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鞄を右肩に掛けていたせいか右に向って倒れこむ。そして鞄のせいで満足に受身もとれなかったため思いっきり体をぶつけてしまう。痛い。
どこをどういう風にぶつけたのか、中でも右腕がとっても痛い。ついでに右足も。ただ怪我の程度としては右足の方が酷いのかもしれない。同時に複数個所怪我を負うと重症の方が痛みを感じない事があるせいだ。脳内麻薬のせいだろう。
だって、ただ擦りむいただけの手の甲が1番痛いとかどう考えてもおかしい。
そして予想通り立てない。
ゼーゼーと耳障りな呼吸音がひたすら煩い。
手当をしないといけないなと苦しい呼吸の中で思う。
この世界では魔法があるからか、あまり医療が発達していない。なのに腕の良い治療魔法に特化した術士は貴族が囲ってしまうため庶民は治療もろくにせず寝て治すという方法が取られている。
結果として死亡するものも多い。原因は怪我そのものや感染症の併発など様々だけど。
医者はいても治療代が高くなるし腕だってどんなに良くても魔法には叶わない。
魔法というのは便利だが良し悪しだな~と他人事の様な感想を持つ。
一般に出回っている薬は民間療法を元にしたものが多く、効き目があったりなかったり、逆に悪化させるものだって紛れてる。そして高い。
自分で野草を選別して調合できるならまた別だけど。
呼吸がようやく整い出したので立ち上がる。合わせて心臓の脈拍も落ち着いてくれば脳内麻薬が切れてきたのかジンジンとした痛みがし始めてきた。
右足を引きずりながらではあるが一応歩く事は出来る。
完全な自己判断だが打ち身と擦り傷だけで済んだようだ。
「生きてる…」
適当な方向に向って歩きながらボソリと呟く。
喉奥から笑いが込み上げてきて止まらない。
「ざまーみろ」
頭の中の兵士にむかって悪態を吐く。
私を本当に魔女だと思っているのなら油断するべきじゃなかった。
“魔女”だと罵ったのはただの方便、自分の正当性を証明する為に利用していただけ。
本当はただの小娘だと思っていたはずだ、だからその油断を突きこうして逃げてこられた。
今頃さずや悔しがっていると思えば今の自分もだいぶ酷い状況だというのに可笑しくて仕方なかった。
乾いた笑いが静かな道に響く。
ああ、これではただの危ないやつだ。
笑いの発作を無理に収めて、辺りを見回す。
この辺りは鍛冶屋が多いらしく槌を模った看板がそこかしこに見える。
昔の隠れ家を目指すのはいいが、さて今はどの辺りにあるだろうか?
見知った看板は見当たらず、昔の地図と重ね合わせる事は難しい。
幸か不幸か人影はなく、道を尋ねることも助けを求める事も出来そうにない。
「ん~…確か鍛冶屋が多い辺りだったけど」
必死に記憶を掘り起こす。
だいたいの立地が変わっていないなら、この辺りにあってもおかしくない。
一見倉庫の様に見える外観をしていた隠れ家の高さは1.5階分。
一階建てが多い工房の中では少しだけ見つけやすい。
周囲にそれっぽい建物はないかと見渡して、少し離れたところにそれっぽい建物を見つける。
他に行くあてもないのでそこに向いながらこれからの事を考える。
あまり大っぴらには出来ないけれど私の行方は探されるはずだ。それが保護の為か、確実に息の根を止める為かは微妙だが。
あの兵士ではないが私がアオの側にいないという事はアオを取り込むチャンスでもある。
たった1人の仲間、しかも公的には婚約者を失い孤独になった勇者に優しくすれば…と考えるものは絶対にいる。
扱いづらい小娘1人を処分するだけで勇者の信頼を得られるなら、誰だってそうする。
あるいはより効果的に使えるタイミングまで飼い殺すか…。
誰かを経由して連絡を取るよりもアオ本人と直接連絡を取れればいいのだが、スマホが使えないというのは不便だ。電話なりメッセージなり連絡の取れるツールがあればやりようも色々とあるのに…。
「あ…」
そういえばボイスレコーダーのスイッチを切っていなかった。
あれは録音データの管理もPCがなければ面倒だし、充電があとどれだけ保つかもわからないのに。慌ててポケットから出せば一緒になって小さいものも落ちてきた。
とりあえずスイッチを切ってから飛び出したものを拾う。
それは教会からの帰り際にソウから貰った紫色のくるみボタン。
「あぁ…」
子供達からのメッセージの1つであるそれを見て、そっちの問題もあったと思い出す。
アオに伝える前に逸れてしまったから、アオは何も知らないままだ。
「教会…」
教会で一時保護をしてもらいトランに連絡してもらうという方法もある。
あそこなら顔を見られているので不審者扱いはされない。
神父が信用出来ない事とやはり途中で情報が止められる心配はあるけど、私の顔を知らない衛兵などに突撃して保護を頼むよりは無難といえる。
差しあたっての命の危機は回避できたが問題は何も解決していない、むしろ増えてく一方だ。
「はぁ~…」
思わず溜息が漏れる。
もう今日は疲れた、休みたい。
掛値なしの本音である。
トボトボと歩いていれば目指していた建物の前に着く。
物が運び出されるようにと作られた大きな扉が出入り口。建物の上の方には明り取り用の小さな窓がついた倉庫。
「うそでしょ…」
見た目はまんま、私の記憶どおりの隠れ家。
期待はしていた。
あればいいなと。
しかし、こうして目の当たりにして見れば不信感しかわかない。罠じゃないかと。
「て、誰がしかけんだよ」
すっかりと独り言がくせになってしまった私は自身に突っ込みを入れる。
私の前世が勇者の仲間だったとか、その前世の持ち家だとか私以外に知っているはずがない。
となると可能性が高いのはそのまま使っているというだけか、それとも空き家か。
多少の警戒はしつつ唯一の扉に近寄る。
鍵は閂に錠をつけるというポピュラーなもの。
古びた鉄で出来たその錠の鍵は当然持っていない。作りは単純なので道具があれば開けられるかもしれないが…その錠には見覚えがあった。
一見どこにでもありそうな古びた錠。
しかし手触りが違う、ザラザラしてなくて滑らか。
「う~ん…」
暗くて細部までは分からないがコレも当時のままの物が使われているのなら刻印があるはずだ。
異名であるレッドカーペットではなく、前世の私が仲間内で使っていた名前。
コンコン、と叩いた扉の材質はただの木なのだがそれだけではないはず。中に金属片が嵌っている。
この家?倉庫?の扉は特注品で作られており、当時は最高級品に当たるものだった。値段もそれに恥じないもので…確か扉だけで家の一軒や二軒は建てられるだけの金額だった。
なぜそんなに高かったのかというと魔法を付与させていたものだからだ。
お金が有り余っていた当時、物は試しとばかりに注文し届いたものを取り付けた。少々予算をオーバーしてしまったので一部に付与するという中途半端なものになったが効果は確かだった。
「…ま、ダメ元で」
右端により屈みこむ。
え~とイメージ、イメージ。
今回は命中率とか関係ないので目を閉じる。
(神の力の強奪者たる我が行使する)
暗闇の中に一枚の扉をイメージし、それが開いて中から光が溢れる様子を想像する。
(メルフェム)
心の中で詠唱を終え目を開けると扉の一部が自動ドアの様にスライドして中が見える様になる。といっても見える範囲だとどうなっているのか分からないのだが。
「ええ~…」
こんなに上手くいっていいのかと困惑する。
この扉には登録した人物が登録した魔法を使うとそれに反応して勝手に扉が開くというもの。いわゆる生体認証に近いセキュリティシステムだ。
どうやって人物や魔法を特定しているのかと問えば企業秘密だと言われたし、職人も原理を正しく理解してはいなかったと思う。
説明をされたとしても途中でギブアップしただろう。…問題なく使えればそれでいい。
職人だって組み立て方を理解していれば作る事は出来るので、使えないという不具合が起きない限りは問題にならないのかもしれない。
貴族の屋敷でも重要度の高い(宝物庫や主要人物の寝室、重要書類のある書斎…など)部屋の扉にしか使われないものだ。
各部屋に取り付けるには使用人の出入りとかを考えると普通に不便だからね、いちいち出入りするたびに魔法を使うというのも疲れるし。
あまり立ち入らないが重要なものや高価なものを置いてある部屋に設置するというのは頷ける。
私がこれを使おうと思った理由は単純、鍵が入らないからだ。
本宅ではない、いわば緊急時の避難先という意味合いが強く使用を予想できる時と出来ない時がある。そういう時に魔法を使うだけで入る事が出来るというのは助かる。
予め使うと分かっている時は普通に鍵を使えば中に入る事が出来るので問題ないし…といったところでふと気づく。
どうして扉が開いたのだろう?
今の私と過去の私では体が違う、魂というものは一緒だとしても別人であるはずだ。
例えば指紋認証だったなら開きはしなかったはず。
「…魔法だから?」
生まれ変わっても魔法の波長は同じとか…そういう事だろうか?少なくとも属性は同じだがそれだけが理由なら探せばいる。
色々と考えだすと止まらなくなってしまう。この場で考えていてもどうせ答えはでない。誰かに見つかる方が面倒な事になりそうだと他に行けるところもないので中に入る事にした。
高さ的に四つん這いにならないと中には入れない。
なんというのだったか…犬猫が使う専用の小さな入り口から侵入する様を想像してしまい情けなさに拍車が掛かる。あと怪我した腕と足が擦れて痛い。
体が完全に中に入ると扉は元通りになり辺りが一層暗くなる。明り取りの窓だけでは光量が足りない。
キョロキョロと辺りを見回してみるが良くわからない。
当時とあまり変わってないような気もする。
ここの管理を任せたのは誰だったかと記憶を探るが、過去の私はあまり自分の財産に頓着しない性質だったらしく曖昧。そして何より疲れた。
ここが安全とは決していえないのはわかっているが、周囲から隔離されているというだけで息がつける。
過去の記憶のせいで安全地帯という認識をどうしても持ってしまう。
鍵も替えられていないのではないだろうか?とすると私と同じで放置しているのか…しかし床に埃は積もっていないのでその線は薄そうだ。
…誰かが定期的に管理をしている?
浮かんだ考えに再びゾワリと恐怖に襲われる。
現在ここを使っているのが私の昔の仲間か、その仲間に託されたものだとしよう。そこに本来の所有者である私が戻ってくる。管理者が知り合いなら問題ないが相手が私の顔を知らない場合はひと悶着は起こる。下手すれば殺されそうになるかも。
ザワザワと恐怖が押し寄せてくる。
昔の私ならそうなったとしても対処出来るだろうが今は無理だ。仮に昔の仲間だったとしても前世の姿ではないため証明が出来ないので同じ事になる。
先ほど助かったのが相手が弱かったのと油断していたせいで、相手が私の同業者ならそうはいかない。
見知らぬ相手には当然警戒する。知らないからこそ油断はきっとしない。
そしてあの兵士よりは強く殺すという行為にも慣れている。躊躇わない。
体は休息を求めているし行く宛てもない。
せめて朝になるまではいてもいいのでは?と提案する自分に同業者がくる可能性が高いのだから危ないと言い聞かせて立ち上がる。
仕事内容によっては昼間だって活動するけれど、暗殺者の行動時間は夜の方が多い。
暗殺者は目立ちすぎない事も仕事の一環、目撃者が多く出ると予想される昼間は情報収集や準備にあたる事が多い。
せっかく昔の記憶が役に立ったというのに勿体ない。
後ろ髪を思いっきり引かれながら扉の前へと戻る。
「メルフェム」
呪文を唱えれば入った時と同じように一部がスライドし這い出せるだけの空間ができる。
さて、これからどこに行けばいいのか?
考えながら這って出るために膝を折ったのと同時。
何かが迫ってきたのだけはわかった。




