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ハリーにどんな教育的指導をされたのか知らないが、あの件からフレディは私に対して妙に優しくなった。まあ普段のわがまま度が十だとすれば九くらいに減っただけだけど、それでも気遣われているのは明白だった。
が、所詮はショタ。数日で元に戻った。私の奴への好感度もそれに準じて戻った。
朝起こしに行けば奴が仕掛けたトラップは必ず私の足元をすくい、朝食を済ませてお勉強部屋に引っ張って行こうとすれば逆に圧倒的な脚力で私を引きずりまわし、庭で遊べば子供並みの運動の激しさで私の体力をカラにした。
おかげで毎日三食と早寝早起きが身についてしまった。
とはいえだ。少し前まで引きこもりをやっていた身。そんなに毎日全身を使い果たしていたらもつ筈もなく。
私は筋肉痛とショタへのイライラ、そして他のなんやかんやのストレスにより体調を崩した。
体調を崩した。
熱があるわけではない。
頭痛があるわけではない。
腹が痛いのでも、吐き気がするのでもない。
が、体調は崩れている。
崩れているのだ。全身が…その、何だ。あれだ、だるいのだ。辛い気がする。だから今日は控えめな遊びにして、休ませてほしい。
それを、ベッドの上でようやく睡魔を振り払ったフレディに訴えたところ、「何言ってんだこいつ」という顔をされた。
「要はサボりたいってことだろ?」
流石ヘレンの息子。寝起きなのに話が早い。
今日の日中は残念ながらハリーが猟でいないので、奴には一人で楽しんでもらうことになる。この間、私がハリーとリオと一緒に会議をしていた時と同様に。
でもあれはれっきとした理由があったからいいけど、今のは本当にサボりたいってだけだから罪悪感が湧くのよね。主にヘレンに対して。
「ふん…別におれは一人でいい。どこへでも行けばいいだろ!」
「いや行くところはないんで親方のそばにいますけど。一人遊びしてもらってもいいですか?生温かく見守ってますから」
寝巻きから着替えるのを手伝いながらそう言うと、フレディは何故か「…変な奴め」と罵ってきた。裾まくるぞコラ。
しかし一人遊びってワードはショタ相手に使うべきではなかったか。右手と遊んでね、なんて言っても意味分からんだろう。私もそんなこと急に言われたら理解できずに逃げる。つーか私十八歳未満だし。
身嗜みを整え、朝食を済ませ、戦いに行くハリーをクリス、リオと共に見送った後は、いつも通り庭に移動する。
「さ、親方の孤高の勇姿を見せてください。野次は入れますから」
芝生の上に体育座りし、フレディの勇姿を眺めるべく「さあさあ」と促す。
フレディはヘレンと同じ藍色の目を不満そうに細めた後、私の後ろにどっかりと腰を下ろし、背中にもたれて体重をかけてきた。重い、子供のくせに。
「何ですか?」
「気が乗らん!」
「はあ…じゃあお話でもしますか?私聞き役になるんで」
「一号の話を聞かせろ」
「いや私記憶喪失なんで…」
「ここ最近の記憶はあるだろうが」
そんなこと言われても話題なんて思いつかんぞ。私は陽キャじゃないんだ。相手がリードしてくれないと何もできない無力な子なんだ。相手を喜ばせるトークスキルなんてないんだ。
まあ、ショタ相手に気なんて使う必要ないからいいけど。
適当に昨日の夕飯が美味しかったことやヘレンがわざわざ私に服を縫ってくれたこと、普通に外も植物が茂ってて寒冷地なんて嘘っぱちだったことを筋もオチもなくグダグタと語っていると、フレディが唐突に立ち上がってどっか行った。
自分から聞くと言っておいて途中でうんざりするなんて無礼な奴め。
と思ったら奴はすぐに戻ってきた。その手には絵本らしきものを抱えている。
そういや私まだスタンリーに本返してないな。押し花できたかな。どれくらい放置すればいいんだろ。
無言で待つ私の隣に座り直し、フレディは薄い大きな本を開いて見せてきた。
そこにあるのは解読不能な記号の一覧。
「何ですかこれ」
「文字教育」
「なんて?」
「お前、字読めないんだろ。おれが読めるようになったのはこれを使ったからだ。お前も使え!」
「…いや…ありがたいんですけど、私は親方が勉強してる隣で励もうと思ってましてね。その方がいいじゃないですか」
道連れ感あって。
「仕方ないな。じゃあおれも勉強してやるから、お前もしろ」
「あら素直。それなら早速お勉強部屋に行きましょ…」
「おれは外がいい」
「…勉強部屋じゃなくてですか?」
「あそこは嫌いだ。やるんなら外がいい」
その方が集中できる、とフレディはむすっとした顔で続けた。
わがままな奴だ。勉強なんてどこでしても一緒だろう。どの場所でやっても勉強なんてのは辛くて苦しい拷問でしかない。
ぺらぺらと本をめくる私を置いてフレディはまた家の中へ消え、今度はしばらくして両手に教材が乗った低い台を抱えてきた。高いところを掃除するときの踏み台だ。ちゃんと面を拭いたのか?
私の前に設置し、自分も横に並んで教本を手に取る。
この台が机代わりというわけか。地面に直接座っているから椅子はなし。柔らかい芝生とはいえ尻が痛くなっても知らんぞ。
ていうか私勉強はヘレン辺りに教えてもらうのかと思っていたのですが、まさかの自習?
疑いの目でフレディを見やると、視線に気づいた奴は「何だ」と首を傾げた。
「私はこれでどうやって文字を学べばいいんでしょうか」
「お前は会話はできるんだから読むのは楽勝だろ。紙面の単語と音の言葉を一致させりゃあいい」
何ちょっと頭良さげな発言してんだこのショタ。
「いえ、その単語を読んでくれる先生がいないとどうにもさっぱり…」
「お前は本当にしょうがない奴だな!」
フッと鼻で笑う。何だこいつ!腹立つ!自分だって文字書けないくせに!
心の中で怒りを抑える私に、フレディは「おれが教えてやろう」と自分の分をどけて私の本を取り上げ、最初のページを開いた。
「まず基本のヒラガナ」
「ひらがなあ?」
ひらがなって某島国固有のものでしょ。何パクってんだ。カタカナはどうした。
「この本のどこにひらがながあるってんですか。ひらがななら私マスターしてますよ。書けもしますよ、ほらほらペン貸して」
「何絵描いてんだお前。これだよ」
びしっ、とフレディがページを指してドヤ顔を晒すが、どこにもひらがななんて書いてない。ていうか書いてあったらすぐに見つけている。対して私が本の余白に書いた美しいひらがなを奴は「何だその模様は」と一蹴した。
…言葉が通じるから読み書きも割と簡単に学べると思っていたが。
口に出す音が共通しているのに文字は違っているって、案外面倒かもしれない。