「4」
王都に着いた。
ロバートは何回も一人で王都に来たことがある(私と初めて会った時もそうだった)らしいが、今回は私もいる。
仮面を被った貴族風の男と仮面を被ったメイド風の女。そこに一般御者も加えてあまりにも異質に見える。
しかし、そこは経験値というべきか、ロバートはさっさと知り合いに掛け合って王城に入れてもらえることになった。
二年ぶりに、私はこの城に戻ってきた。
相変わらず廊下には等身大の女神像が配置されている。道行く女神教の兵士達は忙しそうで、知り合いの男(城専属の医師らしい。スタンリーの同類か)に先導される私とロバートに目もくれない。
いや、むしろ目をやらないように努めているようにも見える。
そんなに関わり合いになりたくない人間なのかこいつ。
口元に幾筋も赤い傷の残るロバートをそっと見上げる。仮面から覗くターコイズブルーの瞳は鋭く周囲を窺っている。うん、嫌だろうな、こいつの相手するの。
男に案内されしばらく城を歩き、階段を降りる。どうやら地下へ向かっているようだ。
「さて、聖女様にお願いがあるというご要望でしたが…私にできるのはここまでです。あとは、ご自身でお頼みください」
「迷惑をかけた」
「いいえ、ご武運を」
男は穏やかに笑って大きな扉の前で礼をして去っていった。ロバートの知り合いにしてはいやに常識的な人だった。
私の視線に気づいているのかいないのか、振り返りもせずロバートは低い声で告げる。
「お前の希望には私は関与しない。願いがあるなら自分で頼むといい」
言われずとも分かっている。
この旅の中で、ロバートは私に踏み込んでこなかった。私が何故聖女に会いたいのか、何故失っているはずの聖女との記憶があるのか、何も聞いてこなかった。
その代わりに、奴は私の一挙一動を見逃さんとばかりに、見張ってきた。
何がそんなに気になるのか知らないが、いい。
私はハリーに戻ってきてもらえれば、それ以外どうでもいい。
扉に手をかけ、押し開ける。
その先には、巨大な女神像と、その足元に跪いて祈りを捧げる女の人がいた。
最初、彼女は私たちが入ってきたことに気づかなかった。
ただ無心に祈っているようで、まさに一心不乱といった様子だった。
「……」
困った。呼びかけようにも私は彼女の名前を覚えていない。
なので、無難に声をかけた。
「あの、すみません、お願いがあるんですけど」
勢いよく彼女の背中が跳ねて、驚いた顔でこちらを振り向いた。
くまがひどい。頬がこけている。少なくとも安眠はできていないようだ。
仮面をつけた二人組を前にして、彼女は戸惑ったように目を泳がせた。
とりあえず本題に入ろう。
「怪我を治す力があるって聞いたんですけど、私の顔治してもらっていいですか」
仮面を外す。
瞬間、彼女が息を飲み、口元を手で覆って信じられないものを見る顔をした。
「あ、アンジェ…ちゃん…!?」
うお名前覚えられてる。
引く間もなく彼女は私に縋り付いてきた。咄嗟に避けようとしたけど避けられず。フィジカルの天才か?
「い、生きて、たんだね…良かった、ほんとに、良かった…!」
「お、おう」
そんな感動されても困るのだが。つーか追放した相手によくそんな声出せるな。
それより、よくこの顔で私って分かったものだ。
「ごめんね、ごめんなさい…私が止めてれば、あなたをこんな辛い目には遭わせなかったのに…」
泣いて謝られるシチュエーションこの間もあったので切実にやめてほしいのだが。
「そんなことはいいので私の顔を治してください」
「そ、そう、だね、こんなの、あんまりだもんね…ちょっと待ってね、やってみる」
彼女は私から体を離し、女神像に向き直って祈りの態勢をとる。おい私はこっちだぞ、私の顔に手を当てて「破ァッ」とかやるんじゃないのか。
やることがなくなったので辺りを見る。
体育館くらいの高さを持つ空間で、今まで見た中で一番大きい女神像が鎮座している。像の眼前にはいわゆる祭壇があって上には蝋燭やら宝石のついた装飾品やらが規則的に並んでいる。
私の後ろにはロバート。常と変わりなく値踏みするような目で状況を見守っている。
私たちの他には誰もいない。
それなのに、どこかから見られているような感覚がするのは気のせいなのだろうか。
唐突に、白い光が視界を満たした。
「どっ」
「うっ」
私のびびりに被せるように彼女も呻く。見ると、彼女の周りにキラキラしたものが漂っていた。魔法か何かか。
精魂尽き果てた様子で彼女が床に倒れ伏す。何だ、終わったのか、トラブルなのか、どっちなんだ。
鏡持ってないかロバートに尋ねると彼は無言で懐から差し出してきた。準備いいな。
手鏡を前に、一度深呼吸して仮面を外し、傍に下ろす。
自然と早くなる呼吸を抑え、震える手で掲げ、鏡を覗く。
目鼻立ちに一点の陰りもない綺麗な女が、そこにいた。
「…やった…」
自然とこぼれ落ちる声。それに反応したようによろよろと彼女が身を上げた。
「よ、かった…治って…最近、調子悪いから、駄目かもしれないと思って…」
「ありがとうございました。それじゃ」
「え、あ、待って!どこに…」
「帰ります。私もうこの世界の住人なんで」
「え、え?」
何そんな衝撃受けたみたいなツラしてんだ。当たり前だろ。
まあ治してもらったし一応もうちょっとお礼言っとくか?いやでもこの女の人のせいで追放されたようなもんだし別にいいだろ。これでチャラだ。
「さようなら」
挨拶をしてその場を立ち去ろうとするが、ロバートが動かない。彼がいないと私は王都から帰れない。仕方なく足を戻した。
「何してんです?」
「…推測だ」
何の話だ。
「異なる世界から生物を呼び寄せるためには、この世界の魂の数を減らす必要がある」
「あ?」
「故に、聖女が召喚される期日までの間に女神教徒は、供物の不足を建前に贄として多くの村を焼き皆殺す。それによって魂の数を調整している。今代は二人の聖女が召喚された。そのため、贄として召されるものも倍にせざるを得なかった」
マジで何の話してんだこいつ。
ロバートは澱みなく高説を垂れ続ける。
「それが故に、これ以上魂の数を増やすことができない。解消するにはいずれかの聖女を元の場所に帰さなければならない…これは、懇願だ」
ロバートが。頭を下げた。
「サトウミサキ。聖女としての役目を終えた貴女にこの世界に残る理由はないはずだ」
ああ、そういやそんな名前だったなこの人。
固まるミサキの前で、ロバートは切々とした聞いたことのない声色で頼み込む。
「どうか、帰還してはくれないか」
「…それは。それは…できません」
意外とはっきりした口調だった。
「私には…果たさなければならない約束があるから。それを終えるまでは…できません」
「それは、いつになる」
「…わ、分からないけど…でも、いつかは必ず」
いつかってついてる時点で叶える気ねえだろって思うのは私だけだろうか。
「…そうか」
何か知らないがロバートは考え込んでいた。何だったんだ今の下り。ミサキを元の世界に戻してロバートに何のメリットがあるんだ?まあどうでもいいけど。早く帰りましょうよ。
ロバートが何か言い出す前に今度こそ帰ろうとして、また邪魔をされた。
『―――しばし待つがいい、聖女』
声がした。若い、というより子供の女の声だ。でもこの部屋には私とミサキしか女はいない。彼女がロリの声真似でもしたのかと見たら、ひどく驚いていた。
じゃあロバートの裏声か?と思ったら、彼は、微動だにせず目を見開いていた。普段の冷めた印象とは正反対の、何か大きな感情を必死で噛み殺しているような感じだった。
「…誰?」
『私は、お前達をこの世界に連れてきた者…女神と呼ばれる存在だ』
マジ?神と対話してんの今?やばすぎ殺されるわ。
いやマジで殺される。
ちょっと待って、本当に駄目だって。
女神教の奴らに殺されるって!
『そう焦るな。取って食ったりしない。ただ、一つ教えてやろうと思ってな』
「な、何を…?」
『お前の子供をあんな状態に陥らせたのは、誰か、だ』
「…は?」
なんでそのこと知ってんだ。
ミサキが「こ、子供!?」と大口を開けっぱなしにした。オーバーリアクションやめろ。
愕然とする間にも声は流れてくる。
『気になっていたのだろう?何故、自らの子が死を享受しなければならなかったのか…と』
「…そりゃ…はい」
死んだわけではないと思いたい。動かないけれど、体はずっと温かいのだから。
『…お前の子が、生を奪われた理由…その原因は…お前の知っている女。銀色の髪に藍色の目を持った女だ』
…………。
うん。
まあ。
知ってた。
『…その女のために、お前の子は動かなくなった』
だから知ってるっつーの。
そりゃ、ヘレンのことを信じたい気持ちがなかったと言ったら嘘になるけど。
今更だ。
とはいえ、こうして断言されると嫌な気分になるな。
視界の隅で、ロバートがぱくぱくと口を動かしているのが見えた。大丈夫か?呼吸困難だろうか。
ていうか、そもそも王都に来ることになったのってロバートが私の子を助ける方法を実行するためじゃなかったっけ。
もう一人の聖女に会えば私の子は助かるって、言ってなかったか。
『…残念ながら、お前の子は他者の犠牲なくしては助けられない』
なんだこいつ、思考でも読んでんのか。キモいからやめてほしい。
『望みを叶えたいのなら、他者の願いを踏み台にする覚悟をすることだな』
「そうですか」
もういいから消えてくんないかな。私は早く帰ってハリーに会いに行きたいんだよ。
既知の情報か占いみたいな助言しか渡さないくせに勿体ぶった話し方すんなようぜえな。
私の子を助けるにはフレディを殺す。それでいいんだろ。
『用がないならば、これで失礼しよう』
最初からこっちには用なんてないんだよ。
毒付いても返答は来ない。
やっと、女神の声は消え去った。
「…な、なんで…女神様が」
ミサキが両手を胸の前で握りしめてあちこち見回す。この人ずっとキョドってるな。
まあ、いい。ようやく終わったのだ。
「じゃあ、さよなら」
「あ。う、うん…」
これ以上邪魔が入る前にお暇しよう。
私は動こうとしないロバートの袖を強引に引っ張り、その場を後にした。
ロバートの様子がおかしい。
女神との会話が終わってから、ずっと目が一点を見つめていて自発的に何かをしようとしない。
成人男性を引きずって移動するこっちの身にもなってほしい。
とはいえ。
私の願いは達成された。
これで、ハリーは私のところに帰ってきてくれる。
子供を助ける方法は…その後で、考えよう。
私は行きと同じく馬車を用いて北の領地へと帰還した。