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26

 ふわり、と止める暇もなく、それは外された。

 頬に柔らかな風が吹いてくる感触。涙がまっすぐ下に流れ落ちる。


「え?」


 こちらを見つめてくるハリーの手には。


「ひっ…」


 無意識に顔を触っていた。

 覆うものは何もない。


 横のフレディが目を丸くして私とハリーを見比べる。


 見られた。


 女の悲鳴が聞こえる。

 どこからだろう、とぼんやり思って、自分のものであるとその直後に気づいた。


「おい、ハリー!どうすんだこれ!」


 出会ってから初めて慌てたようなフレディが仮面を持つハリーの腕に掴みかかるのを目にするのと、私が背を丸めて顔を隠すのはほとんど同時だった。

 勢いよくついた膝に小石が当たって痛い。でも身を起こすなんてのは不可能だ。


「ハリー!は…」


 何故かフレディの声が戸惑ったように唐突に途切れた。

 背中に、何かが置かれた。と思うと、それはゆっくり動き出した。

 …さすられて、いる?


 …何だろう。この感覚は。そこに、自分を心配してくれる人がいるという、安心感?

 いや、違う。もっと大きなものだ。


「…泣いてるなら仮面取らないと苦しいだろって、ハリーが…」


 フレディのたどたどしい声がする。その口ぶりから察するに、奴は私が泣いていると悟っていなかったらしい。

 逆にハリーは分かっていた。だから仮面を取り上げた。

 口元は空いているから息苦しいなんてことはなかったが…外から見たら危なっかしげだったのだろうか。


 沈黙が続く。

 私は踞ったまま、ハリーは左に座って私の背中を撫で、フレディは少しの間近くをうろうろしていたようだが、やがて私の右側に座ってきた。

 両隣が埋まる。

 落ち着かない。

 誰かに触れられる温かさとかいうのは、何だか妙な気分になる。いや卑猥な意味ではなく。

 だって、一人じゃない時に泣いたのなんか、小学生ぶりだし、勝手が分からない。


 挟まれていると何故だか、また涙が浮かんできた。

 おかしい。普通、こういう時は泣き止むものなんじゃないのか。泣き止んで、「もうアタシ、悲しみとは無縁だわ!」って慰めてくれた人に宣言するのではないのか。

 私がおかしいのか。やっぱり私は、どうしようもない、救えない人間だ。


 胸の奥にあった岩みたいなものが喉にまで迫り上がってくる。

 思わず口から出すと、慟哭になった。

 大声で泣いた。

 支離滅裂な叫びが中から次々に出ていった。


 ハリーはどこにも行かず、ずっと隣で背中をさすってくれた。

 フレディは途中で立ち上がり、どこかへ消えていった。




「付き合わせてしまって、すみませんでした」


 仮面を装着し、ハリーに頭を下げる。

 ハリーはぶんぶんと首を横に振った。

 恥ずかしくていたたまれない。彼には恩ばかり作っている。仮面のこともそう、今回のこともそう。いつか返せると良いのだが。


 ハリーが手入れしている庭の草花を並んで眺めながら、夕暮れをハリーと共に迎える。緑とオレンジが泣き疲れた目に優しい。

 そういえば、ハリーの髪は緑だし目はオレンジ色だ。

 すごい偶然。

 口に出して言ってみると、ハリーはうろうろと視線を泳がせた。

 通訳フレディがいないから、何を考えているのか分からない。


「おい!一号!」


 件の声が後ろからした。

 頭の上に何かが乗せられる。軽い。

 取って見ようとすると、フレディに腕を叩かれた。


「お前!せっかく親方が与えてやろうってんだぞ!」

「見えないんです」


 仮面もつけているし。


「仕方ない奴め!」


 了承を得て、フレディが持ってきたものを確かめる。

 小さな花冠だった。


「へん、女ってのは花とか宝石が好きなんだろ?感謝しろよ」


 偉そうに顎を突き出しているが、その手は汚れているし、冠は作った経験がないのか、不器用な出来だった。


 何なのだ、これは。何で私はここに来てから、こんなに恵まれているんだ?私自身にはそんな価値、もうないのに。


 また泣きそうになって大きく息を吸う。でも湧き出るのはさっきの涙とは違う。これはあれだ、感極まってってやつだ。


「ありがとうございます」


 口から出たのも、さっきとは違う。

 これは、どこまでも純粋な、感謝だった。




 その後は普段通りに夕食と入浴を済ませ、フレディを寝かしつけてから夜に本を借りに行った。

 フレディからもらった花冠をそのままに保管するべく、本で挟んで押し花にするのだ。できるだけ分厚い、辞書のようなもの、フレディの部屋で見たやつくらいはほしい。が、フレディから本を借りると用途がバレそうで恥ずかしいので別の人に頼む。

 従業員の中で読書家っぽいのはスタンリーなので、労働を終え自室に籠っているところを控えめに訪ねてみる。


「スタンリーさん、起きてますか…?」


 軽ーくノックして小声で呼ぶ。寝てたらまた明日だ。彼は多分まだ五十代だろうが、寝るのが早いイメージがある。

 返事はない。やはり寝ているようだ。

 仕方ない、今日はこのまま部屋に戻り、泣き喚いて疲労した部位をゆっくり休ませよう。


 くるりと方向変換した時。


 ドアがギイイイと音を立てて開いた。

 隙間からギロリと覗いたのは灰色の瞳。


「…何だ。こんな夜更けに」


 前にもこんなことあった。

 早朝と比べてホラー感が非常に増しているのでやめてほしい。ちびる。


「す、すいません。しばらく使わない本とかって、ありますか…?あったらお借りしたいんですが…」


 ビビりながらも聞くと、スタンリーは何故か瞠目し、即座に顔を引っ込ませ、部屋の中で何やらガタガタし始めた。

 しかしすぐにまた顔を出し、早口で喋り始める。


「お前さん、確かフレディ付きだったな?てことは植物か?だが坊主に言わずオレんとこに来るってことは、違うな?虫か、食虫植物か?それとも小動物の類いか?それなら兎についての文献を見せてやる。貸しはしないぞ。大層貴重な代物だからな」


 腕を掴まれ、弁解する暇もなく引きずり込まれる。

 外から見たら間違いなくホラーな光景。


「はるか昔。エルフが滅ぶよりもずっと昔の話だ。神話に近く、もしかすると女神よりも古いかもしれん。エルフには生き証人がいるが、これについての情報は全然残っていない。何故かって、生き残りがいたエルフとは違い、彼らは全滅してしまったからだ。分類としては今では身近にいる害を為したり飼われたりしている畜生どもが近い。というより、奴らは彼らの名残なのだろう。当時君臨していた彼らは、人間なんぞよりもはるかに強靭で、エルフが使っていた魔法なんぞよりもはるかに強大な力、仮に神通力と呼称するが、それを持って空に、海に、大地に存在していたと考えられる。無論確証はない。証拠もない。しかし、エルフが残した手記によれば、ある時一匹の兎が…」


 何だこれ、何だこれ、何なんだこれ。

 医務室とは比べ物にならないほどの、部屋を占拠する紙束。カサカサと擦れる音。大量の書物がある場所独特の匂い。血走った目で資料を指し示してクリス顔負けに語り続けるスタンリー。


 私は震えながら相槌を打つことしかできなかった。

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