リベラルプラネット
この国は『未来』を体現したと言われている。国民の誰もがそれを信じ、疑わなかった。先進技術を余すことなく使用したその国では、人間以外の生き物はほとんどが排除された。
LEDライトで照らされた地上を歩き、人工的な雨の恵みで生活する国民たち。
木は伐採され、光合成の機能は専門の機関に託された。ボタン一つで発生する酸素と二酸化炭素。ほかの気体も、人間の体に合うように発生、調合されている。数本残された木々も、人工光合成に支障をきたすと提言され、もうじき伐られる予定だ。
教育の場も昔と随分変わった。黒板はすべてモニターに代わり、教育委員会が厳選した教師たちによる授業が全国一斉に配信される。教師の人件費や諸々の費用も大幅カットされ、職を失った大人たちは路頭に迷うか、専門職に就くために足掻くかに二分された。生徒には一人一台タブレットが配られ、ノートと鉛筆を使っていたあの頃の面影は微塵もない。
それでも反乱や治安の悪化が目立たないのは、かつて技術が不十分だった時代に国民が夢見た世界そのものになったからだろう。しかし、この国に異議を唱える者もいる――いた、と言うべきか。反逆者には理不尽な社会的制裁が下され、残っているのは彼らの子供だけだ。そのような子供たちも、大人になれば両親がされたのと同様の制裁が加えられることだろう。
そのようにして、この国は威厳を保っている。
街を歩く人々は誰も私を気に留めない。私の存在なんて初めからなかったかのように無視をする。
「おはようございます」
私が挨拶をしても、前を歩く女子高生は私に見向きもせずに友人と談笑をし、スーツに身を包んだ大人たちはスマートフォンの画面から視線を移さない。
これが私の日常。きっと死ぬまでこうなのだ。
思えば、父と母、祖父母も言っていた。私たちはこれからずっと、人に認識されることはないと。私たちは生を終え、命枯れ果ててこそ意味があるのだと。
私は、彼らの言葉の意味が分かっていなかった――そう、あの日までは。
翌日、私はとある少女に話しかけられた。背丈はだいぶ低く、つややかな黒髪を二つに束ねた幼い外見の少女。おそらく小学生だ。私から見るとずいぶん小さいものだから、はじめは私に話しかけているということにすら気付かなかった。それ以前に、私に話しかける存在など久しぶりだった。国中の木が切り倒されるかもしれない、というニュースを不安な面持ちで見ていた私の足に少女がしがみついてきたところでようやく、彼女の存在を認識した。
「あなたのおなまえは?」
小学校低学年によくある、ゆったりとした口調だった。知っている言葉でなんとか会話をしようとしているのが分かった。
「名前、か……」
そんなもの、久しぶりに聞かれた。最後に自分の名前を紹介したのはいつだっただろう。四文字だったことだけは覚えている。昔はみんな呼んでくれていた。ずいぶん前のことだから、どうしても思い出せない。
少女の胸元には名札がついていて、『くらしな あき』と拙い筆跡で名前が記されていた。
「あき、っていうのね。ごめんなさい、私は思い出せないの。貴女は一人で何をしているの?」
少女――あきは首を傾げた。理解出来ない言葉でもあったのだろうか。
「おねえさんはひとりがいやじゃない?」
私の質問には答えてくれないらしい。泣きそうな目で、訴えるように私をじっと見つめている。
「嫌じゃないわけじゃない。でも、私はこれが運命だから。しょうがないのよ」
答えになっていないのは分かっていた。まどろっこしい答えをしても結局、寂しいだけなのだ。国の方針のせいで家族を殺され、友達も話し相手もいない。しかし、目の前の少女に話す内容としては重すぎた。年の離れた子供に話すことではない。
あきはおもむろに私の身体をギュッと抱きしめた。
「あきのママ、いなくなったの。パパはイジワルだし、がっこうのみんなもうそつきで、いきたくないって、やすんじゃったの」
どうやら、事情があるらしかった。母親がいなくなったということは、きっと私の家族と同様に制裁を加えられたのだ。父親がそれをどう思っているかは分からない。社会に服従しているのか、娘を守るために演技をしているのか。結果として、彼女は独りぼっちになってしまって。同じく独りぼっちの私と重ね合わせている。きっとそうだ。
「みんな、ママのことただしくないっていうの。ママがくれたこのカバンも、おねえさんのことも、みーんなちがうって。でも、ママがただしいってわかってるから。だから……」
彼女が背負うカバンには見覚えがあった。確か、国の政策が始まる以前、小学生に必須だった就学用リュック。名前はランドセルといったか。今はタブレット一つで授業は成り立つから、手提げカバン一つあれば十分なのだろう。
少女の身体に隠れた赤いそれは、擦れたり傷が入っていたりして、年季が入っているように感じられた。娘にランドセルを持たせることで反発心を維持していたのだ。娘は母の教えを忘れていない。どれほど疎外されようと、母親の信念を貫き通そうとしている。そして彼女もまた、後世に繋げていくのだろう。母親がそうしたように。
「おねえさんももうすぐいなくなるんでしょ? みんながいってたの。だから、これ――」
あきは私にあるものをくれた。
「私、もうすぐ死ぬのに……でも、ありがとう」
「ううん、あき、××××さんにあえてうれしかったから。××××さんって、ママみたいにあったかいから」
私を認識してくれる人がいた。それだけで私は十分だった。
「貴女のこと、忘れないからね」
忘れない、忘れるはずがない。
手を振り去っていく少女を見送りながら、ビルの掲示板に流れているニュースに目を向けた。『緑地禁止法』の制定。執行は一週間後。
私は伐られ、生を終える。
三日後、緑地禁止法制定の前準備として、国内の木が伐採されることになった。対象となるのは高さ一メートル以上の植物。私は完全に範囲内で、広場の中心に見せしめのように植えられていたから、最初に伐られることに決まった。あの日少女がくれた水のおかげで自滅の道はたどらなかったものの、伐採されるのが分かって生きるのもいい気はしなかった。
それでも、伐採当日に私の最期を見届けてくれたあの少女のことは今でも覚えている。
彼女が呼んでくれた『イチョウ』という名前も、もう二度と忘れない。