今の私以上に戸惑った。魔法の力も、身体能力もそのまま世界を渡れたのなら…どうなっていたかな?
危険人物として捕らえられて殺されちゃったかな?それとも人体実験でもされただろうか?
「数年前まで…?」
確認に頷く。
今も生きている事にはできない。
生存し年老いた“テネ”の情報は少ない方がボロがでない。
「私が小学生の時に亡くなったの…」
話にリアリティをもたせる為に現実の父方の祖母のイメージを被せる。早くに祖父を亡くし、女手一つで父を育てた祖母は私が小学3年生の時に祖父と暮らしていた家で亡くなった。
離れて暮らしていたから頻繁には会えなかったけど、優しかったという思い出が今も残っている。
「何が知りたい?私が知ってる事なら全部教えてあげる」
私が“テネ”を知っているという事を示す情報なら山ほどある。
なんせ本人なのだから内輪のネタもいくらでも言える。…忘れている事もあるだろうが、そこは聞いていないとでもいえばいい。
男は長い間葛藤した後に再び質問を落とす。
「俺を“バル”と呼んだのは何故だ?」
「“テネ”が言ってた。…唯一の心残りだって」
嘘で会って嘘でない。
ここでバルの息子だか孫だかに会うまでは忘れていた。
けど、彼に会って一気にあの時に自分がした事が後悔になって押し寄せた。
「自分が奪ってしまったものの大きさを知ったから、彼に酷い事をしたと…悔いていた」
「違う!」
今の気持ちをそのまま告げれば男から否定されてしまう。
「あの時“テネ”がしたのは正しい事だ!」
「彼から家族と神様を奪ったのに?」
叫びたいのを堪えて、感情をあまりのせないようにして答える。
“テネ”にとっての悔恨は、今の私にとっては他人事だ。
「違う!
そんな風に、そんな風にテネは思っていたのか?」
声に動揺が現れて、それは手にも伝わる。
するりと首から外れた手で男は自身の顔を覆った。
「あの時はああするのが正しかった。他に方法なんてなかった。テネがいたから家族は助かったし俺も生きている…」
……ん?
“俺”?
聞き間違いかな?
「神への信仰は今もしている。例え神本人が俺の信仰を拒絶しても祈る事は止められない」
「え~と…」
ちょっと聞くのが怖い。
「もしかして“バル”さん本人ですか?」
「そうだが…誰だと思って話してたんだ今まで?」
少し話し方がフレンドリーになったのは私の言った事を信じたからか?
いやいや。
え?
本人?
嘘でしょ?若すぎない?
「てっきり息子か孫かと…」
単に同族なだけの可能性もあったのに。
「俺に子供はいない」
「え…?」
それではやはり家族を持つことはなかったのか。
「けれど甥や姪、その子供もたくさんいる」
少し落ち込んだが続けられた言葉にその顔を見る。
「俺の家族は奪われてなんていない、遠く離れてはいるが今も俺は家族の一員だ」
柔らかく目元をたるませて言われたそれに、自然に涙が溢れた。
「よかった…」
心からそう思える。
先ほど家族が出来たのだと想像した時よりも嬉しかった。
「乱暴をしてすまなかった、とにかく話をしよう」
提案に頷けば、ようやく体をどけてくれた。




