「3」
ロバートと共に王都に行くことになった。
奴が何を考えているのか分からないが、そこで、もう一人の聖女に会えば私の目的は達成されるらしい。
聖女、つまり、一緒にこの世界に来たあの女の人だ。名前なんだっけな…正直ぼんやりとしか覚えてない。
王城にいた頃は超絶黒歴史なので思い出したくもないのだが。
しかし、覚えていることもある。
私はあの女の人と王子(確か弟)にはめられて追放されることになった。
その後、私の預かり知らぬところで王子(兄)は教育係(真龍派の狂人)と共に仲良く裏切り者身バレし、処刑された。
処刑された理由としては、私(聖女)を死に追いやったため、聖女(もう一人)に告発された、とかそんなんだったはずだ。
あとは、なんだっけな…あの女の人がスーパーチートを持ってたから私もそうなんじゃないかと疑われたこともあった。
疑った教育係にボッコボコにされて顔を焼かれ唯一の美点を失った苦い記憶だ。
そう、あの女の人はチート能力を持っているのだ。
旦那はそれを目当てにしているということだろうか。
なんにせよ望みがあるなら行くしかあるまい。
フレディを殺したとして私の子が復活するとも言い切れないし。
私と旦那の王都行きに、リオは何も言わなかったが、クリスは待ったをかけてきた。
アンは出産後で体力も落ちている、それに娘がこのままの状態とも限らない、ある日突然泣き出したりして時間が解決してくれるかもしれない。
そんな希望的観測に縋る余裕はない。
スタンリーは、ロバートと何か話した後、私に「お前さんが決めたなら止めないが、せめて備えられるだけ備えていけ」とありったけの注意事項を説いてきた。
鬱陶しいが、医者の彼の日常的なサポートがなければそもそも無事に出産に臨めていなかったかもしれないので複雑だ。
とりあえず聞くだけは聞いておいた。
ヘレンとはあれから会っていない。
ずっと伏せっているし、会いにいこうとも思わない。
彼女の力のせいで私の子があんな目に遭っているのに、どういう顔をして見舞いに行けばいいのだ。
フレディは、ずっと姿を見ていない。
避けられているのか、それとも私が無意識に避けているのか。
どちらにしろ会わない方がいいと思う。
そして、出立の日。
仮面をつけたロバートが事前に呼んでいた馬車(雪国仕様のバケモンみたいな馬だった)に荷物と一緒に乗り込み、数の少ない従業員に見送られて仮面をつけた私は屋敷を後にする。
はずだった。
「どわあっ」
ロバートの実家の御者だという男が、しばらく走らせたところで悲鳴と共に急停止した。
「ちょ、ちょっと危な」
「おい!一号!」
聞き覚えのある声。
…私はロバートの視線を感じながら、ゆっくりと外に降りた。
そこには、フレディがいた。厚めの服装は泥と雪に濡れ、肌には霜焼けができている。
私がここに初めて訪れた時よりずっと背が伸びて、顔つきは思慮が芽生えてきて、成長した容貌を小学生と侮るにはいささか不適切だが、自然にまみれた格好は初対面のイメージそのままだ。
見かけなかったのは単純に屋敷にいなかったかららしい。
一体どこで遊んできたというのか。
お前と話すことはない、と告げようとした時、爛々とヘレンにそっくりな藍色の目でまっすぐ見つめ、フレディは叫んだ。
「ハリーを見つけたぞ!」
「…なっ」
「早く行くぞ!」
ハリーが。
行方不明だったハリーが見つかった。
慌ててフレディを馬車に乗せて、私たちはその案内で急遽道筋を変更し馬を走らせた。
ハリーは、山の麓の村にいるらしい。
屋敷よりは、かつて私が生贄として崖から突き落とされた場所に近かった。
フレディは、ハリーがいなくなってからずっと、彼の捜索をしていた。そのため、私の出産で起こったことについてもあまり関与していなかった。
まあどうでもいい。
それよりハリーだ。
数週間前から行方不明と聞いて、私は最悪の想像をしていた。
ひょっとしたら、二度と会えないかもしれないと、考えたくないのに考えざるを得なかった。
動かない子供を見つめながら、どれだけここにハリーがいてくれればと思っただろうか。
ハリーがいたらきっと「アンのせいじゃない」「大丈夫」「一緒に方法を探そう」と抱き締めて励ましてくれただろう、と何度想像したことか。
ハリーが見つかった。
生きていた。
きっとどこかで事故に遭い、遠い土地に緊急搬送されて、意識がようやく戻って屋敷に帰ろうとここまで旅してきた、とかそういう感じなのだろう。
フレディも、遠目からハリーを見つけただけで会話はしていないらしい。
とにかく私に知らせなければと走り帰ってきた。
もう少しで私とロバートは王都に行こうとしていたから、危なかった。
王都へ行くのと、ハリーに会うのとでは、比べるべくもない。
出産から初めて、視界に光が差した気分だった。
ハリーに会えたら。受け止めてもらえたら。
私は、立ち直れる気がする。
思い返せば、ここ数日の私はイカれていたように思う。
ちょっと頭が冷えたみたいだ。
だってハリーに会える。
初めてじゃないか、こんなに会わないで期間が空いたの。
ハリーはずっと私のそばにいてくれたし、私が何を言っても、何をしても受け入れて、肯定してきてくれた。
きっと今回のことも、ハリーがいればなんとかなる。
そうだ。大丈夫。絶対に私の味方でいてくれるハリーがいるなら。
フレディの目撃場所に辿り着いた。
ハリーはいない。
馬車でも少し時間がかかったし、フレディが足で戻ってくるまでの時間で、とっくに移動してしまったのだろう。
「お、おい、嘘じゃないからな!おれは本当にハリーを見つけて」
「分かってますよ」
フレディが焦って言い訳してくるが、私は意に介さず周りを見渡す。
質素な村だ。店も人の姿も少ないからどこか陰鬱な印象がある。だが馬車が珍しいのか遠巻きに眺めてくる奴らはいる。その中にもハリーはいない。
でも、この近くにハリーがいる。そう思うと力が湧いてくる気がする。
私はのろのろしている奴らを置いて、単身村に飛び出す。
どこを見ても同じような小さな家ばかりで、たまに人がいてもすぐにそそくさといなくなる。
ハリーは体が大きい。髪も緑色で、どんなに姿が小さくとも私が見逃すはずはない。
もしかして、ハリーはもう出立しているんじゃないか?彼の足腰で屋敷にもうついてるとか。
戻った方がいいのか?
脳死で一番大きな道を走っていたら村の境界まで出てしまった。
小さな家があった。
離れに家を建てるなんて、村八分でもされているのだろうか。
目を止めた時、見覚えのある色が映った。
大きな体が、しゃがんでこちらに背を向けている。
草花をいじるその姿勢は、あまりにも見慣れている。
あの大男は間違いなく。
「ああ…」
やっと会えた。
私は、一目散に駆け寄って声をかけようと息を吸った。
「ハ」
「パパ!」
幼く高い声が響いた。
「大好き!」
大男が、彼の背に隠れて見えなかった少女と目線を合わせて「ありがとう」とはにかんだ。
少女は三つか、四つか、そのくらいの年のようで、無邪気に男に飛びついた。
?
その男の横顔は。短く切り揃えられた深緑色の髪。綺麗な夕焼け色の目。見上げるほど大きな体躯。
表情は、あまり動かない。
体の節々に包帯が巻かれ、特に頭部はぐるぐる巻きにされているが、私が見間違うはずはない。
ハリーだ。
間違いない。
なんだこれ。
「あ!ママ!」
少女が駆け出す。家から出てきた女が嬉しそうに娘を抱き止めた。
綺麗な女だった。ハッと目を引くような派手さはないが透き通るような雰囲気で、気立ての良さみたいなのが立ち振る舞いに出ている。
ハリーは。
ハリーはそいつの姿を認めると、いつもの無表情を微かに緩めた。
答えるように女はハリーに優しく笑いかけた。そうしてようやくこっちに気づいて首を傾げた。
殺す。
私は足元にあった石を手に女に殴りかかった。
「心中は察するが。強硬策はやめて欲しいのだがな」
苦々しい口調でロバートが言う。
ここは馬車の中だ。
私に襲われた女は悲鳴を上げ、その娘も悲鳴を上げ。
私は一矢報いることも叶わずハリーに羽交い締めにされた。その後すぐ騒動に集まってきた村人と、ロバートによって引き離され馬車に隔離された。
ロバートはしばらくして戻ってきてから私に嫌味を告げてきた。
フレディはいない。今頃ハリーと何か話をしているのかもしれない。
いずれにせよ。
「王都に行く」
「…何?」
「あいつ美形だった」
「…何の話だ」
あの女は、顔が良かった。
見れば分かる。性格も良さそうだし可愛らしい娘にも好かれている理想の美人だ。
分かる。
分かるよ。
ハリーはきっとあいつに絆されたのだ。多分ハリーが怪我かなんかしてるところを助けられて、看病されて、娘にも好かれて、「パパ」って呼ばれてるってことは未亡人か何かなのだろう、お人好しのハリーがそれを無碍にできるはずがない。
恩人の上に、美人。可愛らしい娘もいる。
分かる分かる。ちょっと揺らぐよね。だって理想だもんね。うんうん。私なんて若いだけで顔も体も良くないもんね。私自身だって鏡見て「うわキモ」って毎朝思うレベルだし。対してあいつは顔も良いし体も性格も良さそうだったし所作も綺麗だったしずっと一緒にいたいなあなんて思っちゃうよね、分かる分かる。私もヘレンに「ここにいて」って言われたらいると思う、つーかそれを実行したのが今の私だし。
分かるよ、分かる。
私妊娠してたしね、性行為もできないしね、ん、ちょっと待てよ、そもそも私とハリー一回しかやってねえな、いやだって私嫌いだもんそういうの、母親がああだったから自分がそうなるの本当に嫌なんだもん、それをハリーは尊重してくれたしそれは納得がいってるからいいんだよ、いや、でも、待て、男は性欲を持て余す生き物だしそれが良くなかったんじゃないか?いやいや、そんなことはないはず、でもさ、ハリーもそれをあっさり受け入れてくれたってことは、そもそも私とやりたくなかったんじゃねえの?それはなんで?
なんで?
決まってる。
「…この醜い顔を、元に、戻してもらう」
私の顔が、化け物だからだ。
もちろんハリーがそう思ってるわけじゃないよ、ハリーは優しいからそんなの気にしない、でも無意識レベルで嫌だなあって思うのは仕方ないじゃん?綺麗なものを好んで汚いものを嫌うのは人間のサガじゃん?ハリーだけじゃない、誰だってそうだ、だから仕方ない、でもそのせいで割を食うなんて、我慢ならない。
王都にいるもう一人の聖女は、チートを持っていたらしい。傷を治す力と聞いた。私の顔も治せるはずだ。
「そうすれば、きっと」
ハリーは戻ってきてくれる。
いくらあの女が綺麗だからって、昔の私には叶わない。というか正直こっちの世界に来てから私より容姿が良い人間に会ったことないんだよね。私は顔だけの人間だけど、それは裏を返せば顔さえあれば誰にも負けないってことだ。かつての私はあいつより何倍も美しい。顔を取り戻して、あいつを圧倒的に打ちのめしてやる。分からせてやる。
ちょっと容姿が整っていて性格がいいだけで、私に勝てると思うなよ。
「早く、王都に行きましょう」
「…お前が何を考えているのか分からないが。希望通りにはできない。まずはフレディの帰りと、ハリーの回収、そして屋敷に戻り…」
ベラベラと喋る口元に爪を立てひっかいた。
血が滲む。最近爪切ってないから、こんなのに刺されて痛そうだ。
仮面で覆われてなければ目元を狙ったんだけどな。流石に眼球を直接攻撃する勇気はない。
「行けよ」
「…フレディが戻っていない」
「勝手に屋敷帰るだろ」
元々徒歩でここから屋敷に帰ってきていたのだ。実績があるんだから心配いらないだろう。
馬車に置いて行かれた=一人で戻らなければいけない程度の理解力はあるはずだ。
ロバートが小声で呟く。
「…フレディが戻ってきても。私のように危害を加える気か」
「何?なんつった今もう一回言ってみろ」
「いや…いい。要望を飲もう」
ロバートはこんな時でさえ観察するような姿勢を崩さない。
腹が立つが、王都へ向かえることには変わらない。
私はロバートと共に今度こそ馬車で王都に旅立った。