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 散歩してたら男に襲われて誤解が解けたと思ったらそいつが倒れて、また男が現れた。

 最初に私を突き飛ばした男よりも、後から出てきた男の方が圧倒的に厄介だと分かるのは、服装のせいだ。

 寒い地域だからか少し厚手だが、間違いなくこの国の兵士の格好。

 私が城で見た奴らと、同じ格好。


 そして、いくら敵対している真龍派とはいえ人間を害することにほんの躊躇もしない、血の気の多さ。

 狂っている。

 どうして私はこう運が悪いんだ。


「密会していた貴様も邪龍の手先に違いないな?女神教徒ともあろう者が、邪教徒に会話を許すはずもないものな。今すぐそいつと同じ場所に送ってやる」


 やめなよ思考ロックするの。

 私は健全なメイドだよ。ちょっと女神のことをクソとか思ってるだけの、無力な一般市民ですよ。


 そんな弁解が相手に通用するわけはなく。

 そもそもそんな訴えを、目の前で人が血を吹いて倒れるのを目撃してしまった私ができる余裕もなく。


 みっともなく腰を抜かして、再び冷たい地面に体を落とした。


「抵抗はするなよ。狙いが逸れる」


 死ぬ。

 今度こそ本当に死んでしまう。


 多分もう死んでいる男の背中から槍を引き抜いて、兵士はその赤黒い切っ先を私に向ける。

 鉄のような臭気が鼻をつく。

 吐き気が込み上げる。


 何でこんなことに。

 ハリーを誤魔化して平和に終わるはずの一日が、どうしてこんなことに。


 私が何をしたって言うんだ。

 ただ現状維持でのうのうと暮らしていこうとしただけじゃないか。

 屋敷を出たのが悪かった?

 散歩しに行ったのがそんなに悪手だったのか?

 そんなの、初見殺しじゃないか。

 私は、こんなことを望んでいたのではないのに。


「おい、動くな。聞こえなかったのか?」


 もつれる手足をジタバタさせて、その場から逃れようと足掻く。視線は兵士に釘付けのまま、離せない。

 兵士は槍を構えゆっくり近寄ってくる。

 風に髪を揺らし、気持ち悪い虫を見るような目で、見下ろしてくる。


 怖い。


 どうしたら良いのか分からない。


 あの倒れた男みたいにならないためには。


 生き延びるためには、何を、どうすれば、


「お前を殺して、お前の仲間も皆殺しにしてやる」


 …仲間?

 …真龍派。

 そして…今そこで倒れている男が気にかけていた、彼女ヘレン。その、同類。


「すぐ近くにいるんだろう?もしかして、拠点もあるのか?ならば僥倖!完膚なきまでに叩き潰してやろう!」

「…拠点、の、場所…っ知りたいんですか?」

「…何?」


 私は何を言っている?


 決まっている。


「教え、たら…見逃して、くれますか?」


 命乞いだ。

 死にたくない。

 痛い思いも、死ぬような思いも、もうしたくない。

 それならば、いっそ。


 兵士が一気に無表情になった。


「くだらん」

「え」

「性根の腐った屑が。これ以上醜悪な姿を晒すな」


 槍を、投げた。

 刺すのではなく、無造作に、投げた。


 動作は雑でも、込められた力と速さは本物だった。

 槍は私の脇腹をかすり、やすやすと服を貫いて、肉を切り裂いた。


「ぎゃああああ!?」

「叫びすらも醜いな」


 来る。

 兵士が、迫ってくる。私をゴミみたいに片付けようと、歩いてくる。

 震えが止まらない。


 ああ、なんて自業自得。一瞬でもあの優しい人達を身代わりにして逃げようなんて、恥知らずにも程がある。


 でも、後悔している余裕はない。


「い、いやっ、嫌だ!痛い!怖い!やめて!たすっ…助けて!」

「黙れ」

「助けて!」


 誰が、私を助けてくれるというのか。

 見た目の良さも失って、善良な人間でもなくて。

 軽い気持ちで屋敷を出て、勝手に窮地に陥って、果てには仲間を売ろうとしたようなゴミなんて、誰も。


「死にたくな…!」


 それでも。

 あの人、なら。

 さっきは逃げてきてしまったけど。

 いつも私に手を差し伸べてくれる、あの人なら。


「た!…助けて、ハリー!!」

「うるさい」


 たった今斬られて血が滲む脇腹を、兵士は固い爪先で蹴りつけた。


「っうぐああああ!?」

「見た目だけは我らと同じ塵が。その仮面を剥いで貴様の正体をあらわにしてくれる」


 痛みでパニックになる私の顔から、仮面を取り払う。

 地に仰向けて叫ぶ私に抵抗する暇はない。兵士は私の傷物の顔を見た途端、「やはり罪人の類であったか」と呟き、「女神の御前で、自身の罪を悔い改めると良い」と今度は短剣を取り出して振りかざした。


 ドチャア!


 そんな音を上げて、兵士が・・・吹き飛んだ。


「…!!」


 何だ。

 何かが、恐ろしい速さで後ろから飛んできた。それで、兵士の顔面に当たって奴を雪の中に沈めたのだ。

 兵士は何か、大きなものに押し潰されて、もがいている。

 …樽?

 樽だ。ワインとか入ってるタイプの樽。


 どうにか上半身を起こして、呆然と兵士を見やる私の肩に、何かが置かれた。


「ひっ!?」

「…っ」


 思わず振り払おうとしたら、手を掴まれた。

 そこにいたのは、緑髪の、大男。


「…あ、ああ、あ!」


 彼を目にした瞬間、それまで蓄積していた恐怖とか情けなさとか諦念とか、そういうのが全部溢れ出して思わず彼の巨体にしがみつき、ついでに顔の穴からも液体が溢れ出した。


 来てくれた。

 助けに、来てくれた。


 私の声に、答えて、くれた。


「ハリーさん…!」


 私の体重を支えるべく背中に手を回そうとして彼は、私の怪我に気がついて息を飲んだ。

 傷口を容赦なく蹴られたせいで出血は続いている。が、刃物自体はかすっただけだし、あの時よりは、兵士達と教育係にボコボコにされた時よりは、ずっとマシな方だ。

 でも痛いものは痛いので、涙は出る。


「たす…助けて、くれて、ありっ…がとう、ございます。あの樽は、ハリーさんが?」


 応急処置、とばかりに傷口を手ぬぐいで抑える彼につっかえつつ問いかけると、険しい顔でこくりと頷き、前方の雪溜まりに視線をやった。


 …そうだ、まだ、あの兵士は。


 ハリーがぐっと体に力を込めるのが伝わってくる。戦うつもりなのか、あいつと。


「…このぉっ、邪教徒が!」


 どうやって対抗する?

 武器はある。

 すぐそこに突き刺さっている槍に、ハリーは手を伸ばす。

 彼は力持ちだから、瞬殺はされないだろう。でも、戦い慣れているわけではないはずだ。


 本当にこれでいいのか。

 私は、どうすれば、


「…守る!」

「アン!」


 聞き慣れない男性の声と、親しんだ女性の声。

 それと同時に、信じられないことが起きた。


 兵士が大きい樽を押しのけて立ち上がったら、足をもつらせてつんのめり、路傍の木に頭から激突した。

 その衝撃で、兵士の服が弾け飛んだ。

 加えて、周辺の枝に乗っていた大量の雪が連鎖的に落下し、裸の兵士を生き埋めにした。


 ギャグ漫画みたいな展開だった。

 あまりにも綺麗な退場の仕方に目を疑う。


「アン…!大丈夫!?」


 声の主、駆けつけた女性は、ヘレン。

 彼女は、血を流し倒れる男、怪我人の私、私に寄り添うハリーを順に目にして口を手で覆い、キッと顔つきを改めると「…ハリー。アンをお願いね」と言い残して、死んだ真龍派の男の元へ向かう。

 やっぱり知り合い、だったのだろうか。


 咄嗟に手を伸ばして引き止めようとした私を制止したのは、ハリーだった。

 彼は「大丈夫」と諭すように私の腕をさすり、赤く染まる布をすげ替えた。


 …あれ?

 何か、さっきよりも痛みが引いているような。


 混乱する私をよそに、ヘレンは男のそばに跪き静かに声をかける。


「…ダレル。生きているでしょう、ダレル。目を覚まして」


 …残念だが、その男はもう。


「…ヘレン?」


 何で生きてんだよ。

 え、だって、槍がぐさっと。


 黒目の男は、患部を庇いつつもゆっくり起き上がった。

 本当に死んでいなかった。生きていた。


「…お前、まさか俺に」

「私は何もしていないわ。それよりも、早く隠れていて。貴方がいたら、女神の使いを送り返せないでしょう」

「あ、ああ…」


 男はきょろきょろと辺りを見回し、こちらを見ると何故か目つきを鋭くした。

 何だ、私が生きているのがそんなに不思議か。

 …いや、違う。私じゃない。

 男は、ハリーを見ていた。ハリーもまた、男をまっすぐに見つめ返している。


 やがて視線を逸らすと、男は「俺はこのまま行く。心配するな、傷は深くない。拠点まで十分もつ」「…そう。気をつけて」「ああ」と短くやり取りして、さっさと消えてしまった。

 …ひょっとして元カレだったのかな。


 そんなくだらないことを考える程度には、私は回復していた。

 ていうか傷深くないっつーなら何で今までぴくりともしなかったんですかね。


「アン」

「あ、はい」

「貴女は、女神の信徒に害されました。彼を憎みますか?」


 何の問答だ。

 けれどヘレンが至って真面目な顔をしていたので、ふざけず答えることにする。


「…怖いし、嫌いです、もう二度と会いたくありません」

「そう。なら、このまま放っておきましょう」

「え、でもそれじゃ死んじゃうんじゃ…?」


 某雪国でも、屋根からの落雪のせいで命を落とした事例は多く存在していたはずだ。生き埋めを舐めてはいけない。

 あ、憎むってそういう意味か。

 私が、兵士を殺すほどに憤っているのか、ヘレンはそれを聞いているのだ。


 そりゃ、斬られたし蹴られたし、もう顔も見たくないってのは本心。どっかで誰かにボコボコにされればいいなとも思う。

 ただ、だからといって己が殺したいかって言われると…。

 「殺すぞ」「死ね」って書き込むのは簡単だけど実際にその権利を手にするとびびるのが人間ってものだ。

 私は私の決断一つで人が死ぬような、そんな重い責任は負いたくない。

 それに、既に私は教育係、第一王子と間接的とはいえ二人も死なせているのだ。

 これ以上後ろめたいものを抱えたくはない。


「た、助けてあげてください」


 ハリーがびっくりした様子で見下ろしてきた。

 な、何だろう。不服なのかな。

 でも明確な意志を持って見殺しにするのはどうもね。


「…本当にいいの?死なせたくない?」

「はい。あ、いや、流石に看病とかはいいんで、私そこまで慈悲深くないし。出口だけ作って適当に放っておくだけで…」


 あくまで死なない程度にね。

 死ななきゃ何してもいいよ。

 閉塞から脱してもこんな雪だらけのところに放置したら死にそうだけど、それは自業自得だ。だって勝手に土地に踏み込んで来たのそいつだし。

 一晩くらいなら気絶しててもへーきへーき。

 あ、でも、恨まれるかな。「あのメイド許さねえ!」って血眼で探される?


「…よし。それじゃあ、掘り起こしましょう」


 ど、どうしよう。




 数分後、全ては杞憂に終わった。


 兵士は、頭を強く木に打ったせいか、何も覚えていなかった。

 自分が真龍派の男を尾行していたことも、男を刺したことも、私を斬ったことも、蹴ったことも、樽に負けたことも、全部。


 北の社付近の見回りをしていたはずがどうしてこんな場所まで入り込んだのか…と青白い顔を捻り、雪から引きずり出してくれたヘレンとハリーに「いやどうも、現地民さんに迷惑をかけてしまって」とペコペコ頭を下げていた。

 細切れになった服をかき集め、どうにか寒さを凌ごうとしている(その様子をヘレンとハリーは一切手伝うことなくただ見つめていた。可哀想)。

 彼の姿は、どう見ても普通の人間だった。


 真龍派とか邪教うんぬんが関わらないと、こうも穏やかになるのか。やっぱ信仰って怖。

 一応私と樽と槍は隠れて見守っていたが、存在に気づくことも、言及することもなく、ガチガチ歯を鳴らしながら兵士は去っていった。

 きっとしばらくは凍傷で苦しむことだろう。


 一件落着ってわけだ。

 不思議なことに私の出血も収まり、痛みも、ちょっとした切り傷程度まで和らいでいる。帰ってスタンリーにガーゼでもつけてもらえば治るだろう。

 ご都合主義だろうが何でも良い。

 心温まるハッピーエンドである。


 …あれ?

 この場所って、超寒い地帯とそうでもない地帯の境目だったよね。私は黒目の男に襲撃されて寒い地帯に転がされたわけで、恐怖も相まって震えていた。

 今はもう寒くない。

 …本当に何なんだ?


「…あれ?」


 気になることはもう一つある。

 バーサクモードの兵士が戦線復帰しようとした時。ヘレンの「アン!」という呼び声と同時に、男の人の声が聞こえた。

 低くて、ちょっと掠れていて、記憶にない声。

 でも、聞いていてどこか安心するような声。


 あれ誰だったの?


 いや、答えは決まっているじゃないか。


「…ハリーさん?」


 だってあの声は、私のすぐそばから聞こえたのだから。


 私の呼びかけに、樽(猟で使う罠の備品らしい)を抱えてきょとんとハリーは振り向いた。


「…?」

「ハリーさんって…喋れるんですか?」

「…!」


 オレンジの瞳を瞬き、ハッとして彼は息を吸い込んだ。次いで、口を大きく動かす。


「…ア、ンジェ」

「あ…」


 聞こえた。

 さっきと同じ声。


「ハ、ハリーさ」

「アンジェ…アン!」

「わーーーっ!!」


 ハリーが喋った!

 予想より低かった!

 もっとこう、体型からしてネコ型ロボット(旧)みたいなダミ声想像してたからつい。

 いや違うよ、別にハリーが二頭身なわけじゃなく(むしろ高さは八頭身くらいある)、何というか割と丸みを帯びたフォルムの感じからしてこう…。


「…ありがとう、アン」

「えっあっはい」


 私は何もしてないが。

 感極まったようにハリーが私の肩を掴み、礼を述べた。わあ会話するのすっげえ違和感。

 ふと見ると、ヘレンが「あらあらまあまあ」みたいな面構えで藍色の目を輝かせていた。

 あの顔、リオが恋バナしている時にそっくりだな…。


 スキャンダラスに怯えつつ、ハリーの感激余りの抱擁に身を任せる。


 ホモバレ逃走とか無断散歩とか連続襲撃とか盛りだくさんだったその日、ハリーは声を取り戻した。

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