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 この屋敷の主人が帰ってくる。

 ヘレンの旦那にして、従業員の雇用主にして、フレディの父親で、何よりヘレンの夫とかいう世界で最も幸福な立ち位置にいるラッキー野郎が、戻ってくる。


 私に帰還の通達をした後クリスは「旦那様がいない間に増えた使用人は君が初めてだから、旦那様が君にどういう反応をするのか分からない。君が加わった件を手紙にして送ろうとしたら奥様に、帰ってきてから報告すればいいわよって止められたからね。君も旦那様と初対面ということで緊張するだろうが、僕らがついている。君が誤ってもフォローするよ」と実に頼もしいことを言ってくれた。

 それなら何故あんなに慌てていたのかと思っていると、


「だが、僕達はあくまで使用人だ。旦那様の決定に異議は唱えられない。旦那様が君を断固として受け入れないと告げられたら、それに従うしかないんだ」

「で、でも奥様がそんなこと許さないのでは?」


 なんてったってヘレン。旦那が私を放り出すような真似をしたらきっと待ったをかけてくれる、はず。

 クリスは一瞬眉をひそめてから、腕を組んでため息を吐いた。


「そりゃ、奥様はね。でも最終的な決定権は旦那様にある。どうなされるかは旦那様が決める」

「え、じゃあ旦那さんが出ていけって言ったら出ていくしか道はないんですか?」

「そうだ」


 そんな馬鹿な。

 まさかこんな危機が訪れるなんて想像もしていなかった。

 固まる私の肩を、いつの間にかすぐ隣に来ていたハリーがぽんと叩き、クリスにメモを見せた。


「旦那様はそんなことをするようなお方じゃないって?僕だって分かってるさ。けどねハリー、物事ってのはいつも上手くいくとは限らないもんだよ。幾多の出来事が重なって旦那様の機嫌が最悪な状態で帰還される可能性もある。アンが旦那様の前でとんでもない粗相をしでかす可能性もある。可能性は無限大に存在する。用心しておいて損はないだろ」

「用心って、何すればいいんですか」

「まずは旦那様を貶めるような言動はしないことだね。それと、フレディにも面と向かって罵らないこと。つまり、普通でいろってことさ」

「普通でいいんですか?称賛したり、持ち上げたりとかは?」

「逆効果だろうね。自然体の方が良い」


 用心しろって言ったり普通でいろって言ったりどっちなんだい。

 ハリーが悩む私にそっと紙片を見せてきた。

 無し、心配、自分、守る、絶対。

 これは分かりやすい。心配すんな、俺が絶対守ってやるからって意味だ。


 マジで?


「おい、アン?」


 突然俯いた私にクリスが怪訝そうに声をかけてくる。ちょっと待っておくれ、今心臓を痛めているから。

 ハリーってすごいよね。こんなサラッと言えない(書けない)よ普通。普通の男がどんなもんか知らんけど。

 いや待て、もしかして誤読してるか?そうだよね、あまりにも私にとって都合のいいように解釈し過ぎている。


 業を煮やしたクリスが私の手からメモを引ったくった。


「何だ、ハリー、こんなことを言っていたのか!?全く!君は男らしいな。尊敬するぞ」


 誤読じゃないっぽい。

 ハリーさんさあ…そういうとこだってよく言われない?

 …やっぱモテたりしてたんだろうか。

 チラッと顔を上げてハリーを見やると、相手もこちらをじっと見つめていて、目が合うと真剣な表情で首を縦に動かした。

 うぐぐ。


「フレディ。旦那様が帰還されたら、ちゃんとお出迎えするんだぞ。分かっていると思うが、これまで許されていた所業は旦那様には通じないからな」

「……」


 私に紙を返しながら、クリスは、地べたに丸くなって座り込むフレディに声をかけたが、奴は答えなかった。

 やはり何かあるらしい。因縁か。フレディは父親と接点がないらしいというのは前から分かっていたが、このショタがここまで嫌がるとは。

 従業員から聞くにそこまで厄介な人物ではないのだろうが、それは主人としてであって、父親としてではない。

 少なくともフレディにとっては、屋敷の主人は受け入れがたいタイプの存在なのだ。

 そうなれば、万人に好かれるような人間(例:ヘレン)ではないということ。

 私にとっても地雷の可能性がある。


「旦那様ってどんな人なんですか?」


 傾向と対策を練ろう。


「そうだな。旦那様は、気さくとは言い難いが、スタンリーほど偏屈なわけでもない。リオほど明るくはないが、ハリーほど静かなのでもない。奥様ほど親切ではないが、冷血ではない。ただ、こだわりは強いから、癇に障る言い方をすれば怒られるだろうね」


 うーん、曖昧。この世でハリーより物静かな人間は少ないだろうし、ヘレン以上に親切な人間など存在しないだろうから、結局範囲が狭まらない。

 あれ、そういやこの前、本を借りに行った時にスタンリーが主人について何か情報漏らしてたような…。


 真龍研究を諦めてスタンリーが城で働いていたところに、若造とその妻が現れた。

 妻は真龍派に育てられていて、主人は確か…


「エルフの研究を行っていた」

「ん?何だ、アン、今なんて言ったんだ?」

「えーっと、旦那様って研究者なんですか?」


 すると、クリスは「ああ、何だ、そのことか。そうだよ。現在遠征なされているのもそのためだ。でもあまりそれを旦那様の前で聞かない方が良いだろうな。さっきも注意したが、専門についてはこだわりが強いんだ」と補足してくれた。

 しかし研究者か。スタンリーほど偏屈じゃないとしても、同じタイプだったら面倒だな。好感は湧くけど。

 フレディの部屋に植物図鑑が大量にあるのも父親の影響なのだろうか。


「ともあれ、心の準備をしておくといい」とクリスは言い残し、庭を去っていった。

 傍らのハリーが大丈夫、心配しないで、と頷き、フレディは相変わらず足元で丸まっていじけている。

 頼もしいハリーがいるから必要以上に不安になることはないが、いつも生意気なショタが大人しいのは何とも不気味だ。どうにかして元気付けてやったほうがいいか。

 気の利いた文句を考えるもパッと思い浮かばない。

 ぼやぼやしていると「大変だ!」とクリスが駆け足で戻ってきた。


「旦那様が帰還なされた!」


 早いね?まだ何も頭に浮かんでないよ。ついでに心の準備もなってない。

 でも時間は待ってくれない。


 クリスに導かれ、ハリーに励まされ、フレディの手を引いて、私は急いで間の悪い旦那様の元へ向かった。

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