■
第一王子の教育係(ライアン)視点です。
聖女が泣いている。
どうしてこんなことを、アンジェちゃんは北の社で暮らすって言ったじゃない、どうしてあの子を殺したの!?いくら何でも、そこまですることなかったでしょう!?と、泣き喚いている。
彼女の周りには兵士が並び立ち、彼女の震える細い体は弟王子、エドワードが支えている。そこにいる彼らは全員、もう一人の聖女が処されるために北に送られたのを知っているのに、知らないそぶりで聖女を慰めている。
ミサキ様は悪くありません。
我らも騙されました。
不覚の至りです。
ですがこれが、邪龍の信徒のやり方なのです、といけしゃあしゃあと口にする。
ふざけるな。
もう一人の聖女を殺す決断をしたのも、強制的に聖女を幾人もこの世界に呼び寄せて使い捨てたのも、真龍派の人間が一人でも隠れていた土地を無慈悲に焼き払ったのも、私の故郷を女神への供物が足りなかったからと取り潰したのも、全て貴様ら女神教徒の仕業ではないか。
ふざけるな。
私の叫びは、奴らには響かない。私と奴らとでは、根本から思考が違う。故に敵対し、互いを攻撃する。
女神教に属する全ての者が悪というわけではない。そんなことは子供でも分かる。目の前にいる奴らが平気で嘘をつく悪漢でも、それ以外の人間が奴らと同様とは限らない。
だが、女神は悪なのだ。断言できる。女神が後ろにいる限り、奴らとの和解はありえない。
「…ライアンさん」
何人かの兵士が顔を歪めてこちらから目を背けた。
私も少し前までは、王太子の教育係として多くの人間から認められていた。癇癪持ちの王子の従者ということで同情する人間さえいた。
今では、誰もが忌避する大罪人だ。
発端は、聖女が北の社に連絡を入れたことだった。
彼女はもう一人の聖女、アンジェが元気にやっているかと心配し、自ら手紙をしたためて密かに社へ送っていた。
だが、かつてアンジェはアーサーの手によって崖から突き落とされた。聖女の手紙は届くことなく帰ってきた。
おかしいと感じた聖女は独自に調査を始め、城下にも行って聞き込みをし、アンジェが死んでいるという噂を得た。
聖女は仲の良い兵士達を問いただし、真実を明らかにせんと動き始めた。
そこからの詳しい展開は私には知らされていない。
ただ、彼らは、聖女の殺害は真龍派の企てであり、私が真龍派であると突き止めた。
そして、問答無用で牢屋に閉じ込めた。
真龍派は見つけ次第捕縛、処刑。
ずっと昔からそう決まっている。
しかし今回に限っては、時間がかかっていた。
私が何年も城で忠実に働いていたこと、王太子の教育を担っていたこと、聖女のお付きであったこと。様々な事情が絡んで、未だにどう処罰されるか決定されていない。
牢屋にこもり、自供もせず、王都に潜入している同士に火の粉が及んでいないか苦悩し、不甲斐ない、すまないと心で詫びる毎日。
そんな時に、聖女と兵士達はやって来た。
彼女は私を見るなり、「どうしてアンジェちゃんを殺したの」と叫んだ。
私は殺していないのに。
確かにアンジェを北の社に捧げるよう提案したのはアーサーだ。それでも彼女に先に暴行を開始したのは兵士達だし、彼女を殺すと最終的に決めたのも彼らだ。私ではない。
それに、アンジェはあの時痛めつけたとはいえ、運が良ければ生き延びているだろう。それを教える義理はないが。
聖女アンジェ。
女神の力を授かり人並外れた特性を持った聖女ミサキと共に、この国に召喚されるも、私の甘言に応じ自ら動くことなく部屋に閉じこもり続けた結果、人々の逆鱗に触れて追放、処刑されかけた少女。
彼女には、女神との接触はないようだった。彼女の供述が信用に足るかは別として、ミサキのように女神から能力を与えられていないのは確かだった。でなければあの時、なされるがままに暴行を受けたりはしないだろう。
もし生きているとすれば、今頃はノーウォルドの古城にでも身を寄せているのではないだろうか。
何にせよ、彼女の安否で悩む前に、まずは自分の身をどうにかせねばなるまい。
「…どうか、お聞かせ願いませんか」
嗚咽を漏らす聖女に声をかけると、衛兵がギロリとこちらを睨んだ。気にせず質問を続ける。
「殿下は、ご無事でしょうか。私が捕縛されてから、殿下は…」
アーサーは私の味方とは言い難い。何を考えているのかも分かりづらい。
それでも、彼は女神教徒ではないし、私の助けになるような言動を何度もしてくれた。彼が次の王になるならば、女神に頼り切らない政を行い、民衆の洗脳を弱めるだろう。少なくとも今までよりずっと真龍派は活動しやすくなるはずだ。
何より、長年世話をしてきて、情も湧いている。
彼には生きてもらわなければならない。
「アーサーは処刑された」
「…は?」
端的に答えたのは兵士の長、バーナードだった。
俯くミサキと無表情の弟王子の背後で彼は淡々と告げる。
「王太子であるにもかかわらず彼は女神を侮辱した。邪龍の信徒たる貴様に洗脳されていたのだから当然だが、彼は女神に背いていた。信心深い王は子の失態を許すことなく、刑は執行された。三日前のことだ」
「なっ…」
「現在の王太子はこちらのエドワード殿下だ。貴様の洗脳を受けていない、この王子が次代の王となる」
「きっ…貴様らは、どれだけ罪を重ねれば気が済むのだ!!」
馬鹿な。
アーサーは確かに女神を信仰してはいない。それは私が仕向けたことであり、誰よりも理解している。
だが、彼は一方で真龍派には属さなかった。
女神の所業を、真龍の奮闘を、世界の歪みを伝えて、一度だけ「共に世界を変えないか」と誘った時、彼は「俺には関係ない」と素っ気なく答えた。
だから、それならそれで良いとした。
真龍派である我らは皆、女神への憎悪を抱き生きている。執念のない者を無理に参加させることはない。また、永劫続く戦いに耐えきれず戦意を失った者、時間の経過により憎しみが薄れ平穏を望んで離脱する者を、引き止めることもない。
女神に取り込まれないのなら、敵にならないのなら、それで良い。
平和に生きていけるのなら、それが一番だ。
私達はそれが出来ないから、恨みを晴らすのを目的に動き続けなければ心が耐えられないから、抗っている。
アーサーは真龍派ではなかった。
ただ女神を信仰していないだけで、反旗を翻していなかった。
だが殺された。
聖女と同じように。
「何故だ!?」
「兄上が処刑された理由を求めるのなら、それは貴方のせいです。兄上は貴方に影響を受け、女神様への信心を失った。この国の王となるならば、それは致命的だ。仕方のないことです」
エドワードがバーナード同様、感情の込められていない声でそう紡いだ。
幼い頃より女神を信奉し、横柄な兄王子の下で虐げられてきた弟王子。聖女ミサキが現れたことで強力な後ろ盾を得たと囁かれていたが、実際に上り詰めるとは。
「…貴様には、血を分けた兄弟への情はないのか?」
「必要ありますか」
人形のような目だった。
兄に対して個人的な怨嗟があってもおかしくはない。エドワードが兄を容赦なく切り捨てるのも、納得はいく。
だが、何故。
「それなら、何故私は生かされている?」
真龍派でないアーサーは簡単に処刑されたのに。
真龍派の私は未だに刑罰の種類も決まっていない。
「…女神様の意向です」
「何だって?」
どうしてそこで女神が出てくる。
私を使って真龍派の拠点を暴くつもりなのか。
警戒する私に、エドワードは一瞬眉をひそめ、目を閉じて再び無表情になってから、「何かの間違いかもしれませんがね」と呟いた。
後日、私は女神の祭壇に引っ立てられた。
女神像を目にするだけでも虫酸が走るのに、城内、いや国で最も大きいであろうその彫像を前にして、憤りと同時に、恐怖が抑えられなかった。
何をするつもりかと黙っていると、私を連れてきた衛兵は皆、速やかに退室していってしまった。残されたのは手枷を付けられ立ち尽くす私。
脱走の好機かと周囲を見回すがめぼしいものはない。
それでも何か探そうと一歩を踏み出したところで、肌が粟立つのを感じた。
「すまなかったな。あの女が勝手なことをしたせいで、お前の計画を壊してしまった」
それは声というより、衝撃に近かった。
頭の中に直接響く音。どこから鳴っているのかも分からず、聞かないように防ぐ術がない。
絶対に人では出すのが不可能な音。
脳を揺さぶって思考を乗っ取るような、音。
「申し訳ないことをした。私に出来ることなら何でもしよう。償いをさせてくれ」
「だ…れだ、貴様」
「知っているだろう?女神。お前がずっと想っていてくれた存在だ」
吐き気。めまい。頭痛。
怨恨。復讐。憎悪。
それらを握り潰すように、女神は圧倒的な慈愛を滲ませ、本当の少女のようにあどけない声色で語った。
「私もずっとお前のことを見守っていた。嬉しかったんだ。お前と話したかった。だがお前は私のことを嫌っていたから、そんな機会はないと諦めていた。が、あの女がお前の正体を白日の下に晒した。だから、もういいだろうとお前を呼んだんだ。私は最後までお前の計画を、お前が試練を乗り越えて健闘する姿を見ていたかった。お前がどんな手段を用いて私を引き摺り下ろそうとするのか、もっと知りたかった。だが、あの女が邪魔をした。残念ながらお前の策もここで終わりだ。全く…別の女にしておけば良かったと後悔した。そうすればもう少しお前を見ていられたのに。例えば、そうだな…お前の心を癒す人間だ。お前を好いて、お前に好かれる女。それなら、想い人と共に平穏に生きるか、愛を捨ててでも私を倒すことに執着するか、葛藤するお前が見られただろう。その葛藤こそが素晴らしいものだ。困難にぶつかったお前が、悩み、苦しんで、どうにか答えを出す姿。苦悩の果てに選択し、決断するお前の姿。ああ、勘違いするな。私は別にお前を苦しませたかったわけではない。ただ、お前が、どこを見て、どんな考え方をして、何を選んで、どう動くのかを知りたかったんだ。すなわち、お前の人生の転換点に立ち会いたかった。見届けたかったんだ、お前の行く末を。本当に。嘘ではない。私は意味のない偽りは吐かないからな」
これは現実なのか。
何故女神が私などにそこまで。
理解が及ばない。
ただ、一つだけ分かったことがあった。
「女神に」
おぼつかない舌を動かす。
「呪いあれ」
そのまま歯に力を込める。
鈍い音がした。
女神には、勝てない。




