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部屋の前まで案内し終えて、教育係は「それではお休みなさいませ」と笑顔で礼をして去っていった。初対面の聖女とかいうよく分からん存在にもにこやかに応対するとは、あいつ裏があるんだろうな。私は詳しいんだ。
ドアを開けて入ると、床に投げ出された鞄と、ベッドの上に無造作に置かれたスマホがまず目に飛び込んでくる。まずいまずい、警戒心大事、油断いくない。
相変わらず無反応のスマホを回収し、鞄を拾って中にしまう。私の最後の装備となった鞄は肌身離さず持っていよう。
鞄を抱えてベッドに腰を下ろす。
お腹すいた。お風呂入りたい。そういやトイレはどこだ。聞くの忘れた。
せっかくコンビニでラーメン買ったのに、召喚の際に落としてしまったらしい。ワイの百八十円どうしてくれんねん。弁償しろや。
やっぱり、何か食べてきた方が良かったかもしれない…肉は怖いけど、野菜ならちょっとは安全だろうし、あそこで摂取したのは水だけだ。水の味は私ん家と変わらなかった。そもそも水に味なんてないと思うが。
ひもじい…ひもじい…。今頃美咲はあの料理をお腹いっぱい食べているんだろうか。クソッ卑しい奴め。
窓の外はすっかり暗くなり、いくつか星も目視できる。でも太陽が浮かんでいる。太陽の周りだけ明るくて、そこ以外の空は見慣れた夜空とそっくりだ。
まるで天に白い穴が空いているようだ。
空を見上げていると首が痛くなってきたから止める。部屋の中を物色する。
決して狭くない部屋であり、中央には木製の丸いテーブルと椅子、その下に白い絨毯が敷かれている。汚れたら大変そうだ。
棚とタンスも木製だ。棚は女の人を模したトロフィーみたいな石像以外、何も置かれていない。洋タンスを開けてみると、色鮮やかなドレスが吊り下げられていた。ウッソだろお前…。
片隅にあるベッドはファンタジーのくせに天蓋付きじゃない。普通こういう時はお姫様が使うみたいなのを提供するんじゃないんですかね。十分大きいけど。
壁に掛けられている光源は、ありゃ何だ。ランタンか。初めて生で見た。残念ながら手が届く高さにないため詳細を調べることは不可能だ。
部屋にあるのはそれくらいだ。
靴を脱いでベッドに横たわる。とりあえず寝よう。目が覚めたら家に戻っているかもしれない。
鞄をしっかり抱きしめて目を閉じる。時折廊下から足音がするくらいで、静かなものだ。
…眠れない。
とにかくお腹がすいた。ハングリー。腹が減っては戦は出来ぬ。不可抗力だ。人間の三大欲求に抗える筈がない。
むくりと身を起こし、よく考える力もなくふらふらと部屋を出る。きっとそこらへんにメイドとかいるだろ、何かもらおう。こちとら聖女だ。多少の融通はきくだろう。
ほの暗い廊下をあてもなく進む。
自慢じゃないが、私はオカルト板もよく覗く。この世ならざるものとか結構怖がらないタイプだと思う。生き物苦手板系は流石にきついが。
しかし、現段階において、私は僅かながら恐怖を感じていた。
いくら歩いても、誰とも出くわさない。おかしい、ここは城じゃなかったのか。見回りくらいしろよザル警備め。
誰もいない、おかしなものもない。見えない、だからこそ恐ろしい。なるほど、あのゾンビゲーがバカ売れする訳だ。
「すいませーん…」
ビビって声が小さくなる。元々でかい方ではないが。
「誰かいませんか…」
しゃーない、こうなったらンゴンゴダンスでも踊って人を呼び寄せるしか…。
危険な思考に走りそうになる頭を止めたのは、仮面だった。
「…え?」
曲がり角に、仮面が浮いている。
いや、よく見てみると、仮面を被った誰かが、曲がり角からこちらを覗いているのだ。
「ヒエッ…」
お前ん城、おっばけやーしきー!
「お勤めご苦労様です…」
かろうじて捻り出すと、仮面は無言で一礼して消えていった。何や、紳士やんけ。
ほっと息を吐いて探索を再開する。もう自分の来た道すら忘れてしまったので進むしかない。仮面の後を追うようにとぼとぼと歩き続ける。メイドは見つからない。