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 大切な話。

 明日、ハリーが私に語る重要なこと。

 その予測をするには、私は疲れていた。


「リオに謝らないと…」


 未来から逃避して、目の前のやるべきことに取り組むべく、私は階段を降りてダイニングに向かった。




「アン。大丈夫だった?」


 リオは私がいた時とあまり変わらず、席についてお茶を飲んでいた。

 キラキラした笑顔には悪意のかけらも見られない。そりゃ、彼女にとって悪いことなんてしてないから当然だ。

 私の分の新しいお茶をいれようと腰を上げんとするが、それを立ったまま制して問いかける。


「ハリーさんにどうして知らせたんですか?」

「ん、あー、たまたまハリーがここに来たから、今アンが大変そうだから見にいってあげてって言ったの。ごめんね、私が行くよりハリーの方が君も安心すると思ってさ」

「…そうですか」


 きっと気を遣ってくれたのだ。私が好きなハリーを、何かよく分からんけど取り乱していた私のところへ派遣すれば、多分二人の仲が接近するだろうとかそんなん。

 良かれと思ってやってくれたのだ。


「私、考えたんですけど、やっぱりハリーさんのこと好きじゃありません」

「…えっ!」

「最近の不調はただの体の問題だったみたいです。さっきめまいがしたので、疲労の一種ですかね。とにかく、色恋沙汰だけはないです。お騒がせしました」

「そ、そっか!そうなんだ。ええっと…それは、良かった、ね…?」

「はい。休めば何とかなります。途中で席を外してごめんなさい。相談に乗ってもらってありがとうございました」


 ペコリと頭を下げ、退室しようとして、焦った声を背中にかけられる。


「で、でもさ!君はハリーのこと、嫌いではないんだよね!?」


 前に、少し似たような質問をクリスからされたことがある。

 その時と同じ答えを、私は返した。


「私を助けてくれたここの皆さんに好感があるのは、当たり前じゃないですか」




 再び自室に戻り、棚を漁る。衣服の段とは違うところに、宝物を保管するスペースがある。

 フレディからもらって押し花にした花冠が、スタンリーに本を返す際にもらった木箱の内に不格好な形で収められているもの。

 それと、これまで彼にもらった言葉の数々。

 その中の一つ、さっきハリーに渡されたメモを改めて見返す。

 目の前に本人がいない、気持ちが焦っていない状態でじっくり読んでみるが、内容の解釈はやはり変わらない。


 ハリーは明日、私に大切な話をするらしい。

 大切な話。私にとって大切な話なら、きっとこの屋敷にいるより外に出た方が君には良いんじゃないかなとかのアドバイスという名の絶縁状だろう。

 ハリーにとって大切な話なら、君がいると僕の仕事が増えて大変だから庭師をやめて猟師一筋になるんだ(鬱陶しい君と離れたいんだ)という決意だろうか。


 …あー、駄目だ。さっきから思考が暗い方にしかいかなくなっている。

 ハリーがそんなこと言うはずない。だって彼はとても優しいから、軽口だとしても人を傷つけるような言葉を相手に向けることはあり得ない。

 ハリーだけじゃない。ここの人達は皆そうだ。分かり切っていることを何回も繰り返すなよ。 


 彼らに悪意なんてものは存在しない。私じゃないんだから。嫌味だって聞いたことがない。私は脳内で幾度も汚い口をきいているのに。

 いや、だから意味のないことをするなって。彼らと私を比べてどうする。天井のシミでも数えていた方がまだ有意義だろうが。


 紙をまた収納して、ベッドに身を投げる。大事なメイド服にシワがついてしまうが、少しの間だけならと仮面を外し、うつ伏せでシーツに額を押し付ける。


 良い人達だった。

 自分も仲間に入れた気がしていた。

 でも仲間ってのは対等じゃないとなれないものだ。

 顔が良かったころならともかく、何も持っていない今の私に、彼らにあげられるものなんてない。私は彼らから多くの、温かいものをもらっているのに。返せると思えない。

 これが本当の恩知らずってね。


「お前らに会いたいなあ…」


 呟く。かつての世界の(ウェルカムトゥ)アンダーグラウンド、私の常駐掲示板には見るからにクズしかいなかった。私と同じか、あるいはそれ以下の。無論上の人間もいただろうが、私には分からなかった。だから安心していた。私もこのままで良いのだと、狭い世界で思考を放棄していた。

 問題を先延ばしにしているだけだと考えもせずに。自分を改善させようなんてこれっぽっちも思いもせずに。

 そのまま生きていけたならそれでも良かっただろう。

 けれど世界は変わる。取り巻く環境が変われば、自らも適応し、変わらざるを得ない。

 だから今、私は、周囲の人々と己の落差に苦しんでいるのだ。


「…あークソッ」


 何が嫌かなんて分かり切っている。

 私は変わりたくないんじゃない。変わるための努力をしたくないのだ。

 怠惰でありたい。辛い思いはしたくない。努力なんてきついことは御免だ。楽してのうのうと生きていたい。


 でも一方で、醜態を晒したくもない。

 優しい彼らの前で、醜い自分を明かしたくない。表面だけ取り繕って「あの子よく分かんないけど多分いい子なんだろうな」って思われていたい。

 内部を知られるのは怖い。

 失望されるのは、怖い。

 嫌われたくない。


 フレディとハリーの前で泣いた時、自分を吐露してしまった時、引かれるかと思った。そんなことはなかったけど、次も受け入れてくれるとは限らない。

 不要な危険は冒したくない。


「どうやって乗り切ろうかな…」


 ハリーが、大切な話を私にする。

 彼が、何かを変えようとしている。

 私は変わりたくない。

 彼の話を誤魔化して、なあなあにして、これまで通りに進めなくてはならない。


 できるできないじゃねえ、やるんだよ。場合によっては、ハリーが声を出せないという点を利用してでも。


「明日に備えましょうかね」


 こういう時、予習するのに便利な人間がこの屋敷にはいるのだから。




「クリスさんってハリーさんと仲良しですよね」

「……」


 クリスが黙っている。

 誰かが話をしている時、彼は小声でぶつぶつ呟くか、短時間だけ口をつぐむかに分かれるが、今回は後者のようだ。

 だが、ここには私とクリスしかいない。私が出口を塞いでいる状況で、性格上、いつまでも黙秘してはいられないだろう。


「明日呼び出しを受けたんですけど。ハリーさんが何を考えてるのか、知りませんか?」


 しかし、私はやっぱり割と有能なのではないだろうか。

 クリスは屋敷の人間の中でも就寝時間が遅い部類に入る。見回りや消灯も彼の役目だ。そこを狙って一階の書斎で声をかけた。二階だと私室の従業員に聞きつけられて妨げられるかも分からんしね。

 一階には主人一家が寝ているが、この部屋はそこから離れているから問題ない。

 フレディのせいで早寝早起きが身についた私にはちょっと眠いが、やむなし。今日(もう昨日)はお休みでフレディの鬼運動にも加担してないから体力残量も充分だ。


「何か、ちょっとしたことでもいいんです。私、明日が不安で眠れそうになくて」


 クリスは無言のままだ。


「ハリーさんに嫌われてしまったのなら弁解したいですし、何か迷惑をかけていたなら改善したいんです。心当たりはありませんか?」


 変わるための努力をしたくないから現状を維持するため努力する。

 矛盾している。が、どちらが楽かという話だ。土壇場でハリーを誤魔化すより、クリスを揺さぶって先にヒントを得る方が簡単そうだった。

 私は予防線が欲しいのだ。オブラートに何十と包まれてても面と向かってハリーに「君いらないよ」って言われたら泣くかもしれない。その前に、心構えをしておきたい。


 大丈夫、クリスはきっと話してくれる。普段はあんなにベラベラ喋ってるのに大事な時だけは口を閉ざせるなんて都合が良すぎるし。


「クリスさん、何か…」


 その時。

 クリスが動いた。

 何も言わず不機嫌そうな顔で、こちらにずんずんと歩み寄ってくる。


 え?何?

 …ボコられる?


 血の気が引く。まさか、そんなことはしないだろう。だってここの人達は優しいから。

 いや、キャパオーバーか。私がやり過ぎたんだ。厚かましかった。全部自分の撒いた種だ!


 クリスが眼前に立った。それほど身長差はないのに、いつも発している声がないだけで圧迫感がある。

 彼は手を振りかざした。

 か、顔はやめてくだち!


「……」


 グイッと押されたのは肩だ。

 私を横にずらして書斎を出ると、クリスは駆け足で階段の方に去っていってしまった。


「…何なんだぁ今のは」


 いや、単に私が馬鹿だっただけなんだけど。

 何やってんだ私は。みすみす情報源に逃げられただけじゃないか。

 ていうか、クリスは何考えてたんだ?いつも自分から思考を垂れ流してくれる人だから余計におっかない。

 どうしよう。もしかしてクリスもハリーと同様に、私を煙たがるようになっていたんだろうか。


 不安不安不安…。

 結局私は予習もできず、夜しか眠れずに翌朝を迎えてしまった。

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