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 旦那は私を聖女と、そう呼んだ。


「旦那様、何を仰っているのです!?アンが聖女!?そんな馬鹿な、だって聖女って言ったら、女神に力を授けられた異界の生き物なのでしょう?アンは普通の人間ではありませんか!僕らと同じ、手も足もあるし言葉も通じる!記憶喪失なだけで…」


 クリスの勢いが弱まる。

 記憶喪失。そして、出会った時に全身に負っていた怪我。

 会話はできるけど、この世界の常識は知らない、得体の知れない女。


「王城で会ったが、覚えていないか?」


 やっぱり、この人はあの仮面だったのか。


「まさか、そんな…」


 流石のリオも言葉を詰まらせ、驚愕の面持ちで私を見つめた。

 スタンリーは特に動揺した様子はない。

 ヘレンも、クリスやリオほど驚いてはいない。

 旦那の横に佇んでいるハリーの顔を見上げる勇気はない。


 皆が私の発言を待っている。

 簡単だ。私は記憶喪失だから、何も覚えていない。けれどそうなのかもしれません、と重々しい感じで言えば良い。そうすれば皆納得はする。

 だから、とりあえず「待ってください、私聖女なんですか!?どうりで他の人達と何かズレてると思った!」と白々しくリアクションしよう。

 さあ、言うんだ。まずは、「待ってください」と。


「…ぁ、っ…」


 なのに動けないのは、旦那がずっと私を揺さぶるようなことばかりしてきたからだ。

 あの時と同じ目で見つめ、私を無視して立ち去ろうとした。ハリーに阻まれたが、その後情報を与えてきた。

 第一王子は死んだ。教育係も死んだ。もう一人の聖女が私のために二人を殺した。

 そして、私を聖女と呼んで、私を受け入れてくれた従業員に疑念を抱かせた。

 この男は、私よりもずっと前から彼らと共に過ごしてきた。当然、私よりも信頼されている。

 その男が、私を追い詰めようとしている。

 私を排除しようと、異物だと認定させようとして。

 私の居場所を奪おうとしている。


 私に勝ち目はない。

 無理だ。

 どうしようもない。


 従業員は私の敵ではない。むしろ味方だ。優しい彼らはいくら私が怪しくても、敵視することはないだろう。

 けれど、旦那と比べてしまえば、私は劣るのだ。

 彼らは、旦那か私かを選択するとしたら、あるいは悩むそぶりを見せてくれるかもしれないが、結局は旦那を選ぶ。当たり前だ。付き合いの長さが違うのだから。出会って半年も経っていない怪しい女と、苦楽を共にしてきた雇用主。彼らにとってどちらが信用に足るかなど、明白だ。


 だから。

 旦那に敵意を持たれた時点で、私はもう終わっていたのだ。

 どうにもできない。

 打開策はない。

 無能な自分を呪うしかない。


 右手が引かれた。


「…こいつはおれの子分です、とうさま」


 それまで、一度も言葉を発さず、私の右手を握りしめて固まっていたフレディが、口を開いた。

 声はいつもより格段に揺れていたが、目線がぶれることはなかった。


「変な力を持っているのかもしれないし、おかしな生物かもしれません。こいつはおれより頭が悪いし」


 何だお前。


「運動神経もないし、物覚えも悪い」


 擁護するんじゃないんかい。ちょっと期待したわボケ。

 あと運動神経ないって断言されると腹立つな。「第百回チキチキなりきり猛レース」に付き合ってやってたのは誰だと思ってんだ。毎回終わった後に体力の消耗と羞恥で小一時間死ぬんだぞ。「友人が実は伝説の勇者と知ってしまったがどうにかして戦いから遠ざけたいためとりあえず気絶させようとする悪の組織の下っ端」みたいな役目ばっかりさせてきよって。こちとらJKだぞ、ヒーローごっこは本来専門外なんだ。


「でも、おれの子分です。だから、許してやってください。おれがこいつを一人前に育てます」


 何なんだ、一体何の話をしてるんだこのショタは。どこ目線なんだお前は。私をどうする気なんだ、一人前って何の一人前だ。自分の手下のか?


 ただ、フレディは必死だった。近寄り難かった父親に対して、汗をかきつつも意見を述べていた。

 訴えが途切れ、一瞬、場が沈黙した。

 すかさずハリーがまた旦那にメモを渡す。さっきから何が書かれているんだろう。彼の性格からして、私とフレディをフォローする内容だろうか。

 そうだったら、嬉しい。


「…お前をここに置くと決めたのはヘレンだ。そうだな?」

「ええ、そうよ」


 おそらく私への問いかけだったが、喉がカラカラに乾いている私を考慮してか、ヘレンが返事をした。彼女は先ほど第一王子らが処刑されたと聞かされて滅入っていたようだが、今は穏やかだった。


「ならば、良い」


 えっ。


「ヘレンが受け入れたものを追い出す気は、最初からない」


 じゃあさっきの「お前はどうする、聖女」って脅しなんだったの。


 絶句する私に、旦那はそれ以上鋭い眼差しを向けてくることはなかった。場の雰囲気が柔らかくなる。フレディが繋いだ手を緩めて息を吐き、ハリーがこちらに少し嬉しそうに寄ってくる。成り行きを見守っていた他の従業員も安堵した様子だった。

 私も力が抜ける。

 続いて不満が湧いてきた。

 え、最初から受け入れるつもりなら、本当に今までの下り何?嫌がらせ?性格悪くない?従業員が良い人揃いだから雇用主側でバランス取ってんのか?お?ヘレンの旦那だからって調子乗ってんのか?「追い出されると思った?実はその気ゼロでしたー!」なんてアホなお約束いらねえんだよ。


「聖女」


 ごめんなさい悪口言い過ぎました。

 直立不動になる私に、旦那は涼やかな表情で言い募る。


「お前が記憶を取り戻した時は詳しく話を聞かせてもらうが、それまでは平穏に暮らすと良い。その子もお前に懐いているようだ」

「…はい」


 ようやく普通に声を出すことができた。まあ記憶を取り戻すことは永劫ないだろうけども。すまんな。

 答えた私に旦那は満足したのか、執事(荷物運び)であるクリスと共に立ち去りかけ、足を止めた。


「フレディ」


 また右手に力がこもる。


「この短期間で身長が伸びたな。痛みがあるなら早めに相談すると良い」

「あ…はい」


 拍子抜けした様のフレディに頷き返し、今度こそ旦那は歩き去っていった。


 一呼吸置いて、ヘレンが「無事に済んで良かったわね」と微笑み、駆け寄ってきたリオが「すっごいひやひやしたよ!」と肩を叩いてくる。

 傍観していたスタンリーはため息を吐いてから、さっさと持ち場に戻っていった。


「本当びっくりしたあ、アンが聖女だったなんて。敬語使ったほうが良いのかな?」

「やめてください、自覚ありませんし」


 記憶はあるけどね。

 聖女と判明しても変わらず朗らかに接してくれるリオには感謝しかない。


 しかし、聖女告発時のスタンリーのあの落ち着きようからすると、もしかして私がそうだって薄々感づいていたのだろうか。流石医者だ。やっぱ後ろめたい人間はかの人種に関わるもんじゃないな。


 ヘレンがあまり驚いていなかったのは「そういう性格だから」で説明がつく。もし私が正に異界の生物って感じの見た目でも、言葉が通じたら彼女ならきっと同じ行動をする。どんなに醜悪でも、哀れんでここに住まわせてくれるのだろう。聖女ってのはこういう人のことを言うのだよ、やる気なく引きこもる女じゃなくてさ。


 フレディが私を庇ってくれたのもちょっと意外だった。あんなに父親と会うのを嫌がっていたのに。

 そのショタは今、俯きがちになっていて顔は伺えないが、機嫌が悪くないのははっきり分かった。

 それはそうだろう。自分と関わりが少なく、興味を持たれていないと思っていた親から「成長したな」って認めてもらったのだから。

 喜ばないはずがない。


 奴をそっとしておくことにして、私はハリーの横顔を見上げ、声をかけた。


「ありがとうございました。本当に、助けてもらって…あの、さっき旦那様には、何と伝えたんですか?」


 ハリーは柔らかい表情のまま、「大したことじゃない」とばかりに首を振った。

 恩ばかりが溜まっていくのに、返さなきゃいけないのに、彼は当然のように次々と私を助けてくれる。

 それはとてもありがたくて、居心地の悪いものだった。

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