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 珍しく雨が降った。

 寒冷地なのにほとんど晴れか曇りが多く、雪も一度も降ってきたことがないこの場所で、雨が降った。

 久しぶりに見る雨。元の世界では頻繁に目にしていたそれは、記憶の中と変わらずしとしとと、鬱蒼とした森を恵むように早朝から降り続いていた


 雨が降れば、外では遊べない。

 丁度良い機会だった。

「雨なのと、最近不調なので今日はお休みをいただきます」とフレディに告げて「ふん、近頃のお前は見るに耐えないから許してやる」と尊大に許可され、ヘレンにも一応こっそり受諾を得た日の昼下がり、私は一仕事終えたリオに相談を持ちかけた。

 ハリーがいるとうまくフレディに合わせてリミットオーバーできないこと。

 体調は悪くないのに特定の条件下でのみ血液循環系の器官がバグること。

 どうしてそうなったのかさっぱり分からず、原因を探るために協力してほしいこと。


 リオは快く相談に応じてくれて、お茶を飲みながら余計な口を出さずに聞いてくれたが、大体の話を把握した後、端的に告げた。


「恋だね、恋」

「は?」


 思わずそんな声を出してしまった私にリオは楽しくてたまらないという笑顔で、


「その人の前でだけ緊張して、短所を晒したくないから取り繕う。良いところを見せようとする。ふふ、それは君がハリーのことを好きになってしまったということだよ」


 ……。


「え、ちょっと、アン!?」


 リオを置いて部屋を飛び出す。

 走り抜け、辿り着くは自室。

 盛大に音を立てて扉を閉め、膝立ちでベッドシーツに頭を押し付ける。


 深く息を吸い、吐いて、一言。


「ないわー」


 いや、マジで。


「ないわ…」


 私がハリーを好き?

 私が?ハリーを?好き?

 アイライクハリー?ノー、アイラブハリー。イェアー!ハハハ!


「はああああ…?」


 ちょっと、お前、マジで。


「ありえねえ」


 動悸が激しい。死ぬかもしれない。今仮面を外して鏡見たら多分顔面が鮮血並みに変色していると思う。


「落ち着こ、落ち着いて考えよう。だってまだ確定じゃないもの。リオが適当なことぶっこいただけだし」

 

 でもそれなら腑に落ちるよね、最近の私のあれについては。

 いやいやいやいや。


「あのさあ…人並みに恋するとか何?え?マジで?」


 恋は青春(笑)とか馬鹿にしてきたくせに何てザマだ。


 …いや、気持ちは分かるよ。筋は通っている。だってあの人には何回も助けられてきた。優しくされてきた。好きになるのは当然の摂理だ。

 普通の人なら普通にそこで「そっか、アタシ彼のことが好きなのね!振り向かせなきゃ!」って受け入れて行動すればいいと思うよ。

 でも、お前は私なんだよなあ。

 私が他人に自分のことを好きになってほしいなんておこがましいんだわ。

 屋敷に善意で置いてもらっている身でよ。


「ふざけてるわー」


 そりゃ、前の私だったらまだ許されたと思うよ。顔良かったし。内心で誹謗中傷はしてたけど物理的には何もしてなかったし。

 でも今は駄目よ。私がどれだけ周りの人に迷惑かけてきたか、どれだけ助けられて、恩を返さなきゃならなくなったか。彼らは優しいから何も言わないけど、人一人の食い扶持が急に増えて、どれだけ彼らの重荷になっているか。


 フレディとは仲良くなれたし一応勉強もさせているから従業員として任は果たしてる?ショタの相手役なんて探せばお前じゃなくてもできるんだよ思い上がるな失せろ。


「あーあ。まーた始まったよメンヘラタイム」


 …そういやお前のせいで人も死んでるしな。それも、王子とそのお付きなんていう上流階級。

 あの王子は確かに自己中だったし、教育係も頭ぶっ飛んでたけど、あいつらは死んでもいい人間だったから死んでも仕方ないなんて、私が言えるわけないじゃん。マジでどの口が言ってんだよ。


「いやあ、無理無理…」


 この場所に来て、私という人間が少しはマシになったのは、認めている。むしろここに来て改善されない方がおかしいし。

 ハリーに死に際に助けられて、ヘレンに衣食住を与えてもらって、善良な皆に親切にされて、この屋敷で、せめて役に立ちたいとフレディの遊び相手として過ごしてきた。力を尽くしてきた。フレディとは師弟になれたから一応成果はある。

 でもそれだけだ。

 真人間には程遠い。


「…ほんっとに、ない」


 だって、ここの人達は優し過ぎる。

 城にいて、私を殴り、罵倒し、追放した人達の方が一般なのであって、ここの人達を基準に考えてはいけない。

 私の存在が許されているのは、ここの人達が慈愛に満ちているから、器が大きいからであって、私が正当だからではない。


 ハリーが私に優しくしてくれたのも、彼にとっては当然のことだから。あの人は誰にだって優しく親切にする。お前が特別なんじゃねえよ誤解すんな。


「勘違い野郎が」


 ここの人達は聖人なんだよ。本来ならお前と対等に接せられる人間じゃないんだぞ。


 先日、私が心の中でボロクソに貶したロバートだってそうだ。

 ヘレンが受け入れているからと、私を追い出しはしなかった。

 聖女だって知っているのに、王都にいたってことは私に何があったのか知っているだろうに、当時のことを、私が聖女として何をしていたかを他の従業員にバラして「あいつはクズなんだ」って言いふらしたりしなかった。初対面の自己紹介で何も喋らないという失態を犯したのに、咎めなかった。


「そもそも騙してますしね。あの人達の視点じゃ私は何も覚えてない被害者だけど真実は…」


 記憶喪失だって皆を欺いているのは、ずっとこのままでいたいからだ。

 ずっと、平和で穏やかな、変化のない時間を、安穏とした生活を送りたいからだ。

 それは誰のためでもなく、私が、現状維持を望んでいるから。

 結局自分のためだ。


「大嘘つき野郎」


 自分を偽って、心配してくれる皆の気持ちを裏切っているのは、自分が可愛いからだ。自分が一番大切だから。自分を守るためなら、平気で嘘をつく。


 もし自分が聖女って国に知られても、記憶喪失だったら、匿ったここの人達には責任が及ばない?だから偽装するのは仕方ない?

 本当は自分のためなくせに?

 そういうのなんていうか知ってる?

 おためごかしっていうんだよ。


「きっつ」


 考えれば考えるほどきつい。

 ちょっと深掘りしてみると連動して私の嫌なところがボロボロ出てくる。メンヘラるのは前にハリーとフレディに優しくされた時ので充分でしょ、これ以上勝手に自己嫌悪するなよ鬱陶しい。


 でも落ち込んじゃうんですよねー。


「つーか恋って…何?ただの性欲だろキモッ」


 つまりは抱かれたいってことでしょう。うえっ。ハリーを汚すな。


「しょーもな」


 クズのお前が普通に幸せな恋愛なんてできるわけがないだろ。甘えんな!


「はあ…」


 ずっとベッドに向かってぶつぶつ言ってるのも飽きた。何か建設的なことをしよう。

 どうせ何考えても、何回滅入っても結論は一緒だ。


 ハリーに、この感情を知られてはならない。


 変わってはいけない。態度に出してはいけない。隠し通せ。押し殺せ。絶対に悟られないように。

 ハリーに、「あの子僕のこと好きなの?困ったな…振るのも可哀想だ。同じ場所に住んでるし毎日顔合わせるし気まずい…」って余計な悩みを抱えさせないようにするんだ。


 …全く。何でこんなことになったんだか。これまでのままで、ご飯を食べたり、たまに共同でフレディの相手をしたり、あの庭で、同じ空間に一緒にいられる。それだけで良かったのに。

 優しい恩人で親交のある同居人。それで良かっただろうに。


「人間の欲深さは天井知らずってこのことを言うんだろうな」


 つーか独り言ばっかでキモいんだよ。いい加減切り替えらんねえのか。


 そうして、ベッドから頭を離し、体を振り向かせて視線を真っ白なシーツから平常に戻したところで。

 扉が開いていて。

 今まさに手を伸ばして、こちらの肩でも叩こうとしていただろう体勢の。

 ハリーと目が合った。


 声にならない悲鳴ってのはこのことを言うんですね。


 面と向かって金切り声を浴びせられたハリーは慌てて後退し両手を上げて「害意はない」というポーズを取った。


「…ハリーさん」


 全く気配を感じさせなかった大男が、腰を抜かした私を夕日の目で見下ろしてくる。


 いつから。どうして。


 どうにか立ち上がりつつ混乱する私に彼はそっと距離を詰めメモを差し出してきた。


「りお…に、聞いた…?」


 リオに、何を聞いたというのか。

 何を。


 一瞬で頭が真っ白になった。


「違う!」


 反射的に叫ぶ。


「違う、違います。ほら、リオは、その…ほら!女の人って大体恋愛脳とか言うじゃないですか、だから先走ったこと言ったんでしょ、違うんです。私は、普通に」


 上手く回らない頭と舌で弁解を試みる。


「最近はただ…不調だっただけです!体の問題で、何も関係ない!だから」


 ハリーが新たな紙片を掲げてきた。そこでようやく、相手が困惑しているのを察した。

 どうにか解読した紙には、『リオが、「アンがおかしい、心配して、見に行って」と言った。具合悪い?。ノックした。返事なかった、故、部屋入った』と、あった。

 惚れた腫れたの話題は、一切なかった。


 全身の力が抜け、私は背後のベッドに腰を落とす。ハリーの一見無感情なようで細かく見ると戸惑っていると分かる表情を放心して見つめた。


 ノックはしたのか。自己嫌悪メンヘラタイムで耳にリソース割いてなかったから気付かなかった。


 そんなどうでもいいことがまず頭に浮かんで、ますます脱力する。


「…すみません、迷惑かけて。でも大丈夫です。何ともありませんから、心配しないでください」


 そう。何もなかった。私は何も自覚していないし、ハリーも知らない。何も変わらない。


「私は平気です。ちょっと…用事があって。慌てていて、リオさんを放ってきてしまったんです。異常はありません」


 口角を吊り上げる。こういう時は仮面をしていると便利だ。


「わざわざ心配して来てくれてありがとうございました。リオさんには今から謝りにいきます。ところで、ハリーさんは仕事中だったんですか?もしそうなら本当にすみませんでした。余計な苦労を…」


 不意に、ハリーが話を遮るように手を突き出してきた。誰かの言葉をぶった切って自分の意見を押し通すようなことをする人ではないので、驚いて口を閉ざす。

 渡されたのは例によってメモで、内容を訳する前に彼は背を向けてさっさと部屋を出ていってしまった。

 パタンと軽い音を立ててドアが閉められる。

 途端に不安が押し寄せてくる。


 どうして、急に行ってしまったのだろう。普通、こんなことをする人ではない。やっぱり、今回のことに気づいて…。


 泣きそうになりながら書き付けを読み解く。

 そこには、こう書かれていた。


「大切な話がある。明日、仕事が終わった後、会話を望む」

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― 新着の感想 ―
[一言] ハリーの言葉が待ち遠しいです。
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