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 一応怪我人だからとハリーにおぶわれ、何となく無言のまま三人で屋敷に戻ると、門前でうろうろしていたリオが「ああっ!」と声を上げて駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫だった!?ねえ、アン…!?け、怪我!?あわわわわ」

「落ち着け」


 後ろから湧いて出てきたのはスタンリーだ。

 救急箱を抱えた彼は、ハリーの背から降りた私を値踏みするように眺め、ぱぱっと傷の処置をしてヘレンの方をちらりと見ると「これなら心配はないだろう」と断言する。お医者が言うなら間違いないな。


 「よ、良かった…」と肩を撫で下ろし、リオはやや疲れた様子の笑みを浮かべる。


「今ね、クリスと旦那様も森の中を捜索してるんだよ。でもやっぱりハリーが一番早かったねえ、アンを見つけるの」

「本当に、見つけられて良かった」

「うん、ハリーってやっぱ…うぇ?」


 受け答えに、リオが固まった。スタンリーも、珍しく驚いたように目を見開いている。


「ハハハハハハリーが喋っ…!?」

「お前さん、声が」


「あああああああ!?いつの間にか帰ってきているじゃないかアン!ハリー!奥様!だったらすぐに報告しにきてくれないと困るだろう!?僕がどんな思いで駆け回っていたと思うんだ!旦那様にも呆れられて、僕の面目は丸潰れだ!留守番しているフレディにも煽られることだろう!奴め、お前クリスじゃ役立たずだから俺様に行かせろだって!?子供、しかもフレディのような行動力ある小人を外に出したらどうなるか目に見えてるじゃないか!奴は来なくて正解だった、その証拠に見ろ!アンは五体満足でこうして帰還している!む、怪我だと!?なんてことだ、それなら連絡に人手を割けなくても仕方ない!」

「クリス、探してくれてありがとう」

「ああお安い御用さハリー。なんてったって僕は君と、アンを誰よりも応援しているからな!この日のために僕がどれほど心を砕いたことか!あれやこれやの苦労も全ては祝福のため……君、今なんて言った?」


 突然屋敷と反対側から現れてマシンガントークを思う存分炸裂させた後、ぽかんと停止したクリスに、追尾してきたロバートは「お前は本当に騒々しいな」としみじみ呟いた。


 一瞬の静寂の後、クリス、リオに食ってかかられるハリー、そのゴタゴタを遠目で見守るスタンリー、何事か会話しているロバートヘレン夫妻。

 そしてスネに急襲を食らった私。


「…っってえ!?」

「何かあったら来いって言ったろ馬鹿一号。なに勝手に外出てんだ」

「あ、親方…」


 ぶすっと睨みつけてくる、知らないうちに合流していたフレディ。

 こちとら怪我人だぞ、もっと優しくせんかい。と思いつつ、私は頭を下げた。


「すいませんでした、心配かけて」

「別に心配してない。お前に外出を先越されたのが腹立つだけだ」

「はあ…」


 んなこと言っても外出しないのはお前の意思だろう。

 まあ、心配してくれたんだから何も言わないでおいてやろう。


 こうして、私は屋敷に帰還したのだった。


「ところで一号、お前仮面なくしたのか?」


 …あっ。

 回収するの、忘れてた…。




 予備の仮面(旧と同じく舞踏会用)をロバートから譲ってもらい、

 初めて従業員と雇用主側が全員揃って一緒に夕食をとって(実に和やかな一幕だった。私が勝手に外出したことを謝罪したら皆あっさり許してくれたし)一息ついた後、彼らは気を回したのかハリーと私をダイニングに残してさっさと消えてしまった。


 あらかたの説明は(主にクリスから)聞いていた。


 あの時。ハリーが私を呼び出した時。

 クリスとハリーがキスしていたように見えていたのは、やっぱり誤解だったのだという。

 てっきりクリスとハリーはそういう仲なのかと思った、と冗談まじりに言ってみると、「そんなわけあるか!僕はハリーと君の仲を誰よりも応援しているんだぞ!」と猛抗議された。

 …ただ、じゃあキスじゃなくて何をしようとしていたのかと尋ねると、何故かお口チャックで冷や汗をかきながら目を逸らされた。

 …まあ、未遂だったらしいし突っ込まないでおこう。


 さておき。

 私が逃げ出した後。弱り果てたハリーは例によってクリスとリオに助けを求めた。

 アンジェに話をしようとしたら、何故か逃げ出されてしまった。どうすれば良いか。

 クリスとリオは早速私を捕まえるべく、屋敷の捜索に乗り出したが、見つからなかった。

 隠れんぼの達人フレディに助言を求めるも、役に立たず撃沈。


 「フレディじゃないんだから、アンが屋敷のどこかに身を潜ませているとは考えにくい」という意見に、「それならば、まさか、アンは屋敷の外へ出て行ってしまったのではないか」という予想(正解)が浮上。

 「屋敷の外を一人で歩かせるのは迷子的な意味で危ない」ということで、屋敷に残る待機メンバー(フレディ、リオ、スタンリー)と、森を練り歩く捜索メンバー(ハリー、ヘレン、クリス、ロバート)に分かれることになった。


 捜索メンバーは外に出た後また、ハリーヘレン・クリスロバートの二手に分かれ、それぞれ逆方向から私の探索に向かったらしい。

 …私は道に沿ってまっすぐ歩いていたので、二手に分かれたメンバー達の丁度真ん中の位置を歩いていたというわけだ。

 ハリーヘレンチームはやがて「埒が明かぬ」と二手に分かれ、武装(ハリーは樽、ヘレンは凍らせた布)しつつ個々で捜索することにした。

 そして、ハリーが、兵士に襲われている私を発見したという次第である。


 正直に言えば、嬉しい。

 私はあの時、ハリーに助けを求めて、彼は私を助けてくれた。

 歯車が少し狂えば私を見つけていたのはクリスやロバートだったかもしれないし、真龍派の男と派手に揉めていたかもしれないし、あるいは兵士に殺されていたかもしれない。


 無限の可能性があった中で、他ならぬハリーが、私を助けてくれたのだ。私の望みが、現実となったのだ。

 傷は負ったけど、結果的にハリーは声を取り戻せたし、私は願いが叶った。

 とても幸福な一日だったと言えるだろう。


 もっとも、今からその幸せがブチ壊れるかもしれんのだが。


 食事を終えても未だテーブルにつき相対して動かない、私とハリー。

 ハリーはこれから、私が日中逃げ出した「大切な話」を切り出そうとしている。


 話の内容は一体何か。

 クリスとハリーの一件は誤解だった。

 ハリーは命の危険を顧みず私を守ってくれた。

 このことから「ハリーに嫌われてしまった」という可能性は低くなったと思いたい。


 他の候補といえば…。

 あ。

 そうだ。手紙で見たんだ。「結婚」って単語。

 …てことは、「結婚するから屋敷を出ることになったよ。元気でね」的な内容かな…。

 寂しいな。


 でも、仕方ないよね。

 ハリーは私の命の恩人だ。今回の件だけでなく、最初に会った時からそうだった。

 彼には迷惑ばかりかけてきたのだ。

 恩知らずに私がごねて、これ以上迷惑をかけてはいけない。


 いなくなる前に告白?無理無理。気まずくなるだけだ。

 思い出を大切にしよう。初恋は実らないのがセオリーらしいし、気にすることはない。

 ハリーからもらった美しい記憶を一生大事にして、くだらない恋心は捨て去ってしまおう。


「ハリーさん。お話についてなんですが」


 びくっとハリーが震える。声は戻ったはずなのに、ハリーはいつものようにメモを書こうとする。

 発声にまだ慣れていないのだろう。


「できれば、会話してみたいです」

「…?…あっ。そうだった、ごめん」


 気持ちは分かる。実は私もハリーの口から低音が流れてくる状況に違和感しかない。

 やっぱり、人って喋る姿を見ると印象が少し変わる。

 この人は、こんな口調で、こんな抑揚で、こんな間の取り方なんだ、と新鮮な驚きが押し寄せてくる。

 もっと見ていたいな。

 そんな権利ないけど。


「あの時は途中でいなくなってしまってすいませんでした。今度は、逃げないので…教えてもらえますか」


 ハリーと結婚するラッキー女誰だろうな。

 ブチ殺してえ。

 もしクリスだったら大泣きしつつも祝福できたのに。

 どこぞの見知らぬ娘がハリーに嫁ぐとかハラワタが煮え繰り返りますよええ。


「…アン。その。ごめん。やっぱり、手紙を読んでもらって、良いかな」

「え?ああはい。分かりました」


 ハリーが小刻みに震える手で文書を渡してくる。

 表情はひどく硬く、赤い。一世一代の大勝負にでも望んでいるみたいな仰々しさだ。

 そういや、最初に呼び出された時も厳かな感じだったな。

 夕食前に着替えたからハリーはいつもの作業服に戻っている。結局あの高級シャツなんだったんだろうな。


 私は所々よれてシワのついた手紙を受け取り、普段より綺麗に書かれて読みやすい文字の解読を始めた。

 普段のハリーの手紙は単語と単語の組み合わせって感じで短文が多いから、こんなにたくさんの長文は新鮮だ。

 まず一文目。


『愛しいアンジェへ』

 誤読ふざけんな。


 おい…いい加減にしろよ私の脳。都合の良いように解釈してんじゃねえよボケが。

 冒頭、確かに「愛しい」とか「可愛い」とかを意味する言葉が私の名前に連結して書かれているが、本当にその意味なわけあるか誤読だ誤読。

 だから、多分これは…そう、書き出し定番の、「親愛なるディア」ってやつだろう。

 私は翻訳家には絶対なれないな。

 こんなんじゃ先が思いやられるぞ。


 とりあえず、サラッと概要だけ読解しよう。身がもたない。


『突然、呼んで驚かせてごめんなさい。とても、伝えたいことがあります。まずは、いつも、仲良くしてくれてありがとう』

 そうそう、こういうのでいいんだよ。こちらこそありがとうハリー。


『アンが来てから、随分と、屋敷の景色が変わりました。フレディも元気になり、落ち込むことがなくなりました』

 そっか、ちょっとは役に立てたみたいで嬉しいな。


『アンがフレディと仲良くなるために、毎日、頑張っていたことを僕は知っています。フレディだけでなく、クリスやリオ、スタンリーと、たくさん、接することのできるアンは、とても、偉いです』

 お、おう。そんなすごくないぞ。


『自分のできることを探して、そのために何をすればいいのかを考えて、動くことのできるアンを僕は尊敬しています』

 ……。


『では、本題です』

 ここから!?


『もしかして、気づいているかもしれないけど、僕はアンが好きです』


『いつも、頑張って仕事するアンを見て、とても、勇気をもらっています』


『アンと一緒なら、ずっと、幸せだと思います』


『可能ならば、結婚を目標に僕と交際してくれませんか』


 …死ねよもう。


 最初の誤読で頭をやられて全文そっち方面に引っ張られやがったな。

 はいはい黒歴史。まあ誤読だってちゃんと理解してハリーに勢い余ってうっかり「お付き合いよろしくお願いします!」なんて返事したりしなかったから許そうじゃないか。


 しかし、これをもう一回自力で解釈し直すの地獄だな。

 メンタルがボコボコになる。


「…すいません、ハリーさん」


 ビクッ!!とハリーがさっきの二割増しで振動した。恐る恐るこちらと目を合わせてくる。顔が真っ赤だ。


「ちょっとまだ私には読解が難しいので、読み上げてもらえませんか」

「!?…な…なるほど…分かった」


 一瞬「鬼か」とばかりに恐れ慄いたハリーだが、やがてゆっくり頷き手紙を取り返した。

 さあ答え合わせの時間だ。

 勘違い野郎な私を嘲笑うが良い。


「親愛なるアンジェへ」


 ほらな!ほらな!やっぱり誤読だったじゃないか!

 あっぶねー踊り出さなくて良かったー。

 だから言ったろ、私が告白なんてされるわけないんだって。しかもハリーに。

 両思いなんてのは現実には存在しねえんだよスイーツが!


「急に呼び出して驚かせてしまったこと、申し訳なく思います。どうしても伝えたかったことがあるのです。


 まずは、いつも仲良くしてくれてありがとう。

 アンが来てからというもの、すっかり家の風景が変わりました。フレディも生き生きとして、塞ぎ込む回数が少なくなりました。

 フレディと打ち解けるために、アンが毎日頑張っていたのを誰よりも近くで見ていました。フレディだけじゃなく、クリスやリオ、スタンリーとも、壁を作らず接して行こうとするアンの姿は眩しいものでした。

 自分にできることを探して、そのために何をすればいいのか考えて、実行することのできるアンを尊敬しています。


 …さて、本題です。

 とっくに気づかれているかもしれませんが、アンが好きです。

 いつも一生懸命仕事に取り組むアンを見ていると、こちらも元気が湧いてきて、勇気をもらえます。

 アンとずっと一緒にいられたら、どんなに幸せなことだろうと思わずにはいられないのです。


 もし良ければ、結婚を前提に付き合ってはもらえないでしょうか。

 返事はいつまでもお待ちします。

 もし駄目だった場合でも、同僚としてアンの心配をすることくらいは許してください。

 アンが落ち込んでいたらこちらも悲しくなる。元気付けたくなる。それは余計な苦労などでは絶対にありません。

 迷惑じゃないし、迷惑だとしても遠慮せずかけていいんです。

 皆アンのことが大切だから。


 …ハリーより」


 途中で何度も掠れた。何度も息継ぎをした。

 けれど、消え失せることは決してない、力のこもった声だった。




『わざわざ心配して来てくれてありがとうございました。リオさんには今から謝りにいきます。ところで、ハリーさんは仕事中だったんですか?もしそうなら本当にすみませんでした。余計な苦労を…』


 昨日。

 ハリーに「明日大切な話がある」と言われる直前、私はそう言った。

 手間をかけさせた自分を謝罪し、許してもらいたかったからだ。

 こんな自分が迷惑をかけて、情けないと、申し訳ないと思ったから。


 …今、ハリーは真っ向からそれを否定した。


 信じられない。

 認め難い。

 どうせドッキリなのだろうと予防線を張りたい。

 もし後から「嘘でした」って言われても傷付かないように、「どうせお世辞なんだから真に受けるなよ」って最初から諦めていれば、少しの負傷で済む。

 「ほらね、やっぱり期待しなくて良かった!」って、強がれる。


 …ハリーは、嘘なんて吐くはずないのに。

 どうしてこんなことを言うのだろう。

 醜く汚く間違いばかり犯し見た目も悪い私に、どうしてそんなことが言えるのだろう。


 答えは簡単。

 ハリーは知らないからだ。

 私の「よく分からないけど良い子そう」な表面を見て、きっと内面もそうなのだろうと信じているのだ。

 彼は、私が記憶喪失でないということすら知らないから。

 隠された正体を、実体を、本性を知らないから、こんなことが言えるのだ。


 …ああ、間違ってなかった。

 私は、今度は間違えなかった。

 この人に、皆に、好きになってもらえるような人種の姿で生活できた。

 それが、醜く汚く不都合な部分を全部押し隠した、ほとんど詐欺のような形であっても。


 良いじゃないか。

 人間なんて皆どこかしら演技して、隠蔽して、他者を欺いているものだ。

 私だって、騙しても良いじゃないか。

 それで好意を抱いてもらえるなら。

 それで幸せになれるなら。


「…嬉しいです」

「!アン…それは、その、意味は」


 夕焼け色の目をいっぱいに見開いたハリーがガタンと椅子から立ち上がる。

 高くから降り注がれる目線に、私は新しい仮面の下で精一杯綺麗に笑ってみせた。


「私もハリーさんのことが好きです。どうか、よろしくお願いします」

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[一言] サブタイトルがないから、あらすじが思い出せない…
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