「9」
ロバートとの旅とは違い、スタンリーとの旅路は時間がかかった。
片や地方領主のボンボン息子と、片や一介の医師。持ち金の差は大きい。正直ロバートのツケにすりゃいいじゃんと思うが顔パスとか署名とか本人でないと許されない事項が多かった。
それでも私一人では到底辿り着けなかった。
かつては「綺麗な姿に戻る」ことしか考えずに登城したが、今はあの時よりは多少冷静さを取り戻している。行き交う女神教の兵士がいつ私を聖女と見破って襲ってくるか分からず緊張する。
しかしそれもまた杞憂だった。
私は仮面をつけたメイドに過ぎなかったし、彼らの興味は全てスタンリーに向けられていた。
「先生!お久しぶりです」
「まさかまたお会いできるなんて。本日は何のご用ですか?」
「コール医師を呼んできます。きっと喜ばれますよ!」
旅路より王城の方が顔パス効くってどういうことだ。
お城で働いてたとは聞いていたが、顔馴染みの域を超えて尊敬すべき先生として持ち上げられるとはいい身分だな。
なんでこんなコミュ障爺が慕われるのか、これが分からない。
つっても怪我を治してくれた人に恩義を感じるのは当たり前のことだけども。
「し、師匠!ど、どうしてわざわざおいでに?」
兵士の一人に呼ばれ駆け足でやってきたのは、この間ロバートと私をミサキの元まで案内してくれた男だった。こいつマジでスタンリーの弟子だったのか。ていうかそうなるとこの間のもロバートのコネじゃなくてスタンリーのコネってことじゃないか、すげえなこの男。
遠巻きにされていたロバートと賑やかに囲まれるスタンリー、あまりの人望の違いに涙が出ますよ。
まあ単に付き合いの長さによるものだろうが。
「…この前ロバートが来ただろう。それと同じ要件だ」
「さ、左様ですか…分かりました。少し待ってください」
男は困り顔になって、スタンリーの耳に口を寄せた。何?内緒話?
「…実は今、聖女様は体調を崩されておりまして…」
マジかよ。
「面会もできんのか」
「いえ、そこまでではないのですが。殿下が大層懸念されていて、現在会える人数を限っているのです」
弟王子か。
あいつ、やっぱミサキのこと好きなんだな。
「ですが他ならぬ師匠の頼みですので。主治医としての私の許可があれば問題ないでしょう」
有能の弟子には有能しかおらんのか。
男は頼もしく胸を手で叩くと、ご案内しますと早速歩き始めてくれた。人の輪から解放されて助かった。人気者の隣で息を殺して無に徹するのも結構大変なんだぞ。しかも女神教の兵士に囲まれて私がどれだけビビったと思う。
「面会時間はそれほど長く取れませんが。よろしいですか?」
「ああ」
今回は医務室での話し合いになるようだ。あの女神に話しかけられることもあるまい。ちょっとホッとする。
短い時間の中で、病人相手に「元の世界に帰還してください」と頼む。難しそうだ。でも病気で視野が狭くなっている状態ならどうにか騙くらかして口説き落とせるかもしれない、とか邪な考えを抱く私は絶対医者とかなれないんだろうな。
部屋の前について「少々お待ちください」と中を覗いた男がすぐに戻ってきた。
「た、大変です。聖女様がいません」
なんだそりゃ。
病人脱走してんじゃねえか、責任問題だぞ。
こいつクビになったらもう王城へのコネがなくなるから二度と潜入できなくなっちゃう!
「問題ありません。聖女ミサキは今、地下の祭壇にいらっしゃいます」
思考を巡らせる私の背後から唐突に低音が響き体をすくませる。
急に声かけるなよ俗物、と振り返って見たものは、明らかに体のデカい強面の兵士だった。
こいつ…覚えがある、気がする。
引きこもり聖女時代の私が裁判にかけられて兵士にボコられた時、こいつもそこにいた…気がする。
何にしても用心するのに不利益はないだろう。
身構える私の横で医師が血相を変えて問い詰める。
「隊長殿、祭壇とはどういうことですか。患者を勝手に職務に連れ出されては困ります」
「聖女様の意志です。誰がそれを止められようか」
「止めるのが我々の役目でしょう。貴殿は聖女様がこのまま極限まで身を削られても良いと申すのですか」
擬人化した熊みてえな兵士相手に、医師は険しい顔で言い返す。この人意外と胆力あるな。私だったら絶対ビビって「そっすねー」って流してる。
「…お久しぶりですね、スタンリー殿」
反論できなくなったのか兵士が話の矛先をスタンリーに変えた。だせえ。
「相変わらずのようだな、バーナード」
「ええ。貴方こそお変わりないようで何より」
「ふん…お前の相手をしている暇はない。こちらは聖女ミサキに用があって来たのだ」
「ほう、その得体の知れない女の姦計にでも乗ったのですか?」
こっち見んなよ!
鋭い眼力が貫くように私に向けられる。やめろやめろ私を矛先にするな。ここで正体バレたらマジで厄介なことになるから。
また追放されちゃうから!
「お前には関係ない」
「あるに決まっているでしょう。聖女ミサキに害を加えるというのなら、私は誰であろうと斬り殺す」
物騒なこと言ってんじゃねえ。ちょっとハーレムもいい加減にしてくださいよミサキさん。斬り殺すって言いましたよこの人犯罪者予備軍ですよ!
まあ実際場合によってはミサキを殺そうとしている私が言えたことではないのだが。
「…ならばお前も同席するがいい。聖女ミサキへの依頼に、我々は何の後ろめたいこともない」
とんでもないことをスタンリーが言い出した。
いや駄目だよ。こいつが同席なんてしたら私が聖女だって普通にバレちゃうじゃないか。どうすんだ。
「では行こうか、祭壇へ」
…ん?
なんかスタンリーが一瞬こっち見た。何?アイコンタクトで察せられるほど私は勘が良くないぞ。
もやもやしたまま、私たちは地下へと向かった。
「…ああしまった。忘れ物をした。すまんが先に始めておいてくれ」
扉を開けていざ入らんとしたところで、スタンリーが言った。ふざけんな。
無能な私を一人にしてどうする!?斬り殺されるぞ!
しかしスタンリーはまた短く私と目を合わせてから「お前も手伝え」と速やかに弟子の医師を連行していく。
取り残される私と兵士。
「…あ」
そしてこっちに気づいたミサキ。
渋々、私と兵士は中に入る。
私の名前を呼ぶなよ、絶対呼ぶなよ!
「アンジェちゃん」
呼べってフリじゃねえんだよ!
バレた!終わり!閉廷!
斬り殺されないようできるだけミサキににじり寄ろうとしたところで首根っこを掴まれる。
「やはり、貴様だったか」
「や、やめて、アンジェちゃんに酷いことをしないで」
そうだもっと言ってくれミサキ。
私はただミサキをこの世から消しに来ただけの一般市民ですよ!
「しかし、ミサキ様。この女のせいで貴女は追い詰められ、今もなお重責を負っている。今回も何を考えてここまで乗り込んできたのか知れない。せめて拘束しなければ」
「いいの!お願いだからやめて」
体が解放された。私は一目散にミサキの元へ走り、何かあっても彼女を道連れにできるくらいには距離を縮める。
「…今日は、どうしたの?」
優しげな声。彼女の顔はこの間よりもやつれた印象で、そんな状態なのに私を気遣っているという事実に心が動く。
…思えばこの人、最初から私を心配してたよな。
色々あったけど、やっぱ敵じゃないと思いたい。
「…お願いがあって来ました」
「ちょうど良かった」
「え?」
「実は私も、アンジェちゃんにお願いがあったの。これでお互いに気兼ねなく話せる」
いやちょっと待て。
え、向こうからお願い?嫌な予感しかしねえ。
私は仮面越しに見つめてくる彼女のまっすぐな目から逸らし、「お先にどうぞ」と恐る恐る告げる。よっぽどな無理なこと以外は可能な限り応じてやりたいものだが。
「本当?ありがとう。お願いっていうのはね…私の代わりに、聖女として活動してほしいの」
無理。
「私…私ね、これまで一回も、女神様の声を聞いたことがなかったの」
伏目がちに、意外なことを彼女は口にした。
あの女神とミサキは話したことがなかったらしい。だからあの時驚いてたのか。
「でも、この間。アンジェちゃんと一緒の時は、女神様は声を届けてくれた。私がいくら祈っても、瘴気を浄化して大地を豊かに戻してほしいと願っても…何も、聞こえなかったのに。アンジェちゃんが来た途端に、女神様は現れたの」
今にも泣き出しそうな震え声だった。
兵士が殺意剥き出しで睨んでくる。逆恨みされても困るんだが。
「きっと、私よりも、アンジェちゃんの方が、聖女としての資質があるんだと思う」
嘘つけそんなもん今まで発現したことないぞ。
あの女神だって適当なことしか言わないし気まぐれに来たとかそんなんじゃないのか?
なんたって、私に「ヘレンのせいで子がああなった」とかホラ吹くような奴だからな。
「だから、お願い。私の代わりに、祈って。この地を救ってくれるように、女神様に、届けて…」
「えぇ…」
「お願い…」
「…祈ったら私のお願い叶えてくれます?」
ミサキは頷く。
まあ祈るくらいならいいけど。「お祈り!」ってした途端に思考乗っ取られるとかはないよね?
「どんな風に祈ったらいいか分からない時は、教典もあるよ。読んだまま、その通りに思う方法もあるから」
祭壇の上にあるクソデカ本を親切に教えてくれる。試しに開いてみたら筆記体っていうのか、ロバートの手記より読み辛かった。
「よく読めましたね…ていうかあなたも文字読めるんですね」
「え?うん。だって日本語だし」
あん?
…どう見ても現地語だが。
「それに従えば大丈夫だから。まずは膝をついて」
せっかちな彼女に促され、仕方なく私は巨大な女神像の前に跪く。
でけえ。これ作るのにどんくらい金かかったんだろうな。
高い位置には、目鼻立ちのくっきりした少女の顔が微笑みを浮かべて見下している。
どれだけの人間が、こいつに踏み付けにされたのか。
何が女神だ。
私とミサキを呼び寄せるために何百人も犠牲にして、勝手に呼んだくせに重荷を押し付けて。
神様なら自分でちょちょいと世界くらい救ってやれよ。
「目を閉じて、頭を下げて。両手を握って、救済を祈るの」
分かりましたよ、今やりますよ。
ミサキに従って私は目を閉じる。
でも女神相手に頭下げるの癪だな。なんだったら跪くのも腹立つ。
こいつが世界の魂の容量を拡張すれば私の子も何の問題もなく助かったんだ。役立たず。
『あまり責めるなよ。私だってできることとできないことがある』
うわっまた出た。
顔を上げて振り返れば、ショックを受けたように口を塞ぐミサキの後方で、兵士が強張った表情で立ちすくんでいるのが見えた。
…あ。
「女神と相対して正気でいられる者はいない。」
それを言ったのは、スタンリー。
あの人、そのつもりで、兵士をここまで連れてきて、自分は弟子を連れて部屋を離れたのか。
えぐいな…。
『心配せずとも、少し休めば落ち着くさ。この世界の者は多少の例外を除いて、私の声に慣れていないだけで…しばらくすれば元に戻る』
「そうですか」
てことはロバートも大丈夫なのか。良かった…。
『それと、いくつか訂正したいことがある。私は確かに、銀髪の女のせいでお前の子供が動かなくなったと言ったが…お前が勘違いしただけだ』
あんだと私のせいだってのか。
『私が言ったのはこうだ。お前の子が生を奪われた原因は、銀髪の女。事実その通りだろう?あの女の力の恩恵により、お前の子は生と切り離されてはいるものの、死からも遠ざけられた、停止した状態を保っている』
「明らかにヘレンのせいって言いたげな口調だったと思うんですがそれは」
『お前がそう思っただけだろう』
年下の女に馬鹿にされる趣味はないので普通にイライラする。
あとそれだけじゃないからな、お前は他人の犠牲がないと私の子は助けられないとも言ってたんだ。
『それも事実だろう。お前の子を助けるには、この世界の人口を減らすか…約束を果たしたい聖女、家族と共にありたい聖女のどちらかをこの世界から消すか…いずれにしても他者の大切なものを犠牲にしなくてはならない』
ああ言えばfor you。
じゃあそういう風に言えば良かっただろ。そうでない時点で、ミスリード誘ってるの見え見えだろうが。
『そう怒るな。私は誤魔化しはするが、お前相手に偽りは口にしない。嘘をつかないと約束してもいい』
「じゃあ約束してください。破ったら針千本飲ます、やっぱやめ、嘘ついたら鼻伸びてロバになれ」
『…よし、成立だ。お前に嘘はつかない。破れば私はその姿になる。だから、そう噛み付かないでくれ』
何なんだこいつマジで。私に何か取り入ろうとしてるの何なんだ怖い。
口約束とはいえ、これで多少は信じてもいいだろうか。
『ああ、それと。正確には、魂の数ではない。魔力の容量だ』
「あ?」
『お前は魂が存在できる数が限定されていると思い込んでいるようだが。生きる人間には誰しも魔力が秘められている。世界に限度があるのは魔力量の方だ。異界から呼んだ生物をこの世界で良く生かすためには大量の魔力を当てがう必要がある。聖女としてのお前たちがこの世界に生きる限り、その魔力分が空くことはない』
ロバートが聞いたら嬉々としてメモしそうな内容だな。
「じゃあついでにヘレンを助ける方法も教えてくださいよ」
『言っただろう。人口を減らしその分の魔力量を下げるか、』
「違くて、寿命を削るヘレンの力をどうにかする方法」
『知らん』
嘘つけ女神ってんなら全知全能じゃねえのかよ。
『…言っただろう。私にもできることとできないことがある。お前の言う、ヘレンという女に宿っているのは、龍由来の力だ。私に干渉できるものではない』
ロバートが聞いたらがっかりしそうな内容だな。
じゃあ、ヘレンは一生、寿命を削って生きていくしかないのか…なんでいい人って皆短命なんだろうな。
「…ヘレンの力は、あとどれくらい保つんですか?私の子が助けられるタイムリミットは」
『一年もすれば取り返しがつかないだろうな』
意外と猶予があって良かった。しかし、早く解決するに越したことはない。
気を取りなして本題に戻る。
「…結論として。私の子供を助けるには、聖女が帰ればいいんですね?」
『ああ。どちらかの聖女を帰還させれば、お前の子は生を取り戻す』
「ヨシ」
『そして、二度とこの世界の住民が命を産み落とすことはない』
「えっ」
『当然だろう。異界の者と、この世の者が交わった末に生まれた子。その複雑な魔力量は聖女よりも大きい』
「いや…だって…」
そんなの聞いてない。
私のせいで、もう世界中の子供が生まれない?
スケールが大き過ぎて話についていけない。
『構わないだろう?お前は決意したはずだ。自分さえ良ければいいと、覚悟を決めてここに来た。今更どれだけ犠牲が出ようと知ったことではないだろう?』
「それは…」
そうだけど。
そんなの、考えてもいなかったから。
「私が、元の世界に帰ったら…聖女が二人ともいなくなったら。それは、起こらないんですか?」
『ああ。お前たち二人が消えれば、多少の融通は効くだろうな』
「だろうってなんだよ、推測を交えないでください」
『…お前たち聖女がどちらも消えれば、お前の子供は問題なく生き、他の命も問題なく生まれてくる。必ず。これでいいか?』
…そうか。
やっぱり、駄目なんだな。
私は、一緒にはいられないんだ。
仕方ない、ことだ。
『…ちなみに、代替案もあるが聞きたいか?』
なんでそれを先に言わねえんだよ。
かっかする私に女神は静穏な調子を崩さず、代替案を口にし始める。
詳しい説明と、何個かの質問を経て私はそれに…すぐに、頷けなかった。
『…これは、命令ではないのだが』
どうするか一旦保留にして、会話を終えようとする私に、女神は囁くような音量で言った。
平坦過ぎて圧力すら感じた先ほどまでの声とは違い、弱々しい音だった。言葉にするのにも躊躇っているのか、澱みなく話していたのとは別人のようだ。
ただの普通の、臆病な女の子みたいな。
『もし、先ほどの案を受け入れて、お前がこの世界に残る決断をしたなら。いつか…いつでもいい、また、ここに来てくれ』
「何ですかそれは」
『強制力はない。ただの…お願い、だ。また、話しに来て欲しい。いつでも、待っている』
「…何で私なんですか」
私はミサキをチラッと見る。彼女はずっと、私と女神の問答の間、悲痛な顔をして黙り込んでいた。
彼女の言っていた通り、女神は私がいる時にしか現れないらしい。彼女がどれほど祈っても、女神はそれに応えなかった。
それは何故か。
『…私は。私は、私を女神と崇め奉る者に、目を向けられない』
ミサキが息を飲んだ。
「…え?」
『すまない…』
その後、どんなに呼びかけても女神は答えなかった。
勝手に謝って逃げやがった。
「…良かった。アンジェちゃんが残ってくれるなら、安心だね」
ようやく口を開いたミサキが、引きつった笑顔を向けて近づいてくる。
「まだそうと決めたわけでは…」
「ううん。どちらにしても…私は、帰ればいいんだよね?」
「…あなたが帰りたいなら、そうです」
帰るとしても。帰らず代替案を受け入れるとしても。どちらにせよミサキにも私と同じく選んでもらわないといけない。
そっか、と首肯し、彼女は「私、元々いつかは必ず帰るつもりだったから」と続ける。
「大丈夫。アンジェちゃんは女神様と話せるし、この世界のことは心配いらない。もう私にできることはない…大丈夫。きっと、エドワードも納得してくれる」
まるで自分を納得させるような口ぶりだった。この後に及んで罪悪感が湧いてくる。
彼女もまた、二年をこの世界で費やした。早々に離脱した私とは違い、聖女とかいう曖昧な役職にすげられ世界を浄化するとかいう曖昧な目的のために振り回された。
挙句には私の都合で唐突に帰還させられようとしている。
「…すみません」
「アンジェちゃんが謝ることじゃないよ。あ、でも、お別れする時間はもらいたいな。そんなに長くはいらないから…いい?」
「はい」
私も、一度帰って代替案を検討したい。
ハリーに、屋敷の人たちに相談して、決めたい。
私はミサキの問いを肯定し、彼女と、自意識のない兵士を連れて共に女神の祭壇から離れた。