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「げほっ…げ……ごほ……」
男の目が見開かれ、動揺のせいか指の力が抜ける。
さすがに離される事はなかったが、一気に増えた空気の量に咽てしまい咳き込む。
体を固定されているせいで咳き込みにくい。
空気が吸いづらく、また吐き出しにくい。
勝手に折り曲がろうとする体に動けないせいで変な負荷がかかる。
こちらの咳の発作が治まるまでかかった時間はどれくらいか?
下手したら数分とかかっていたはずだが男は動かなかったし何も言わなかった。動揺を立て直すのに相手もそれだけの時間が必要だったのかもしれない。
口走った名前に反応したという事は、ただ同じ鉄鎖の民というわけではなく本人か近親者の可能性がある。
拾った時の少年の年は10になるかならないかといったころだったはずだ。
そこから2,3年ギルドで教育している途中で私は勇者の暗殺に赴きのちにパーティに入る事になった。
そこから50年をプラスして本人であるなら60前半か半ばになる。
先代の勇者が召喚されてからどの程度の年月を掛けて魔王を退治したかにもよるし、この50年というのもだいたいという意味かも知れない。余剰分も入れると70くらいになっていても可笑しくはない。
そこまでの老体には見えないから…息子というのが妥当なところだろうか?孫という可能性も十分にある。
息子…。
そうか、家族が出来たのか。
そう考えると今しも殺されそうになっているというのに不思議に嬉しいといった気持ちが湧いてくる。
奪われた“家族”を再び手に入れる事が出来たのかと。
よかったねと、ぼんやりとした人影に祝いの言葉を素直に向ける事が出来る。
かつての少年の記憶は色だけが鮮やかで細部が思い出せず顔も朧気だ。
覆面のせいだけでなく目の前の男があの時の少年と似ているかどうかもわからない。
強く思い出されるのは銀灰の瞳。
ギラギラと怒りで燃えていた瞳が水でも掛けられた様に急速に輝きを失っていくさま。
家族の為に“神様”と決別し、そのせいで家族に見捨てられ絶望していく様子を間近で見て…奇麗だな、と最低な感想を抱いた事を思い出す。
足元に転がる死体の群れの中、血まみれで立つ少年が。
神様と家族、大事にしていた全てのものを失った絶望によって色を失った瞳が。
とても奇麗だと思ったんだ。
芸術の事なんて何もわからないのに、このシーンを切り抜いた絵があれば欲しいなと。
そんな場違いな事をボンヤリと思っていた。
その時の私はそれが酷いことだと思わなかった。
知識として“酷いこと”としては捉えていた。
けれど実感なんて欠片もなかった。
だって、それは“酷いこと”であると同時に“良くあること”でもあったから。
“家族”という1つの集団を生かす為に弱い者や価値の低いものを切り捨てる事は良くある事で。
生活に困り家族の誰か、働けない老人や子供。高く売れる見目麗しい若い女、生後一年と経っていない赤子などを売り払ったり捨てたり殺したり…田舎にいけばいくほど溢れてる。
都市部においても珍しいとは言えない実情。
生きていくにはお金が必要で、困っている時に無償で助けてくれるものなんていない。
みな日々を生き抜くのに精一杯なのだから他人に構う余裕などない。
数年後に高く売るために生かしている事すらある。
私だってその中の1人だった。
家族を生かす為の犠牲に選ばれたのが自分だっただけ。
家族を愛した記憶も愛された記憶もないから家族の情なんて完全に他人事であり未知のものだった。
ギルドのみんなが家族だといえるかもしれないし、幼い時はそう思う事で寂しさを紛らわそうとした事もあったと思う。
けれど違う。
ギルドのみんなは良くて仲間ではあるが家族では決してなかった。
そんな慣れ合う相手ではなかった。
死んだとしても、その時に多少は悲しくなっても、殺した相手に怒りが向いても。
所詮は一過性のものでしかない。
せいぜい流れていく日々の中で、そういえばあいつはもういないのか。と思い出す程度の軽いものだった。
私自身の死だって、皆にとってはその程度の重さしかなかったはずだ。
そもそも訃報が届いたかどうかも怪しい。
まあギルドには勇者に同行するという報告はしていたし、勇者が魔王を退治したという報は世界中に行き渡ったはずだからそこから何年も帰ってこなかったなら死んだと予測をつけたはずなので問題はない。
いないなら当てにせず仕事を滞りなく回すのがギルドマスターとしての裁量だ。
記憶が戻った後に昔の仲間には2度と出会う事がないのだと気づいた時も寂しいのは一瞬でしかなかった。そっか、の一言で終わらせる事が出来た。
ただ家族と呼ぶのに近しい関係は他には知らなかったから、そういうものだとも思っていた。
それが全くの別物だったと教えてくれたのは皮肉な事に私が家族を奪った少年だった。
家族に見捨てられたのに、家族の為に死を選ばずに生きようとする少年を見て違うな、とストンと心に落ちた。
あんなに深くて重い絆はギルドのメンバーはもちろん、誰に対しても持っていなかった。
ただ流れる血が同じなだけの存在ではなく、血が同じという事実が何よりも特別なのだと教えられた。
血の有無を問わなければ勇者へと向けていた思いが近いものだと勝手に納得していたのだが、それとも別の感情だったのだと今ならわかる。
私が勇者へと向ける感情はあくまでも“恋情”であり、それ以外のものではなかった。
家族へと向ける感情は別物であり、全くの“別枠”だ。
私が両親へとむける“情”それこそが“家族愛”と呼ぶ感情だと思う。ただそれが世間一般の“家族愛”とはまた違った可能性もあるけれど。
前世という異物な記憶が混じってしまったせいで、私は自分へと向けられる愛情を素直に受け入れる事が出来ない。
また今まで育ててもらったくせに実の“両親”という実感が薄くもある。
体は幼児でも大人として生きていた記憶もあったのだから仕方ない。せいぜいが養父母という感覚でしかなかった。
前世と育った世界の常識や感覚が違うせいで突飛な事も数えきれないほどしてきたと思う。
こんな変な娘を投げ出さずに今まで育ててくれた。
愛してくれた。
自分の中で少しずつ思いが変わっていくのがわかった。
今も蟠りが全て取れたわけではない。
けど“両親”は間違いなく“両親”なのだ。
血のつながりだけではなく、心もちゃんとつながっている。
ちゃんと2人の事を大事に思えている。
私が死んだら…きっと2人は悲しむ。
このままここで死んだら行方不明扱いになるだろう。
実際の両親がどんな行動を取るのかなんてわからない。
でも可能性として帰らぬ娘をずっと待ち続ける未来だってあるのだ。
早く諦めて切り替えた方が楽になれるのに。
自ら苦しい道へと歩みだす…その可能性が。
両親がそうならない為にも私は帰らなければいけない。
きっと心配させた事を怒られるだろうけど。
この世界の話は出来ないし、信じてももらえないだろうけど。
それでも私は生きて帰りたい。
だからこんなところで死ねない!
正気に返ったのは私が先だった。
咳の発作もようやく止まってくれた。
「バル」
今度は明確な意思を持ってその名を呼んだ。
呼びかけに答える様にこちらを向いた男の銀灰の瞳から色が失われる。
動揺も戸惑いも抑え込み、残るのは観察しようとする冷静な目だけだ。
彼が、前世の私をどう思っていたのか知らない。
恨まれたって、憎まれたって不思議ではない。
この男が彼の息子だとして、伝えているかも定かではない。
でも今は。
「テネ…って呼ばれていた人からきいたの」
過去の自分に縋るしかない――。
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